本音の隠し場所 一
いや、一からそうした訓練を受けていたのならまだ納得はいく。これでは厄介払いのお払い箱だ。
だが、老父からにじみ出る哀しみはますます強く感じられるようになった。何度も頭を下げているようにも思えた。
「わかったよ。でもさ、本当のことを言ってくれよ。でないと行く気になれねえよ」
「今はならぬ。じゃが、もっと大切な話をしておく」
老父の哀しみに、切なさが増したようだ。
「お前の両親については、もう聞かせた通りじゃ。お前の父は、お前に贈り物を残しておいた。鏡じゃ。その鏡があれば、いつでもお前は父と連絡が取れる。そればかりか、お前のためにいつでも父がやって来る」
「ほ、本当かよ! どうして……」
はっと気づいた。そんな鏡があれば、とっくの昔に使っている。『父の』世界に行くのも可能だろう。
では、オモイカネはどうなる。父親がわりもお役御免か。それこそ納得できないだろう。
不始末で頭を下げたり一緒に狩りをしたり、知っていることを教えたりしてくれたのはオモイカネ以外のだれでもない。
「すまぬ。それで、鏡じゃが、あえて渡さないことにする。お前はこれから、己のなすべきを己の力でせねばならん。そうして初めて『鏡』を授けよう。さすればどのように生き抜こうと自由自在じゃ」
「ああ。良くわかったよ。でもな。俺が行くのは親父のためだ。今、目の前にいる親父のために行くんだ」
老父は黙ってうなずいた。
「じゃあ、俺、行くから」
もう一度、老父は黙ってうなずいた。その身体はいつもよりもっと小さく見えた。
クニタマの屋敷はすぐにわかった。自分たちのそれと同格で、なんとはなしに違和感をおぼえる。屋根の上に鳩がとまっていて、のどかに鳴いていた。
「あーっ! いやらしい男!」
門をくぐってすぐに、罵声が飛んできた。井戸端で会った女の子だ。
「クニタマに用がある。通してもらうぞ」
「待ちなさいよ。あんた、アメノワカヒコでしょ? 乱暴者の」
「だからどうした」
「あたしも、あんたのことで呼ばれてんの。とんだとばっちりね」
「俺の知ったこっちゃない」
言い捨てて脇を通りぬけようとした。女の子は道を塞いだ。
「お供にはもっと腰を低くした方がいいんじゃない?」
「お供だと?」
これまで使った試しのない言葉に驚かされた。
「そうよ。あたしも一緒に中つ国に行くのよ」
「なぜだ」
「もっと頭を使いなさいよ。あんたの立場からしたら、たった一人でうろうろするなんてあり得ないでしょ!」
なるほど、アヂスキは中つ国の皇子だ。
「供は自分で選ぶ。そもそも、女の供なんぞ役に立つか」
「あーっ、だっさーい! て言うかふっるーい! こんなんじゃあたしの方こそ供をかえてもらわなくちゃ、やってられないわ!」
べーっ、と舌を出された。
「おお、これはこれはワカヒコ様。お待ちしておりました」
女の子の背後から声がした。でっぷり太った中年の男が、にこにこしながら手を振っている。
「クニタマか。初めて目にかかる」
「はい、こちらこそ。それから、こちらにおいでるのはアメノサグメとおっしゃる方で、あなたの……」
「仲間にするとは言ってない」
ぶすっと釘を刺した。クニタマは恐縮したりはせず、腹をゆすってからからと笑った。
「まぁ、立ち話もなんですし、まずはお上がり下さい。サグメも」
にこにこしながらクニタマは言った。
「その前に聞いておく」
ワカヒコは、猛禽類を思わせる目でクニタマをじっと見た。
「はい」
クニタマは、少なくとも見た目にはたいして動揺していない。
「どうしてオオクニヌシから逃げ出した?」
「権力争いに巻き込まれたからですよ。私はのんびり暮らして適当にのらくらできれば良いので、こうやってあなた様にご協力……」
みなまで言わせる必要はない。固めた拳でクニタマの鼻を打ち据えた。