自分のいくさ ニ
高天原がどうなろうがだれが自分の秘密をばらそうが、どうでもいい。
疲れた。長旅だったし、オオクニヌシとのやりとりはただの駆け引きの枠を超えていた。
と思案する内に『自分』の部屋だ。
せめて、宴とやらが始まるまでゆっくりと……。
「お兄様、剣をお預かりします」
シモテルがにっこり笑った。
「ごめん。部屋をまちがえた」
「いーえ、ここがお兄様のお部屋よ」
見れば見るほど自分の趣味と違う。いや、男の部屋とは思えない。
壷に活けた花といい、猫の模様の入った布団といい、いっときでもくつろげそうにない。
「そ、そうか。ちょっと疲れていて……」
「じゃあ、湯浴みは起きたあとにする?」
「あ、ああ」
「うん、じゃあ、ゆっくり休んでね」
シモテルは、剣を壁にかけ、手を振って部屋をでた。
やれやれ、これでゆっくり寝られる。寝床に潜りこんで……。
「あーっ! お兄様、忘れてた!」
「なんだよ」
「包帯巻いて下さってありがとう。私、目が悪いからすぐ転んで……」
「気にしなくていいよ。お休み」
「うん、お休み」
ぐったりして目を閉じたと思ったら、なにか柔らかいものが頬にあてられた。彼女の唇だ。生まれて初めての経験が人生に突然加わった。
「うわっ?」
「うふふ。お礼よ」
「お、お前、兄妹で」
「あら、兄妹なんだから頬ぐらいいいじゃない?」
実は違う。
「それじゃ、ちゃんと休むのよ」
好きなことを言って、シモテルはまたでていった。今度こそ眠りについた。
夢を見た。
どこかの野原で、鎧兜を身につけた自分が一羽の雉を抱きかかえている。足元には弓があった。
雉は口から血を流してぐったりしている。なぜか、ひどく悲しい気分になった。
ふと空を見上げると、鳩が飛んでいる。大勢の足音がどこかから迫って……。
「様。お兄様ったら」
「うーっ」
「大丈夫? とってもうなされてたけど」
目を開けると、心配げに覗きこんでいるシモテルがいた。
「あ、ああ。すまない」
「変な夢でも見たの? 占ってみる? って、私じゃないけど」
「だれに占ってもらえるんだ?」
起きながら聞くと、シモテルは水を入れた杯を出した。軽く頭を下げて受けとり、一息に飲み干す。
「サグメよ。時々してもらってたでしょ」
あいつ、そんなこともできたのか。上辺はなに食わぬ顔をして、髪をかき上げた。
「そろそろ時間じゃないか」
「あっ、いっけなーい! それを伝えにきたんだっけ」
「……」
まず湯浴みをせねばならない。
湯殿に入ると湯気の渦まく石畳の上に檜の寝台があり、四隅には真っ赤にやけた岩が置いてあった。
それぞれの岩の脇には水を入れた大きな桶があり、ひしゃくが添えてある。微妙な香りから、海水を使った蒸し風呂なのがわかった。
寝台に腰を下ろすと、たちまち滝のように汗が滴り始めた。ぬぐいもせずに今晩の宴について考える。
いきなり斬りかかるのも芸がない。さりとて、このままアヂスキになりおおせるわけにもいかない。
なにより、満座のさなかで手柄とやらを説明せねばならないのだ。少し時間が立てばすぐバレる。
「お邪魔しまーす」
「シモ?」
『妹』が現れた。全裸で。手に布を下げている。まろやかな身体つきで、胸も尻も丸く突き出ていた。
「お、お前なにしに……」
「背中を流しにきたの」
「だからって、お前まで」
「あら、流しっこするためじゃない。変なお兄様。さ、うつぶせになって」
いったいアヂスキはどんな家庭生活を送ってきたんだ? しかし、成りゆき上逆らえない。黙ってうつぶせになった。
シモテルは、さっそくごしごしこすり始めた。垢が落ちていく感触が、不覚にも気持ちいい。
「宴では、私は舞いを舞うわ」
手を止めないままシモテルは言った。
「そうか。足の具合はもういいのか?」
「うん。クエヒコが薬を塗ってくれたし」
クエヒコとやらは、オオクニヌシの知恵袋で、言ってみればオモイカネと同じ立場だ。出不精で、めったに出歩かないのをクニタマから聞いて知っている。
「さ、すんだわ。じゃ、私もお願いね」
「わ、わかった」
シモテルに寝台を譲り、二枚目の布を借りた。
思えば、女の子の裸を、背中にしてもしげしげ眺めるのは初めてだ。しかし、大事の前でもある。さっさとすませて思案の続きがしたい。
「あんっ。お兄様、ちょっときついわ。もっとゆっくり……優しくして」
「こ、こうか」
「うん、ちょうどいいわ……はぁん、そこくすぐったい~ん」
思案どころではなくなってしまった。
二人して汗だくになり、入浴も終わった。服を着がえて、部屋にもどりしばらく休む。さすがに、シモテルも自分の部屋に行った。
「アヂスキ様。オオクニヌシ様がお召しです」
と、告げにきたのはだれあろうクニタマだ。さすがに、顔が引きつっている。
オオクニヌシとどんなやりとりがあったかわからない。この時こそは首がかかっているのを自覚しているに違いない。
ワカヒコはすでにアヂスキの礼装を身につけ、オオクニヌシの剣を帯に吊るして髪も整えてある。
「ご苦労」
短く答えて、クニタマから先に歩かせる。
宴会場の出入り口から見ると、上座にオオクニヌシはいる。その近くにはシモテルはおろか妃の姿すらなかった。もっとも、伏兵や刺客のたぐいもいない。
オオクニヌシの両脇には、彼の信頼する家臣らが向かい合うようにして座っている。
その場のだれにも膳は用意されていなかった。こちらの意志や真意を見抜いていそうな者は見あたらなかった。
彼らの背後には様々な楽器を構えた集団がいて、サグメの姿もあった。クニタマとは違い、落ちつき払って横笛を持っている。
「アヂスキ様のおつきー!」
クニタマが叫んだ。一同が居ずまいを正すのがびりびりと伝わる。
「アヂスキ、よくぞもどって参った。まずはシモテルと舞うが良い」
オオクニヌシが声をかけた。
これは特殊なことではない。旅の最中に取りついたかも知れない凶や禍を清めてから宴に入る、中つ国の公の儀式である。
いうまでもなく、クニタマからもサグメからも聞いている。
「はい」
返事をすると、オオクニヌシの後ろからシモテルが現れた。
厳粛に控えていたはずの家臣たちから、かすかな溜め息が洩れた。
自分も感嘆してしまった……美々しく飾った彼女の姿形からは、ある種の輝きすら感じる。
シモテルが、座の中央まで進むと、曲が始まった。心の中で一度、深呼吸を行ってから、彼女のいざなうままに。
振りつけやテンポは、基本はサグメから聞いておいたが、あとは即興だ。
下手に練習などすると、かえってわざとらしい。実父から授かった天性の才が自然に手足を導いた。
最初はゆったりした進み具合で、シモテルが導いた。次第にリズムが速くなってきた。
常人に抜きん出た耳で、楽曲を支配しているのがサグメの笛だとわかる。
まさしく挑発だった。