2. 小さな家から飛び出して
ニーチェの非論理性と男性的ロマンティシズムにいまだ拘泥する人間が多いということは、結局西洋中心主義的な価値体系の限界を露呈してるということなのかな、それともこれはぼくがヒスパニック系であることによって導かれた恣意的な結論なのかな、とオートミールをかき混ぜながら考えていると、ママが言った。
「……昨日の夜あのいつものヒゲのナントカ教授から電話があったわ。また来週の土曜日に、ダウンタウンの方へ来てくれないか、だって」
「えー……ぼく、いいよ」
行ったところでオフィスの椅子に座らされて、内容の推測が簡単につく分かりやすい心理テストをドーナツ食べながら受けさせられるだけだ。
心理学者の発想のパターンを把握すれば、何を訊きたいのかカードの絵を見ただけで分かる。
するとママは、ジンジャーを丸かじりにしたみたいな表情になって言った。
「アンタが行かないと、ママが罰せられるのよ。あの先生言ってたわ。子どもをヨクアツするケンリが、なんたらかんたら。だから行きなさい。グランド・セントラル駅のいつものところまで迎えに来るって。アンタなら一人で行けるでしょ。お金は向こうが出すって」
そんな法律あるだろうか。ないと思う。
でもそれを言うとまたママがキレるから、黙っておくことにした。
うちは一応「ニューヨーク郊外の住宅地」の範囲内だから、行くことはそんなに大変じゃない。
サルサソースの匂いがする通り、という呼び名の方が一般的だけど。
そうして業務連絡を終えるとママは黙り込んだ。他の三人はとっくに黙っている。
朝食の席からうちは葬式みたいだった。
そうだ。ぼくがうちの平穏な生活を葬り去ったのだ。
時間になると、押し出されるようにしてぼくはお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に家から飛び出した。
スクールバスの乗り場まで走っていく途中、ぼくはふと振り返る。
愛すべき小さな我が家。築三十何年とか。白いペンキもほとんどはげている。
ぼくが生まれたときに引っ越したらしいけど、「すでに手遅れな感じだった」とお兄ちゃんが何年か前に言っていた。
お兄ちゃんが高校生で、まだぼくと仲がよかったころの話だ。
今お兄ちゃんは近所のウェンディーズでレタスを切る仕事をしている。
ギリギリのところでバスに飛び乗ると、ぼくは隅っこの席に着いた。
バスの中は賑やかだけれど、中学に入って早々のテストであんなことになったものだから、もう誰もぼくの近くには座ってくれない。これでも小学校では結構モテてたのに。
あの頃好きだったシャーリーに「髪は長い方が似合うと思う」と二人きりの時言われて、今でも首筋を隠すくらいに伸ばしたままだ。
あの後クラスの男子の半数が髪を伸ばし始めたのはもはや呪われた記憶以外の何ものでもないけれど、未だに何となく惰性で長髪のままにしている。