第8話 バーンナップ・ゲージ
【Burn up gauge】
俺のライフゲージの下に唐突に表示されたその新たなゲージにはそう記されていた。
バーンナップ・ゲージ?
何だこりゃ?
それにさっきの魔力の爆発は……ん?
そこで俺は自分の右腕に猛烈な熱を感じた。
目をやると右腕に溶け込むように貼り付いた腕章が赤く輝きを放っている。
それはかつて天使長イザベラが魔王になる前の悪魔ドレイクに贈ったものだった。
ティナの奴が俺に似合うからと強引に俺の腕に巻きやがったんだ。
これを装備したことで俺の全ステータスがアップしたから、俺もそれで良しとしていたが、今起きているこの異変は一体どういうことだ?
もしかしたらこのバーンナップ・ゲージとかいう表示と関係があるのか?
ゲージはライフゲージとは異なり空の状態だが、その枠が今のこの腕章と同じく紅蓮の輝きを放っている。
これは……俺の炎の色と同じだ。
「妙な技を。本当に不可解な男だ」
冷たく苛立ったグリフィンの声が響く。
俺はハッとしてすぐに立ち上がった。
俺の前方には、さっきの爆発の影響で床に落としてしまった長槍と俺が蹴り飛ばした水鏡の盾を拾い上げるグリフィンの姿がある。
奴に隙を見せねえよう、俺も即座に戦闘態勢を取った。
それにしても腕章がこの身に起こしている変化のせいか、体がやけに熱い。
だがそれは決して嫌な熱さではなく、むしろ気分を高揚させるような熱さだった。
その熱が切り裂かれた脇腹の痛みを消してくれる。
俺は奮い立つ戦意のままに拳を握りしめてグリフィンと対峙した。
「いくぞオラッ!」
先ほどまでと変わらずに水流の動きでグリフィンを撹乱するように動き回りながら、俺は攻撃を仕掛けていく。
水浸しだった床は徐々に乾き始めていたが、すでに水流の動きのコツを掴んでいる俺は変わらぬ速度で動き続けた。
灼熱鴉や噴熱間欠泉でグリフィンを牽制しつつ、奴の繰り出してくる長槍を懸命に避ける。
そうした攻防を繰り返しているうちに、ある現象が起きていることに俺は気が付いた。
ライフゲージの下に新たに表示されているバーンナップ・ゲージに少しずつエネルギーが充填され始めたんだ。
それは俺が攻撃を繰り出したり、相手の攻撃を避けたりする度に少しずつ貯まっていき、やがて満タンの半分ほどまで蓄積されていった。
グリフィンの奴はそのことに何の反応も見せないから、おそらくこれはライフゲージと違って俺にしか見えないんだろう。
このゲージが満タンになると一体どうなるんだ?
内心でそうした疑問を持ちながらも、俺の気分は次第に昂ぶっていく。
まだ見ぬ自分の変化がどのような作用をこの身にもたらすのか、それを心待ちにしているような気分だ。
そんな俺とは対照的にグリフィンは面白くなさそうな顔で俺を睨む。
「貴様……まだ何か力を隠し持っているのか。なぜだ? 単なる一NPCに過ぎぬ貴様が。それも下級悪魔の分際で」
グリフィンは腑に落ちないといった様子でふいに立ち止まると、長槍を構えようともせずに呆然と立ち尽くした。
俺自身も分からねえが、これがドレイクの腕章に隠された力なのかもしれない。
腕章なんて気取っていて俺に似合う代物じゃないと思っていたが、奴を倒すための力になってくれるなら何でもいい。
「ゴチャゴチャ言ってる暇はねえぞコラッ!」
俺は奴に回復の時間を与えないために、すぐに襲いかかった。
だが、グリフィンは呆然とこちらを見据えたまま、槍も盾も構えようとしない。
俺は構わずに奴の横っ面を先ほど同様にぶん殴ってやった。
俺の拳をまともに受けたグリフィンが真横に吹き飛ぶ。
何だ?
グリフィンの野郎、不正プログラムも使わずにあまりにも無抵抗だ。
奴のおかしな様子に戸惑う俺だが、考えている暇はねえ。
一気に決めるぜ。
俺は得意の連続技でグリフィンを攻めまくった。
次々と拳や蹴りが決まり、グリフィンのライフが見る見るうちに減っていく。
それとは対照的に俺のバーンナップ・ゲージが満タンに向かってどんどん蓄積されていく。
俺は噴き出すアドレナリンの勢いに任せて手を緩めずに攻め続けた。
そしてグリフィンのライフがいよいよ危険領域まで減少すると、俺は全ての魔力を右手に込めた。
俺の右拳に必殺の炎が宿る。
俺は全身全霊を込めた拳を下から思い切り振り上げた。
「火だるまになっちまいな! 噴殺炎獄拳!」
燃え盛る拳がグリフィンの胸に食い込んだ……かのように見えたその時、にわかには信じ難いことがグリフィンの身に起きたんだ。
「なっ……」
奴の胸をえぐるはずだった拳は、グリフィンの手で受け止められていた。
それは長槍を持つ左手でも水鏡の盾を持つ右手でもない。
グリフィンの胸の中から唐突に生えてきた第3の手によって。
胸から手が生える?
そういうスキルなのか?
そう思った俺だが、すぐにその考えを改めることとなった。
その第3の手が不正プログラム特有のバグで揺らいでいたからだ。
またしても不正プログラムの力か。
やはりそういうことかよ。
さらに奇怪な現象はそれだけにとどまらなかった。
グリフィンの胸のみならず、腹、肩、太もも、さらには額からも次々と手が生えてきて俺の体のあちこちを掴みやがったんだ。
体中から何本も手を生やしたそれは異様な姿だった。
「気色悪いんだよ。てめえ……いよいよ化け物じみてきやがったな」
そう毒づくと俺はそれらの手から逃れようともがく。
だがその力は強く、さらにそれらの手の平は吸盤のように俺の体に密着して、力で外そうにも外れない。
まるであの海中で戦った大ダコの吸盤のようだ。
「放しやがれ! このタコ!」
「バレット。無力なくせに時折見せるおまえのその奇妙な抵抗力は何なんだ? おまえの力の源は何だ? これか?」
そう言うグリフィンの体から無数に生えている手のうちの一つが、俺の腕に貼り付いた腕章を掴もうとする。
だが、赤く燃えるような輝きを放つ腕章に触れた途端、グリフィンの手は炎に包まれてビクッと引っ込められた。
そしてその手は見る見るうちに黒く炭化してボロボロと崩れ去っていく。
それを見たグリフィンの顔が忌々しげに歪んだ。
「やはり貴様の背後には支援者がいるようだな。それが誰であるかはどうでもいい。だが、これ以上、貴様を化けさせると危険な存在になりそうだ。ここで永遠にその命の灯火を吹き消してやる」
そう言うとグリフィンは槍も盾も放り出し、いきなり俺の両肩を掴むと、あろうことかこの首すじに噛みついて来やがった。
思いもよらない原始的な行動に虚を突かれた俺は、奴の歯が首に食い込む痛みに思わず身をよじる。
「ぐっ……て、てめえ!」
それでもグリフィンは肉食獣さながらに俺の首にくらいついたまま離れない。
その力強さと吸着力の凄まじさは俺の体にまとわりついている無数の手と同様で、俺がどんなに振りほどこうと暴れてもビクともしない。
や、やばい……ライフが。
首すじから血が流れ落ち、俺のライフが徐々に削られていく。
くそっ!
このままじゃ命が吸い尽くされる。
こんなクソ野郎に噛みつかれて死ぬなんて、冗談じゃねえぞ。
俺は再び焔雷を起こすべく体中の魔力を放出しようとした。
だが……。
「ぐぅ……」
急激な脱力感に体中を苛まれ、魔力を高めることが出来ない。
何だこれは?
目まいで視界がグラグラと揺れている。
そんな俺の揺れる視界の中に、コマンド・ウインドウが表示され、意味不明な文字列が並ぶ。
ま、まさか……。
「ふ、不正プログラムをまた俺に……」
「前回は私が小さなダニの姿になってなっていたから、痛みも感じず気付くこともなかったな。だが今回はこの姿で直接、不正プログラムを流し込んでやる。それも大容量でな」
そう言うとグリフィンは再び俺の首すじに噛みついた。
鋭い痛みが首を刺すが、そんな痛みなど比べ物にならないほどの激痛が俺の全身を苛む。
まるで鋭いガラスの破片が血管の中を暴れ回っているかのように、指先から頭のてっぺんまでが激痛に包まれていた。
「ぐぅぅぅぅああああああっ!」
耐え難い苦痛に俺はたまらずに声を上げた。
全身に猛毒が回るかのように不正プログラムが俺の体中に染み渡っていく。
だが、俺の体は一度不正プログラムに感染し、そしてティナの修復術を受けて正常化された。
ティナが前に言っていたことだが、一度正常化された肉体には不正プログラムに対する抗体が生成されるため、二度と不正プログラムには感染しないということだった。
俺の体には断絶凶刃の効果がまだ残っているとはいえ、その抗体が存在するはずだ。
不正プログラムに再感染することはない。
そのことをグリフィンが知らねえはずはねえ。
だが奴は俺の首すじから口を放すと、唇に付着した俺の血を舐め取りながら、おぞましくも嬉々とした表情で俺の苦しむ様子を眺めて言う。
「ほう。私も初めて見るが、これが抗体の効果か。大したものだ。貴様の体に不正プログラムが根付くのを必死に防いでいる。今の貴様の苦しみはその反作用だ」
そこにはかつての分析官としてのグリフィンの顔があった。
この野郎。
人がもがき苦しむのを見てニヤニヤ笑っていやがる。
いい趣味だぜ。
くそったれめ。
「ティナの亡骸から修復術のプログラムを取り出せないのであれば、貴様の体から抗体を摘出して分析するという手もあるな。これは盲点だった」
「この上、俺の体までいじくり回そうってのか? この変態野郎が」
「随分な言われようだ。それだけ苦しみながらも減らず口を叩ける根性は認めるがな」
そう言うグリフィンの額から生えている手が、今も血が溢れ出す俺の首すじに触れた。
そしてその指先が傷をえぐる。
「ぐああああああっ!」
「ハッハッハ。強者には弱者を虐げ、自由に隷属させる権利がある。私が貴様を打ち負かし、その遺体をどう使おうと私の勝手だろう? 違うかね。炎獄鬼殿」
グリフィンはさも当然と胸を張り、俺の傷をえぐり続ける。
出血も止まらず、俺は歯を食いしばって耐えるが、ライフがとうとう危険領域まで減り、ライフ低下の警告がコマンド・ウインドウに表示された。
激痛で目が霞み、意識があやふやになってくる。
まずい。
このまま気を失えばジ・エンドだ。
俺は必死に目を見開き、意識が飛ばないように堪える。
グリフィンの肩越しに見える俺の視線の先には、角柱から突き出している配管にぶら下げられたティナの姿がある。
ティナは死んでもグリフィンの奴に魂を渡さずにいる。
俺にはもちろん防御プログラムなんて備えられていないから、死ねばこの体をグリフィンにいいように解剖され、抗体とやらを奪われちまうだろう。
情けねえ。
そう歯を食いしばった俺は、ティナの亡骸の近くで何か光る長細い物がヒラヒラと揺れているのを見た。
……何だありゃ?
よく見るとそれは桃色の光を放つ一本の縄だった。
どこかで見た光景だと思ったら、NPC墓場で天使長イザベラが用意した光の糸と似たようなものだった。
それはティナの体から宙を舞い……いや、違う。
逆だな。
その縄が今、生き物のようにうねりながらティナの体に到達したところだった。
それはどこからかティナの体に向かって伸びていたんだ。
一体どこから……。
俺はその縄を目で辿る。
そしてすぐに気が付いた。
その縄の発信元が俺の体だということに。
正確には俺の太ももに巻かれたレッグ・カバーが桃色の光を放ち、そこから光の縄が発生しているんだ。
それはティナが俺の胴着の破れた部分への当て布として拵えたものだ。
ティナの奴はこのレッグ・カバーには何の機能も搭載されていないと言っていた。
ただの飾りじゃなかったのか?
そこで俺はNPC墓場での別れ際に天使長イザベラが言っていたことを思い返した。
― バレット様。ティナがあなたに贈ったレッグ・カバー。困った時には頼ってみて下さい。きっとあなたの助けになると思いますよ。 ―
そういうことか。
ここに隠されていたのは海竜の笛だけじゃなかったんだ。
俺の視線の動きに気付いたグリフィンが、俺を痛めつける手を止めて、訝しむように振り返って後方を窺う。
その視線の先では、桃色の縄に触れたティナの体が、同じように桃色に輝き始めていた。
「何だ? 今度は何が起きている?」
苛立つ声でそう言いながらティナを見つめるグリフィンを尻目に、俺の視界の中でも変化が起きていた。
光り輝く桃色の縄でティナと繋がった途端、文字化けしていたコマンド・ウインドウのバグ表示が正常化していき、別の文字が表示される。
【H……A……R……M】
HARM。
それはグリフィンがティナの修復術を盗み出すために、第一防壁を破るパスワードとして使った【危害】という意味の言葉だった。
なぜ今その言葉が……ん?
そこで俺は目を見張った。
ウインドウにその文字の続きが表示され始めたんだ。
【……O……N……Y】
HARMONY。
コマンド・ウインドウには確かにそう表示されていた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第9話 『紅蓮開花』は
11月4日(月)0時過ぎに掲載予定です。
数日空きますが、次回もよろしくお願いいたします。




