第8話 探し人は
森の中に身を隠す俺たちの視線の先に現れたのは、2人の下級悪魔だった。
俺はそいつらの顔に見覚えがある。
ありゃあ確かケルんとこの下っ端だ。
さっきの洞窟の中じゃ見なかった顔だな。
奴らが洞窟の入口に近付いてきたため、その話し声がハッキリと聞こえてきた。
「頭領も人使いが荒いぜ。上級種の前じゃヘコヘコしてたくせに、奴らが帰った途端にまた威張り出してよ」
「まったくだ。だいたいあんな奴らの下部組織に加わったりして大丈夫なのか? 俺ら使い捨てられちまうんじゃ……」
下っ端どもは顔を曇らせて、口々に頭領であるケルへの不満を募らせていた。
フン。
相変わらずケルのアホは人望がねえな。
ま、デカイ図体と馬鹿力だけで周りを無理やり従わせているような奴だ。
そんなもんだろ。
それにしても上級種の2人はすでに立ち去った後か。
そしてケルの奴は自分の組織ごと上級種どもの下につくことになったらしい。
だがこいつらが下部組織に入るってことは、あの上級悪魔の奴らもちょくちょくこの付近に顔を出すことになるだろうから、借りを返すチャンスはまだある。
俺がそんなことを考えていると、下っ端どもの1人が妙なことを口走りやがった。
「それにしてもいくら天国の丘との国境が近いからって、本当にこんな場所に見習い天使がいるのか?」
見習い天使?
どう考えてもティナのことだ。
何で奴らがティナの話をしている?
俺は不審に思い、耳をそばだてた。
「見かけた奴がいるんだってよ。たった1人でこの森の近くをウロウロしてやがったって話だ」
「そりゃどう考えても迷い込んだか仲間とはぐれたマヌケだろ。見習いだしな。しかし上級種の奴らは何だってそんなザコを御所望なのかね」
上級種どもがティナを?
その奇妙な話に俺は眉を潜めた。
たまたま見かけた天使を捕まえて痛めつける、なんてのはよくある話だが、上級種の連中がわざわざ見習い天使ごときを探しているという話に俺は違和感を覚えた。
「で、何で俺らは『悪魔の臓腑』の見回りなんだよ。いくら何でもあそこにわざわざ迷い込む馬鹿がいるとは思えねえぞ」
「そりゃそうだ。もし仮にそんな馬鹿だったとして、見習い天使程度が迷い込んだらすぐに魔物どもの餌になって今頃とっくにゲームオーバーになってるだろうよ」
「じゃあ何で頭領は俺らに洞窟の見回りなんか……」
「あまり大きな声じゃ言えねえが、頭領はおそらくバレットの様子を俺らに見てこさせようとしてるんじゃねえか?」
いきなり話の中に出てきた自分の名前に俺は顔をしかめた。
そんな俺が見下ろす先で、下っ端2人は話を続ける。
「バレットが今も洞窟の底に閉じ込められたままかどうか、万が一にも脱出してやいないか、気が気じゃねえんだろうよ」
「ああ。そういうことか。頭領は図体の割りに神経質だからな」
チッ。
神経質なんじゃなくてケルの奴は小心者なんだよ。
デカイのは図体だけで、肝っ玉はネズミみたいなもんだ。
胸の内でケルをあざ笑う俺の前で、下っ端どもは何やら相談を始めた。
「カンベンしてくれよ。見回るのはいいが、どうせ見習い天使なんざ見つかりゃしねえし、もうじき夜になりゃ魔物どものが巣穴に戻ってきちまう。そんな中をウロウロしたくねえよ。それにもし何かの間違いでバレットの奴が体の自由を取り戻してたりしたら、それこそ俺らが殺されちまうじゃねえか」
「じゃあ見回りしたフリだけで、このまま帰るか。洞窟内に見習い天使はいなかった。バレットは閉じ込められたままだった。そう報告しておけばバレやしねえだろ。どうせ誰も確認なんてしねえだろうしよ」
そうだ。
自分に都合の悪い仕事は適当に片付ける。
それこそが正しい悪魔の姿だ。
さっさと立ち去りな。
もしおまえらに洞窟の中を確かめられたら、俺が脱出済みだと分かってケルの奴は血相変えて大騒ぎするだろ。
それはそれでいい気味だが、今は下手に警戒をされたくねえ。
この首輪によって力が制限されている以上、あくまでもこっちが攻める立場として有利に事を運びたい。
そう思った俺だったが、相棒の言葉を聞いた下っ端の野郎が余計なことを言い出した。
「そうはいかねえよ。頭領のことだから俺らが仕事サボることも見越して、別の連中を派遣するかもしれねえ。そしたら俺たちが洞窟に入っていないことがバレちまう。きっと頭領は怒り狂って俺たちの頭を握りつぶすぞ」
「うっ……そ、それもそうだな。とりあえず夜の間は上層の辺りで魔物どもをやり過ごして、朝になって魔物どもが地上に出て行ったら50層まで潜るか。そんでさっさとマヌケなバレットの幽閉姿を画像撮影して証拠に持って帰ろうぜ」
その話に俺は仕方なく腰を上げた。
やれやれ。
良くない方向に話がまとまっちまったな。
まったく不運な奴らだ。
悪魔らしく仕事サボッてトンズラこいときゃ良かったものを。
ま、ケルなんかの部下になったのが、てめえらの運の尽きだぜ。
俺は素早く枝を蹴って飛翔すると、下っ端野郎の背後に飛び降りた。
「誰がマヌケだと?」
そう言うと俺は下っ端野郎が振り返るよりも早く、その首の後ろに右の肘打ちをくれてやった。
「ゲエッ!」
この地獄の谷のローカル・ルールで、首の後ろの延髄を初めとして、体の中にはいくつかの気絶ポイントが設定されている。
そこに一定以上のダメージを連続して与えると、その相手は一定時間意識を失っちまう。
俺は相手を殺さないように加減して、左の肘でもう一撃を延髄に食らわせた。
「ガッ……」
下っ端野郎は呻き声を漏らしてその場でガックリと膝をつき、前のめりに倒れたまま動かなくなる。
その様子を驚愕の眼差しで見ていたもう1人の悪魔が、敵意を剥き出しにして声を上げた。
「バ、バレット! てめえ、どうしてここに……」
俺はそれには答えず、そいつの腹を蹴り上げた。
「ウゴオッ……」
そして身を屈めてくぐもった声を漏らすそいつの背後に回り込むと、俺はそいつの首に両腕を回して締め上げた。
「恨むなら無能で肝っ玉の小せえてめえらの頭領を恨みな」
「ウグッ……」
息をつまらせてもがくそいつが動かなくなるまで俺は締め上げ、そのライフが急激に減っていくのを確認した。
そして死なない程度にライフが減ったところで、俺はそいつを解放した。
下っ端悪魔は相棒と同様に地面に横たわったまま、白目を剥いて動かなくなる。
「フンッ。悪魔が勤勉になってもロクなことはねえんだよ。覚えときな」
忌々しい首輪の解除が不完全なために攻撃力は半減してしまっているが、この程度のザコどもを片付けるのに支障はないようだ。
腹立たしいがそれだけは不幸中の幸いだった。
俺が2人の悪魔を片付ける様子を窺いながら、ティナの奴がおずおずと茂みから出てきた。
「こ、殺してしまったのですか?」
「いいや」
俺は短く返事をすると自分のアイテム・ストックから捕縛用の縄を取り出す。
縄の中に幾重にも絡み合う鉄線が仕込まれていて、ナイフ程度じゃ切れない特別製の代物だ。
そいつで下っ端悪魔どもの両手両足を手早く縛り上げた。
もちろん、簡単にはほどけねえ【悪魔結び】でな。
「殺しちまうとコンティニューで復活した後、こいつらは俺のことをケルに報告する。そうならないよう、こうして体の自由を奪い、どこかに監禁しておくんだ。俺が地の底から脱出したことは、もうしばらく知られたくねえからな」
そう言うと俺は動かない子分どもを両肩に担ぎ上げてティナを見た。
上級種の奴らがティナを探していると、この子分どもは言っていた。
「おまえ、お尋ね者になってるようだぞ。追われてたのか?」
俺の問いにティナは戸惑いながら首を横に振る。
「いいえ。今までは誰かの追跡を受けたことはありませんでした。ですが……その上級悪魔たちは私という存在に気付いているようですね。この地獄の谷に来てから不具合の見られるフィールド修正などでもう何度か正常化を施術していますから。不正プログラムを手に入れた上級悪魔たちにとって私は都合の悪い存在なんでしょう」
「なるほどな。で、天国の丘との通信は出来たのか?」
俺がそう言うとティナはウッと言葉に詰まり、冴えない表情でボソボソと答えた。
「それが……この辺りからは通信が出来ないみたいで……こんなこと普段はないんてすが」
「チッ。おまえは何も出来ねえな」
「うっ……」
俺の言葉にティナは意気消沈してうなだれる。
ケッ。
うんざりだぜ。
ガキのお守りなんざやってられるか。
「おい。とりあえずついてこい。おまえは狙われてるんだ。今おまえにいなくなられると俺が困る。俺の目の届くところにいろ」
そう言うと俺は森の中へと足を踏み入れた。
ティナは慌てて後からついてくる。
「こ、これからケルという人に復讐しにいくんですか?」
「当たり前だ。コケにされたままで黙っていられるか」
「でもバレットさんは今、本来の力を失っている状態ですよ?」
「ああそうだ。誰かさんのせいでな」
俺がギロリと睨み付けるとティナは萎縮して俯いた。
「そ、それは申し訳ないのですが……。でも、やり返すにしても万全の状態になってからのほうがいいのでは?」
「ほう。そりゃ賢明なご意見だな。で、いつ俺は万全の状態になるんだ? いつだ? ああ?」
「そ、それは……」
「いつになるか分かんねえ万全を待ってられるかよ。俺はすぐにでもケルを地獄に落としてやりたいんでね。そりゃ万全に越したことはねえさ。だが誰かさんのおかげで俺の万全は今や遠い夢だからな」
俺の言葉にティナはすっかり肩を落としてぼやいた。
「うぅ……バレットさんって聞いていたよりも性格悪いですね」
「性格が悪いだ? 悪魔なんだから当たり前だ。一体どこのアホが言ってたんだ? バレットは性格のいいナイスガイだって」
「ゾーラン隊長は言ってましたよ。バレットは不器用な奴だが、スジの通った悪魔だって」
チッ……ゾーランの奴か。
相変わらず説教くさいこと言いやがる。
何がスジの通った悪魔だ。
悪魔っつうのはスジの通らない理不尽さを他人に押し付けて、自分は甘い汁をすする生き物なんだよ。
俺はゾーランの顔を思い出して苛立った。
あいつは悪魔のくせに妙に義理堅いし、実直な性格だ。
俺はあいつのそういうところが以前から嫌いだった。
「悪魔の与太話を真に受けるおまえがアホなんだよ」
「ゾーラン隊長は適当なことを言うような方ではありませんよ。それはあなたの方がよくお分かりなんじゃないですか?」
「知った風な口をききやがって」
「実は……あなたがゾーラン隊長の元を離れることになった経緯は私も聞きました」
まるで腫れ物に触れるような物言いをするティナに、俺は鼻を鳴らした。
「フンッ。そうかよ。別に何てことのねえ、つまらん話だ」
俺は3か月前のゾーランとのケンカ別れの一件を思い返していた。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第一章 第9話 『ケンカ別れの朝』は
7月9日(火)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




