古代と現代の接点、人 三
なんとも複雑な気分になった。
「ま~それはあとにして、財布を出したときに車の鍵を落としまして~。あと、いつまでもクエヒコのままではまずいし~、ちょっとハイカラな名前にしようと思いまして~、今の私はヘノヘノ・モヘージングと申します。よろしければ、手伝って頂けませんか~?」
『味鋤より面白い顔の人って、いたんだ』
留美がぶすっと言った。
『どういう意味だい?』
『顔はどうでも良い、あのあとの事情を知りたいぞ!』
翔翼の熱望を拝聴した上で、黙って蓋の一方の端に指をかける。モヘージングも、もう一方の端にそうした。
一、二の三で引っ張ると、鈍い音がして蓋が外れた。モヘージングは腕をのばし、自動車の鍵をひろった。
「いや~、助かりました。お礼におごりますよ~」
「あ、いえ、構いませんから」
味鋤は自分の財布を出した。ペットボトルの茶を買う。
「それじゃあ~立ち話もなんですし、車に乗りませんか~」
「ええ」
ごく普通の乗用車に、促されるままに入った。座席に座って、一声かけてからペットボトルの中身を口にする。
「結論から申しますと~、あなたは殺されました~」
「ぶわっ!?」
危うくダッシュボードに茶を吐くところだった。
「ご心配なく~。前世の話です~」
「だ、だれに殺されたんですか?」
「わかりません~。あなたは地上じゃない場所で殺されたんです~」
『地上じゃない場所……』
翔翼が不審げに呟いた。
「死体がもどってきたのと傷口とで~、殺されたことだけわかりました~。時期は高天原に降ってすぐです~」
『なんたること! では、シモテルは?』
味鋤がその通りの質問をすると、モヘージングは首を左右に振った。
「あのあと~、子供を一人生みました~。つまりワカヒコとの間にできた子供です~。男の子でした~」
つまり、前世の自分は子供まで作っていた。いまだに彼女一人作ったことがないのに。全く無関係なところでなんとなく残念な気持ちになった。
「その子はどうなったんですか?」
「一時は高天原に監視されて~いましたが、そこからは~死んだかどうかもわかりません。何者かが私の力を乱して分からないようにしています~。そのあとは~シモテルは一生独身でした。それとオモイカネ殿も行方不明です~」
「オオクニヌシは?」
なにか、触れてはいけないことに深入りしつつあるような……屈折した気持ちを感じながら尋ねた。
「前世であなたが殺されてからしばらくして~、やっぱり行方不明です~。ただ~、転生したオオクニヌシ様は~、私のすぐそばにいます~」
「すぐそば?」
「私は現在~、古宮大学の神秘学部長なんです~。そして~古宮考古学発掘協会の会長なのです~。あえて会長になったのは~少しでも世間からオオクニヌシ様をはばかっておくためです」
「はばかる?」
あの男を何故そうまでかばう必要があるのか、素で理解に苦しむ。
「なぜなら~、まだオオクニヌシ様を狙っている者がいるからです~。でも~、オオクニヌシ様は~、協会会館の~館長も兼務しておいでです~」
理解しにくい話だった。前世の話なら多少とも想像できる。
現世でアマチュア考古学に没頭している中年の男性を誰がどうして狙うのか。多少は資産があるようだが……とはいうものの、さっきの大学での事件といい無視はできない。
「だれが狙っているのかは~、わかりませ~ん。つまり~、またまた地上ではない者の~やっていることです~。神秘学部とは~、妖怪だの神話だのの検証をする学問です~」
はっきりした事実が知りたい。父への葛藤ももちろんある。
それ以上の不思議な興奮があった。なにか大がかりな謎の端に触れていて、しかもそれを解き明かせる立場にいる。
今まで良くも悪くも周囲の感情や立場に合わせて生きてきた味鋤が、大学選択は別として初めて自分の意志で積極的に世間に係わろうという気持ちを持った。
その時、翔翼達のいる自分の精神世界とはまた別になにか映像のようなものが閃いた。
廃屋で産声を上げる乳児。亡くなったばかりの女性。廃屋に現れた若い男性……誰? 誰だろう?
「おお~、いかがなさいましたか~?」
「え? ええ!? ああ、すみません。少し考えごとをしていて。とにかく僕、名刺も貰いましたしその協会に伺います」
「おお~、では私もできる限りのことをしましょう~。それにしても早く敵の正体を~つかまねば~。さしあたり~、今日はもう帰った方が~いいでしょう~。送ります~」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げると、モヘージングは黙ってうなずき、車のエンジンをかけた。味鋤は車に乗り、思っていたよりはずっと速く帰宅できた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
母親の声と肉じゃがの香りが混じり合って顔をなでた。
まず二階に上がり、自分の部屋で荷物を置いてから台所へ降りる。母親が調子外れの鼻歌を歌いながら、鍋の中身をおたまですくっていた。
「割と遅かったわね」
「あ、ごめんごめん」
「いいのよ、こっちはお庭の話で盛り上がったんだし。さ、お皿を出して」
「うん」
炊きたての白米に肉じゃが、麩入りの味噌汁にトマトサラダが並び、目と鼻から疲労が和らぎ始めた。
「さ、召し上がれ」
「頂きます」
まず味噌汁を一口飲んで、麩の食感を味わう。ついでご飯を噛みしめた。
いつもの食卓……しかし、父について今日知ったことは、とても話せない。それと察してか、翔翼も留美も黙っていてくれるのがありがたい。
「そうそう、あなたのこともちゃんと褒めといたわよ。水まきとか買い物とかね」
「やめてよ照れ臭い」
どっと疲れが出てしまった。さっさと食事を終わらせて、食器を流しに持って行く。
そのあと入浴を隔てて自分の部屋に入った。そこで、貰った名刺を出す。
住所からして自転車でも行ける距離だ。スマホを出して、彼の事務所の電話番号とメールアドレスを入力しておいた。




