第7話 見習い天使の誇り
洞窟の出口から外に出ると、辺りは西日に赤く染まっていた。
「ち、地上です。夕日が……眩しいです」
地下50層の洞窟『悪魔の臓腑』から脱出することが出来た見習い天使のティナは、安堵と喜びで満面の笑みを浮かべた。
闇と陰を好む悪魔の俺にとっちゃ寝床から家の外に出た程度の認識なんだが、ティナにしてみたら脱出不可能な闇の世界から命からがら逃げ出せた心境なんだろうよ。
胸の前で手を組み合わせてホッとため息をつきながらブツブツ言ってやがる。
「まったくヒドイ目にあいました。いきなり穴に落ちて、意地悪な悪魔に超絶まずい汁を飲まされて……」
「その超絶まずい汁のおかげで命拾いしたんだから文句言うんじゃねえよ」
俺の言葉にティナは唇を尖らせた。
「あなたは自分で飲んでないからそんなことが言えるんですよ!」
ティナはそう言うが、悪魔の女どもがあんなような飲み物をうまそうに飲んでやがったのを見たことがあるぞ。
ああいう絞り汁は人気なんじゃねえのか。
「絞りたてだぞ? この俺がわざわざ手で絞って……何だ、あの、スムージーとかいうやつだったか。女はああいうの好きだろ」
「そんなスムージーがあってたまりますか! それに女子だからって必ずそういうのが好きというのは偏見です! 見識をあらためて下さい」
ティナは両目を吊り上げてそう声を張り上げる。
まったくキィキィうるせえ女だな。
「とにかく俺は約束を果たしたんだから、さっさとこの首輪を解除しろ」
「私との約束は破る気満々だったくせに、よく言えますね」
ジトッとした目で俺を見る生意気な小娘はそう言うと、銀環杖を掲げた。
「とはいえ、約束は約束ですからね。私は守りますよ。どこかの悪魔さんと違って」
「うるせえ。さっさとやれっ!」
俺の怒鳴り声にビクッと身をすくめつつ、ティナはブツブツと唱えながら解除シークエンスを進めていく。
ふぅ。
ようやくこれでこの口ばかり達者な小娘ともオサラバだ。
首輪が外れたら、こいつを振り切ってさっさと飛び去ってやる。
俺がそんなことを考えていると、ティナの奴は術を続けながら静かに言った。
「上級悪魔たちをどうやって追うつもりですか? 何かアテが?」
「いや。特に何もねえよ。だが、この辺りで上級種を見かけることなんざ滅多にねえから、どうとでもなるさ」
「もうこの辺りにはいないかもしれませんよ?」
「いるさ。連中はこの辺りで何かやることがあるらしい。奴らがそう話しているのを聞いた。ま、用事でもなきゃ上級種どもがわざわざこんな辺境にやってくることはねえさ。奴らはまだこの辺境にいるはずだ」
この首輪が外れたらまずはケルの奴をぶっ殺し、それからケルの子分どもにあの上級種どもの居場所を吐かせてやる。
その上でアヴァンとディエゴをブチのめす方法を考えよう。
「バレットさんは加勢してくれる仲間はいないのですか?」
「そんなもんいたことねえよ」
「そうでしょうね。そんな感じです」
「ああ? うるせえな。俺は1人で戦える。仲間なんざ必要ねえ。邪魔になるだけだし、他人はいざって時に裏切るからな。そんな余計なリスクを抱えたくねえんだよ」
「……そうですか。ですが、いくらバレットさんが強くても、たった1人で上級悪魔に勝てるとは思えません」
ムカつくことを言う小娘だが、まったくもってその通りだ。
俺は下級種で敵は上級種。
そのステータスには大きな隔たりがあり、まともに戦って勝てる相手じゃねえ。
だが真正面からぶつかって勝ち目がねえなら、罠を仕掛けるなり不意打ちするなり何でもして、必ずブチのめしてやる。
「それにあの上級悪魔たちには不正プログラムがあります。バレットさんは不正プログラムのことを何も知らず、その対処法も持っていない。不利な条件がそろっています」
そう言うとティナは解除術を進めながら、こちらの腹の中を見透かすように続けた。
「首輪の解除が終わったら、私を置き去りにしてさっさと逃げようとか考えていますね? それはオススメしませんよ。バレットさんにはきっと私の力が必要です」
チッ……勘付いていやがったか。
生意気な小娘だ。
俺は表情を変えずにティナの目を見据えたまま、この先のことを考える。
果たしてこの見習い天使には利用価値があるだろうか。
そんな俺の視線を受け止めつつ、ティナは冷静に話を続けた。
「さっきまでのように、またどこかに閉じ込められてしまいたくはないでしょう? 不正プログラムは私たちNPCの常識外の現象を引き起こします。知識がなければ咄嗟の回避もままなりません」
確かに俺は不正プログラムについて何も知識がない。
そんなもんがあることすら、つい数時間前まで知らなかったからな。
ただでさえレベル違いの上級種どもを相手にするのだから、不確定な要素は極力排除しておきたい。
「くそっ……そんな迷惑なもんバラまいたのは一体どこのどいつなんだ」
呆れてそう言う俺に、ティナは神妙な面持ちでその人物の名を告げた。
「堕天使キャメロン。先日、天樹の塔を襲撃した堕天使集団の頭目です」
堕天使。
それは堕落して天に仇なす存在となった天使の成れの果てだ。
天使と悪魔に次ぐ第3勢力と言える存在だった。
「キャメロンは不正プログラムを駆使して私たち天使の家である天樹の塔の破壊を企て、あまつさえ天使長さまのお命をも狙いました」
そう言うティナの顔は憤慨に赤く染まっている。
天使長が狙われたことに腹を立てていやがるんだ。
フンッ。
天使どもの忠誠心ってやつか。
アホらしい。
「今、そのキャメロンはすでに隔離され封印されていますが、彼が以前にこの地獄の谷に滞在していた時に、その不正プログラムを秘密裏に流布したのです」
「ハッ。そいつは何のためにそんなことをしやがるんだ? トチ狂っているわけじゃねえよな?」
「理由はいくつか考えられますが……あれっ?」
そこでいきなりティナが話を中断し、首輪の解除作業の手を止めてすっとんきょうな声を上げやがった。
「何だ?」
「い、いえ。もう一度最初からやり直しますね」
「やり直しだと?」
何やら腑に落ちないような顔でティナは銀環杖を掲げてもう一度、解除に取り掛かる。
俺はその様子をじっと見つめていたが、ティナの詠唱に合わせて点滅している銀環杖の宝玉の光がふいに消えてしまい、解除術はまたもや途中で止まった。
「おい。何やってんだ?」
「いえ……解除シークエンスの途中でエラーが出てしまうのです」
「はあ? しっかりしろや」
「わ、分かってますけど……」
苛立つ俺に、ティナは焦って銀環杖を振り上げるが、三度目も解除術は成功しなかった。
おいおい‥‥…雲行きが怪しくなってきたぞ。
俺はますます苛立ってティナを睨みつけた。
「おい。まさかここにきて解除できねえとか言うんじゃねえだろうな」
そう言う俺にティナはバツが悪そうな顔で頷きやがった。
「い、今のところは解除不可……みたいです」
「……はぁぁぁぁぁっ? てめえ! クソつまんねえ冗談はやめろ! 何が約束を守りますだ? てめえだって破ってんだろうが!」
期待から落胆に突き落とされてブチ切れた俺に、ティナは涙目で反論してきやがる。
「ま、守るつもりなんです! でもどうしてだか分からないけど……」
「結果が伴わなきゃ守れたとは言わねえんだよ! チッ! おまえみたいな見習いの小娘に少しでも期待した俺が馬鹿だったぜ!」
俺が吐き捨てるようにそう言うと、ティナの奴は口を真一文字に結んで泣くのを堪えてやがる。
アホめ。
泣きたいのはこっちだぜ。
ティナの奴は目に滲む涙を手で拭うと俺を見上げて言った。
「……私は志を持ってこの地獄の谷にやってきました。その志に誓って、あの御方に誓って、あなたの首輪を解除すると約束します。すぐには無理ですが。だからあの……」
「フンッ。志だの、あの御方だのはどうでもいいから、結果で証明しやがれ。それがおまえの果たすべき義務だ」
俺の言葉にティナは俯いて唇を噛み締めたが、すぐに顔を上げた。
その目には意地とも取れる強い光が浮かんでる。
「バレットさん。もう少し私と行動を共にしていただけませんか。天国の丘へ通信して、あなたの首輪を解除できない原因と解除する方法を必ず突き止めますから。私に約束を果たすチャンスを下さい」
まったく悠長な話だ。
そもそも俺は天使どもも天国の丘も一切信用していない。
そんな奴らに解決を委ねるくらいなら、この地獄の谷の運営本部にこの 忌々しい状況を伝えて……いや、それもマズイな。
ここの運営本部のことだって俺は別段信じちゃいない。
あやしげな術を使う天使とややこしいことになっていると、あらぬ疑いをかけられて俺が処分されるかもしれねえ。
俺のような下級悪魔が何を訴えたところで運営本部の奴らは聞く耳持たねえだろうしな。
どうせ俺はNPCだからよ。
「……はぁ」
俺は怒りも呆れも通り越して力なくため息をついた。
まったくもって馬鹿馬鹿しいが、もう少しこいつを身近に置いておくしかねえようだ。
「いいかティナ。こんなみっともねえ首輪を巻いたまま、俺はそう何日も待っていられねえぞ。必ず明日中には首輪を解除しやがれ」
あきらめて俺がそう言うと、ティナは神妙な面持ちで頷き、手元から一枚の赤い布を取り出した。
「バレットさん。これを首に巻いて下さい」
「ああ? 何で俺がそんなもん……」
「これなら首輪を隠せますから。そのままでいるよりマシでしょう?」
「……チッ。面倒くせえな」
文句を言いながらも俺は、とりあえず首輪を隠すためにその布を首に巻いた。
これはこれで目立ってムカつくが、首輪よりはだいぶマシだろう。
そんな俺の様子を見てティナは少しホッとしたように口元を手で押さえた。
「似合ってますよ。バレットさん」
「うるせえ黙れ。ニヤつくな殺すぞ。さっさと首輪解除の目処を立てやがれ」
「はい。でもその前に……母なる光」
そう唱えたティナの奴が掲げる銀環杖から桃色の粒子が噴き出して俺の身に降り注ぐ。
「な、何しやがる……」
そう言った俺は、体が温かな桃色の粒子に包まれていくのを感じた。
それはティナの回復魔法だった。
洞窟の中で負傷した俺の傷が癒えていき、体力が回復する。
「せめてもの罪滅ぼし、とは言いませんが今の私に出来るのはこれくらいですから」
そう言うとティナの奴は自分のメイン・システムを使用して通信を開始した。
天国の丘に首輪の解除方法を確認するために。
期待は出来ねえが、今はこいつの打つ手が当たってくれることを祈るほかない。
まったく。
何でこんな小娘に振り回されなきゃならねえんだか。
上級種の一件と言い、今日は最悪の一日だぜ。
胸の内でそうぼやいたその時、俺はどこからか聞こえてくる人の話し声を聞き取った。
何人かの男たちが何やら喋りながらこちらに近付いてくる。
俺は即座に低く抑えた声を発してティナに警戒を促した。
「おい。誰か来るぞ。身を隠せ」
俺の声にティナはビクッとしたが、すぐに頷くと洞窟の入口前に広がる森の茂みの中へ身を隠した。
俺は声のする方向から男たちの位置を把握すると、近くで最も葉の多く生い茂っている木の上に素早く飛び上がる。
そして太い枝の上に陣取ると動きを止めて息を殺した。
固唾を飲んで見下ろす中、ほどなくしてその場に現れたのは2人の下級悪魔だった。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第一章 第8話 『探し人は』は
7月8日(月)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




