第11話 海上決戦
撤退。
海棲人の首領は俺にそう告げた。
事実、辺りは不正プログラムに侵された魔物どもの尋常ではない猛攻が続いていて、海棲人の兵隊どもは撤退を余儀なくされている。
バグで狂った奴らとまともに戦っても勝機はないという判断だろう。
だが、俺はまだここに用事がある。
「俺のことは放っておけ。てめえらだけで勝手に逃げろ」
「バレット。あの奇妙なバグに対処する方法があるのか?」
首領の問いに俺は黙り込む。
そんなもんは今の俺にはねえ。
だが今ここから離れるのはまずい。
俺の直感がそう告げていた。
「俺はここを……」
俺がそう言いかけたその時だった。
いきなり足元が揺れたかと思うと、足場にしていた巨大クジラの死骸が再び動き出しやがったんだ。
そしてライフが尽きて死んでいたはずの巨大クジラは雄叫びを上げていきなり跳ね上がった。
「うおっ!」
その勢いで跳ね上げられた俺は同様に空中に舞ったティナの体を咄嗟にキャッチした。
巨大クジラは今もライフゼロのままでありながら、狂ったように水面から幾度も跳ね上がる。
その巨体が生み出す飛沫が豪雨のように俺たちの体に叩きつけられた。
俺は暴れ狂うクジラの巻き添えを食わないよう、ティナを抱えたまま上空に飛び上がる。
すると周囲から、本来は水棲生物のくせにトチ狂って空を飛ぶようになった牙亀が群がってきた。
「邪魔くせえっ!」
俺は亀どもの羽を手刀や魔刃脚で切り裂いて叩き落とすが、不正プログラムの影響で奴らの羽はいくら切り落としてもまた再生する。
キリがねえ。
俺はそれ以上、牙亀どもを相手にせずに、振り切ってさらに上空に逃れようとしたが、即座に動きを止めた。
「……くっ!」
眼下で何かが光ったと感じたその瞬間に、背すじを凍らせるような戦慄を覚えたからだ。
その一瞬後、俺の頭のすぐ上を猛烈な光の渦が通り過ぎていった。
それは俺の全身を軽く包み込んでしまえるほど広範囲の光の渦だった。
「何なんだ一体!」
首をすくめた俺が見たのは、俺の頭上を飛んでいた牙亀どもが、その光の渦に巻き込まれた途端に溶けて消えてしまう光景だった。
その光の渦は次々と地上から放たれて、俺の半径十数メートルのところにいる、あらゆる魔物どもを消し去っていく。
小さな牙亀はもちろんのこと、巨大な翼竜どもさえも光の渦を次々と浴びて、まるで氷菓子を火にくべたかのようにあっさりと溶解した。
「何て威力だ……」
光線なんて生易しいもんじゃねえ。
まるで光の大砲だ。
俺はその場から動けずに地上を見下ろす。
光の渦が放たれたのは、数百メートルほど先にあるフーシェ島からだった。
目を凝らしてみると、その砂浜には人喰い虎とその背中から上半身を生やしている謎の人物がいる。
あいつが狙撃手か。
人喰い虎は大きな翼をはためかせて上空へ浮かび上がり、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「逃げろ! バレット!」
眼下の海面では海棲人の首領がそう叫ぶが、俺はその場から動けなかった。
少しでも動けば狙い撃ちにされるという殺気を肌で感じていたからだ。
そうするうちに100メートルほどの距離を挟んで空中で静止した人虎一体の魔物を見て俺は眉を潜めた。
マーカスの体を飲み込んだ人喰い虎の背中から生えていたその人物の人相を、この距離になって俺は初めて認識した。
虎と一体化しているためか、その顔や上半身は黄金の毛並みに包まれている。
そのせいで分かりにくかったが、そいつは確かに先ほど真っ白な世界で俺の前に姿を現したグリフィン本人だった。
「グリフィン……」
奴は陰気なその表情をこちらに向けている。
さっき巨大クジラが騒ぎやがったせいで、グリフィンはこちらを認識したんだ。
グリフィンは俺をじっと見つめたまま動かずにいるが、俺は肌に突き刺さるような奴の殺気をビリビリと感じていた。
さっきの距離で放たれた光の渦の速度を考えると、あれはマーカスの体で水鏡の盾を使って放つ光線よりも数段速く、射程も長い。
言うまでもなく威力も段違いだ。
奴がどのようにしてあの光の渦を放ったのかは分からないが、これ以上の接近を許せば、それを避けられる保証はねえ。
俺は全身の神経を張り詰めて敵の射撃に備えたが、奴は攻撃を仕掛けることなくじっとこちらを見つめている。
何を考えていやがる?
俺がそう訝しんでいると、ふいに人喰い虎が大きく吠えた。
絶えず耳に響く潮騒と海風の中でもハッキリと聞こえるその咆哮が響き渡った途端、俺の周囲で異変が起きた。
眼下で暴れ回っていた巨大クジラが急におとなしくなり、俺の真下でグルグルと弧を描くように泳ぎ始めた。
そして俺の頭上では好き勝手に飛び回っていた巨大翼竜や牙亀どもが同じようにグルグルと旋回している。
それも編隊を組んで。
何だ?
急に魔物どもの様子が変わった。
それまで無法地帯と化していたこの海域の魔物どもが、急に統制の取れた動きをし始めたんだ。
奴らは俺に襲いかかろうとはせず、俺の周囲を包囲するように秩序立った行動を見せている。
そうか……グリフィンの野郎がバケモノどもの指揮を握っていやがるんだ。
その確信が俺の神経を刺激する。
今、グリフィンが命じればここにいる全ての魔物どもが一斉に俺に襲いかかってくるだろう。
その緊迫感に俺は大きく息を吸って腹に力を込めた。
気を張り続けろ。
一瞬でも気を抜けば、グリフィンは容赦なく俺を殺す。
『炎獄鬼バレット。こちらの世界で会うのは初めてだな』
まだグリフィンとの距離は100メートルはあるってのに、まるで耳元で囁かれているかのように奴の声が妙にハッキリと聞こえる。
気付けば波の音も風の音も聞こえなくなっていた。
そう。
絶えず吹き続けていた風がやみ、海はまるで湖の湖面のように静かになっている。
不自然な現象だった。
明らかに不正プログラムの影響がこの地域一帯に色濃く出始めている。
「グリフィン。その道化姿は何だ? 虎とサーカスでもやろうってのか」
『これはマーカスの体を失った時に発動できるよう仕込んでおいた体だ。万が一の場合に備えてのことだったが、貴様と戦ううちにマーカスの体のままでは万が一に備えられないと気付いた。貴様の奇妙な進化とそれを促す周囲のバックアップは侮るべきではない。そう思ったのだよ』
そういうことかよ。
さっきの塔での戦いでグリフィンは妙に無抵抗になって俺にいいように殴られていた。
それはマーカスの体のライフがゼロになっても、用意していた今の体に乗り移ることが出来るからだ。
全ては奴の手の上ってことか。
ムカつくぜ。
こっちは相当苦労してやっとのことで倒したってのに、それがグリフィンの思惑通りだったってんだからな。
くそったれが。
だが、俺はまだいくらでも戦える。
そしてブチのめすべき相手は目に見えるところにいる。
問題はティナをどうするか、だ。
こいつを抱えたままでは戦えない。
ロープか何かで俺の背中にでも結びつけるか。
そんなことを考えていた俺の耳に、甲高い鳥の鳴き声が響いた。
「ケェェェェェェェッ!」
頭上を見上げるとそこには見覚えのある一羽の鳥が飛んでいる。
その鳥は人影をぶら下げて俺の頭上を旋回していた。
それは海棲人の首領の肩を掴んで宙を舞う大脚鳥だった。
大脚鳥は鋭く旋回しながら俺の背後で静止した。
「バレット。俺が時間を稼ぐ。その天使を連れて逃げろ。おまえならば、この包囲網も突破できる」
大脚鳥の力を借りて宙を舞いながら海棲人の首領はそう言った。
だが俺はグリフィンから目を離すことなく、首領の話を一蹴する。
「馬鹿を言え。俺がこの場所を去るのは勝利を収めたその後だ」
「奴と戦うつもりか? あの男は災いの化身。勝ち目はない」
「勝ち目があるとかねえとか、そういう問題じゃねえんだよ。俺がこの拳を振るうかどうかは俺が決める」
決然とそう言う俺に首領は苦悩して唸るように言った。
「……玉砕覚悟か」
「ハッ! 生憎とそんな殉教者みたいな精神は持ち合わせてねえんだ。俺は自分の勝利しか見てねえ」
そう言う俺の言葉に呆れたのか、首領は俺の隣に並ぶように静止すると、落ち着いた声で言う。
「その天使を預かる。そのままでは戦えない」
そこで俺は初めてグリフィンから目を離して首領の目をじっと見た。
俺は他人を一切信用しねえ。
昨日今日知り合ったばかりのこの海棲人だろうと、旧知の女悪魔リジーだろうとな。
だが、覚悟を決めなきゃならん時にまごついているのは最低の悪手だ。
俺は即座に決断した。
「こいつをおまえに預ける。どこかに逃がせりゃ上等だが、無理なら俺がグリフィンをブチのめしてこの場を収めるまで、そいつの身柄を敵に渡すな」
そう言うと俺はティナを海棲人の首領に預けた。
首領はティナを抱えると後方に下がっていく。
「この天使の娘も我が一族の恩人。誇りにかけて守る」
その言葉を背中に受けながら俺は体に魔力をみなぎらせてグリフィンと向き合った。
奴はティナの行方を目で追っている。
俺はそんなグリフィンを牽制して言った。
「がっつくんじゃねえよグリフィン。ティナは一時的にアイツに預けただけだ。てめえはどうせこの包囲網から突破させる気はねえんだろう? だったら俺を倒して堂々と奪えばいい」
『……実力の伴わぬ弱者の放言ほど愚かしいものはないな。バレット。まさか今の私と貴様とでまともな勝負になるなどと思っておるまいな?』
「さあ。どうかな。勝利の女神の思わぬ采配にてめえの足元がすくわれるかもしれねえぞ」
『そんな減らず口もすぐに叩けなくなる。空威張りの虚しさを知れ』
グリフィンは2本の槍を手にゆっくりと時計回りに俺の右側へ回り込んでくる。
俺も同様に時計回りで奴の左側へと回り、間合いを取る。
「もうここらで決着にしようぜ。てめえがヘシ折れるか、俺がくたばるか。結末はそれしかねえ」
『貴様の進む先には破滅しかない。それでも進むというのであれば墓標に刻んでやろう。これが愚か者の末路だとな。魔塵旋風』
そう言う奴の体の前面が揺らいだかと思うと、そこから例の光の渦が放射された。
俺は即座に体を反転させてギリギリのところでそれを避ける。
だが……。
「ぐうっ!」
避けたはずの光の渦が羽を掠め、俺のライフがわずかに減る。
魔塵旋風とかいう、あの光の渦は思いのほか攻撃判定の範囲が広い。
こいつは厄介だ。
しっかり距離をとって避けないと、ライフが削られていく一方だ。
だが、奴の放射方法が分かった。
体の前に現れる空気の揺らぎが合図だ。
ノー・モーションで撃たれるため、水鏡の盾を掲げて放射していた光線よりは避けにくいが、それでも対処のしようはある。
「灼熱鴉!」
隙を見て俺は灼熱鴉を放つが、それはグリフィンの体の前で空気の揺らぎに吸い込まれて消えていく。
奴の体はその揺らぎによって守られている。
不正プログラムの壁だ。
それでも俺は懲りずに灼熱鴉を放ち続けた。
そうするうちに先ほどと同様に俺のバーンナップ・ゲージが徐々にエネルギーを蓄積していく。
これが満タンになれば俺は再び紅蓮燃焼を発動できる。
そして力が増した状態で試してみたいことがある。
次々と頭の中に浮かぶ戦闘のアイデアを実現すべく、俺はグリフィンの放つ光の渦を避けながら戦い続けた。
『塵も残さず消滅しろ。バレット』
「そうそうてめえの思うがままにはなってやらねえよ」
グリフィンの魔塵旋風を避けられるギリギリの距離を保とうとする俺に対して、奴はフェイントを織り交ぜて俺との距離を急激に詰めてこようとする。
戦局は互いに飛び道具を駆使した空中での中長距離戦になってきた。
本来はショット&ゴーを基本戦法とする俺にとって、こういう戦いは不向きだったが、近距離であの光の渦を避ける方法が見当たらない。
それが見つけられない限り、これ以上、迂闊に踏み込むことは出来ないんだ。
であるならば、あくまでもこの飛び道具合戦に活路を見出すしかない。
「オラオラオラオラァ!」
俺は連続で灼熱鴉を放ちながら、グリフィンに対して効果的な一撃を撃ち込む隙を窺った。
グリフィンの奴も絶え間なく魔塵旋風を放ち続ける。
周囲を不正プログラムに感染した魔者たちに包囲された海上で繰り広げられる激しい撃ち合いは、佳境を迎えようとしていた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第12話 『弾幕空中戦!』は
11月14日(木)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




