自分のいくさ 六
翌朝。朝食を終えて、シモテルはささやかな頼みごとをした。
「クエヒコに会え?」
聞きいれるかどうかの前に、名前を思い出すのが一苦労だった。
オオクニヌシの国造りにいろいろな助言をした知恵袋で、もう引退している。ワカヒコが来るずっと前から、オオクニヌシにも他のだれの前にもめったに現れなくなっていた。
「うん。きっと、ためになることを言ってくれるよ」
「わかった」
どちらかと言うと、自分よりシモテルの不安を少しでも軽くするつもりだ。
とにかく腰を上げた。シモテルが気を利かせて酒と肴を持たせてくれた。
クエヒコの家は、他の家臣に比べても粗末だった。なにしろ、地面に掘った穴が壁と床を兼ねていて、穴の四隅に立てた柱が屋根をささえているだけなのだ。
「俺はワカヒコだ。クエヒコ、いるか?」
「あ~、どうぞ」
なんとものんびりした返事だ。
扉を開けてまず目についたのは、おびただしい竹簡だった。それに埋もれるようにして、とても小柄な老人が座っている。
「お~、我が旧友の息子。話をするのはこれが初めてだな」
「旧友?」
「小生とオモイカネは、共に学んだ仲だ。アメノミナカ様の元でな~」
老父からは聞いてないが、数日後にはその国へ攻めこむのだ。複雑な気分になった。
複雑と言えば、クエヒコの顔もずいぶん複雑だ。
片方の端が曲がった棒のような眉に、渦まきのような目、うっすらと二本のあざが横に入った鼻、そして、不機嫌そうな口。
頭には、見たことも聞いたこともない不思議な被りものを被っていた。
「ところで、小生になんの用かな~」
「あっ、いや、わりぃ」
まず土産を渡し、いくさ云々について話をすると、クエヒコは顎をさすってしばらく思案した。
「その弓矢は、だれが持ってる~?」
「サグメだ」
「なるべく早めに、処分した方がいいな~。できれば、サグメも早めに帰した方がいいぞ~」
「なんでだよ?」
「そもそも、弓矢を持ってきたのはサグメだろ~。本当は、それを良く調べてからいくさを決心するべきだが、しかたない~」
もっともではあった。とは言うものの、いまさら変えられない。
「ありがとう。気をつけるよ」
すぐ帰るのも芸がないので、持って来た酒と肴でささやかな宴をした。
オモイカネは一滴も飲まなかったが、クエヒコは意外にも杯を重ねて上機嫌になった。そのまま昼下がりまで飲み、酒を飲み干したので挨拶して帰った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
そんな会話も、もうじきお預けになると思うとたまらなく切ない。
「クエヒコ様は、なんておっしゃったの?」
部屋に落ちついてから、シモテルが聞いてきた。
「サグメを早く帰して弓矢は処分しろって」
「まぁ……。サグメとは小さいころ良く遊んだけれど……」
いくさのためとはいえ、自分以外の女性が夫のそばについていくだけでも割りきられないはずだ。
そこへもって、クエヒコの助言がそれでは、ますます気持ちがゆれてしまうに違いない。
「あいつは間諜はしてないよ。もしそうなら親父が見破ってるだろ」
あえて楽観論に傾けた。クエヒコの説明に説得力を感じているだけに、濁りができてしまった。
「そうね……」
シモテルも、歯切れが悪い。
「ね、あと二日あるんだよね。その間は、どこにも行かないでね」
「ああ」
不器用なやりとりだった。だが、今は、いくさもサグメも忘れて愛しあおう。