勇気と涙 三
宮殿の『文学の間』では、鶴妃が侍女達に元老院のいきさつを話し終えたところだ。
彼女達、特に鳩紫の心は重い。難題である。燕郎の純粋な熱意はわかる反面、どこか危うさを感じる。
まだ彼についてのあれこれを打ち明ける気にもなれなかった。薮蛇になったら、傷つくのは彼自身だからだ。
「それにしても、どうして烏臣閣下は議会を自分の手で切り上げないのかしら?」
侍女の一人が首をかしげた。
「宰相がありのままを全部述べているとは限らないわ」
鳩紫が答えると、一同は……鶴妃だけは別だが……はっとした。
「では、そなたの考えは?」
鶴妃が促すと、鳩紫は暫くの間、すらっとした顎に指をあてた。
「宰相の手際には一貫性がありません。それは、今までの言動から推察出来ます。もし、皇帝陛下から本当に代理を頼まれたのなら、議会は最初の一回目だけで良いでしょう。それに、宰相たる者は、あらかじめ腹案をまとめてから議会を開くのが普通です」
「では、烏臣の考えは、邪魔者を取り除くために議会を開いたのかも知れませんね」
そんな言葉や考えが鶴妃の口から滴るのは、なんとも不気味な迫力があった。鳩紫は、あえて黙ったままうなずいた。
「それでも、烏臣閣下の言葉通りにする他、ありませんよね、私達としても」
侍女の一人が言った。そう、それ以外にないのだ。烏臣の奸智がどう向けられようと、そのこと自体が翔翼をこちらの世界に引きもどすだろう。
もっとも、烏臣は使いが出発するのを手ぐすね引いて待っているに違いない。……見方を変えれば、烏臣や元老院の本心を確かめる機会でもあった。
「私が、また使者になります」
鳩紫が発言し、これには鶴妃を含む全員が目を瞠った。
「なにも、あなたが行かなくても」
「そうよそうよ。たまには私達も舞台に出させてよ」
侍女達が、鳩紫を気遣って口々に反対した。
「ごめんね、皆。皇后陛下、どうか、私にその役目をお与え下さい」
鶴妃は、なにか言おうとして止めた。
「お願い致します」
重ねて鳩紫は頭を下げた。
「わかりました。そなたに頼みましょう。準備を整えなさい」
「ありがとうございます」
簡潔なやり取りには、信頼し合った主従でないと試しえない万感をはらんでいた。
任務の性格上、護衛はつけられない。烏臣が警戒するからである。鳩紫は決して運動音痴ではない。だが、烏臣がその気になったら刺客の一人や二人くらい送って来るに決まっていた。
それで良いのだ。鳩紫に『なにかある』と言うこと自体が証拠なのだから。
もちろん、烏臣の身辺には極秘に見張りをつけておかねばならない。それは、侍女達が交代で行う。
いくら宰相といえども宮廷の侍女全員を丸暗記している訳ではないし、参内し始めて日の浅い者もいる。
それに、こんなときに機転と才覚を働かせてこその人生ではないか。
話はまとまった。鶴妃は、解散を宣言してから、私室にもどった。
ドアを閉めて、鏡台の脇に置いてある小箱を手に取る。それは魔法でこしらえた手紙であった。紫地に緑の唐草模様が入った、オルゴールのような外装をしている。
椅子を引いて腰をかけ、彼女はしなやかな手つきで蓋を開けた。箱の上の空間がゆらめき、翔翼が胸から上の姿で現れた。
「いつも迷惑をかけてすまないと思っている。探索は上々だ。占いの結果通り、朕は我等と彼等の接点に近づきつつある。そこは彼等の言葉で古宮と呼ばれておる」
翔翼達の祖先は、かつては古宮を通じて自由に往来出来た。ただし、向こうから翔翼達のそれへ来るには、一種の『資格審査』がいる。それは、歴代の皇帝が直々に行う。
もし合格すれば精神だけの状態……卑俗には魂になった上で、こちら側の住人になれるのだ。もどるのも自由。
だが、人間の世界で言う七世紀頃に往来のための『交通路』は何者かによって破壊された。
と同時に、異形の化け物達が古宮を襲った。それは撃退出来たが人間側は幾つものグループに分裂して古宮を再建したりそれを阻止したりとばらばらに動いている。
だから翔翼は自分で調べに行った……その辺りは、烏臣が議会の出だしで述べたのと同じ内容だった。
「古宮は、今のところ壊れたままだ。しかし、霊力の強い人間ならなにかのきっかけで直せる状態にある。そして、どうやら古宮の再建を熱望して、また我等を襲おうとしている者もいるようだ」
そこで、映像が切り替わり、味鋤がスーパーですれちがった中年の男が現れた。
「この者とは近い内に接触する機会があろう。ところで、妙なおまけもついて来たぞ。烏臣の娘だ。禁を破って使ってはならぬ魔法を使った故、厳しく罰せねばならぬ。今のところは朕が保護している。連絡は以上だ」
その後、だれかが聞いていたら赤面しそうな愛情の吐露が続き、映像も音声も消えた。
蓋を閉じて、鶴妃は深い溜め息をついた。
「全て自分の不始末でしょう、あなた? わらわや侍女達に宿題ばかり押しつけて、優雅なお仕事ですこと!」
一人で皮肉を言って箱をなでてから、鶴妃は寝間着にきかえた。
これから大仕事が始まるに違いない。だから、あらかじめ眠りだめをしておくのだ。




