今昔陰陽師集 〜人試〜
今となってはもう昔のことだが・・・
一
木蓮、山吹、花桃、晴れていれば、桜が微笑んで咲き始める、空の機嫌が悪ければ遠くで雷が鳴り響く頃。
菅原道真は、季節の移りをゆっくりと感じるのも良いかと、珍しく自転車で一条通りを進んでいた。
安倍晴明の家に向かっている途中である。
それにしても、あの連絡の仕方は頂けない・・・
・・・本当に寿命が縮む。
俺が生きているうちは、一切やらないように申し合せなければ・・・
昨日の昼の出来事を思い出し、年齢とは別のシワを眉間に増やした。
ーーーーー
二
道真は書斎で本を開き、活字の波に漂っていた。
着信に気づき、道真は一旦本を置き、携帯画面を開く。
メッセージアプリを開き、晴明からのメッセージを見ようとタップした次の瞬間・・・
ぴょこん。
画面から立体的で尚且つPOPな狐が現れた。
「道真さん、明日のお昼頃お暇ですよね?」
晴明の声がする。
狐だ・・・デカい。
しかも目つきは悪いが可愛らしい・・・
しかも喋っている・・・ん?・・・
道真は目玉が落ちそうなほど目を見開き、口は中途半端に開いたままになっていた。
「・・・は?え?・・・はぁ?!」
「そんなに驚かないでくださいよ。今どき珍しくないでしょう。で、明日お暇ですよね?、忙しいんですか?、どうなんです?」
携帯電話を隠している狐が、パシッパシ、バシッバシと催促がましく、尾を動かしている。
「暇ではあるが、何か用か?・・・それよりも晴明・・・お前、そんな事も出来たのか」
表情を戻し、顔を引き締めた道真は、左胸あたりを摩りながら、狐をマジマジと見ていた。
「では、俺の家に来てください。これは・・・やってみたら案外出来るものですね。連絡する相手がいなかったので初めてやりました」
狐がしれっとした表情をしている。
それが晴明ならイラッとしている自信がある、絶対に。
だが、目つきは悪くとも愛らしい狐だからか、横暴な態度も許せてしまう・・・
俺がそうなることを見越して使っているな、アイツは・・・
「晴明、俺にはもう使うなよ、寿命が更に縮む」
「俺が出てくるよりマシでしょう••••今日、兵庫の有名な和菓子店の菓子を頂いたんですが、一人では食べきれないので明日の昼頃、食べに来ていただけませんか?」
「!!行きます!!」
道真は、狐に顔を近づけ食い気味に返答していた。
「では、明日お待ちしていますよ」
携帯の上に乗っていた狐は疾風のように消えさり、画面上にPOPな狐のスタンプだけが映し出されていた。
それが昨日の昼。
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三
少し肌寒いが、すっきりとした風を楽しむようにゆっくり自転車を漕いでいき、そろそろ晴明の家に着こうという時。
手に紙袋を下げた晴明が、門から出てきた。
道真は自転車から降りると、晴明に顔を向けた。
「晴明、人を呼んでおいて今から出かけるのか?」
晴明は、表情を変えずに道真の後方を眺めている。
「いえ、出かけませんよ。『道真さんが来た』と戻り橋の式神が伝えてきたので迎えに出てきたんです。それと、もう御一方いらっしゃったので」
「人を迎えにわざわざ門まで出てくるなんて珍し・・・い・・・な・・・」
道真は晴明が、自分の後方を見ている事に気づき振り返った。
「・・・・・・・・・・・・あの男、怪しくないか?行動が不審者そのものだぞ」
道真は眉を潜め、携帯電話を持ち出した。
後方では、男が、隣家の車庫の中を、何か探すように見たり、塀からジャンプして晴明の家の中を見ようとしている。歳は四十後半位、物腰の柔らかそうな顔をしていた。
晴明は、男を瞳に映したまま、表情を変えずに小首を傾げた。
「昨日お菓子を頂いた芦谷智徳さんという方なんですが、どうしたんでしょうね」
声に僅かに可笑しそうな音が混ざっている。
晴明の声に可笑しさが混ざっている気がするが、俺の気のせいだろうか・・・
今、問いただしたところで答えないだろうな・・・
道真は、晴明に一度チラッと目線を向けてから、男に戻し、一つ溜息を零した。
「何かを探しているみたいに見えるが?」
晴明が問に答えるより先に、その男、智徳は晴明と道真が門の前に居るのに気づくと、急いで近づいてきて叫んだ。
「安倍さん、昨日連れていた子ども達を返してください!朝から姿が見えないんです!!」
詰め寄られた晴明は、取ってつけたような面食らった顔を智徳に向けた。
「とんでもない事をおっしゃいますね。返すも何も、昨日二人を連れて一緒に帰っていったのは智徳さん、貴方ですよ。貴方が昨日泊まった場所も知らないのに、私が子ども達を連れていくなんて事できませんよ」
答える晴明の声が道真には冷たく聞こえた。
あぁ、またこいつは・・・
横で聞いていた道真は、晴明を一瞬目に留めると、深く息を吐き、智徳に目線を合わせるように膝を曲げた。
「こいつの態度がなっていなくて申し訳ない。もし迷子なら急いで探せば見つかるかもしれません。誘拐だとしたら犯人から連絡があるかもしれませんよ。とにかく、警察に電話しますから、一旦落ち着いてください」
道真はいつもの晴明に話すような砕けた話し方ではなく、自分が勤務している大学の生徒に話す時のような丁重な話し方と声色で、智徳が落ち着くよう話しかける。
道真が携帯で電話をかけようとするのを見て、智徳は大あらわで止めに入った。
「待って!やめてください!!!理由を話しますから警察には、かけないで下さい!!」
その顔は焦りと驚きと恐怖が入り交じり、戦々恐々とも言い難い表情をしていた。
四
門先で晴明と道真を前に、智徳はこう話し出した。
「貴方がたの仰る事が正しいのはわかっています。ですが、昨日安倍さんの家に訪れた時に、私が連れていた子ども達は人間ではなく式神です。なので、迷子でも誘拐でもありません。もし、何か出来るとするなら、安倍さんしかいない、と急いで伺いました。騙すような事をして大変失礼致しました。申し訳ありません」
智徳は猛省し、恐る恐る目線を上げ、少し背の高い晴明を見た。
晴明は、一つため息を吐く。
「もう良いですよ。どうせこの業界ではひよっこの私を試そうとしたのでしょう?並の者には通じるでしょうが、そんな中途半端なもので、私を試せるなんて思わないで下さい」
晴明は目を細め、口元だけの冷たい笑みを浮かべていた。
智徳はもう一度深く頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。それで・・・・・・私の式は返していただけるのでしょうか?」
智徳はおずおずと晴明に尋ねた。
晴明は袖の中に手を入れ、何かを呟く。
「・・・もうそろそろ帰ってくる頃ですよ」
晴明が、男の後ろに目を向けた時、塀の角から双子の子ども達が紙袋を手に提げて楽しそうに走ってきた。
「馴染みの店に菓子を買って来るようにお遣いを頼みました。それと・・・昨日頂いた和菓子もお返し致します」
晴明は子どもから紙袋を受け取り、元々持っていた紙袋を子どもに返した。
式と紙袋を受け取った男は、懐から紙を取り出しペンで何かを書き付けると、晴明に差し出した。
「私のようなものが貴方を試そうなどと、大変恐れ多いことを致しました。
私も式を使うことは出来ますが、人の式を隠してさらには使う、なんてことまでは出来ません。この紙を受け取って下さい。この度は本当に申し訳ありませんでした 」
そう告げて、智徳は子ども達を連れて帰っていった。
「おい」
途中から話についていけなくなった道真が、晴明に声をかけた。
流石に俺がいるのを忘れていたわけではあるまいな・・・いや、晴明なら有り得るな・・・
「晴明、説明しろ。俺をおいて話を進めるな」
「・・・検討ついてる気はするんですが、違いますか?」
「・・・どうだろうな」
「久しぶりに茶を点てて、菓子でも食べながら説明しましょうか」
じとっとした目線を晴明に向けている道真を他所に、晴明は家の中に入って行った。
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五
遡る事、昨日、晴明が道真に連絡を入れる三十分ほど前のこと。
晴明は、急ぎの仕事もないので、オーバーサイズの薄手の白ニット、ゆったりとしたチノパンという姿で軒先に座っていた。
庭を眺め、昼間から酒でも飲もうか、と考えていた時、晴明の家に十歳くらいの双子を伴って智徳はやってきた。
晴明は気だるげに、どちら様ですか?と玄関に出た。
智徳は手土産を出し、晴明の顔色を伺うと口を開いた。
「私は兵庫で僧侶をやっている芦谷智徳という者です。以前からその道を学びたいと思っていたのですが、長年決心が付きませんでした。ようやく決心が着いて学ぼうとした時に、貴方がお若いながらも、この道では右に出る者がいないと噂で伺ったので訪ねて来ました。是非とも、私にご教授頂けますでしょうか?」
玄関の段差のせいもあるが、晴明よりも数十センチ低い所から更に腰を低くさせ、晴明を見上げている。
晴明は口元に手を当てて考える振りをしながら、小さく暗唱した後、手を服の袖に隠しつつ背中にまわす。
「それは構いませんよ。ですが、今日はこの後、予定が入っています。また明日、詳しい話をしましょう。明日、そうですね・・・今日と同じ時刻にこちらにいらしてください」
そう言いながら、指で何かの印を素早く結んだ。
「本当ですか!?ありがとうございます!それでは明日よろしくお願い致します!!」
智徳は、深々と頭を下げ、子ども達を連れ、足早に帰って行った。
晴明は、その男を見送り、自分の足元を見て、しばし考えた後、道真に連絡を取るためポケットの携帯を探し始めた。
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六
縁側で、点てた茶と智徳の式に買いに行かせた饅頭を前に、道真は晴明から事の発端を聞いた。
日が傾き出すとまだ肌寒く、火鉢に火を熾して二人は暖を取っている。
「最初から気に入らなかったんです。子ども達は式神だし、菓子には何かしらの術がかけられている。どうせ俺の力を試しにやって来たのだろうと思ったんですよ」
そう話し終えた後、晴明は茶碗の中を飲み干した。
「そのまま試されてみれば良いじゃないか」
「一晩くらいはわざと試されてあげましたよ、一晩は。あとは下手に試されて恥をかきたくないですから。この業界、噂が広がるの一瞬なんですよ。なので今朝、智徳さんの式を隠しました」
「試したのが上手くいったと思って、翌日も試そうと寝たら、起きて自分の式が見当たらなくて慌てたと・・・」
「道真さんが警察に電話しようとした時の智徳さんの慌て様、おもしろかったでしょう?」
「その為に俺を呼んだのか」
別に俺でなくとも、友人や保憲でも良いのでは・・・
考えが顔に出ていたのか、晴明は、道真を覗き込むと目線を合わせた。
「俺、友達いないですから。保憲さんは、悪ノリして収集つかなくなりますよ。それと、もう賀茂家当主なので諸処で顔が知れてます。それに比べて、道真さんなら顔が割れる可能性は低く、一般的な対応をしていただけると思ったので。傍観していて面白かったです」
晴明はそう言っているが、面白いという表情はしていない。
試しに来て返り討ちにあったようなものだから自業自得だが・・・
面白かったと言っているわりに、全くそのような顔をしていないのを見ると、可愛そうになってくるな・・・
珍しく道真は、智徳という男に少しだけ同情した。
「それで?紙を渡されていたが何の意味があるんだ?」
道真は先程から気になっていた事を晴明に尋ねた。
「あぁ、これですか?ざっくり説明すると師弟関係の証ですよ」
「うん?」
「道真さん、基本的に俺達は、術や呪詛などを行なう際に、術をかける相手の名を用いるのは知ってますよね?」
家柄だけは長い、道真の家の書庫には古くからの書物が埋まっている。
家の書庫に入り浸っていた月日・・・自分も何か出来ないかとそのような本を読んでみたことがあった。
晴明のような力などなかった為、知識が増えただけで終わったが・・・
「ああ、何かで読んだな」
「なので、術者は自分の命を狙われないように偽りの名で生活しています。ですから、弟子になる者は、私は師匠の命を狙う気はないですよ、という意味を込めて本当の名を教えるんです」
「それなら智徳さんが渡した紙には、智徳さんの本当の名が書いてあって、智徳さんは晴明の弟子になったのか」
「一応そうなりますね」
「ふーん」
道真は茶を飲みながら、和歌を渡して思いを伝える古い時代のプロポーズや、安い恋愛小説にあるような私の命は貴方のものみたいだな・・・と思っていた矢先。
「そんな夢やロマンのあるものではないですからね。一方的な思いは時に迷惑でしかないですよ」
「ゲボっ・・・」
晴明は道真の頭を読んだかのように吐き捨てて、手に持っていた紙を見つめていたが、なんでもない事のように、火鉢の中に放り込みその紙を燃やした。
それを見た道真は慌てて火鉢の中を覗き込んだ。
「おい!燃やして良いものなのか?!」
「いいですよ。覚えました。逆に、持っている方が何かと煩わしいです」
「煩わしい?」
「『芦屋智徳の本当の名を書いた紙を、安倍晴明が持っている』と知られれば、他の術者が紙を狙って俺の家に来るかもしれないじゃないですか。一々対応するのは嫌ですよ。それなら、そんなものない方が楽です」
晴明は、この話は終わったと言うように、もう一杯、茶を点てにキッチンに入っていった。
そんな事があったなと自分の日記に書いてあった。
終
ご覧頂きありがとうございます。
原文を分けるとざっくり【語り3つ+α】で1話になっているため、多分、後2作ほど、この原文から書く予定です。
原文が気になる方は↓
『今昔物語集 巻第二十四 本朝付世俗』
「安倍晴明、忠行に随ひて道を習へる語」
をお読みください。
*道真さんは出てきません。