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古代と現代の接点、人 一

 スマホが小刻みに震えて目がさめた。右手で目をこすりながら、胸ポケットに左手を伸ばしてスイッチを切る。


 窓ごしに、大学の正門と塀をへだてて学棟が見えた。停止ボタンを押して財布を出す。


 小銭を出すうちにバスはスピードを緩めた。停車してから席を立ち、運転席の脇にある料金入れに金と整理券を入れてタラップを降りた。


 正門はごく地味なもので、塀を切り取ってゲートをつけただけの印象があった。


 もっとも、すぐそばのボックスには警備員が詰めている。警備員の役目は、もっぱら無断駐車目的の不心得者をはじき出すことなので、軽く会釈して通り過ぎた。


 正門を過ぎると広々とした駐車場がある。大学関係者なら学生でも無料で利用出来た。考古学や歴史学だけでなく生化学や物理学などの学会が頻繁に行われており、研究者用の宿泊施設もあるそうだ。


 そこを過ぎると、噴水のある中庭に至る。芝生と街路樹に区切られた道路が、各学棟に向けて放射状にのびている。


 棟は全部で五つあり、それぞれ連結通路でつながっているが、全く同じ造りになっていた。


 案内板を見てから図書館に進んだ。迷わずにあっさりと見つかった。結果もあっさりしていた。館内整理につき閉館中である。


 こういうとき、くよくよしたり怒ったりする気にはならなかった。それより、どうせなら経済学棟も確かめておこうと思った。


 幸い、図書館からたいして歩かずにはすんだ。両開きのガラス戸を開けるとなにか独特のにおいがする。合成繊維のような、カビくさい書物のような、洗剤のような。


 まだ春休みなだけあって構内は閑散としていた。廊下の両はしにある階段には、『清掃中』のプレートが立ててあった。


 経営学科は五階なので、目の前にあるエレベーターを使うことにする。ボタンを押すとすぐに扉が開いた。


 五階に着いてすぐ、目の前にある教授室のドアが開いた。


 さすがに緊張するものの、出てきたのは拍子抜けするほど良く知っている男だった。


 少し前まで父と呼んでいた人間だ。どうして母と別れたのかは知らないままだが、知りたくもない。


 挨拶ぐらいはしようかなと迷っていると、あの光景……自分自身の精神世界がまたしても味鋤の前に広がった。


 今度は、翔翼と自分の他に三人いた。一人は元父で、倒れている。もう一人はスーパーの野菜売り場で会った男だ。そして、女の子が一人。こちらも倒れていた。


 首をひねっている余裕は無かった。野菜売り場で会った男は元父の上にまたがり、首に両手をかけている。


『なにをする!』


 理屈がどうこうでは無く、反射的に言葉が出てきた。男は、元父から離れ、恐ろしい目つきでにらみつけてくる。


『そこまでだ、邪なる者よ。この場から消え失せい!』


 翔翼が咆えるように言った。男は、それとわかるほど歯ぎしりしてすーっと姿を消した。


『ふむ。危ういところであった』


 男の姿が消えてから、翔翼は言った。


『い、今のは……』

『朕を襲った者の仲間だな。さて、そこの男は……おおっ! オオクニヌシではないか!』


 元父はどうにか自力で起きた。目の焦点が合うと、翔翼に満面の笑みを浮かべた。


『翔翼! で、ではようやくにも会えたか! 長かった。長すぎたかもしれん』

『あ、あのー……』


 さすがに頭がこんがらがってきた。オオクニヌシについて、記紀で知った話と翔翼のそれと、現世での元父がごちゃごちゃになってしまった。


『おっと、放っておいてすまなかった。整理しよう。前世でのお前の父は朕だが、現世では彼だ。もっとも、古事記ではオオクニヌシはアヂスキとシモテルヒメの父になっているのだが』


 ごく簡潔に、翔翼は話をまとめた。ああそうかとうなずけるような、どこか違うような、変な気持ちだ。


『それでオオクニヌシ、あれからなにが起こったのだ?』

『それが……申し訳ない、私もよくおぼえていない。鏡……鏡が重要なのはうすらぼんやりと記憶に残っているのだが……』


 そこで、女の子がうめきながら立ちあがった。


 良く見ると、ショートカットにふっくらした頬の、ちょっと可愛らしいタイプだった。体つきはやや丸みを帯びている。どちらかというとバランスの取れている方だ。


『そちは確か烏臣の娘であったな。早く起きよ』

『う……うーん……』

『なぜ、禁を破った?』

『まだそんな質問は無理じゃないかな? 父さ……オオクニヌシさんも少し落ちつきたいみたいだし』

『ならぬ。皇帝として見すごせない禁忌破りだ』


 翔翼はぴしゃりと言い切った。


『ただの好奇心ですよ。べつに、害はないと思いますけど?』


 悪びれずというよりはふてぶてしく、烏臣の娘は口にした。


『好奇心ではすまぬ。そちの両親を、朕は良く知っておる。そちが生まれたときどんなに喜んだことか。それを台なしにするのは許さぬ』

『ああ、そうですか。大事な魔法は全部、皇族方とか大貴族とかで独り占めして、勝手にルールを押しつけ……きゃああああ! 痛い! 痛い!』


 彼女はいきなり、体を両腕でおさえて暴れ出した。翔翼は冷ややかに見おろしている。


『ふん。利いた風な口を利くからだ。不敬罪には問わずにおいてやろう。さぁ、だれに教えられたのか、さっさと申せ!』

『もう、そのぐらいにしてあげられませんか?』


 翔翼から包み隠さず聞いたので、この娘が父違いの妹なのは……前世の話ではあるが……知っている。そうでなくとも、翔翼のやり方にはかちんときていた。


『未成年が、異世界を勝手に覗くようなことをするのは秩序が乱れる元だ。皇帝として看過できぬ』


 翔翼はあくまでも自分の立場を崩さない。


『皇帝なら、国民一人一人の気持ちも考えてあげてはいかがですか』


 静かに問いかけると、翔翼も静かになった。


『ふむ。その言い分にも一理あるな。だが、今さら我らの世界へもどすのも、な。帰れば朕などよりもっと辛辣な連中がこの娘をつつき回すだろう。なれば、どうする?』

『このまま僕の心に住むといいです。でも、くれぐれも念押ししますけど、僕のプライバシーには一切干渉しないで下さいね。二人とも』


 淡々と提案したが、とくにやけっぱちになっているつもりはない。


 むしろ、理不尽な大人たちのせいで苦労させられているんだろうなと察した。


『良かろう』

『あ、あ……ありがとう……ございます』


 いかにもしぶしぶと、彼女は頭を下げた。


『いいんだよ。それより、君の名前は?』

『そんなの、まだないです』


 翔翼が、未成年には名前がつかないのを説明した。


『そっか。でも、名前がないと不便だね。僕が名前をつけるよ。そうだね、ここは古宮ふるのみやだし縮めて留美ってのはどう?』


 我ながら陳腐かなとは思った。奇をてらってもしかたない。兄妹と言う気持ちも加わると、切ないようなほろ苦いような気がした。


『お好きなように』


 留美はぷいっと横をむいた。


 そこで、風景が元にもどった。

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