第20話 バレット大噴火!
【HARMONY】
【パスワードを認証いたしました。コード管理者:ティナ・ミュールフェルト。天魔融合プログラムのインストールを開始いたします】
天魔融合?
その表示を理解する間もなく、俺が自分の胸に押し付けていたティナの手首が……俺の胸の傷口に吸い込まれていったんだ。
途端に冷え切っていた俺の体が熱を持ち始めた。
火の消えた暖炉に残っていた熾火に再び火が付いたように、俺の体は熱くなる。
その熱が体の隅々まで行き渡るのに、1分とかからなかった。
俺は拳や両足に再び力が戻って来るのを感じていた。
そして左太ももの傷は血の赤から桃色に変化して、完全に治癒していく。
熱量に包まれて生きる力が戻ってきた俺の視界にコマンドが表示された。
【天魔融合プログラムのインストールが完了しました。正常化開始。正常化完了】
ティナの正常化の力が俺の体中を満たしていき、バグで鈍くなっていた五感が元の感覚を取り戻していく。
そして文字化けしていたライフ・ゲージを初めとする各種ステータスが元の表示に修正された。
指を動かすだけで、ティナの力が血流となって体の中を駆け巡っているのが感じられる。
まだ戦える。
こんな場所に落とされても、俺はまだ戦えるぞ。
もう一度この体に火を入れるんだ。
俺は魔力を最大限まで高めていき、体中から炎を噴き出した。
すると俺の炎の色は見慣れた濃い赤色ではなく、色鮮やかな桃色に近いそれに変化していた。
「桃色の炎……」
俺にはイマイチ似合わねえが、ティナの力が俺の体に浸透している証拠だ。
だが、まだまだこんなもんじゃねえ。
俺はさらに魔力を高めていき、炎はすでに俺の背丈の2倍ほどの大きさまで膨れ上がっている。
その時だった。
俺の首元でパキッと音を立てたのは、ティナの奴が俺にハメた忌々しい首輪だ。
桃炎を浴びたその首輪には次々と亀裂が入っていく。
もうすっかり慣れてしまっていた首への圧迫感が弱まっていき、ついに首輪は粉々に砕け散った。
「は、外れた……」
ようやく解放された俺の目の前には、ティナが首輪を隠すために巻いた赤い布が俺の首から離れて漂っていた。
フーシェ島で最後に夕食をとった時のティナの言葉が俺の脳裏に甦る。
― 似合ってましたよ。赤いの ―
チッ。
俺は舌打ちを響かせると、度重なる戦いで随分とボロボロになったそれを掴み取り、あらためて首に巻き直す。
それから俺は自分のステータスを確かめた。
首輪のせいで半減していた腕力と攻撃力が元の数値に戻っている。
といっても下級種としての上限値でカンストしているのは何も変わってねえんだが……。
俺は思わずニヤリと笑った。
「これが俺だな。らしくなってきたぜ」
もうステータスだけに頼って力を振るう俺じゃねえ。
持っているものを全て活用して戦うだけだ。
そう思って俺は顔を上げる。
体から迸る桃炎の明るさが闇の中を照らし出しているが、さて……どうやってここから抜け出したものか。
そう考えて俺は周囲を見回す。
闇の宝玉の中は黒一面で覆われていて、上下左右の感覚がうまく掴めない。
自分の体を見ずに顔を上げて上を見ていると、自分が闇の中に溶け込んでしまったかのような錯覚を覚える。
そんな俺の背後からふいに声をかけられた。
『そんなもんは今のおまえなら簡単だろ』
そう言ったのは、さっきここに吸い込まれたばかりのゾーランの声だった。
驚いて振り返る俺だが、そこには誰の姿もない。
何だ?
俺は思わず声を上げていた。
「ゾーラン! おまえ生きてんのか!」
『さあな。けど俺が何の備えもなく、ただこんなところに放り込まれたと思うか?』
声はすれども姿は見えず、それでもゾーランは以前と変わらぬ快活な口調でそう言った。
それで俺はハッとした。
闇の宝玉に食われる際、全てあきらめたかのように神妙にしていたゾーランの姿には違和感しか感じなかった。
「おまえ……わざとこの宝玉に取り込まれやがったのか」
『これも仕事のうちでな。まあこの現場に駆けつけるまで宝玉のことは知らされていなかったんだが、俺がこうなることはあらかじめ分かっていた』
ゾーランの話の細部まではとんと分からなかったが、依頼主のことや仕事の詳しい内容を尋ねてもゾーランは決して口にしないだろう。
こいつはそういう奴だ。
「この野郎……何が帰りがけの寄り道だ。タヌキが。最初からそのつもりだったんだろうが。で、てめえはここから抜け出せるのか? 俺が挑戦するまで勝手に死ぬんじゃねえぞ」
『心配無用なんだよ小僧。生意気な口ききやがって。だが、少し変わったな。バレット』
「……なに?」
『いや、別に。ま、一つ言えることは、あの世行きの切符は高額すぎて、まだまだおまえ程度じゃ買えないってことだ。もっとこの世で腕を磨け』
穏やかな声でそう言うとゾーランは話を続けた。
『この場所は全ての物質と意思を溶かしちまう。だが、俺は依頼主からあらかじめ受け取っているアイテムのおかげで、意思だけは失わずに済んだ。しかしおまえは違う。意思どころか肉体すらも溶けずに残っている』
ゾーランの言う通りだった。
ここに入ったばかりの時は靴や胴着が溶け始めていたのに、今は全くどこも溶けていない。
間違いなくこの桃色の炎のおかげだ。
『おまえみたいな奴はこの宝玉にとっちゃ異物だ。異物は吐き出される。自慢の炎を一発食らわせてやれ。すぐに宝玉はおまえを吐き出すぜ』
そう言うゾーランの言葉通り、俺はここを出る準備に入る。
いつまでもこんな場所にいてたまるか。
話を聞く限りじゃゾーランの体は溶かされちまったんだろう。
だが、あいつのことだ。
必ず復活してくるに決まっている。
俺は低い姿勢で構えながら、炎の灯った両手の拳を握り締める。
これなら間違いなくコマンド入力できそうだ。
俺はどこへともなく視線を向けてゾーランに声をかけた。
「ゾーラン……必ず戻ってこい。俺との勝負、勝ち逃げなんて許さねえぞ」
『おまえごときに心配されるほどヤワじゃねえんだよ。さっさと行っちまえ』
その言葉を確かに聞くと俺は前方に広がる虚空にむけて渾身の一撃を放った。
「灼熱鴉!」
桃色の炎の鴉が闇を照らしたかと思うと激しく燃え上がり、次の瞬間、まるで動物の断末魔の悲鳴のようなけたたましい声が鳴り響く。
そして腹を裂くように前方の黒塗りの空間が割れていった。
その向こう側には憎き仇敵の姿が見える。
人喰い虎の背に乗り、前にティナの体を捕らえたグリフィンがそこに浮かんでいる。
それを見た俺は脊髄反射的に飛び上がっていた。
そして闇の裂け目から宝玉の外へと一気に飛び出した。
「グリフィィィィィン!」
向かってくる俺の声と姿に、グリフィンの奴は驚愕と嫌悪の入り混じった表情を浮かべた。
そんなグリフィンの前では、痛めつけられて鮮血にその顔を染めてグッタリしているティナの姿がある。
どうやら俺が闇の宝玉の中に閉じ込められていたのは、ほんのわずかな時間だったようだ。
『貴様まだ……くっ。どうやら私の思惑を邪魔する奴らが暗躍しているようだな』
そう言うとグリフィンは再びその手から暗幕の帯を放って俺を捕らえようとする。
世界を削り取る暗幕帯はゾーランを閉じ込めた時と同様に、俺の周囲をさながら檻のように囲う。
だが、俺の目に映る暗幕帯は先ほどまでとは決定的に違っていた。
漆黒の帯に映るのは俺の桃炎の鮮やかな明るさだ。
今、あの帯は俺にとっては【こちら側の存在】だと感じ取ることが出来る。
「邪魔だっ!」
本能のままに俺は魔刃脚で帯を斬り払った。
燃える刃と化した俺の脛に両断された暗幕帯は燃え尽きて灰と消えていく。
不正プログラムの産物である暗幕帯をああして消しちまえるってことは、俺のこの体にティナの修復術の力が宿ってるってことの何よりの証拠だった。
俺の体に……不正プログラムへ対抗し得るティナの力が……。
『おのれっ! またもや私の邪魔をしようというのか!』
この俺の身に起きた変化を感じ取ったグリフィンは、怒りに任せて魔塵旋風を放つが、俺は自信を持ってそれを迎撃する。
「灼熱鴉!」
グリフィンの放った光の渦と、俺の桃炎の鴉が正面衝突して激しく炎が巻き上がる。
そして両者ともに消え去った。
その様子にグリフィンは目を見開きながら唸り声を漏らす。
『ぬぅぅぅっ……こざかしい下郎めが』
俺とグリフィンは十数メートルの距離を挟んで幾度目かの対峙を果たす。
そんな俺たちを囲むのは破壊されて変わり果てた世界だった。
グリフィンによって変質させられた光景はそのままだ。
黒一色の空、海も陸もない灰色の真っ平らな地面が延々と続く無機質な景色。
この辺り一帯だけがこうなっているのか、それともこのゲーム世界全体がこうなってしまったのかは分からない。
だが、辺りに動くものは何もなく生きる者の気配は感じられない。
そして平坦な世界の中で、唯一の建造物の名残は塔だけだ。
そうは言っても先ほどまで俺が磔にされていたその塔は、すでに塔というより灰色の棒状岩石のような有り様だ。
塔の内部に入ることはもう叶わないだろう。
だが、その灰色の外壁には、まだ例の鏡が貼り付いたまま残されている。
『腹立たしいぞバレット。貴様が闇の宝玉を破壊したせいで、また一から作り直しだ。すでにほとんど刈り尽くしてしまったこの世界で、再び多くの栄養分が必要になる』
グリフィンの言葉の通り、俺が打ち破った闇の宝玉は、熟れ過ぎて腐った果実のように内側からはじけて地面の上に横たわっていた。
あれだけ感じられていた禍々しい気配は消え去り、すでに宝玉が活動を停止していることがありありと窺える。
俺の桃炎を通してティナの正常化の力が内側から作用したためだろう。
グリフィンは再び両手を頭上にかざして新たな闇の宝玉を作り出す。
拳大のそれは再び回転を始めた。
性懲りもなく同じことを始めやがって。
そしてそれを合図にしたかのように塔の鏡から続々と魔物どもが溢れ出してくる。
宝玉の栄養分にするために、またバグまみれの化け物どもを召喚したってわけか。
グリフィンは忌々しげに俺を睨みつけて言った。
『だが、その前に貴様をこいつらの栄養分にしてやる。魔物ども。あの身の程知らずの悪魔を八つ裂きにしてやれ!』
そう言うグリフィンの合図で魔物どもが一斉に俺に襲いかかってきた。
俺は静かに灰色の床に立ったまま、グリフィンの姿を見上げる。
今、グリフィンの前でティナは力なくうなだれていた。
あいつをグリフィンの体から引っぺがすには、どうすればいいのか。
俺にはまるで方法が分からん。
とにかくグリフィンと人喰い虎を動けなくなるまで叩きのめす。
それしかない。
俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
そんな俺の目の前に牙亀の編隊が突っ込んでくる。
奴らのバグで揺らぐ体と文字化けしたライフ・ゲージは相変わらずだが、今の俺にとっちゃそんなことは問題じゃねえ。
「オラァァァァッ!」
俺は気合いの声とともに牙亀どもを次々と叩き落とす。
俺の拳や蹴りは硬い甲羅をものともせず、一撃で牙亀どもを粉砕していく。
そして俺の攻撃を浴びた連中は、一瞬でバグの揺らぎが消え、ライフ・ゲージも正常化された上でゼロとなる。
光の粒子となって消えていく様は、本来のゲームオーバーの姿そのものだった。
牙亀どもを打ち倒す俺の後方からは、大ダコがその長い脚を鋭く伸ばしてくる。
俺が振り返りざま魔刃脚でそれを切断すると、海が消え去った後のその場所で大ダコは奇妙に空中を浮遊しやがった。
まるで海中を泳いでいやがるかのように軽やかに空中を遊泳しながら、大ダコは俺の体を絡め取ろうと別の脚を伸ばしてくる。
「フンッ。生きる場所を見失って、補食本能だけで動く。そりゃもう生ける屍だぜ」
大ダコが伸ばしてきた脚を、俺はあえて自分の左腕に絡み付かせた。
途端に強烈な大ダコの力に引っ張られるが、俺は腰を低く落としてこれに耐える。
体の芯が地面に突き刺さってしっかりと根を張っているようなイメージを頭の中に強く描いた。
明瞭とした意識が力となってこの体を支え、大ダコは自分よりも遥かに小さい俺を引き寄せることが出来ない。
逆に俺は左腕に絡み付いた大ダコの脚を右手で抱え、魔力で体を高熱化する。
途端に大ダコの脚から白い湯気が立ち上り始めた。
だが、バグで狂った大ダコは以前のように、熱さに苦しみ悶えることもない。
もうそんな感覚すらないんだろうよ。
「だったらそのまま焼きダコになって燃え尽きろ!」
俺は一気に魔力を高めて体から桃炎を発し、長い脚を伝ってその本体に達した桃色の炎は大ダコを焼き尽くした。
桃色の炎に包まれた大ダコはすぐに動かなくなり、光の粒子となって消えていく。
そんな俺の背後からさらに巨大翼竜が迫って来るが、俺はさっきのゾーランの動きをヒントに一瞬で翼竜の背後に回り込んだ。
これは海棲人の水流の動きに近い身のこなしだ。
「魔刃脚!」
俺は鋭い回し蹴りで後ろから巨大翼竜の首を刈り取ると、その背中に正拳突きを食らわせて叩き落とす。
大ダコに続いて巨大翼竜も光の粒子となって消えていった。
その調子で俺は群がってくる魔物どもを次々とゲームオーバーに追い込んでいく。
体が燃えるように熱く、心も炎のように踊る。
そんな俺の様子を見下ろすグリフィンの顔は怒りに歪んでいた。
俺は魔物どもの隙を突いて、離れた場所にいるグリフィンに灼熱鴉を撃ち込んでやる。
するとグリフィンは光の槍を掲げて灼熱鴉を鬼の形相で一刀両断した。
俺はそんなグリフィンに拳を向けて闘争心を露わにし、牙を剥く。
「そこで待ってろグリフィン! すぐにてめえも燃やし尽くしてやる!」
そう吠えると、俺は体の奥底から魔力を大噴火させ、周囲の魔物どもを次々と葬り去っていった。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第21話 『毒抜きの火柱』は
12月16日(月)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




