12. グランド・セントラル駅にて
彼女の家の前まで連れてきてあげると、別れ際にぼくは、そのぬいぐるみを指して言った。
「その子さ」
「ランディ?」
リズは左手のぬいぐるみを持ち上げる。
ウサギのランディはなすすべもなく、世界タイトル戦を終えたチャンピオンのように彼女の手にぶら下がっていた。
ぼくは笑って言った。
「彼、道に詳しいんだね。行きに、ずっと教えてくれてたから」
すると彼女は、ううん、と首を振った。
「あのときは、ジャスティンがいってたこと、おしえてあげてただけよ。ランディはうんうんっていってただけ。みちをきめてたのは、わたし」
そう言うと、身体を翻してリズは家の玄関へと駆けていった。
虚を突かれたぼくは、夕方の道に一人取り残された。
ポケットに手を突っ込んで、ぼくは下を向きながら家に帰った。なんだか何も考える気が起きなかった。
ぼくの家の散らかった玄関先には、鳩が数羽集まって、地面に散らばった何かを熱心に食べていた。
ぼくが近づいていっても飛び立とうとすらせず、いそいそと横に逃げていってはまた一生懸命ついばんでいた。
ぼくは黙ったまま、重いドアを開けた。
そして、次の土曜日がやってきた。
世界には何の変化もなく、粛々と時は経ち、ぼくは再びあのきらびやかなグランド・セントラル駅の柱の前で、例の教授を待っていた。
いつになく構内に人は多くて、まだ六月だというのにいやに暑苦しかった。
ぼくは今日は本も持たずに、柱にもたれて人の影を眺めながら、ものを考えていた。天井のシャンデリアがまぶしかった。
今日ぼくは、全米から集められた天才児ばかりが通う、特別校の説明を受ける。
クリーヴランドにあって、仲間たちと寮で生活するらしい。
どんな教育が行われているか、どんな子たちがいるか、そこへ行くことが将来どれだけ有益に働くか。そういう話を聞く。
ぼくにとっても、いい話なんだろうなとは思う。今行っている普通の公立中学校よりも、きっとずっと気が楽で、楽しいだろう。
膨れあがった嫉妬、理不尽な怒りでいじめられることも、きっとなくなる。
思う存分、のびのびと暮らすことが出来る。たぶん、何事もなければこのまま、そこへ通うことになるのだろう。
これから、幸福な人生が始まるのかも知れない。
けれど何となく、僕はまだそれをすなおに受け入れることが出来ていなかった。
大した反抗心ではなかった。ここ一週間ほどの思索の結果、どうやらぼくには(そして世界には)それほど壮大な可能性は残されていないということがはっきりした。
これは明白な事実だ。すでに済んでしまった選択を今さら取り戻すことは出来ない。それに対する抵抗は、限りなく不可能に近い。
そして、可能性のない場所に夢を見ることは出来ない。
それなら時間を有効に使うためにも、この終わりつつある世界の中で、少しでも心地よく生きることの出来る場所に身を置いたほうがいい。
安逸なる休息の生。それがこの世の趨勢だ。
そんなことはぼくだって、よく分かっている。この選択がぼくにとって(そして世界にとって)正しい。
仮に教授たちの思惑の中へ飛び込むことになるのだとしても、それは決して恥ずべきことじゃない。
理屈ではそう分かっているのだけれど。最後の最後、一番底の辺りにほんのちょっとしたしこりが残っている。それだけのことだった。