第6話 孤島再訪
天樹の塔の動力室で水鏡の中に飛び込んだ俺は、それが不正プログラムの産物であることを一発で感じ取った。
空間を抜ける独特の感覚がこれまで感じた不正プログラムによるそれとまったく同じだったからだ。
そして水鏡を通り抜けた俺の前に広がったのは見覚えがある光景だった。
「……ここに繋がるのかよ。くそったれ」
そこは俺とティナがフーシェ島の地下で発見した奇妙な隠し部屋だった。
壁に等間隔で貼られた鏡と巨大な2本の角柱に貼られたかなり大きなサイズの鏡が印象的な部屋。
俺は今、その部屋の角柱の前に立っていた。
そして俺の目の前には、俺が今一番ぶん殴りたい男が立っている。
俺は殺気を込めてその男を睨みつけた。
「よう。地獄から舞い戻って来たぜ」
そう言う俺を見て、不可解だといった表情を浮かべたのは、上級天使マーカスの姿をしたグリフィンだった。
「……正直驚いたぞ。バレット。貴様が生きて再び私の前に現れるとは思っていなかった。舞台の途中で退場する脇役に過ぎないと見ていたが、私の目算が甘かったか」
「こう見えても俺は律儀な性分でな。お返しはきっちりするタイプなんだ。殴られたまま殴り返さないなんて、てめえに失礼だと思ってよ。死んでも死に切れなかったぜ」
俺がそう言うとグリフィンは口を歪めて薄気味の悪い笑みを浮かべる。
そんなグリフィンの後ろにはティナの亡骸が横たわっていた。
ようやく見つけたぜティナ。
そんなところでノンキに寝やがって。
それから俺は注意深く部屋の様子を確かめる。
確かに前に訪れた時と同じ部屋だが、あの時とは様子が違う。
静寂を保っていた前回とは異なり、部屋の中に息づくような微弱な振動を感じる。
俺は即座に理解した。
今、この部屋は稼働しているんだ。
そしてその理由はあれだ。
俺がここに来るために通って来た角柱の水鏡の中からは数本の配管が鏡面を突き抜けていて、それがこの部屋の天井や床へと繋がっている。
前回訪れた時はあんなものは無かった。
天樹の水鏡にも同様の配管が繋がっていたが、グリフィンの野郎はどうやらあの配管で天樹の動力室からエネルギーを掠め取り、ここに繋いでこの部屋を稼働していやがるんだろう。
「この妙な部屋の鏡は転移装置だったってわけか」
「そうだ。ここはこのゲーム世界の各地を繋ぐバイパスの役目を果たしているのさ。この部屋から世界のどこにだって一瞬で飛べる。貴様が通って来た一本の角柱は天樹の塔に繋がっていて、もう一本の角柱は地獄の谷の中心地に建つ悪鬼城に繋がっている」
「何だと?」
悪鬼城。
地獄の谷の中心部にあるその城は、代々の魔王が居城にしてきた悪魔の総本山だ。
この奇妙な部屋を通して天使と悪魔の本拠地が簡単に行き来できる。
そのグリフィンの話が本当だとしたら、これはこのゲームがひっくり返るようなとんでもない状況だ。
「この2本の角柱があれば天使の軍勢を悪鬼城に送り込んで悪魔の残党どもを一気に壊滅させることも容易なことだ。その逆も然りで悪魔どもを天樹の塔になだれ込ませたら、我が同胞たちは総崩れになるであろうな」
饒舌にそう語るグリフィンは自らの所業に陶酔しているかのようだ。
こいつ……何を考えていやがる。
この鏡を使ってこの世界の勢力図を塗り替えるつもりか?
いや……。
「フンッ。ここを動かすために天樹から動力を掠め取るセコイ盗人が、偉そうに語りやがって。笑わせるぜ」
「仕方なかろう。ここの仕掛けを動かすのには膨大なエネルギーが必要なのだからな。使えるものは全て使わせてもらうさ」
こいつの目的はプレイヤーたちのいる世界へと渡ることだ。
ということはこの転移の鏡を使って奴が本当に行きたい場所は一つ。
もしかしたらこいつはこの鏡で悪魔と天使の世界に大混乱を引き起こし、その騒乱のどさくさを利用して不正プログラムの力でその願いを果たそうとしているのかもしれない。
あまりにも絵空事だが、本当にそんなことが可能かどうかを俺が判断すべきじゃない。
グリフィンは必ずそれを成し遂げようとするだろう。
その言葉の何もかもが信用できない野郎だが、奴の本気の度合いだけは疑いようがない。
俺もそのつもりで動かなきゃ、奴の寝首をかくなんて死んでも出来やしねえ。
俺は決然と拳を握り締めて足を一歩前に踏み出した。
「グリフィン。そうそうてめえの思い通りになることばかりじゃねえんだよ。この世はままならないってことを今日はてめえの脳みそにきっちり刻みつけてやる」
そう言うと俺は魔力を体中に巡らせて戦闘態勢を取る。
体力気力ともに十分戦える状態だ。
そんな俺を見てグリフィンはアイテム・ストックから一本の白い長槍を取り出してそれを握る。
あれはこのフーシェ島で奴が俺の心臓を一撃で貫いた長槍だ。
「よかろう。策を張り巡らせるばかりが能ではないところを見せるとしようか」
そう言うとグリフィンは長槍を二度三度と振るってから構えた。
わずかな沈黙の後、先に仕掛けたのはもちろん俺だ。
「ハアッ!」
俺は気合いの声と共に地面を蹴って一気に距離を詰める。
こっちは素手、相手は長槍。
グリフィンの間合いの内側に入り込まなきゃ、俺に勝ち目はねえ。
そんな俺の動きを当然のように見透かして、グリフィンは的確に槍を突き出してくる。
「ムンッ!」
「くっ!」
体格のいいマーカスの体から繰り出される突きの速度は凄まじい。
だが俺は半身に体を捻ってギリギリでかわしながら、一気にグリフィンの間合いに飛び込んだ。
しかしグリフィンは長槍を反転させて、柄で俺の拳を弾き返すと、すばやく前蹴りを繰り出して俺の腹を狙う。
俺は自ら後方に下がってこれを避けるが、間合いが再び空いたためにグリフィンが間髪入れずに再び長槍を突き出してきた。
俺はその穂先をかわしてさらに大きく後方に距離を取った。
今の攻防だけで分かるが、こいつはまっとうに戦っても間違いなく強い。
スピードはもちろん速いが、ムダがなく洗練された動きであるために、速さがより活きてくる。
上級天使だけあって、かなり厄介な野郎だ。
「ハッ。不正プログラムに頼りきりのモヤシじゃなかったんだな」
俺の挑発にもグリフィンは顔色ひとつ変えずに仏頂面で応じる。
「この槍で胸を貫かれた一撃をもう忘れたか? この上級職の体には十分な戦力を搭載している。だが……」
そう言うと今度はグリフィンが間合いを詰めてきた。
奴は長槍の穂先を小刻みに揺らしながら鬱陶しい牽制攻撃を放ってくる。
「こんな強さに意味はない。個体の強さなど何の意味も成さぬ」
「そうかよ! じゃあてめえが使うインチキ術には意味があるってのか!」
俺も負けじと小刻みにステップを踏んでその攻撃をかわしながら灼熱鴉を放つ。
燃え盛る鴉がグリフィンを襲うが、奴は瞬時にアイテム・ストックから取り出した何かを体の前に掲げてそれを防ぐ。
それは先ほど俺をここに招き入れたものと同じ水鏡が前面に貼られた、大きな長方形の盾だった。
炎の鴉は水鏡の中へと吸い込まれて消える。
チッ……あの盾がある以上、俺の飛び道具である灼熱鴉は意味を成さなくなる。
グリフィンは右手に白亜の長槍を持ち、左手に水鏡の盾を掲げる。
攻防のバランスに優れた鉄壁の姿勢だ。
こいつと長期戦をやることになれば、疲弊して不利な状況に追い込まれるのは間違いなくこちらの方だろう。
「不正プログラムそのものに意味などないさ。こんなものはただの手段に過ぎん。俺が新たなる世界で永遠に生きるためのな」
「てめえの寝言は聞き飽きた。永遠に生きたいだ? そんなもんは死ぬのが怖いと泣くガキの戯言だ」
そう毒づく俺にグリフィンは嘲るような歪な笑みを浮かべる。
「しょせん一NPCとしての生に甘んじるしかない貴様らしい浅はかな考えだな。私は死など恐れぬさ。なぜならもうすぐ私は死生を超越した至上の領域に到達するからだ。貴様は自分が私の踏み台にされる側だから憤慨しているに過ぎん。そんなものは負け惜しみ、負け犬の遠吠え以外の何物でもない」
そう言うとグリフィンは水鏡の盾を掲げる。
その水鏡に光が瞬いたかと思うと、鏡面から光線が放射される。
俺は身を屈めてそれをギリギリで避けた。
ある程度予想していた攻撃だったために回避することが出来たが、脅威であることには変わりがない。
「チッ! やっぱりさっきの光線はてめえの仕業だったんだな」
「動力室で貴様を仕留められれば楽だったんだがな」
そう言うとグリフィンは長槍と盾を構え、隙のない姿勢でこちらを窺う。
こりゃ簡単にはいかねえな。
グリフィンから離れれば光線に狙われ、近付こうとすれば長槍に狙われ、こちらの遠距離攻撃である灼熱鴉は水鏡に吸い込まれる。
攻守に優れた技術を持つグリフィンを前にしていると、かつて同じように隙のない構えを見せていた上級種のゾーランを思い出す。
「おっと。もう一つ準備を忘れていた。さっきここから鏡越しに見ていたんだがな、あの奇妙な水流をここで出されては面倒だ。先んじて対処させてもらおうか」
そう言うとグリフィンはパチンと指を鳴らした。
するとゴウンと何かが作動する音がして、ふいに地面が大きく揺れた。
「うおっ!」
俺は思わず身を屈めて急な揺れを堪えた。
そして何が起きているのか悟った。
地面が急激に上昇しているんだ。
そして上昇が止まったのか揺れが収まると、等間隔に鏡の貼られた壁が床の中に沈んでいき、その向こう側に唐突に水平線が見え、潮の香りが漂ってきた。
耳に響く潮騒の音からも、そこが地下ではなく屋外であることは疑いようがなかった。
東側は水平線しか見えないが、西側にはフーシェ島の海岸線が見えている。
海風を浴びながらグリフィンが満足げに言った。
「地下にあったこの部屋を上昇させ、ちょっとした塔に変化させた。地上20メートルといったところか。これでいくら水の流れを呼び寄せようとも、水は塔の外へ零れ落ちるだけだ」
そういうことか。
不正プログラムを使うグリフィンならではの芸当だ。
壁がないこの状況では、海竜の笛を使っても水を貯めることは出来ず、その効果は薄い。
「さて。お待ちかねの戦闘再開といこうか。炎獄鬼殿」
そう言うとグリフィンは再び水鏡の盾を掲げて光線を放つ。
俺は左右に飛びながらそれをかわすが、グリフィンは光線を撃ちながらジリジリと距離を詰めてくる。
持久戦はお好みじゃないってことか。
一気にケリをつけるつもりだな。
俺も至近距離からの光線を避けるために後退せざるを得ない。
さすがにこれ以上距離を詰められると光線を避けきれねえ。
そんな俺の様子を見てグリフィンはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「フンッ。どうした? 逃げ回るだけか? どうせなら尻尾を巻いて逃げ出してみるがいい。後ろの壁は開いている。小狡い悪魔らしくティナを見捨てて、私を倒すこともあきらめ、惨めに逃走してみせろ。取るに足らぬ貴様の安い命など、この期に及んで私は執着しない。見逃してやろうじゃないか。だが貴様が外に出た瞬間に私はこの壁を再び閉じる。二度とこの中に入れないようにな。転移の鏡も機能を停止させれば、貴様がここに戻る手段は失われる」
チッ。
随分とよく喋る。
奴は出来ればここで俺を仕留めたいはずだ。
俺の負けん気を刺激して逃げる気を起こさせない算段なんだろう。
一方で俺に時間と労力を割くつもりがないのも本音に違いない。
俺がこの塔の外に出た途端、奴は確実に俺を締め出しにかかるはずだ。
「ハッ。憎たらしいてめえをぶん殴るチャンスを、俺がわざわざ自分から放棄するわけねえだろ!」
そう言うと俺は再び灼熱鴉を放った。
グリフィンは余裕の表情で盾を掲げてこれを防ごうとする。
だが俺は灼熱鴉を放つと同時に、膝に装備している炎足環にありったけの魔力を込めて右足で床を踏んだ。
狙いはグリフィンの足元だ。
「噴熱間欠泉!」
「ぬうっ!」
灼熱鴉を水鏡の盾で防いだグリフィンの足元から、火柱が上がる。
この硬い床石の下には水分がないために熱湯は噴出しないが、それを見越して俺は自らの炎を直接送り込んでやったんだ。
足をそれによって焼かれたグリフィンはダメージを負って怯んだ。
「しゃあっ!」
俺はその隙を見逃さず、跳躍して一気にグリフィンに飛びかかった。
「ナメるなっ!」
そんな俺を撃ち落とそうととグリフィンは光線を放つが、それを予想していた俺は飛び上がった勢いで体の向きを反転させ、天井を足で蹴って急降下する。
光線は俺のすぐ脇をすり抜けていき、俺は地面に着地すると同時にもう一度、炎足環を使った。
再びグリフィンの足元から火柱が上がる。
「ぐっ!」
グリフィンは足を焼かれまいと盾を下げて火柱を防いだ。
だが、そこに隙が生まれるんだ。
俺は地面を思い切り蹴って、最高速度でグリフィンに襲いかかった。
「オラアッ!」
「ガハッ!」
間合いを詰めた俺はグリフィンの横っ面を思い切り拳で殴りつけた。
ガツンという確かな手ごたえを感じ、そこから俺は一気に連続技を炸裂させる。
「オラオラオラオラァッ!」
「くうっ! おのれぇぇぇぇぇっ!」
この好機を逃すわけにはいかねえ。
俺は魔力を燃やし尽くす気で、全身全霊を込めて拳を振るい続けた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第7話 『クリティカル・ヒット』は
10月28日(月)0時過ぎに掲載予定です。
数日空きますが、次回もよろしくお願いいたします。




