はかりごとは慎重に 二
本来、宮廷に準ずる場所に地方官が現れるからには相応の『格』を踏まえるのが暗黙の常識であった。
だが、今『収容所』の高級オフィスで口調も重々しく所長に話をする鳶彦の姿は、部下やカバンといったアクセサリーが無くとも十分に迫力と威厳があった。
「で、では、宰相閣下は叛逆者だと仰るのか!」
人の良い平凡な男性の所長は、呆けたように鳶彦の話を繰り返した。鳶彦は、ただ黙ってうなずくに留まる。
今頃は、燕郎や烏臣が郭公に吊るし上げられている場面だ。ここで速やかに皇后に『真相』を打ち明け、既成事実を確定せねば。
所長は辺りをきょろきょろ見まわした。鳶彦が最初から人払いをさせているので、だれも援軍に来ない。
「と、当局に確認……」
「そんな悠長な暇はありません。皇后陛下がなぜすぐに知らせなかったとあなたに迫っても良いのですかな?」
などと言われると、嫌でも腹をくくらざるを得ない。
「わかりました。では……」
「所長自らのご案内とは恐縮です」
鳶彦は先手を取った。下っ端の部下にでも案内させたら、宮廷でどんな手間を食うかわかったものではない。それに、所長にもある種の共犯意識を持たせる必要があった。
所長の案内で、鳶彦は『収容所』の屋上に向かった。らせん階段がえんえんと続いている。身長を少し越す高さに丸い風穴が設けられていて、ゆらゆらと風が入っていた。
どれほど歩いたろうか。ようやくにも階段が終わり、屋上へ通ずるドアまで来た。門衛が二人いる。
「非常時の権限を発動する。こちらは鳶彦殿と仰る地方官だ。鳶彦殿をお通しせよ」
「はっ、かしこまりました」
門衛が二人そろってうなずいた。
「そちらのドアを開けて下さい」
所長は、門衛の後ろにあるドアを手で示した。
「どういうことだ?」
「これ以上は申し上げられません」
所長もこればかりは頑固に言い切った。門衛に聞いても石に尋ねているようなものだった。
少々ためらいながら、鳶彦はドアを開けた。なにか劇的な反応を期待したがあっけなくノブが回り、平凡な屋上の風景が広がっている。
所長を見ると、黙ってうなずいた。首をひねりたくなるのを我慢して、一歩踏み出すと……。
満天の星空が頭上に輝いている。地面は滑らかな水晶そのもので出来ていた。背後はと見ると、通ってきたはずのドアは影も形もない。
遠くに建物らしきものが見える。足を動かそうとして手ならぬ羽毛が目に入り、自分が半ば強制的に鳥の姿になったのがわかった。
下手に飛んだりしたら不敬罪になるかも知れない。鳶になった鳶彦はちょんちょんと脚を跳ねて前へ進んだ。
やがて、宮殿が目の前にはっきり現れた。自然との調和美において極度に洗練された建築芸術は、もはやそれ自体が自然そのものだ。
そこへ宰相でも侍従でもない自分が『非常時』の使者として拝謁を求める……帝国史にこれほどの大事を果たした人物はまれだろう。
正門まで来て、さてどうやって目通りを願うのかと考えていたら門衛が二人近づいてきた。
「どなたですか」
一人が聞いてきた。
「私は地方官の鳶彦だ。重大な要件で、皇后陛下に拝謁したい」
鳶彦は胸を張った。
「要件とは、いかなる内容でしょう」
「宰相閣下も関連した事件だ。ここではそれ以上は言えん」
さっさと通せ、木っ端役人が……と言いたくなるのを鳶彦は我慢した。
「宰相閣下からは、なにか書面をえておいでですか?」
「いや。しかし、私は鳩紫とやらいう侍女がいなくなったのを知っている」
絶妙のタイミングで鳶彦は固有名詞を口にした。効果はたちまち現れ、二人の衛兵は顔を見合わせた。
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
「うむ」
こうして、鳶彦は生まれて初めて宮殿の門をくぐった。あっさりと謁見の間に通される。
鶴妃は、翔翼もそうだが、年に何度かは各地を回る。鳶彦としては鶴妃の顔はもう知っている。さすがに、今こうして直面すると気後れした。
だが、自分はもう飛びたったのだ。であれば飛び続けるしかない。
「この度は、まことに常軌を逸した申し出にて、まことに、恐縮の極みにございます」
面を伏せたまま、玉座の鶴妃に向かって鳶彦は言った。
「重大な要件、だそうですね。面を上げなさい。お話を伺いましょう」
「御意をもちまして。……さて、私めが携えて参りましたのは、宰相閣下の計画についてです」
言葉のバランスをこの上なく繊細に、しかし不要な時間をかけないよう鳶彦は言った。
「烏臣がなにを?」
「はっ。まことに畏れ多き次第ながら、宰相閣下は、皇帝陛下のご不在を良いことに叛逆を試み、議会内の敵対勢力をおさえにかかりました。あまつさえ侍女の鳩紫殿を、同志の燕郎を使って誘拐したのです」
皇帝の直属の部下に危害を加えるのは、皇帝自身に危害を加えるのに準ずる重さを持つ罪である。しかも鳩紫の件を鳶彦が知っているということは、鶴妃としては一笑にふして済む話では無かった。
「それを話したのは、わらわらが最初ですか?」
「いえ、治安監の郭公には打ち明けました。まことに出過ぎた次第ながら、既に二人を拘束しております。さらには、燕郎の手勢がこちらにやって来ると言う情報もえております」
「わかりました。取りあえず、あなたのために部屋を用意します。そこでゆっくり休んでいなさい。ご苦労様でした」
「お言葉、かたじけなく承ります」
鳶彦は歓喜爆発寸前だった。あとは放っておいても郭公が『ストーリー』に沿って二人を処断してくれる。
その報告は速やかに宮殿まで届けられるだろう。そして、この手柄をもって、一気に新宰相・鳶彦が誕生するのだ。
いつもの冷静さを欠いた鳶彦は、鶴妃の左手の薬指から指輪が無くなっているのに気づかなかった。
鳩紫は、どこともわからぬみすぼらしい小屋の隅に転がされていた。
手足を縛られ、目隠しをされている。それ以上の乱暴はされていないが、自由が利かないことに変わりはない。
任務もなにもあったものでは無かった。だが、嘆いたり怒ったりして無意味に時間を消耗するぜいたくは許されなかった。




