人間たちの現代 四
下に降りたら、さっき買ってきた食材の一部が肉野菜炒めに変身していた。おいしそうな香りと湯気が漂っている。
いつもと代わり映えしないメニューながら、もちろん文句はなかった。むしろ、平凡であればこそ良かった。
「さ、召し上がれ」
「頂きます」
箸を取り、味わって食べる。味といえば、自分の名前も同じ字を使っている。グルメ漫画のような因縁はない。
「一志、ガーデニング友達がこっちに来るの。ごめんね、ちょっとお家から外しておいて欲しいんだけど、いい? 大学でも下見に行ってきなさいな。お小遣いも出すわよ」
翔翼の話を聞いて頭に浮かんだのは、大学の図書館なら古い資料があるかも知れないという期待だった。だから、好都合に感じた。
「うん、でもお金は持ってるからいいよ」
「いいの? 晩ご飯ぐらいには帰ってね」
「うん。ご馳走様」
食べ終わった後の食器を流しで洗い、そのまま外に出た。
家から大学までは、自転車でも行けるが、時間を節約したい。だから、バスにした。
バス停は、家からそれほど離れていない。
待合は自分以外にだれもおらず、運良くすぐにバスが来てくれた。
都内のバスと違い、整理券を取って下車するときに払う仕組みだ。最初は良くまちがえたものだ。
乗って見ると、座席はがらがらだった。大学前まで二十分ほどかかる。
ドアのすぐ近くに座り、スマホの目覚ましをバイブレータ仕様でセットして目を閉じる。
物憂げなバスのエンジン音を聞き流しながら、大学にまつわる伝説を思い返した。
私立古宮大学。大学が発行している資料では、そこは伝説の隠れ里であった。
古墳時代から明治維新辺りまでその存在はまことしやかに噂され、その時々の権力闘争にやぶれた人々をかくまってきたらしい。
維新後に明治政府による徹底的な調査が行われ、単なる噂に過ぎなかったと結論づけられた。
それこそが古宮の深慮であった。つまり、存在しないものは発見できない。
こうして公権力からの『お墨付き』をえた古宮は、そこに住む人々にやすらぎをもたらした。
戦後になり建前上にせよ民主主義と平和主義がもたらされるに伴い、古宮も以前ほど秘密の保持に神経を尖らせなくなった。
そこで、古宮から再びカムバックした……と自称している人々が……それまでに貯えた知識や資金で大学を設立したそうだ。
インターネットが普及すると、古宮はその道の好事家たちにとってお気に入りの話題になった。
邪馬台国論争と似たようなもので、古宮が実在するかどうか、したならどこにあるのか、そこに住む人々がどんな暮らしをしていたのか、などなどを熱心に追及している。
実のところ、自分もネットで古宮伝説や古宮大学を知って受験する気になったのだ。
もっとも、古宮大学の学長や理事たちは核心に至る資料や証言は一切しておらず、ネット論争にも興味を示していない。
大学としてはごく普通の大学教育に加え、たとえばサバイバルテクニックや、権力闘争の細かい戦術、組織の強化術などを教えている。
そんなせいかどうか、どこぞのテロ組織かと一方的に誤解されることもある。
出身者で政治犯や知能犯になった人間は一人もいない。ごくまっとうな、言い換えれば平凡な社会人がほとんどだ。
ちなみに近年の受験偏差値はおおむね五十二、三である。
そんな自分が選んだのは経済学部で、経営論を専攻するつもりだ。
シュリーマン博士のようにまず商売で成功し、そこでえた資金を使って本格的に古宮を調査するつもりでいる。
などと思い出す内に、いつの間にか意識が遠のいた。




