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世界の終わりのための序奏  作者: 彩宮菜夏
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5. それでも愛している

 ぼくはゆっくり起き上がると身体から砂を払い、ポケットからメガネを取り出して掛けた。遠視気味なのだ。

 細かいかすり傷の付いたレンズの向こうには、ススで汚れた中学校の校舎が見えた。

 今日もどす黒い怨嗟の炎と絶望の金切り声を上げて、地獄の学舎は佇んでいる。

 MITの教授にも言ってやればよかった。あなたたちがどれだけ熱を上げて教育学を研究しても、そんなものどこにも還元されてやいませんよ、って。

 学校制度は百年前から根を生やしたように微動だにせず、四十年近く前にスキンヘッドの素敵なゲイのフランス人が考えたことすら、関係者の間ではろくすっぽ共有されていないのだから。


 そう。世界はまるで先に進んでいない。

 無数に有り得た可能性を片っ端から鉄球を振り回して潰しながら、人間は世界を穴ぐらの中へ閉じこめようと眼を血走らせているのだ。

 そして今少しずつ、最後の最後の可能性が閉ざされようとしている。

 閉塞、あるいは終焉。毎日学校でウェブのニュースを見ていると、そんな気がする。

 外から飛び込んでくる目映い光が、静かに絶たれようとしている。

 そうして、人間は昼も夜もない庇護の下の安息と永遠の生命を得るのだろう。つまり、胎児への回帰。そんな気がしてならないのだ。


 つまらないことを思いながら、うつむいたぼくは中学校の門をくぐった。


 五日後、ぼくは無事マンハッタンのグランド・セントラル駅の人混みの中にぽつねんと立っていた。

 Tシャツの上にだぼだぼのお下がりの上着。それにジーンズのパンツ。

 駅の中では数えきれないほどの人たちが肩が触れるくらいの間近ですれ違っていて、それでいながらみんな、誰よりも孤独だった。

 あと、この街もまた変な臭いがした。間違っても深呼吸なんかしない、大量の人と物から発せられる、含有物不定のカオティックな臭い。

 立ってるだけで酸欠になりそうだった。


 ぼくは周囲を見廻した。一応昨日も確認のために教授から電話があったみたいだけれど、情報は全部ママ経由だから判然としない。

 初期情報の85%くらいは失われている。でも、ぼくが直接電話を取ることはママは許せないみたいだった。

 無理もないと思う。


 こんな事ばかり言っているとまるでぼくがママのことを嫌っている、あるいは疎んじているように聞こえるかも知れない。

 誤解されたくないけれど、ぼくはママのことを愛している。

 うんざりするほどアメリカ的な言い回しだと分かってはいるけれど、それでも愛している。


 ママだけじゃない。毎日石のように黙ってよその家のテレビを直してるパパのことも。

 ハンバーガーショップで適当に野菜をざく切りにしているお兄ちゃんのことも。

 二ヶ月ごとに彼氏を取り替えては泣いたり笑ったりを繰り返しているお姉ちゃんのことも。

 三十年後のガンの可能性を顧みず果敢に指人形を口に入れるかわいい弟のことも。

 みんな心から、愛している。


 そればかりか、ぼくはきっとこの世界の全てを愛している。

 だからこそ、世界からの冷たい仕打ちにうめき、絶望し、それでも辛うじて生き延びているのだろう。

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