自分のいくさ 四
しかしそれは、離別をも意味した。あの時の哀しみはそれだった。
さらに、アヂスキに貸しを作ることで立場を強めてくれたのだろう。もちろん、アヂスキもそれとわかっての脱出行だ。
「オモイカネ殿が……。お立場が悪くならねば良いのだが」
「親父はそんなにチンケなやつじゃねえよ」
思わず普段の言いかたで口を挟んでしまった。
「いや、すまなかった。たしかに、その通りだったな」
オオクニヌシはあっさり認めた。
「あなたは? あなたはあれから、どんな具合だったのですか?」
アヂスキから尋ねられると言うことは、アヂスキに関心を持たれると言うことだ。仲良くなれそうな機会ができて素直にうれしい。
サグメやクニタマとのあれこれを隠さず述べた。
「そうですか。大変な生を貫いてこられましたね」
「それほどじゃねえよ」
他人にこれほど素直に心を開いたおぼえはなかった。悪くない気持ちだ。
「良し。事情はわかった。クニタマの罪は問わぬが、それで良いな?」
「はい、父上」
「うむ。では、ワカヒコよ、貴公に見て欲しいものがある」
オオクニヌシは、一度立って自分の座っていた場所に指をかけた。
隠されていた窪みに指をはめて、揚げ蓋を開ける。地下へ降りる階段が続いていた。
「来るが良い。アヂスキもだ」
これが、サグメが覗いたとやらいうあれか。クニタマの説明もちらっと頭をよぎったが、害意があるとも思えない。ここは同意すべきだろう。
階段は石で組まれていて、淡い燐光を放つ苔がそこかしこに生えていた。それ以外に、五感を強く刺激するものはなかった。
どれだけ降りただろうか。時間の感覚がなくなりそうになった時、オオクニヌシは扉の前で止まった。鍵はかかっておらず、そのまま開けて入る。
危うく声が漏れそうになった。部屋というにはあまりにも広く大きい。天井から降り注ぐ苔の光は、階段とは比べものにならないほど強い。
その中央に、一本の木が生えていた。この巨大な空間にふさわしい太さと高さだが、もっと目を引くのは幹にはまっている鏡だ。
「我は、父に会いに黄泉へ行ったことがある。その時、一本の苗木を餞別に貰った。その木は、大きくなると鏡を宿すようになった。さあ、鏡を見るのだ」
言われるままに木に近づき、鏡を見ると、全く予想もつかぬ光景が映っていた。
自分たちと同じ大きさをした、何十羽もの鳥に囲まれ、着飾った二人の男女が晴れやかな表情で手を振っている。男の方は、なぜか見覚えがあった。
「その鏡は、見た者が心に抱く望みをそのまま写す。だから、まことの信用に値するかどうかに用いる」
「心に抱く望み……」
そう、一番の望みは実父に会うことだ。
だが、鏡の中にいる男がそうだとして、どうやって会えるのか。
鏡の中の光景がまた変わった。見覚えのあるそれになった。いつか見た夢……鎧と兜を身につけた自分が、雉を抱えているところ。
改めて目にすると、なんとも言えない苦さと痛みが胸を締めつけた。まるで、胸に矢を射られたように……。
「それが貴公の運命だ」
「え? 訳わかんね。俺は親父に会えるのか?」
「あなたが望むなら」
アヂスキがオオクニヌシの代わりに言った。
「では、我のまことも見せよう」
オオクニヌシが鏡に近よったので、脇にどいた。
鏡には、広々とした平原が映っていた。色とりどりの美しい草花が、かすかにゆれている。その間を縫うように、子供たちがはしゃぎながら遊んでいた。
「なかなかしゃれた景色だな。なるほど、あんたがまともな性格なのはわかったよ」
「次に、これを見よ」
オオクニヌシは、いきなり胸をはだけた。その中央には、木にあるのと同じ鏡が埋まっていた。
「な、なんだそりゃ!」
「鏡だ」
「んなこたわかってる!」
「父上と木は共生しています。父上は木の世話をして、木は鏡を通して様々な助言を与えます。ある日父上の体にも鏡ができました。ちなみに僕たちの母は病で死にました」
アヂスキの説明も、淡々としているだけに、かえって異様だった。
「我の体にできた鏡はなにも写さぬ。だが、離れていても木と話ができるようになった」
「そもそも、どうして鏡が木だの体だのに生えんだよ」
「我の父も元は高天原にいた。あちらでは特別な鏡を使って、なにか不思議な世界と通じ合えるようだ。父は黄泉の植物と鏡をいくつもかけ合わせ、強い力をえようとしていた。この木もそうして試されたものの一つだ」
オオクニヌシは木を見あげた。
「そして、この木は、良かれ悪しかれ父上に向けられた『気』を吸って成長します。それに、距離もかかわります。だから、宴はいつもここの真上で行うのです」
「黄泉の生き物に善意なんて通じるのか?」
「はい、みんなが死を忌み嫌うから、黄泉に呪いや怨みが溜まるだけで、反対の気持ちをもって接すれば反対の結果になります」
つまり、この木はオオクニヌシの力の源というわけだ。ヤワな神経の持ち主では見たり聞いたりすることさえ耐えられないだろう。
「どうだ、ワカヒコ。これを知ってなお、この中つ国に住むか?」
「もちろんだ。正体がどうあれこうやって腹を割ってくれたし、オモイカネの気持ちもある。それに、俺はアヂスキが気に入った」
「ありがとう。僕も、あなたが気に入っています。たぶん、妹も」
「では、貴公を我の一族と認めよう。中つ国の発展に力を貸してくれ」
断る筋合いはなかった。大きくうなずき、アヂスキの手を握った。アヂスキも熱く握りかえした。