012
上野の家を訪ねた後、俺と相田はその足で早美都の家へ、
早美都の家は茅ヶ崎から相模線に乗り換えて三つ目の寒川に有った、落ち着いた佇まいの住宅街の一画の古い一軒家に俺はその表札を見つけ出す、
其処には、早美都の苗字である筈の高野では無く、下園と書かれてあった、
「此処で、合ってんだよな、」
「はい、下園さんのお宅で間違いありません、」
意を決して呼び鈴を押してみるが、やはり返事がない、中に人の居る気配がしなくて、
「お留守でしょうか?」
時刻は既に19時を過ぎていて、辺りは暗くなっていると言うのに家には電灯が点いていない、
「しょうがない、お前はもう先に帰ってくれ、俺はもうちょっと此処で待ってみるよ、」
「それは駄目です、先生から頼まれたのは私ですから、宗次朗くん一人にお任せする訳にはいきません、」
「遅くなると家の人が心配するんじゃ無いのか?」
「その点は大丈夫です、私は信頼されていますから門限も無いですし外泊も電話連絡でOKです、」
相田家の基準が時々分からなくなってくる、
「しょうがねえ、俺も今日は諦めて帰るとするか、家まで送って行くよ、」
「えっ、ちょっと待って下さい!」
と、俄かに相田がそわそわあたふたし始める、まあ、クラスの男子に家の場所を知られるのはちょっと抵抗があるだろうから、
「心配すんな、別に家の前まで行くとか言ってない、近くまで送って行くだけだよ、」
「そう言わずにお夕食を食べていかれますよね、……何か食べられない物とか有りますか?」
「いえ、食べていきませんから、」
その時、ガチャリと下園家のドアが開いて、中から一人の中年の女の人が現れる、
「あの、どちら様でしょうか?」
ーーー
「すみません、こちらに高野早美都くんはいらっしゃいますか? 俺達は同じ学校の友達です、」
「こんばんは、お夕食の時刻に急に訪ねて来て申し訳ございません、学校の先生から預かった物を手渡したいのですが、早美都さんにお会い出来ますでしょうか?」
俺と相田は門を開けてその女性の元へ、
怪訝そうな女性の顔、それでも、
「私はこちらのお婆ちゃんの生活援助に来ているヘルパーです、早美都さんと言うのは、この春からこちらに引っ越して来られたお孫さんの事かな? 何時も部屋に閉じ籠って居るので殆どお会いした事が無いのですが、背の低い女の子ですよね、」
「いえ、男、……」
相田が咄嗟に俺の口を押さえた、
「はい、その方で間違いありません、」
一体何を言っているのかと訝る俺に向かって相田は、首を横に振って黙っていろの合図、
ーーー
取り敢えず俺達は家の中に迎え入れられて、ヘルパーさんが二階の部屋に早美都を呼びに行ってくれる間、居間兼食堂の和風な部屋で待つ事に、テーブルの前にはかなりご高齢なお婆ちゃん、
「お元気そうでうですね、」
「当たり前だろ、頭もボケちゃいないし体だってまだまだピンピンしてるよ、」
何だか眼光鋭くて怖そうなお婆ちゃん、
「お幾つですか?」
「全く、女に歳なんか聞くもんじゃ無いよ、」
「88歳だよ、」
振り向くと、二階へ続く階段を私服姿の早美都が降りてきた、
「何だいそんな男みたいな格好して、お前は女なんだから胸張って女らしくすりゃ良いんだよ、」
「でも、友達が混乱するから、」
ちょっと照れた風に俺の事を見る早美都、
ちょっと、いやめっちゃ混乱してる俺、
それで相田は涼しい顔で、……もしかしてコイツ知ってやがったのか?
「学校だって女の制服で行きゃ良いものの、先生も先生だよ、」
「無理だよ、男の体で女子に混じって生活は出来ないよ、」
「さっさとちんこ取っちまえば良いだろう、」
「うちはお金持ちじゃ無いんだから、そんな簡単に手術なんて出来ないよ、」
ちょっと困った風に俺を見て苦笑いする早美都、
釣られてどうすれば良いか分からなくて苦笑いする俺、
それで相田は神妙な顔で作り笑いしている、ちんこか?コイツちんこに反応してんのか?
「金の問題じゃ無い、大切な一人娘の問題だってのに、この子の父親が認めないんだよ、全く誰に似たんだか頑固でしょうがない、」
これ以上は黙って聞いていられなくて、俺は、
「つまり早美都、お前は本当は女だって事なのか、」
「うん、脳みそは女で、体は男、性同一性障害って言うんだって、」
ーーー
俺と相田は、改めて二階の早美都の部屋へと通される、
何だか可愛らしい、確かに女の子っぽい部屋だ、色々とオレンジが多い、
「僕の家は石川県に在るんだけど、中学校で色々と問題が起きて、それで高校からはコッチのばーばの所に来て学校に通う事にしたんだ、」
「そっか、色々複雑だな、」
「別に、僕の中だけの問題だよ、」
早美都はベッドの端に腰掛けて、俺と相田は床の上に胡座と正座、
「その事と、学校を休んでる事とは関係があるのか?」
「無い事も無いかな、」
「もしかして誰かに、酷いこと言われたのか?」
「そうじゃ無いけど、宗次朗にひどい事をされた、」
「なんで?」
それで、俺は久し振りに早美都が笑っているのを見た、
「ごめん、嘘、気にしないで、僕、宗次朗が好きなんだ、」
「好き?って、友達として、じゃなくて?」
「うん、だって宗次朗がいけないんだよ、僕にいっぱい優しくするから、だから宗次朗の所為、」
「なんか、もしもお前を傷付ける様な事をしちまったんなら謝る、だから、」
「気にしないで、僕の中だけの問題だよ、宗次朗は悪くない、」
「俺に何が出来るか分からないけど、力になりたい、」
「じゃあ、さ、恋人になってくれる?」
そう言う早美都は、真っ直ぐに相田の顔を見ていた、
「恋人、って、」
「僕と手を繋いで歩いたり、時々キスしたり、そう言う事、」
「流石にそれは、無理だな、」
「うん、分かってる、分かるから苦しいんだ、だって、宗次朗の名前を呼ぶ度びにどんどん好きになって、それなのにどんなに好きになっても、好きになってもらえないから、」
「僕は女の子として宗次朗が好きになった、でも宗次朗にとってみれば僕は男の子だから恋愛なんて無理だよね、全部仕方がない事なんだ、そう考えたらなんだか悲しくなって、なんだか全部が嫌になっちゃった、」
「どうして人は、こんなに苦しいのに、誰かを好きになっちゃうんだろうね、」
俺は、早美都に何て言ってやれば良いのか、言葉が見つからない、
「ごめんね、でも安心して、宗次朗には迷惑をかけないから、僕、学校を辞めるよ、」
「なんで? いきなり極端すぎるだろう、」
「だって、こんな男女に好かれるのなんて迷惑だよね、嫌だよね、僕は、宗次朗に嫌われるくらいなら、もう2度と会えなくなる方がまだマシ、今日はそれを伝えたくて会う事にした、最初はもうこのまま会わないでおこうかと思ったんだけど、宗次朗には本当の僕の気持ちを知ってもらいたかったから、」
それは、中学の卒業式で俺が西野敦子に公開告白した時に気持ちと多分同じだ、
片方だけ思いが突っ走ると、誰とだって、何時かはこうなってしまう、
人はラポールを形成するほどに、二字曲線的に心的距離を縮めていく、加速度的に思いは強くなる、それが更に一方通行の信頼を増長させて行く、
そして信頼とは、自分の要望を相手に押し付ける行為以外の何物でもない、
信じている、その言葉は、裏切らない事を強制する呪文、
もしも、相手が思いの通りにならなかったら、裏切ったら、
その強すぎる心の歪みは、時として人を壊す、自分自身か、それとも相手か、その両方か、
早美都は、そんなキツイのを一人でしょい込んで、何とか自分ひとりで折り合いを付けようとしていたのだろうか、
だからと言って、俺に早美都の想いを受け止める事は、…やっぱり無理だ、だったら投げ出すのか、逃げ出すのか? 友達を見捨てるほど、俺は、人間嫌いでは無い、でも、どうすれば良い?
ーーー
「本当にお二人は仲良しですね、」
そして、さっきまでじっと黙って聞いているばかりだった相田がポツリと話し出した、
「だって二人ともおんなじ事を言ってます、」
「同じ事?」
「早美都くん、実は私も宗次朗くんに付き合って欲しいって告白したんですよ、」
早美都の顔が一瞬悔しそうに曇って、それから直ぐに作り笑いして、
「やっぱり、そうじゃ無いかって思ってたんだ、うん、二人はお似合いの、……」
「振られてしまいましたけどね、」
「え?」
早美都の顔が一瞬鳩が豆鉄砲食らったみたいになって、
「どうして? 何考えてんの宗次朗!」
「何って?」
「相田さんだよ、なんで宗次朗が相田さんの事を振るのさ、馬鹿じゃ無いの? 相田さんみたいな素敵な人もう一生現れないよ、まさか他に好きな子がいるの? 誰?」
「居ないよ、お前知ってるだろ、俺は恋愛否定主義だって、」
「だからって、」
「早美都くん、その時宗次朗くんは言ってたんです、「色恋に溺れると正気を失って大切な誰かを傷つけてしまうかも知れないから、自分は恋愛なんてしないんだ、」って、それって、早美都くんが学校を辞めようと思ったのと同じ気持ちですよね、」
「でも、二人とも間違ってると思います、」
相田は早美都の目を真っ直ぐに見て、
「早美都くん、どんなに好きになっても付き合えない事なんてよくある事です、それ位の事で全部嫌になって学校を辞めてしまうなんて間違っています、甘ったれています、」
「あまっ、?」
「それに、誰かを好きになる事は間違ってなんていません、その事で相手を傷付けてしまうと思うなら、そうなら無い様に努力すればいいんです、付き合えないからと言って嫌いになってしまう事はないんです、その人の元から離れようとする必要は無いんです、」
「……、」
「私はお二人の事が大好きです、今日の話を聞いてまた好きになりました、例えお二人と生涯の伴侶にはなれないとしても、この先もずっとお友達で居たいと思っています、」
「宗次朗くんは、どう思いますか? 」
相田の眼差しは反則的に綺麗で、その微笑みは絶対的に可愛らしくて、こんなの例え違うと思っていたとしても反論出来る訳がない、……て言うか狡い、
「まあ、そうだな、恋愛できないからって友達迄辞める事は無い、俺は男だろうが女だろうが恋愛はごめんだが、早美都とは友達で居たいと思ってる、それじゃ、ダメか?」
「僕は、……宗次朗の事を好きで居続けても良いの?」
「良いんですよ、私だって未だ諦めた訳じゃありませんから、」
「それじゃあ、僕に勝ち目なんて無いじゃない、」
俺は、早美都が笑っているのを久し振りに見たかも知れない、
ーーー
早美都の家を後にして、俺と相田は駅に向かう、
「宗次朗くんはお魚とお肉とどっちが好きですか?」
「言っておきますけど食べていきませんから、」
「橘さんのお料理はとっても美味しいんですよ、」
「橘さんって誰?」
「ウチの上女中さんです、」
「そっか残念、みいちゃの手作りなら食べて行っても良かったのにな、」
「本当ですか? じゃあ、約束ですよ、」
「まあ、その内な、」
見上げると都会の空にも星は見えて、あのかがり火の下にも俺達と同じ様に、日々恋愛に苦悩する、そんな切ない気持ちがあるのだろうか?
「早美都を説得する為とはいえ、心にも無い事を言わせて済まなかったな、」
「なんの事ですか?」
「その、お前が俺に気があるとか、そういう事、」
「あら、言いませんでしたっけ、私、嘘が苦手なんですよ、」
「あら、親に嘘ついて北海道迄、男追っかけて行ったのは何処の誰だっけ、」
「知ってますか? 男子が女子に意地悪な事を言うのは、本当は気があるからなんですよ、」
まあ、そんな感じで俺達は少しずつ友達になって行ったんだと思う、
第一章、完、