出兵
体が動かない・・しかし指は動き続ける。
止める事は出来ない・・。
『また・・倒れたのか・・』
脳裏の片隅、記憶が蘇る。
人間一人の命を救った・・と言えば聞こえはいいが
相手は本当に生きていたかったのか。
何もせずに見送ってやるのが正解だったのではないか。
『俺なんかが、俺の考えで、あの子の人生を決めて良かったのだろうか』
考え始めると、同じ言葉だけが頭を廻る。
『大丈夫ですよ』
明るい声がする。
『先生は真面目だから後悔してるかと思いますが、僕たちは先生に救われたのだし。
この子もこれから沢山幸せにしてあげればいいだけです。
あ、ご報告ですが・・例の貴族の家には僕が一番乗りして、色々知ってる使用人たちには
「家財を漁って逃げろ」と伝えておきました!アギトさんの言った通りになりましたよ。ご安心を』
きっぱりはっきりと良く通る声はリョウタのものだ。
『アギトさんは、寝てる時手が動くの、気持ち悪い』
『あ、それはアギトさんの職業病と言うか・・なんというか・・。
寝てるみたいに見えるけど、僕たちの声は聞こえてるからあんまりそういう事は言ってあげない方が』
『え!聞こえてるのか?!アギトさん!アギトさん!リョウが来たよ!
ご飯作ってもらった!美味かった!』
体は動かないが、微かにだが意識は回復している。
その意識を無理やり起こすような明るい声が響く。
働き続ける指に小さい指が絡む。
体に、温かい体温が伝わる。
『この、うにうに動く指はね、ぎゅって握ると動かなくなるんだー』
『あと、ミコトの髪とか触らせてやると落ち着くよな』
思考が混濁していくのがわかる・・・
また、眠りに落ちる。
考える事は沢山あるのに、やらなければならない事も山積みなのに。
寝る訳にはいかない・・
閉じる意識に必死に抗うが、アギトの指や体はもう動かない。
「あ、珍しいね。本当に寝ちゃったみたいだ。」
リョウタは双子に挟まれて眠るアギトの顔を覗き込む。
「たまには、本当に眠った方が体にもいいですよ、先生。おやすみなさい」
アギトが目を覚ましたのはそれから3日後の事だ。
「ぁ!!!」
飛び起きたアギトは声にならない声を上げる。
「あ、アギトさん」「おはよう!」
「俺はどれくらい寝ていた!今は・・・」
アギトは窓を見る、外は暗い。
ミライとミコトはベットによじ登ってくる。
「3日くらい寝てたよ」
「3日だと!!有り得ない・・!くそっ!!」
ベットから出ようとするが、その体はふらついてテーブルに手をついた。
「大丈夫ですか?」
「・・・あぁ、問題は・・無い・・」
「あの、少し何か食べた方が・・、今、スープ持ってきますね」
「要らん!・・くそ・・・、どうして無理にでも起こさなかったリョウタ!」
顔を上げると、不安そうな顔をしたルナと目が合う。
白い肌に丸い茶色の瞳。肩まで伸びた黒髪は少し癖があって頬のあたりでくるりと
跳ねている。
「・・・・あの・・、お兄さんはもう帰りました・・。明日の朝、また来てくれるそうです・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの・・、お兄さんが、アギトさんが起きたらスープ飲ませてあげて欲しいって言ってました」
「そ・・そうか・・、あの、大声をだして・・悪かった・・リョウタだと思って・・」
「いいえ、大丈夫です。今、持ってきますね」
ルナはにこりと笑う。
そして隣の部屋に消えた。
「ルナちゃんは料理出来るんだよ」
「美味しいよ!」
「・・お前ら・・」
アギトはふらつきながらも椅子に座り頭を抱える。
「あの子は、この世界に来て日が浅いんだぞ・・。いきなり世話になってどうする。
お前達が世話してやらないか」
「だって、俺たち火を使ったらダメなんだろ?」
「そーだよー。アギトさんがダメって言ったんだよ」
双子はベットから降りると口々に文句を言いながらもアギトの膝によじ登ってくる。
「登ってくるな!重い!」
「ミコトが降りろよ」「ミライが降りてよ!」
いつものやりとりが始まるのをアギトは溜息をついて止めに入る。
「俺はお前たちの椅子じゃないぞ、降りないか」
「ミライくんもミコトちゃんも、ずっとアギトさんの側で心配してましたよ?褒めてあげて下さい」
いつの間にかテーブルにスープの入った皿とスプーンを用意していたルナがにっこり笑う。
「・・・・あ、ああ・・そう・・だな・・」
アギトは言われるまま二人の頭を撫でると、双子はルナが言う通り褒められる事を待っていたのか
大人しくなった。
ルナは嬉しそうに笑って、アギトの前に座った。
「お兄さんが作ってくれたスープ、美味しいですよ?」
「・・・あ、ああ・・」
アギトはスプーンを手に取った。
先ほどからルナの言う事に何故か逆らう事が出来ないのは、アギトの中にまだ罪悪感が残って
いるからだろう。
まるで、そんな事でさえ見透かしているような・・
少女の澄んだ瞳は、優しくアギトを映していた。
散々アギトに甘えて眠くなった二人がベットに横になり「君も、もう寝なさい」とアギトがルナに
告げると、ルナは少しだけ考えて「お話が・・あります」と切り出した。
「私、死んだんですよね」
あまりに唐突な・・アギトが一番触れる事を躊躇っていた事実をルナはするりと言葉にして告げた。
「お兄さんから色々教えてもらったんです。この世界に転移した、という意味。
それに私・・なんとなく、自分が死んだ事覚えているんです、あと、「光の人」に言われた事も。
光の人は、私が死んだ時に出てきて・・私に「欲しい力をひとつくれる」って言いました。
それで私」
「真実を見る瞳か?」
ルナは不思議そうにアギトを見て「いいえ」と答えた。
「私が望んだのは・・「優しい人と出会えますように」でした」
「・・・え」
「ふふっ、こんなに早く優しい人たちと出会えるなんて思いませんでしたけど・・、
今は、とても嬉しいです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの、お兄さんに言われたんですけど・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん・・」
アギトはルナから視線を逸らせ、咳払いしながら泣いているのを誤魔化した。
「アギトさんが、この世界に来て・・死にそうになっていた私を助けてくれたって。
でもアギトさんはそれを気にしてるって。
だから、アギトさんが目が覚めたら・・今の私の気持ちを言ってあげて欲しいって」
「・・・・・・・・・」
「私、まだ少ししかわからないけど・・、でも、本当に。
今とても嬉しいです。私を助けてくれて、本当にありがとうございました」
ルナは頭を下げた。
「すみませんが、これからもよろしくお願いします」
「そんな事・・言うな」
アギトは何度もローブの裾で目をこすって、出来るだけ落ち着いて言葉を選ぶ。
「お前は・・、子供なんだから・・。もう少し甘えたり、わがまま言っていんだぞ?」
「え?」
「俺の・・、そこの双子を見ただろ・・。あんな風にしていいんだぞ?」
「・・・でも私・・、もう11歳・・ですよ?」
「子供だろ」
「・・」
アギトは立ち上がりルナの側まで行くと、その髪を撫でる。
「親代わり・・とはいかないが・・、俺の子供みたいなのはお前で4人目だ。
大事にする、幸せにするから。安心して甘えろ」
「・・・・」
「どうした?」
「あの・・、少し・・恥ずかしいです・・。・・・・・やめてください」
「え?」
「あの・・、ごめんなさい。本当に私・・、もう高学年ですから・・、あの・・すみません・・」
『何?!拒否された・・??甘えてこないだと?!!何故だ・・・。ミコトはいつも俺にベッタリなのに!』
アギトの焦りが通じたのか、ルナは照れて赤くなった顔を隠すように俯いて
「もう、寝ますね。おやすみなさい」と、逃げるようにそそくさとベットに入ってしまった。
朝、リョウタがアギトの家に行くと
朝日の中、落ち込んでいるアギトと対面する事になる。
「思春期の女の子を撫でまわすのは良くないですよ」
「言い方ってもんがあるだろう」
「すみません。えと、年頃の女の子の体を弄るのは良くありません」
「そういう意味じゃない」
「はは!そんなに落ち込まないで下さいよ!ルナちゃんは別に先生を嫌ってる訳じゃありませんから。
ただそういうお年頃なんですよ。女の子は難しいですね!」
アギトは椅子に座り腕を組んだままリョウタを見上げ、ふと溜息をつく。
「今日は宿舎から食料を少し頂いてきました。いつもより美味しい朝食になると思うんで
期待して下さい」
リョウタは抱えた包みを持って隣の部屋に消えた。
アギトが力を使い果たして倒れてから4日目の朝。
今日こそは王宮に出向きリフと軍議を開始しなければならない。
それに・・・
「おはようございます」
ルナはベットから降りるとアギトにぺこりと頭を下げて
「お兄さん、来ていますよね。私、お手伝いしてきますね」と、まるでアギトから逃げるように
隣の部屋に行ってしまった。
その姿にまた傷ついたアギトだが、いつまでも落ち込んではいられない。
リョウタは食事を作ったら兵舎に戻らなければならない。
アギトは王宮での仕事があり、双子はアギトの後をついてくるだろう。
この部屋にルナを一人おいて行く事は出来ない。
今やアギトの住処は誰もが知っている。
アギトの留守を狙い部屋に侵入して来ようとする者も居るだろう。
「優しい人に出会える」という不思議なチート能力がどのような役に立つのか、アギトにはわからない。
結局、メッゾルトが言っていたルナの能力はあの場限りのものだったのか、またはメッゾルトが勝手にそう
思い込むような出来事があったのか・・今ではもう誰も分からない事だ。
『メッゾルトの件を知って、俺に反感を抱いていた貴族も少しは減った事だろう・・。
少し不安は残るが・・、仕方ない。』
アギトはルナの昼間の居場所を決めた。
双子がもぞもぞと起きだして、朝食を食べ終わるのを待ち、出かける支度をさせると
アギトはルナにも自分たちと同じ魔法術師のローブを渡す。
「誰かに何か聞かれたら、アギトの弟子だと名乗れ。」
「はい」
「どうした、早く着替えろ」
「これ、私には少し大きいかも」
「着たら調節してやる、早く着替えろ」
ルナはローブを胸に抱いたまま、なかなか着替えようとしない。
「気に入らないか?・・うちにはそれくらいしか服が無いんだ。悪いが我慢して」
「女の子の着替えをまじまじと見るのは良くないですよ、先生。
じゃあ、俺戻りますね」
パタンと木の扉が閉まると、ルナは顔を赤くしてうつむいてしまう。
「そ!そんな事気にする・・・・必要は・・・。コホン、俺は外に出ているから、着替え終わったら
呼んでくれ」
アギトはリョウタを追うように・・逃げるように部屋を出た。
『・・女の子って・・・難しいな。』
やがて「着替えました」と消え入りそうな声がして扉が開く。
アギトは今度こそ失敗しないよう、考えを改めて部屋に戻った。
アギトがルナを連れて向かったのは、住処から少し離れた石造りの建物だった。
「ここはアギトさんの学校だ」「学校だよ!」
ミライとミコトに手を引かれながら、ルナは建物を見上げた。
「おはようざいます、アギト様」
建物の前には甲冑に身を包んだ兵士が一人いて、アギトの姿を確認して声をかけてきた。
「おはようございますシルバ殿。毎日早く来て下さって助かります」
「いえ、そんな。仕事ですから・・・そちらは・・」
「私の弟子で、ルナと言います。ルナ、こちらは王国騎士のシルバ殿だ。
私の私塾の警備を担当して下さっている。挨拶を」
話し口調が変わったアギトに戸惑いつつ、ルナはアギトに促されて兵士の前に出ると
頭を下げた。
「アギトさんの・・弟子になりました・・・。ルナ・・と言います。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。」
シルバは気真面目そうな表情を崩しうやうやしく礼をした。
私塾の中に入ると中にはまだ誰も居らず、広い教室には机と椅子が20組ほど用意してあった。
「ここは、下町の子供達や、ルナのような転移者に読み書きや計算を教える学校になっている。
下町の子供は朝は殆どが家の手伝いに駆り出されているので、授業が始まるのはもう少し後に
なってからになるな。
教師は二人。教会のシスターが担当してくれている。
俺も魔術の講師をする時もある。
ルナはここで暫くの間、読み書きや計算、この世界の事を学んでほしい。」
ルナは教室を見渡して「はい」と頷いた。
「本当は俺の側に置いておきたいのだが・・色々事情があってな。俺とミライとミコトは昼間は
仕事に出かけなければならない。その間、ルナはここで過ごしてくれ。
昼は飯も出るから、遠慮しないで食べるんだぞ?・・あと・・」
アギトはローブの裾から紐のついた鍵を取り出す。
「これを持っておけ」
ルナの首に紐つきの鍵をかけてやると、アギトは教室の隣の部屋にルナを連れて行く。
「その鍵には魔法がかけてあってな、それを持つものがこの場に立つと・・」
言われるまま部屋の隅に立つと、ルナの足元を魔法陣が照らす。
思わず目を閉じたルナが、そっと目を開くと、そこは教室ではなく地下の1室になっていた。
「この地下室に行けるようになっている。」
「・・はい・・」
「何かあればここに隠れるように」
「あの」
ルナは鍵を握りしめアギトを見上げる。
「ここ、学校なんですよね・・。どうして・・兵士さんがいたり・・、隠れるって・・どういう・・」
「すまんが俺には敵が多くてな・・。夕方は出来るだけ早く迎えに来るから、一人で外に出るような
事もしないで欲しい」
「・・危険・・なんですか?」
「町の治安が悪いのは確かだ。だから俺は転移者や転生者を探すために、
守る為にこの私塾を作った。」
「まもる・・」
「リョウタや俺は転移しても自分の能力を使い生き延びて来られた。
だがミライやミコト・・ルナのような子供では、その状況を把握する事も、自ら打ち破る事も
難しい。だからこうして、この国の転移者だけでも、俺の出来る範囲で探し出し保護しようと思っている」
「・・私・・・、迷惑・・・でしょうか・・」
鍵を握りしめたまま俯いてしまうルナに、アギトは「そうじゃない」とその言葉を否定する。
「お前は俺が見つけた。だから守るのは当然だ・・・、その、なんと言えばいいのかはわからないが・・
悪いのは敵が多い俺や、子供を道具のように使うこの時代の背景であって・・
むしろルナは被害者なんだから・・・そういう風に考えないで欲しい」
「アギトさんは優しい人ですね」
「・・え?」
ルナはもう一度顔を上げて笑う。
「私、優しい人と、そうでない人。見たらわかるんです。
あと、道や場所が良い場所かそうでないのかも。
アギトさんの家も、この学校も、とてもいい場所だとわかります。
私・・大丈夫です。
きちんとアギトさんの言う通りにします」
それはルナの生まれ持った勘のようなものだろうか。
これがメッゾルトを勘違いさせた力の正体なのだろうか・・
「お前が・・、頭が良くて、優しく強いのはよくわかっている。
だが無理はするなよ?」
手を伸ばして頭を撫でようとしたが、それは止めて。
アギトは隠し部屋の出口にルナを案内した。
隠し部屋の出入りは鍵を持つ者とアギトから術の刻印を受けた者しか
通れないように細工してある。
シルバが入り口を警護していれば、堂々と学校に押し入る輩も出ないだろうし。
何よりここは「王国法戦士指揮官」の私塾だ。
国の役人相手に無理を通す者も居ないだろう。
この場所はアギトの住処より大分安全だ。
アギトは子供たちが集まってくるまでルナに簡単な文字を教えながら時間を潰すと
後ろ髪を引かれる思いで私塾を後にした。
向かう先は王宮。
魔王城への進軍を進める為、リフの元に向かった。
話はスムーズに進む。
当然の結果と言えた。
全てがアギトが望むようにはいかないかったが、騎士団一個団体は駆り出す事が出来た。
その騎士団の中にアギトが推薦してリョウタを入団させておいた。
アギトの所属する法戦士には、ろくな魔法を使える者は居ないがそれでも魔力の高い者を選んで
少数精鋭で同行させることにした。
「私が同行する事が出来ずすまないな」リフは言うが高齢のリフには、この作戦に関わったという事実
だけでもあれば十分だ。
「いいえ、リフ殿には国王の護衛という重要な任務がありますから。
今回の出兵は第一陣に過ぎません、もし私が戻らない時は・・後の事はお願いいたします」
アギトの根回しは考えうる限りすべて使った。
後は出兵を待つのみだ。
あとひとつ気がかりなのは、やはりルナの事だった。
アギトはルナの事をシルバに預ける事にした。
シルバは結婚しているが子供はまだ居ない。
アギトは革袋に出来るだけ金貨を詰めてシルバに渡した。
「お弟子さんをお預かりするのは結構ですが、こちらは頂けません」
生真面目なシルバは断ったが、アギトは多少強引に革袋を押し付けた。
「こちらの都合で弟子を預かって頂くのです、これくらいはどうか受け取って下さい。
ルナはこの国に来たばかりで、親類縁者も無く・・私が引き取ったのですが、
こんな短時間で私が国を出る事になるとは思わず、暫く手放す事になります。
シルバ殿の事を信頼していない訳ではありませんが・・ルナには不自由な思いをさせたくないのです。
私が今出来る事は・・こうして・・金を積む事くらいしか思いつきません。
ルナは頭も良く、気遣いも出来る娘です、家の手伝いも進んでするでしょう。
僅かではありますがお役にたてると思います。
ご迷惑をおかけしますがどうか、ルナをよろしくお願い致します。」
アギトの本心はシルバにも伝わったのだろう、渋々ではあるが金を受け取ってくれた。
シルバの家に行く前にルナには簡単に事情を説明したが、ルナは理解出来ないなりに
いつものように素直に受け入れてくれた。
本当は不安だろうに・・、と逆にアギトの不安が消えない。
シルバの家を後にすると、「アギトさん」と呼び止められた。
振り向くとルナがこちらに向かって走っくる姿が見えた。
『走ると危ない』と思い、少し背を屈めて、その身体を受け止めるように手を伸ばすと
きっと恥ずかしがって近づいてこないと思ったルナはアギトに思いきり抱き着いてきた。
「・・・ルナ・・」
「・・・」
「泣いてるのか」
「・・・・・・」
アギトは癖のある黒髪を撫でてやる。
「・・ごめんな・・、勝手に助けて・・勝手に手放して・・。本当にすまないと思ってる。
でも、すぐに戻ってくるから」
「・・はい」
「本当に・・ごめん」
ルナは頭を振ると、細い腕でアギトの体を抱きしめる。
「どうか、無事で・・、怪我なんかしないで・・、早く、戻ってきて」
涙に邪魔されて途切れ途切れの願いにアギトは頷いて応える。
「アギトさんは俺たちが守るからだいじょーぶだぜ?」
「そうだよ!私達が居るから!」
ルナは二人の言葉に笑って見せて、アギトの体から離れた。
「シルバさんは優しい人です・・、わかってますから・・。
私、待ってますから・・。」
泣きながらも笑顔を見せるルナに見送られてアギトは出兵の準備に向かう。
魔王城
その傍の小さな村。
ハカセに呼び出さた村人は、村の中央に集まっていた。
「日時は定かではないが、王国の兵士団体が近くこの魔王城に近づく事が判明した。」
「王国の兵士・・」アンジュは手を握りしめる。
勇者はそんなアンジュの手を取り、自分の指と絡めて繋ぐ。
「この村が安全である事は第一に保障しよう。
だが、いざ兵士が城に近づいた際には住人諸君は必ず家の中に居るように。
それまでは特に気にする事は無い、いつもの生活を続けたまえ。
勿論策は二重にも三重にも講じてはいるので諸君に危険が及ぶことは無いと断言する。
ただ、私の合図があれば、いつもの作業は中止し、慌てる事なく自分の家にいる事を守って欲しい。
伝達は以上だ。解散してよろしい」
ハカセは言うだけ言うと、自分のラボに戻って行ってしまった。
残された村人は、最初こそ戸惑っていたが、ハカセへの信頼もあるのだろう、すぐにいつもの
生活に戻っていった。
残された勇者とアンジュは、取りあえずハカセのラボへ足を運んだ。
「兵士がここに来るの?」
勇者の質問に、ハカセは振り向く事もなくいつもの図面を見ながら
「私は同じ事を二度、口にするのが一番嫌いでね。」とそっけなく答える。
「ご、ごめ・・す、すみません・・でした。
えと・・ハカセ・・朝から魔王が居ないんだ。どこにいるか知ってる?」
「玉座の間だろう」
「玉座?」
「あの場所には魔王様が許した者しか入る事は出来ない。何も今すぐ行けと言った訳ではないのだがね。
もう行かれてしまったか・・」
ハカセはメガネを指先で上げると、勇者を振りむいた。
勇者はアンジュとしっかり手を繋いでいる。
「・・ほぅ。君たち、いつからそのような関係になったのだね」
勇者もアンジュも言われた事に気付かず・・暫くして、ふたりとも顔を赤くして手を離した。
「アンジュ、君には勇者の姿が見えているのだろう?そして嫌悪していたはずだが」
「・・それは・・、でも、魔王さんが見るなって言ったから、もう見ないようにしてる・・し。
別に・・嫌いじゃ・・ないから」
もじもじとスカートを弄りながら答えるアンジュの声は今にも消えてしまいそうに小さいものだった。
「アンジュは、僕に酷い事言ってごめんって謝ってくれたよ?だから・・、それに、今は一緒に住んでるし。
勉強も教えてもらってるし・・・。」
こちらも顔を赤くしたまま言いにくそうに答える勇者。
「そ、それより。兵士が攻めてくるなら僕が・・行こうか?」
「君が行って何になる。王国に連れ戻され、また同じ事を繰り返すのかね?大体君は
人間を殺せるのかね」
「・・・・・でも」
「もう、この戦は始まっており。駒も揃っている。残念だが君の出番は今回は無い、今回はな。
魔王様が玉座の間に居るのなら、君たちはシキの所に行くように。
先ほど言った事を繰り返すが、私の合図があった時には家に居るように。」
「・・・」
「おや、返事が聞こえないようだ。よもやこの私に三度目となる同じ言葉を言わせたいのかね」
「わかったよ!・・・んもぅ・・、なんでいつも・・そんな意地悪な言い方するんだよ・・」
少し前の勇者なら、ここでもう少しハカセに甘えて食い下がって来ただろう。
今は彼女の手前、少しぶっきらぼうにハカセを責めるような言葉を吐き、彼女の手を取りラボを
後にする。
「ふむ。いつまでも子供ではないものな。
もう・・紙飛行機くらいでは気を引けぬか・・・」
ハカセは少しだけ口の端を歪めて笑うと、すぐにいつもの表情に戻り再び図面に向き直った。
シキの家の扉は破壊される事もなく、呼び鈴を連打される事もなく、
その事実に一番驚いたのは家主のシキだった。
家を訪ねて来たのは勇者とアンジュだ。
「んだょ・・、今日はやけに静かだな」
「魔王が・・玉座の間に居て・・出て来ないから・・。ハカセがシキ君の家にいけって・・」
ふて腐れ気味の勇者の側に、心配そうにその姿を伺っているアンジュを見て・・・
二人がしっかりと手を繋いでいるのを見て、シキが悪い顔をしながら「はーん・・」と呟く。
「最近城から出てこねーと思ったら、そういう事か」
「そういう事って?」
シキは勇者の頭をぐしゃぐしゃに撫でると「てめーも、そういう歳になったか!」と嬉しそうに笑う。
「だから・・!そういうて何??どういう事??」
「いーからいーから、あ、でも俺、今から少し仕事に行くんだわ。家に入っていいぜ、でも2階には上がるなよ?
俺の部屋だからな」
シキは愉快そうに笑いながら、歩いていってしまった。
残された勇者とアンジュは顔を見合わせて・・取りあえずシキの家にお邪魔する事にした。
シキが向かう先は村の端、タクトの家の側だ。
「タクト、居るか?」
家の前で声をかけるが返事はない。
シキはそこから広大に広がる草原と、村を覆うように存在する森を覗き込む。
「おーい、タクト」
「・・いる・・・・けど」
急に後ろから声をかけられてシキは思わず後ずさる。
「なに・・、か・・・用?」
「・・んな、怒るなよ・・・・、あと虫も出すなよ?な、悪いのは俺じゃねぇ、ハカセだ」
「・・・・・・・・・・・・・・べつ、に。おこって・・・ない、けど」
タクトは元々表情が乏しいが、今日は見るからに不機嫌そうな顔をしている。
シキはタクトの右腕を伺いつつ話を続けた。
「一旦、この出入口は封鎖する。タクトも、もう森に出るのは禁止だ・・ってハカセが言ったんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・しって・・・・・る」
「あと、虫を使役するのも」
「わかってる」
「お、おぅ・・わかってんならいい。お前には悪ぃが、さっさと閉じちまうからな。文句はハカセに言え」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
タクトはシキを無視するように家に入ってしまった。
シキは「やれやれ」と呟くと、村の裏手、シキの庭でもある森と村を隔てるべく「壁」を作る作業に
取り掛かる。
少し息を整えて、地面に片膝をついて座り、両手を地面につける。
「岩をイメージして・・山肌のような・・「壁」を・・、5重層・・、「造る」」
地面から土が盛り上がるようにして、いくつも重なり山肌のような「壁」が出来る。
「ま、こんなもんかな・・・」
「こんな・・壁・・・、すぐ・・超えられる・・けど」
後ろから、相変わらず不機嫌そうなタクトの指摘が入るが・・
シキは手を払って立ち上がる。
「いーんだよ、向こうから村が見えないように隠すだけなんだから。
ま、実際、魔王城を前にしてこんな森に気を留める奴は居ないだろうがな。
ハカセが一番懸念してんのはタクトがふらふら外に出て、兵士に見つかるとか、その兵士を虫の
餌にする事で村の存在がバレるって事だ」
「わかってる」
「・・一応、俺は、お前の事心配してんだからな・・・」
「・・・ふぅん・・・」
タクトは興味なさげな返答と共に再び住処に姿を消す。
シキは溜息をつくと家路についた。
その夜。
ハカセはいつもの図面から離れ、散らかった部屋のソファに腰を降ろし
頭上から降る月明かりの下でコーヒーの香りに癒されていた。
このラボには誰も転移が出来ない。
扉が開かれれば自分自身が一番に気づく事が出来る。
ここはハカセの要塞のようなものだ。
その空間が歪む。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久しいな」
低く、沈むような声色にハカセはその姿を見て立ち上がった。
「「あれから」どれくらいの時が過ぎたのか・・・・」
「・・・・」
「この結界を「私」が破った事が意外か?」
「いえ」
「そうだな、お前の魔力は私のものだ。「こんなもの」には意味がない」
「ええ、その通りです。我が主、真の魔王様」
ハカセは魔王の前に膝をついて頭を下げた。