9. 誕生日プレゼント
バカらしい問いかけかも知れない。その通り、ぼくはベアリングの一つに過ぎない。
しかしそれは、絶望すべきことなのか? ベアリングの一つだとすれば、すでに逃げるという選択肢はないのだ。
文脈から抜け出すことは誰にも出来ない。その時、ぼくに何が出来る?
さあ、どうする?
「やあ、ジャスティン」
右方向から緊張感のかけらもない声が聞こえた。ぼくは現実へ戻ってきた。
ホームレスの男はフンと鼻息を洩らすと、早口にこう言った。
「次に逢うときが最後のチャンスだ。逃した選択は帰ってこない」
身を翻し、男は去っていった。彼の背中は人混みの中にたちまち紛れ、消えてしまった。
ぼくはもうそこにはない彼の身体を静かに見つめ、動かずにいた。
MITのヒゲの教授は貼り付けたような画一的な動きで頭をかき、それから心配そうに聞こえる声で尋ねた。
「いやあ遅れて済まなかった……ところで、今の男は?」
「トルコ語でどこかの民謡をつぶやいていました。結構面白かったな」
「そうか、危ないところだったね。気を付けたほうがいい。この街には、頭のおかしい輩も大勢いる。君に悪影響を及ぼすよ。本当はお母さんに送ってもらった方がいいんだけど。今日はね、実は君にとっていいニュースを聞かせられそうなんだ……さあ、行こうか」
そう言って彼はぼくに手を差し出した。
彼は決して、ぼくの手を自分から握ろうとしない。彼はそれをぼくに対する一種の敬意のようによそおっている。彼自身そう思っているかも知れない。
けれどぼくはそこに、彼のぬぐいがたい人種差別意識を読み取る。
そう、提示されるメッセージの形式はすべからく固定的だ。それをいかにして読み取るか、誰が読み取るか。
結局のところ、全てはそこにかかっているのだ。
ぼくは教授の手を強く握った。彼は少しだけ驚いた顔をした。それから、ぼくらは歩き出した。
明くる日曜日になってもぼくの気は晴れなかった。
朝から頭にもやがかかったような感じだった。久しぶりに寝坊しなかったからママは少しだけご機嫌だったけど、ぼくは釈然としない気持ちのままでいた。
何をしていてもぼくの眼はここではない別の場所を見ていて、ぼくの身体はここではない別の場所にあった。
ぼくは囚われていた。あるいはぼく以外の全てが何かに囚われていた。集合的にはそれで正しい。
頭の大半はこの非言語的でカオティックな考えの中に突っ込まれていたので、何を訊かれても頭の残りの部分で処理的に応えてしまう。
いつの間にか昼食を食べ終わり、ぼくは膝を抱えて、ソファの上にいた。
ママが昨日は何を話したの?と尋ねた。ママがあのセッションに関心をもつなんて珍しいなと思った。
ぼくは、来週のセッションで天才児向けの国立特別教育校の説明を受けることになったんだ、と応えた。その後も、夢うつつのままでしばらくぼくは返事をしていた。
それからふらふらと玄関へ向かうと靴を履き、外へ出た。
「あら、じゃあその学校が、いいお誕生日プレゼントになるわね」
ドアが閉まる間際に、追いかけるようにしてそんなママの声が聞こえた。
誕生日? 一瞬考えて、ようやく思い出した。
来週の土曜日は、ぼくの記念すべき十三歳の誕生日だった。