自分のいくさ 五
数年後のある日。森へ狩りにでた。勢子も犬も用いず、自分自身にアヂスキとシモテルの三人だけだ。
獲物は昼までにウサギが三羽にツグミが一羽。それほど大がかりなものではなし、遠足のようなものなのでそのまま昼休みにする。
シモテルが敷物を敷いて皿と箸を並べ、昼食を並べた。後ろでは、馬がのんびり草を食べている。
「今日は、ワカヒコの好きなイノシシの焼き肉よ」
「今日はと言わず、いつもワカヒコの好きなものばかりだね」
「んまっ。意地悪なお兄様」
シモテルは少し顔を赤らめた。結婚して一年少しになるが、いまだに娘っ気が残っている。
「へへっ、実は俺でした」
アヂスキの物真似を止めて、腹を抱えて笑い出した。
「ひっどーい! お兄様と結婚するもんねーだ!」
ぶーっと膨れた彼女の頬を小指でつつくと、初めは嫌がるふりをしておいて、結局すりすりしてきた。
「仲が良くて、兄としてうれしいよ」
真面目くさってアヂスキが言った。
昼下がりには、狩りも終え、獲物を山分けして屋敷に帰った。その屋敷は、結婚祝いに義父となったオオクニヌシから送られたものだ。
「久しぶりね」
門で待ちかまえていたのはサグメだった。右手に、弓と矢筒を持っている。矢筒には一本だけ矢が入っていた。
「あら、久しぶり! 元気だった?」
シモテルが真っ先に声を上げた。
「うん、おかげ様でね。でも、今日はワカヒコに用があるの」
だから外して欲しい、と、表情が物語っている。
「えーっと、じゃあ、お部屋に案内……」
「構わないで。オオクニヌシ様の屋敷に行ってもらうから」
「そう」
「しかたないな。じゃあ、獲物をさばいておいてくれ」
実際に解体するのは家人なので、これは適当に休んでいて欲しいと言う意味だ。もっとも、たまにはシモテルも一緒になってさばく時がある。
「じゃあ」
すたすたと歩くサグメを追って、シモテルへの挨拶もそこそこに歩き出す。すぐに肩を並べたものの、気持ちまで一致するようには思えなかった。
オオクニヌシの屋敷ではすぐに通してもらった。数年前、アヂスキの振りをしてでた宴の部屋だ。
オオクニヌシとアヂスキはもちろん、クニタマもいた。ということは、奇しくも数年前の因縁で主要な役回りを演じた顔ぶれが集まったわけだ。
「みな、良く来てくれた」
おもむろに、オオクニヌシは始めた。
「サグメの持ってきた弓矢は、高天原からもたらされたものだ」
オオクニヌシが続けて言った説明に、体が燃えあがる気分を味わった。いくさの挑発でなくてなんだ。いよいよ来るべきものが来た。
「我は、いくさは好まぬ。だが、もはや避けられないところまで来たようだ」
「俺に行かせてくれ」
ためらいなく頼んだ。
「仮にも高天原はお前の故郷だろう。老父にも弓を引くのだぞ」
「だからこそだ。俺がどれだけたくましくなったか、知らせてやるぜ。それから和平を組めばいい」
「それなら僕の方がいいよ。君は結婚したばかりだし、気負いすぎだと冷静な判断ができなくなるし」
「兄貴、俺は自分のためだけに言ってんじゃねんだ。この国そのものに恩返ししてえんだよ」
家をでる時のシモテルの顔がちらっと浮かんだ。
いくさになった時、自分のような立場の者こそ真っ先に戦わねばならない。それで初めて民衆の尊敬に値した。
「せんえつですがオオクニヌシ様、あたしもワカヒコ様にお供します。巫女としてお仕えしたいです」
サグメの考えは異常ではなく、いくさに巫女を連れていくのはむしろ普通だった。
オオクニヌシはしばらくの間、目を閉じてじっと考えにふけった。鏡を通して木と話をしているのだろうか。
「良かろう。ワカヒコ、サグメと共に出陣するが良い。具体的な段取りはこれより煮詰める」
「恩に着るぜ。サグメもよろしくな」
サグメは黙ってうなずいた。アヂスキが浮かない顔をしていたが、敢えて見ない振りをした。
それからすぐ、軍議が招集された。
自分たちの出陣は、壮挙となりと満場の拍手で報われ、数千名の兵士がつけられた。
食糧などの必需品はクニタマの采配で滞りなく届けられることとなった。
高天原そのものを撃滅するのではなく、和平を結ぶのが目的なので最初の一戦さえ決めればそれで良かった。
出陣は一週間後と決まり、三日間は屋敷にいるのが許される。
全てが決まった時、日づけがかわりそうな夜更けにさしかかっていた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
夜更けだが、すぐにシモテルが迎えに来た。当たり前のような幸せも、三日後からしばらくお預けになる。
そう思うと、無性にシモテルが愛おしくなり、その場で抱きしめた。
「ど、どうしたの?」
「腹が減った。まず飯を食わせてくれ」
「ええ」
食卓に行き、普段通りの料理を出してもらった……今日の狩りの獲物は、肉が熟成するまで日を置かねばならない。
シモテルも食べずに待っていたので、しばらくは二人でひたすら食べた。
「いくさだ」
食べ終わってから、短く告げる。
「どこと?」
「高天原だ。俺が軍を率いる」
健気にも、シモテルは静かにうなずいただけだった。