脱け殻にも用はある 二
巻尺のさらに下に、何年何月何日云々と月日や場所が記されている。中内が見つけたものと全く同じだ。
「おおっ」
さすがの中内も、思わず息を呑んだ。
「君が同じ鏡を持っているのは~、知っています~。何者かが同じ鏡をいくつか作って~、凶鳥を介して操っているのです~」
『古来、日本では鳥は人の魂を運ぶ存在とされていた。我らの記憶がかすかに残っていたからだ。なるほど、鏡をだれが作っているかが重大だな』
「問題はなぜ~、この鏡が~古墳の外にもあったのかです。これほど重要な品をほいほい外に配るのは~どこかおかしいです~。これにはあっさり申しまして~、翔翼陛下の世界が~かかわっていますな~」
『うむ。ありえる。おおいにありえるぞ。そもそも、朕は古宮の大王とも呼ばれておった。朕にはカラスの宰相がついており……あー、息子を探すために天探女を派遣したこともある。高天原のいざこざに巻き込まれて雉鳴女が殺されたので立腹し、高天原……ひいては後々の日本と絶縁したのだ』
『そして、俺もその時に……』
ワカヒコの、粗暴ではない別な一面が味鋤の心に流れてきた。
『ここで聞くのもなんですけど、ワカヒコのお母さんはどうなったんですか?』
自分の境遇も踏まえるに、味鋤としてはやはり無視出来なかった。
『う、うむー』
『あたしから説明するよ。記憶をすげ替えて、ワカヒコの話は全部なかった事になってる。芯からあたしだけの母さんになった』
『そんな、ひどいじゃないですか!』
前世に続き、現世でも翔翼に手厳しい味鋤であった。
『待てよ、兄弟。俺も、気持ちは同じもんがある。俺だって、高天原にいた時分は母親絡みで暴れたよ。養父のオモイカネには甘え通しだった』
ワカヒコの述懐には無視出来ない重味があった。
『でもな……俺は、この手で母親を……』
『ワカヒコ! もういいよ。あんたのせいじゃないよ』
留実が慌てて割って入った。
『そうだったよね……ごめんなさい』
味鋤も、自分の未熟さを悔やんだ。
『雉美自身もそれを選んだのだ。責任をごまかすような形になる故、朕からは黙っておくつもりだったが』
時ならぬ哀切が僅かな間に流れた。
『翔翼、古墳の主はあなたの知り合いですか?』
ややあって、思い切った質問で味鋤は話を変えた。
『まだわからぬ』
『それにしてもモヘージング様って、ただの落書きみたいなおじ様ではなかったのですね』
『わっはっはっはっ、確かにな』
ワカヒコが多少なりと明るくなり、少しだけ味鋤はほっとした。留美の台詞には彼女の手と同じように一同を和ませる力を感じた。
「博士。鳥と鏡に関係があるとして、僕たちを襲ったやつとも関係があるのですか?」
味鋤は気持ちを切り替えて尋ねた。
「霊魂や精霊にも良いものもいるし~悪いものもいる。中内君の記憶喪失は本物だろう~。結論から述べると~、異世界との扉は~完全には閉ざされておらぬ~」
「輝美、そこの書類棚から、中内君の履歴書を出しなさい」
元父、即ち会長が唐突にふった。
「はい」
会長は出されたファイルを受けとってぱらぱらとめくり、じっと中内を見た。
「中内君。最後の記憶は西暦一九八八年と言ったな?」
「ああ、言ったとも」
「書類では、その年には神奈川県の博物館で学芸員をしていたとあるが」
中内は答えられなかった。
「つまり、君は最初から出鱈目を言ってうちに入ったんだな」
「……父さん、私……」
輝美がおずおずと、ファミリーレストランで中内に会った時の話を述べた。
『これで決まりだ。この者は、凶鳥に操られておったのだな。恐らくはずっと以前から』
もはや、議論の必要は無かった。
「じゃあ、なにか。俺の人生は、ずっとその鳥だかなんだかに利用されていたってことか。あんたらの始末のために!」
「そうなるな」
会長は突き放した。
「ふ、ふざけやがって! おい、下田っていったな。俺を使え! 無報酬で構わん!」
「使うとは?」
「俺は、そいつに仕返ししないと気が済まん! あいつをぶちのめすんなら利害は一致するだろ?」
「ふむ」
会長は憎らしいくらいに冷静だった。
「さっきから聞いてりゃ、あいつにはだれか、取り憑くための人間がいるはずだ! つまり、もうとっくの昔に別なデク人形を用意してるってことだ! そいつをつきとめりゃいいんだろうが!」
『苦し紛れにしてはなかなか筋の通った論理だな』
褒めねばならないものは褒めると言いたげな翔翼だった。
「君が裏切らない保証は?」
会長が聞くと中内は黙ってしまった。この状況で、安い言葉など吐けるはずがない。
「私が責任を~持ちましょう~」
「ええっ? 博士、それは危険すぎます」
「味鋤殿、これは危険ではありません~。楽しいことですぞ~。毒殺の件も~もういいですな~? 中内君、薬缶や急須を良く洗って~、懐紙を使って確かめてくれたまえ~。初仕事だ~」
だれも反対のしなかった。中内は、黙ってキッチンに行った。
『ふむ。凶鳥のいる場所が、漠然とではあるが、わかってきたぞ』
『もし、毒かなにかにやられてもわたしなら治せます』
味鋤は、二人の言葉をそのままみんなに伝えた。
「良し。これで~決まりましたぞ~。では輝美さん~、地図を出して下されい~」
輝美が住宅地図を出すのと、中内がヤカンを洗う音とが重なった。




