風に呼ばれて
ひまわりが咲き始めた。
小四の花栄の身長を頭一つ分も飛び越えて、太陽を見上げるように風に揺れている。
終業式からの帰り道、一緒に帰っていた友達と分かれ、一人になって歩き始めて、途中で見つけたひまわり畑。
見つけたというより、気付いたという感じだった。誰かが埋めたのであろう、ひまわりの種が芽を吹いたのを、つい二ヶ月ほど前に見つけて、たびたび観察していたのだった。
一ヶ月前は、自分の身長よりも低かったのにと思いながら、ただじっと眺めていた。
鮮やかな黄色に縁取られた茶色と、その下にするすると伸びる茎。大きな葉は、花栄の手のひらより大きく、濃い緑色がいきいきとしてきれいだった。
じりじりと焼けるような日差しに、汗が滲む。ショートの髪の先端が頬に張り付いた。家に帰るという目的も忘れ、ずっと彼らを眺めていた。そうしてもう一時間も経ったような気もするし、まだ十分程度のようにも思える。
どっちでもいいや、まだ眺めていたい。
そうして、ほうとため息をついたとき。ふと視線を感じて、ぱっと振り返る。
高校の制服を着た、女の人が立っていた。長い髪を左側で横結びにして、柔らかな笑顔を湛えて、花栄を見ている。
「こんにちは」
「……こんにちは」
歩み寄って来ながら、その人はあいさつした。花栄もぺこりと頭を下げる。
その人の手元を見ると、銀色のデジタルカメラが握られていた。
花栄の視線を悟って、その人はカメラを示す。
「ごめんね、あんまりステキだったから、撮っちゃった」
どうやら、花栄がひまわりを見上げているところを、写真に撮られてしまったらしい。
写真は嫌いではないけれど、不意に撮られるのはちょっと恥ずかしさがある。でも、撮られてしまったものはしょうがないと思い、別にいいよ、と言った。
「私、九重ひこと。君は?」
「島津花栄」
「あぁ、そっか。やっぱり菜央の妹さんね?」
うん、とうなずく。菜央は、花栄の六つ上の高校一年生。物静かな花栄に対して、活発的な性格のお姉さん。
「お姉ちゃんの友達?」
「そうよ。同じクラスでね。よく妹さんの話を聞くから、会ってみたいと思っていたの」
ひことは、口元がそっくりだわ、とくるくる笑った。菜央は学校で、花栄のどんな話をしているのだろう。
「私、写真部に入っていてね。もしかしたら、この写真、展覧会とかで使うかもしれない。いいかな?」
「え……うーん。……、うん」
少し考えてうなずいた。その写真を気に入ってくれたのだろうと分かった。それなら、好きにしてもらってもいいと思った。
「ありがとう! ごめんね、勝手に撮っててお願いまでしちゃって」
「ううん、いいの」
「そっか。……おおっと。じゃあ、用事があるから。またね」
腕時計で時間を見るやいなや、ひことは手を振って、花栄に背を向けて走り去った。
しばらくひことが行った方向を見つめて、私も帰ろうと歩き出した。
夏が過ぎ、秋の気配が感じられるようになった十月上旬。
菜央の通う高校で、文化祭が行われるとのことで、日曜日の昼下がり、花栄も友人三人を連れ立って見物に行った。
ずらりと並んださまざまな屋台は、全て生徒たちが取り仕切っている。奥のステージでは、吹奏楽や手品ショー、漫才などを催していた。他にも、お化け屋敷やレストラン、部活動体験コーナーまである。
姉の菜央は演劇部所属で、今はちょうど劇で主役を演じているところだと、掲示板に張り出されたプログラムから読み取れた。
「恥ずかしいから見に来るな」
と言われているので、見に行ったら憤慨するだろうなぁと思い、無視して友達と色々見て回ることにした。
そうして、しばらく歩き回ったころ。
ふと、目の端に気になるものを見つけた。
“写真部 作品展覧会”
――写真部に入っているの。
と、ひことのことを不意に思い出した。
「先に行ってて。すぐ戻るから」
そう言って、友人と分かれ、こっそりとその展覧会場に足を踏み入れた。
百枚、いや、それ以上あるのではないかと思われる。写真がずらりと並んでいた。
どれもこれも、素敵で綺麗で楽しくて、見る者の目を奪った。
写真の隅に、小さく撮影者の名前がある。その中で何枚も何枚も、ひことの作品を見つけた。
ずっと奥まで、写真を見ながら進んでいく。すると、一番奥の方に、一段大きな写真が飾ってあるのが見えた。
近づいてみる。壁にずらりと飾られた、十枚ほどの写真たち。一つ一つに番号がつき、撮影者と、その写真のタイトルが書かれている。上の方に、“写真コンテスト 選出作品”と看板がある。
その中に、見つけた。
たくさんのひまわりと、その前に立つ少女――花栄の写真。
あの日の写真だった。
太陽の光、空の青、黄色、茶色、緑。うっとりするような、誰でもため息をつくような、綺麗な写真だった。花栄もそれを見て、ため息をついた。
なんてきれいなんだろう。
写真のタイトルを見てみる。
『風に呼ばれて (1-E 九重 ひこと)』
あの日、風に呼ばれたのはひことの方だったのだろう。そして、花栄とひまわりたちを見つけた。
単純に嬉しかった。
自然に、ごく自然に、笑みがこぼれた。
「……あ!」
突如、後ろから声がした。懐かしい声。振り向くと案の定、ひことだった。
「来てくれたの。嬉しいな」
「コンテストに出したんだね。すごくきれい」
「ありがとう」
ふふっと笑って、ひことも愛おしそうに写真を眺めた。
手元には、あの日と同じカメラが握られている。
「あのね、この写真、優勝しちゃった」
「……え? 優勝?」
「そ。二位と大きく差をつけて、文句なしの優勝。さっき、表彰式が終わったところよ」
そうだったんだ、と呟いて、また笑顔になる。確かに、この写真は優勝できると、素直に思った。
あ、そうだ。と、ひことが持っていたカメラを、花栄に差し出した。
「これ……もらってくれないかな」
「え? どうして?」
「優勝しちゃったらね、新しいカメラもらっちゃって。……迷惑かな?」
おそるおそる手に取ってみる。まだ新しい。上下左右と眺め回していたら、だんだんと嬉しさがこみ上げてきた。
「もらって、いいの?」
「いいよ。君なら、あげてもいいと思って」
「うん……ありがとう!」
手の中、重みのある銀色のデジタルカメラ。嬉しくて嬉しくて、ぎゅっと抱きしめた。
それを見て、ひことも嬉しそうに笑った。
花栄は思った。自分も、こんなに綺麗な写真が撮りたい。
「あのね、私、ひことお姉ちゃんみたいになりたい」
「そっかぁ……。うん、がんばれ」
笑いあって、もう一度、ふたりで写真を見つめた。
あれから六年が過ぎた。
また、ひまわりが咲いた。
高一の花栄の背と同じくらいの黄色い花は、今日も太陽を見上げるように、風に揺れている。
前方に、小学生の女の子が、小さなジョウロでひまわりに水をあげていた。
あの日からずっと使い続けているデジタルカメラ。銀色が淀んでも、花栄の宝物であることは変わりない。
そのカメラで、その瞬間を四角く切り取る。
女の子がこちらを振り返った。
優しく笑ってみる。声をかける。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「私は島津花栄。写真部に入っているの」
二年ほど前に、「写真」という題材で、友人と短編小説を書きあって作った作品です。
あの頃のほうが表現がうまかったような気がします。




