第23話 炎獄の火柱
俺の腕が人喰い虎の太い前脚をぶった切った。
虎の前脚とぶつかった衝撃はそれほどでもない。
鮮血が舞い散り、人喰い虎の右前脚は切断されて宙を舞う。
そして虎の嘆きが響き渡った。
『ゴゥゥアアアオオウッ!』
魔刃腕。
魔刃脚を腕でも出せれば使い勝手がいいんじゃないかというアイデアは以前から持っていた。
だが、訓練をしてみて分かったが、腕力はやはりどうしても脚力と比べると劣るので、体重を乗せて敵をぶった切るには魔刃脚の方が向いている。
そうした理由から今まで使わずにいたんだ。
だがそれでも訓練だけは行っていた。
アイデアとして持っているだけで実際に使えないのでは意味がないからな。
自分の引き出しの一つとして持っていた技が、この局面で使えるとは思わなかったぜ。
『グァァァァァォォォ!』
人喰い虎は耳をつんざくほどの悲鳴を上げる。
今まで実戦で一度として使わなかったために、ダニに変身して俺やティナの体に付着しながら監視していたグリフィンも当然この技は知らない。
だからこそ咄嗟の俺の行動に対処できなかったんだ。
そして人喰い虎はなまじ自身の体重と腕力があるため、俺の魔刃腕に自ら切り込む形で前脚を切断しちまったんだ。
今このタイミングで、なおかつ相手が剛腕を誇る人喰い虎だからこそ魔刃腕が活きた。
そして俺は間髪入れずにもう一撃を放つ。
「魔刃脚!」
今度は本家本元の魔刃脚を放ち、人喰い虎の左前脚を狙う。
右前脚を切断されて半ば半狂乱になっていた人喰い虎はこれを避けることが出来ず、鮮血をまき散らして左前脚すらも失うこととなった。
『ウグゥゥゥァァァッ!』
『くっ! 小癪な!』
左右の前脚を切り落とされた人喰い虎は立っていることが出来ずに腹を地面につけてうつ伏せに倒れた。
ここしかない!
俺は渾身の力を込めて右足を振り上げ、魔力を炎足環に込めた。
そして最高の速度と最適な角度で右足を振り下ろす。
「噴熱間欠泉!」
『ゴアアアッ!』
人喰い虎が胸の辺りをペタッとつけている地面から、桃色の火柱が立ち上がる。
それは人喰い虎を焼き、その背にうつ伏せで倒れているティナの体を大きく押し上げた。
『なにっ?』
グリフィンが驚愕の表情で瞠目する眼前で、ティナの体は桃炎に押されて人喰い虎の体から飛び出そうとしたんだ。
よしっ!
『させるかっ!』
だがグリフィンが咄嗟にティナの腕を掴んで、そうはさせじと引き留める。
くそっ!
だったらもう一発!
『人喰い虎! いつまで寝ている!』
グリフィンの声に応じて人喰い虎は翼を広げて飛び上がろうとする。
行かせるか!
「噴熱間欠泉!」
俺はもう一度、桃色の火柱を立てる。
しかしそれは上昇し始めた虎の腹にわずかに届かず消えてしまう。
くっ……この機を逃しちまえば、警戒したグリフィンの奴からティナを奪い返すことは出来なくなっちまう。
これが最後のチャンスなんだ!
俺の脳裏にティナに顔が浮かぶ。
血の混じった赤い涙を流したティナの顔が。
「くそったれがぁぁぁぁ! 行かせねえよ!」
【紅蓮開花】
俺はほとんど反射的に紅蓮燃焼を発動させた。
俺の体に猛烈な力が湧き上がり、この身から溢れ出す桃色の炎が俺の頭上数メートルの高さまでに燃え上がる。
それを見た時、俺の頭の中に明確なイメージが浮かんだ。
紅蓮燃焼の時だけ、俺は灼熱鴉の派生技を使えるようになった。
同じことが出来ないはずはねえ。
俺はこの状態でもう一度、炎足環に魔力を込める。
すると俺のコマンド・ウインドウに、ある技の名前が表示されたんだ。
それを見た俺は確信した。
やれる。
今ならまだ間に合う。
俺は頭上を見上げた。
すでにグリフィンは人喰い虎を操って上空10メートルほどまでも退避していた。
だが……。
「そこが安全地帯だと思ったら大間違いだぜ!」
そう叫ぶ俺の膝に装備した炎足環から猛烈な炎が噴き出した。
この身から供給される高熱の魔力が炎足環を煌々と赤く輝かせる。
俺は溢れ出る魔力の奔流に任せて思い切り足を踏み込んだ。
「炎獄間欠泉!」
その途端、俺の目の前の視界が全て桃色の炎に包まれた。
広範囲に渡って地上から噴き出した桃炎が高くまで燃え上がる。
まるで活火山が噴煙を立ち上らせているかのようだ。
『何だとっ?』
不意を突かれて戸惑いの声を上げるグリフィンを桃炎の火柱群が飲み込んでいく。
炎獄間欠泉。
紅蓮燃焼で強化されたその技の威力は目を見張るほどだった。
俺を中心に半径十数メートルの円の中に隙間なく火柱が立ち上がり大地を焼く。
それは上空数十メートルの高さまで噴き上がり、空をも焼いた。
そして……上空にはその火柱の上に突き上げられたグリフィンの姿が見えた。
その体は人喰い虎から離れて飛び出し、力なく宙を落下していく。
グリフィンと切り離された人喰い虎はもっとひどく、桃色の炎で全身を焼かれて焦がされたまま空中で悶え苦しんでいた。
ティナは……ティナはどこだ?
俺は目を凝らして周囲を見回す。
すると火柱群の一番端から零れ落ちるようにして小さな体が落下していくのが見えた。
俺は反射的に駆け出していた。
ティナだ!
グッタリしたままのティナは重力に従って下へ下へと落下していく。
俺は全力で地面を蹴り、体を前へ前へと進ませながら自分でも知らず知らずのうちに叫んでいた。
「うおおおおっ! ティナァァァァ!」
ティナが地面に激突する寸前、俺は地面の上を滑り込みながらその体を受け止めた。
小さく軽いが、確かにティナの体の重みを俺の腕は感じ取っていた。
「フゥゥゥ。手間取らせやがって。小娘が」
青白く生気のないティナの顔には乾いた血が張り付いている。
グリフィンの野郎にさんざん痛めつけられていたからな。
俺はレッグ・カバーとして使っていたティナから受け取った布を太ももから取り外すとそれでティナの汚れた顔を拭った。
ティナは相変わらず息をしていない。
それでも人喰い虎に取り込まれた後、こいつがその背の上でグリフィンに食ってかかったのは一体何だったんだ。
息を吹き替えしたんじゃなかったのか。
だが、現実にティナのライフはバグッたままで、その姿も本来のこいつからは程遠い堕天使のままだ。
そして白と黒の一対の翼のうち、黒の翼は俺の桃炎の力を受けてしまったせいで、焼け焦げて痛々しい。
俺はその傷ついた翼の根元にレッグ・カバーの布を軽く巻いた。
「とにかくこいつを連れて帰らねえと」
グリフィンと人喰い虎は俺の炎獄間欠泉で吹き飛ばされて今は数十メートル先の地面に倒れて動かなくなっていた。
だが、奴がこの程度でくたばるとは思えねえ。
トドメを刺さなきゃならん。
そう思って立ち上がった俺だが、その時ふと頭上に異様な圧迫感を覚えて上を見上げた。
「な……」
するとそこには見るも禍々しく巨大化した闇の宝玉が浮かび上がり、こちらを……見ていたんだ。
そう。
見ていた。
宝玉はまるでそれ自体に意思があるかのように、その球体のど真ん中に大きな一つ目を浮かび上がらせていやがった。
そしてその目がギョロリと動いて俺を見下ろしているんた。
『ふっ……くくく。もはや手遅れだ。バレット』
その声に俺が目を向けると、人喰い虎から切り離されたグリフィンがゆっくりと身を起こした。
あの野郎……やっぱり生きていやがったか。
「てめえ。何が手遅れだってんだ」
『分からぬか? 闇の宝玉は卵の状態から孵化してこの世に生まれ出たのだ。それがこの私を新たな世界に誘い、貴様らを破滅の淵へと陥れる使者となる』
この目玉の化け物が闇の宝玉の完成形ってことなのか?
こいつがこの場に現れただけで、空気までも澱んで重苦しく感じられる。
そんな俺とは対照的にグリフィンは恍惚とした表情を浮かべていた。
『まずは生誕を祝して生贄を捧げねばな』
そう言うとグリフィンはすぐ近くに倒れている人喰い虎の巨体を軽々と片手で持ち上げて放り投げた。
それは目玉の化け物に向かって飛んでいく。
すると目玉の化け物の目の下に大きな横一文字の裂け目が開き、その中から血のように真っ赤な長い舌が現れた。
「く、口だ……」
その舌は人喰い虎の体に巻き付くと、その巨体をいとも容易く巻き取って口の中に放り込んでしまう。
く、食いやがった。
『ギィィィィアアアアアアッ!』
人喰い虎の断末魔の悲鳴が響き渡る。
目玉を真っ赤に充血させてグチャグチャと虎を咀嚼するその様は、狂気に満ちていて薄ら寒さを覚えずにはいられない。
そんな様子を見てグリフィンの奴は薄笑いを浮かべていやがる。
「てめえ……狂ってるぜ」
『これはこれは。用済みの乗り物を処分しただけで随分とひどい言われようだ。だが、ケダモノの心配をしている場合ではないぞ。バレット。次は貴様の番なのだからな』
グリフィンの言葉に呼応するように、虎を食い終えた闇の宝玉はこちらに降下してくる。
その大きさはすでに直径100メートルはゆうに超えていて、降下速度も速い。
避け切れねえ!
「くっ!」
俺はまだ残っている紅蓮燃焼の力をフル稼働させて両手を上に上げた。
そんな俺の手の平に赤く充血した目玉をギラギラとさせた闇の宝玉がのしかかってくる。
その圧倒的な重圧が俺の腕、肩、腰、足を強烈に押し込んできた。
俺は歯を食いしばり両手で目玉の降下を受け止め、足を踏ん張ってそのケタはずれな重さに死に物狂いで耐える。
「ぐぅぅぅぅっ! な、何なんだこいつは!」
『案ずるな。あの虎のように食わせたりはせぬ。貴様のような異物を飲み込めば、宝玉が食あたりを起こしかねんからなぁ。このまま押し潰されて圧死。それが貴様の最後だ』
ま、まずい。
いつまでも耐え切れねえ。
今は紅蓮燃焼による能力ブーストで何とか持ちこたえているが、このままだと時間の問題だ。
紅蓮燃焼が時間切れ終了となった時点で、俺は耐え切れなくなってスクラップのように押し潰されちまう。
俺のすぐ脇ではティナが地面に横たわったまま動かない。
このままじゃこいつも俺もろともこのクソ目玉の餌食だ。
『ハッハッハ。いいぞバレット。貴様お得意の意地とやらで最後まで耐え抜いてみせろ。そしてそのまま私の旅立ちを見送れ。見ろ。門が開くぞ』
そう言うグリフィンの指差す先、闇の宝玉の目玉の横にグルグルと回る小さな渦が発生し始めた。
な、何だありゃ?
『私が巻き起こした一連のこの騒動と闇の宝玉のせいで、今このゲーム世界には相当な負荷がかけられている。ああしてプログラムに致命的な穴が開くくらいにな。あの渦の流れに乗れば私は自由の身となってこのゲーム世界から抜け出すことが叶うのだ』
そう言うとグリフィンはもはや待ち切れないといった様子で宙に舞い上がり、渦の前に陣取った。
そして拳ほどの大きさの黒い渦に手を差し込む。
『私がここに入れるほどの大きさにこの渦が成長した時が幕切れの刻限だ。それを見送ってから宝玉に潰されるか、見送る前に宝玉に潰されるか。貴様に残された選択肢はその2つだぞ。バレット』
く、くそったれ。
逃がしてたまるか。
あのクソ野郎に勝ち逃げなんてさせて……うっ。
「くうっ!」
さっきグリフィンの魔塵旋風でえぐられた左肩に力が入らなくなってきた。
くっ……まずい。
俺は耐え切れずに左膝を地面についてしまう。
途端に宝玉の重みが嵩にかかって俺の全身にのしかかってくる。
とうとう崖っぷちに追い込まれたという冷たい事実が、俺の心身を容赦なく打ちのめそうとしていた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第24話 『天網恢恢』は
12月26日(木)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




