凶鳥は毒を吐く 二
コウコガク協会なるものに電話するなど生まれて初めての経験だった。
何事にも最初の瞬間はある。自分の部屋でスマホのボタンを押し終わるとしばらく呼び出し音が続き、だれかが受話器を取った。
「はい、古宮考古学発掘協会です」
歯切れの良い、若い女の子の声だった。聞き覚えがある。
「あ、あの、下田さんっていますか?」
「どちら様でしょうか?」
そう言われて、自分自身に舌打ちする。まずこちらから名乗るのが礼儀である。
「す、すみません、味鋤っていいます。あの、この前名刺貰ったんですけど」
「はい、少々お待ち下さい」
電話が保留になり、小学校のときに習った曲が三小節ほど鳴った。
「はい、下田です」
曲が途切れて、落ちついた、いかにも紳士然とした声が聞こえた。
「こ、この前はどうも。味鋤です」
「ああ、待っていたよ」
「一度、見学にいきたいと思ってお電話しました」
我ながら硬い言い方だった。どうしようもない。
「それはうれしいね。今日でもいいよ」
「はい、じゃあ二十分ほどで行けると思います」
それから、短く礼を言って、電話を切った。
「ちょっと出てくる」
上着を引っかけ、階段を降りながら、居間のドアに向かって言った。
「晩ご飯までには帰ってきなさいよ」
のんびりした母親の声が、お笑い番組の司会の台詞と混ざってドア越しに聞こえた。
玄関を出て車庫から自転車を出し、十七分後には協会に着いた。そのまま裏に回ると、小さな駐輪場があった。自転車はそこに置いた。
改めて正門に面して見ると、驚かずにはいられない。最初は博物館然とした、いかめしい鉄筋コンクリートの建物を想像していた。
意外にも木造の和風建築だ。二階建てで敷地はかなり広く……丘陵の目だつこの辺りでは珍しい……内外は背の低い塀で区切られている。電線等は全くない。恐らくは地下に埋めてあるのだろう。
『ふーん。ちょっとはましそうな建物ね』
留美が言った。
『油断はならぬ』
翔翼にしては平凡な助言だ。心持ちうなずいてインターホンを押した。
「はい」
女の子の声がする。電話のときと同じだ。
「すみません、電話した味鋤って言います」
「少々お待ち下さい」
カチッとボタンを押す音が聞こえ、ほどなくしてもう一度聞こえた。
「はい、下田です。どうぞ中へ」
「ど、どうもありがとうございます」
門を開け、中に入ると敷き詰められた砂利を横切るようにして石畳の通路があった。
塀の内側には、松や梅の木が隅にさりげなく植えられており、石灯籠と手水鉢が置いてあるのが見える。手水鉢からは、きれいな水がずっと流れ続けていた。
通路を歩き終えると玄関に面する。それを開けると檜の香りがした。
土間には下足箱が置いてあり、敷居沿いにスリッパが並べられている。下足箱の上には薪を割ったような形の木材があり、墨で『受付』と書いてあった。矢印が書き添えられている。
矢印に沿って顔を曲げると車椅子用のスロープがまず目に入り、壁際に板が張り出してあった。
大人の肘から指先ぐらいまでの長さで、筆箱が置かれている。そして、かまぼこ型のすりガラスを入れた窓が取りつけてある。
「今日は」
すりガラスが開いて、女の子の声がした。
「あ、どうも」
窓へ近よると、相手の顔がわかる。この前、自転車でぶつかりかけた女の子だ。
「あっ」
と驚いたのは先方で、こちらは声からピンと来ていたので黙っている。もっとも、気まずい展開ではあった。
「あー、この前はどうも」
我ながら、甚だ気の利かない言葉だった。
「別に。それより、見学者のノートにご記帳をお願いします」
著しく事務的に彼女は言い、和紙を綴じた帳面を出した。表紙は渋い緑色に染めてあり、『ご見学者記帳用』と表題がついている。
「はい」
帳面を開けて、自分の名前や住所を書き込む。思ったよりも人が来ているのが自然にわかった。
「では、スリッパにはきかえられて館長室へ上がって下さい。廊下を右に曲がって、階段を上がってすぐです」
「ありがとうございます」
頭を下げて、上げる間に、窓は閉まった。
『あれって……あたしと間接的な姉妹になるのよね?』
『そちと違って働き者のようだがな』
『やめなよ、翔翼。僕は父に……というより古宮と自分のルーツを……』
『じゃ、さっさと上がったら?』
その通りだった。
スリッパをはいて上がると、トレンチコートにソフト帽を身につけたへのへのもへじとばったりあった。
「モヘージング博士……」
「や~、ようこそ。帽子は私の体の一部なので~、失礼して~このままで」
モヘージングは頭を下げた。その後ろにもう一人立っている。
引きしまった体つきに、ロマンスグレイを丁寧にセットした男性だった。中年からも遠ざかりつつあるが、薄暗い中でも鋭い眼光をしているのがわかり少し身震いする。
『むむむ……この者、危険だ!』
『えっ? でも、ビジョンはないよ』
『だが、湧き上がるような負の力をまとっている。クエヒコ、ではない、モヘージングほどの者が知らぬはずはないのじゃが……』
「おっと~、ついでと申してはなにですが~、ご紹介しましょう。こちらは~当協会の事務局長で、中内 進さんです~」
モヘージングは一歩退いて説明した。危険のかけらもにおわせない口調だった。
「ど、どうも。今日は」
「今日は。ご見学ですか?」
当たり障りのない質問だったが、心の内側まで見透かされそうな気がする。
「はい」
「そうですか。ありがとうございます」
そこで会話は途切れてしまった。
「それじゃ~、私は中内氏と~、打ち合わせがありますので~」
「あ、はい、どうも」
軽くお辞儀してそのまますれちがった。
階段はすぐに見つかった。エレベーターもついている。こちらは体が思うように動かない人のためのものだろう。そのまま段を踏んで昇った。
館長室は簡単に見当がついた。和風の造りなのでどう切り出していいのかわからない。学校なら、立ったままノックすれば良かった。目の前にあるのは障子戸だ。
『正座して失礼しますと断って、返事があったら戸を開けて、名前と要件を言うのだ』
翔翼が助言してくれた。
『陛下って、礼儀作法にお詳しいんですね』
『それは皮肉か!』
なんだか調子が狂いそうだ。とはいえ助言の通りにした。
「はい、どうぞ」
と、返事があったので、戸を開ける。
床の間を背にして、下田は文机に置いたノートパソコンの前に座っていた。
作務衣を身につけている。そして、文机のこちら側には座布団が置かれていた。
部屋そのものは数奇屋造りの簡素な内装で、畳を傷めないように敷いた絨毯の上に本棚がびっしり並べられていた。
部屋を横切って座布団に正座すると、なにやら気分が引きしまった。
「どうぞ、膝を崩すといい。良く来てくれたね」
「はい、時間を割いて下さってありがとうございます」
下田は文机の下から印刷された紙の束を出した。デジカメのカラー写真だ。
「早速ながら、この写真を見て欲しい。我々はね、もう少しで決め手になる古墳に行き着けそうなんだ。鏡面湖のほとりだよ」
鏡面湖とは古宮市から少し南に進んだ場所にある。車で三十分といったところか。
一番近い公的な自治体は兵庫県になり、『県境』まではさらに南へ一時間ほどかかる。
写真には、ごく普通の発掘風景が写っていた。




