第5話 転移の鏡
「こ、こちらです。バレット様」
前を歩く下級天使のミシェルは緊張の面持ちでそう言った。
俺から数メートルの距離をとって進むミシェルの先導で俺は森の中を進む。
つい先ほど俺が偶然見つけた際には瀕死の重症を負っていたこの女天使は、自分が持っていた回復アイテムを使って歩ける程度まで回復していた。
同じく残りライフがわずかとなっていた俺は、ミシェルの回復魔法によって完全回復を果たしていた。
悪魔の俺が怖いのか、ミシェルは少々ビクつきつつ、それでも俺の道案内役を買って出た。
道すがら話すミシェルによれば、ティナの亡骸を抱えてマーカスが逃げた先は天樹の根本だという。
遠くに逃げ去らずに再び危険を冒してまで天樹に戻るってところがどうにも腑に落ちない。
ミシェルの話でひとつ気付いたのは、俺があのNPC墓場に行っていた間、こちらではまったく時間が流れていなかったってことだ。
光りの糸を辿るのに手こずったせいか、随分長いことあの空間にいたような気がしていたんだが。
だから俺がこっちに戻って来た時、マーカスはまだ天樹を脱出したばかりだったようだ。
「マーカス隊長は当初、南に向かって飛びましたが、私たち追っ手の姿を見ると急降下して森に身を潜めました。それからすぐに森の中から飛び出してきて、方向転換をして東の方角へ飛び始めたのです。十数人の仲間たちはすぐにそれを追いましたが、最後方にいた私は気付いたのです。森の中を隠れるように天樹の塔の方向へと戻るマーカス隊長の姿に」
「飛び去っていったのは偽物の囮か」
「姿はマーカス隊長そのものだったのですが、今にして思えば幻術のようなものだったのでしょう」
即座にミシェルはそのことを仲間に知らせようとしたのだが、森の中から音もなく照射された光線に羽や足腰を貫かれて気を失ったまま森の中に落下したという。
ミシェルが自分に気付いたことを知り、奴がいち早く対処したんだろう。
抜け目のない野郎だ。
「マーカス隊長にどうしてそんなことが出来たのか、いや、そもそもどうしてマーカス隊長が反逆行為をしてまでティナを……」
そう言うとミシェルは表情を曇らせた。
マーカスの正体を知る者はこの現世では俺しかいない。
事情を知らねえミシェルに俺は知っている事実をぶちまけてやった。
マーカスはグリフィンという天使の乗り物に過ぎないということを。
そしてグリフィンの企みを。
「グリフィンは潜入捜査官として隠密行動を得意としていたって話だから、幻術でおまえらを欺くことくらいは朝飯前だろうよ」
「そ、そんなことが……」
ミシェルはとても信じられないという顔でしばらく黙り込んでいたが、少し歩いたところで俺を振り返った。
「天使の私たちも知らないそんな重要な秘匿事項をあなたに話すなんて、ティナはよほどバレット様を信頼していたのですね」
「感心してんじゃねえぞ。そこは後輩の軽率な行動を非難するところだろうが」
俺がそう言うとミシェルはサッと立ち止まり、俺に目配せして人差し指を口に当て、茂みに身を隠す。
すぐに俺もそれに倣った。
「このすぐ先に天樹の地下へ通じる隠し通路があります。私たち天使ならば誰でも知っている通路です。おそらくマーカス隊長はそこから天樹に侵入したのでしょう」
「おまえはマーカスの部下だったんだよな? 奴が行きそうな場所に心当たりはあるか?」
俺の言葉にミシェルはわずかに考え込んでから答えた。
「私はマーカス隊長が天樹の塔の地下を度々訪れていたのを知っています。天樹の地下は地下牢や資源室、動力室などがあるのですが、あまり上級職の方が足を運ぶような場所ではないので不思議に思っていました。資源室で物資の残数確認の任に当たっていた時、私はマーカス隊長が動力室に入っていくのを偶然見かけたこともあります」
ミシェルの話によればマーカスは国境防衛から天樹へ異動してきた新任の上級天使ということだから、まだ慣れない天樹の中を把握するために見て回っているのだとその時は思ったそうだ。
「だけど今にして思えば妙な行動でした。動力室など整備兵くらいしか足を踏み入れない場所なのに」
「そこに何かがあるってことだろう。とにかくそこに案内しろ」
俺の言葉に頷くとミシェルは用心しながら立ち上がり、俺を隠し通路の中へと導いた。
森の中の朽ちた巨大な切り株を横にずらして入った地下回廊は、石で四角く区切られた歩きやすい通路で、フーシェ島の地下通路を思い出させる。
そこを5分も歩かないうちに俺たちは天樹の地下に足を踏み入れた。
そこは天樹の根の中らしく、一転して木の香りが漂う木肌の天井、壁、床で構成された通路が姿を見せた。
通路の中には巡回の兵士等もおらず、不気味なほど静まり返っている。
「思った通り、マーカス隊長の脱走で天樹の高層階が忙しくなっているため、この地下には人がいません。これが狙いだったんでしょう。でもちょうど良かったです。今、バレット様の姿を我が同胞たちに見られたら厄介なことになりそうですから」
そう言うとミシェルは俺を動力室へと案内する。
そこは無数の太い管が地下から天井へ向かって伸びていて、その中間点には何やら機械類が取りつけられて、せわしなく動いて機械音を響かせていた。
かなり広い部屋であるにも関わらず、所狭しと配管や機械が並べられているため、息苦しい閉塞感を覚える場所だった。
「ここは地下から集めたエネルギーを各種の機器で濾過、精製して天樹の上層階まで行き渡らせるための施設を集めた部屋なんです。ただ、それだけの部屋なので担当者以外はほとんど出入りすることはないんですが……」
「奴はここを破壊して天樹を混乱させようとしているんじゃねえのか?」
俺の言葉にミシェルは首を横に振る。
「ここから送られたエネルギーは上層階に十分蓄積されています。ここを破壊したからといって今すぐ天樹の機能に影響を及ぼすことはまったくありません。そのことはマーカス隊長も当然知っているはずです」
声を潜めてそう言うミシェルは用心深く周囲に注意を払いながら機器の間を歩いて行く。
身を隠せる場所が多いこの部屋のどこかに、ティナを抱えたマーカス(=グリフィン)が息を潜めているかもしれない。
だが、俺はこの部屋に入った時から注意深く周囲の気配を探っているが、どうにも人のいる気配がしない。
機械音が絶えず響いているため物音を聞き分けることが容易ではないこともあるが、誰かに狙われているような殺気を感じない。
グリフィンの野郎は本当にここにいるのか?
俺は頭の中に浮かぶ違和感に足を止めた。
奴が動力室に入る目的。
機械類を破壊するでもなく、何をしようというのか。
そう思って顔を上げた俺はそこで気が付いた。
天井のところどころに大きな鏡が貼られていることに。
いや、天井だけじゃない。
壁の各所や機器類の裏板などに鏡が貼り付けられている。
不思議に思って俺は前を歩くミシェルを呼び止めた。
「あの鏡は何だ?」
「ああ。あれは配管に亀裂などの劣化が起きていないかチェックするための鏡です。これだけ管が密集していると死角もたくさんありますから。ここからじゃ見えないところに傷がないか確認するための鏡なんです」
なるほど。
そういうことか。
よく考えられている。
俺たち悪魔に比べて天使どもは技術が発達しているし、知識も豊富だ。
天使の生真面目さがこういうところに活きているんだろう。
鏡か……ん?
何か引っかかるものを感じた俺は、頭の上から光が反射して足元を照らすのを視界に捉えた。
瞬間的に肌が粟立つのを感じた俺は咄嗟に声を上げる。
「転がれっ!」
叫ぶと同時に俺は身を投げ出して地面を転がった。
そんな俺の両足の間を焼けるような光線が降り注ぎ、木の床に黒く焦げた穴を穿つ。
危なく体を貫かれる寸前で難を逃れた俺だが、ミシェルはそうはいかなかった。
「ひぐっ……かはっ!」
俺の声に咄嗟に反応することが出来ずに回避が遅れたミシェルは、胸の真ん中を貫かれていた。
ミシェルはその口から血を吐き出してその場に倒れる。
「チッ!」
俺は必死に床を転がり、ミシェルの腕を掴んで引きずるように配管の物陰に身を隠す。
ミシェルはすでに目の焦点が合っておらず、震える唇でか細い声を絞り出すのが精一杯だった。
「バ、バレット様。ティナを……」
そう言ったきりミシェルは事切れて動かなくなった。
チッ……ライフが尽きたんだ。
それにしても一体何が起きたんだ?
俺は最大限の注意を払い、物陰から周囲を窺う。
そんな俺の傍で物言わぬ骸となっていたミシェルの体が光の粒子となって消えていく。
ゲームオーバーか。
本人も何が起きたのか分からなかっただろうよ。
俺は天井を見上げる。
さっきの光線は頭上から降ってきた。
天井近くのどこかにグリフィンが潜んでいやがるってことか?
だが、動くものの気配は一切感じられない。
一体どこに……ハッ!
「うおっ!」
俺は今度は斜め後方から殺気を感じて瞬時に飛び上がった。
そのすぐ後、俺が一瞬前まで屈んでいた床に黒い穴が開いた。
ま、まただ。
俺のいる位置を正確に狙ってきやがる。
ここも安全じゃねえ。
俺は即座に物陰から飛び出すと、配管の間を駆け抜ける。
頭をフル回転させながら敵の位置を探るが、そんな俺の行く手を全て阻むように光線がこの身に降りかかる。
俺は自分の感覚だけを頼りに、本当にギリギリのところでそれをかわした。
こ、こいつはヤバイ。
一撃一撃が確実に俺を葬り去ろうとする必殺の射撃だと感じる。
どこにいるのか分からんが、グリフィンはここで俺を仕留めるつもりだ。
どこの物陰に隠れてもすぐに見つけ出され、光線は俺の体を掠める。
まるで全方位に監視カメラがあって、俺の居場所が暴き出されているようだ。
監視カメラ?
いや……。
「鏡か!」
そう叫ぶと俺は天井を見上げた。
張り巡らされる配管の間から見える天井の鏡に俺の姿が映っている。
そしてその鏡の中に一条の光が瞬いた。
俺はすぐに後方にバックステップで飛び退る。
光線が俺の前方の床を焼いた。
やはりそうか。
どういう原理だか知らねえが、あの鏡から光線は放たれている。
そして俺がどこに隠れようとも、部屋中にある鏡が俺の居場所を正確に突き止めちまうんだ。
「くそっ! グリフィンの野郎! 一体どこに隠れていやがる!」
俺は配管の間を走り続け、鏡を一枚一枚見て回る。
光線が放たれる際、鏡が一瞬だけ光る。
その瞬間を見逃せば、俺はミシェルのように体を貫かれてしまうだろう。
俺はどこかで鏡が光るのを察知して、事前に体を動かして被弾を避ける。
だが、相手は抜け目のないグリフィンだ。
一筋縄ではいかない。
それまで一発ずつだった射撃が次第に複数ヶ所から放たれるようになった。
鏡があちこちで光り、前後左右から同時に光線が放たれる。
「くそったれが!」
俺は飛んで転がって体をあちこちにぶつけながら必死に光線を避けるが、それも限界だった。
完全には避け切れずに足や腕を光線が掠めていき、肌が焼かれる痛みに俺は顔をしかめる。
「ぐっ! ち、ちくしょう」
まずいまずいまずい!
このままじゃジリ貧だ。
グリフィンの姿も見ねえで殺されたら泣くに泣けねえぞ。
だが、この部屋から出ようにもこれだけ射撃が激しいと自分の思う方向に進めねえ。
俺は完全にグリフィンの手の上で踊らされているんだ。
どの鏡を見ても俺が映っていやがる。
そう思ったその時、俺は一枚の奇妙な鏡を視界の端に捉えた。
その鏡は他のそれのように部屋の中の配管を映し出していたが、配管の一部が鏡面を突き抜けて鏡の中へ続いていた。
まるでその鏡だけが普通のそれではなく、水面のような水鏡になっている。
「な、何だありゃ……」
前方から放射される光線をスライディングで避けながら俺は天井のその鏡に照準を合わせた。
「灼熱鴉《バーン・クロウ!》」
俺の両手から撃ち出された炎の鴉がその水鏡を直撃するが、それは鏡面に吸い込まれて消えた。
それを見た俺は直感した。
あれだ!
だが、途端に光線の迎撃が激しさを増した。
俺をそこに近付かせないつもりか。
上等じゃねえか。
こっちだって打つ手はいくつもあるんだよ。
俺は海竜の笛を取り出すと目一杯それを吹く。
途端に俺の目の前に膨大な量の海水が噴き出した。
俺はその流れに身を任せて動力室の中を移動する。
渦巻く水流の中に身を隠した俺を見つけられなくなったのか、それとも水の中までは光線の威力が届かないのか、敵は俺を狙い撃つことが出来ないでいる。
相変わらずこの笛は強い武器になる。
今だけは海棲人に感謝だぜ。
俺は自分の両膝に装備した炎足環を目で確認すると、水流の中で右手を伸ばし、近くの管を掴む。
そして頭上を見上げて自分の今いる位置を確認する。
そこには例の水鏡が確かに見えた。
俺は両手で管を掴み直して自分の体を固定すると、炎足環に魔力を込め、思い切り床を踏んだ。
噴熱間欠泉。
途端に俺の足元から熱せられた海水が猛烈な勢いで噴き上げ、俺の体を一気に跳ね上げた。
「プハッ! うおおおおおおっ!」
動力室をなみなみと満たす水面を飛び出した俺を撃墜せしめんと、四方八方から光線が襲いかかって来る。
だが、俺の方が一手早かった。
「遅いぜっ! ガアアアアアッ!」
俺は獣のような咆哮を響かせながら、一気呵成に水鏡の中へと飛び込んだ。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 第6話 『孤島再訪』は
10月24日(木)0時過ぎに掲載予定です。
数日空きますが、次回もよろしくお願いいたします。




