第15話 悪夢の幕切れ
閉じられた空間。
手足を縛り上げたティナを資料室のような場所に監禁したマーカス(=グリフィン)は不敵な笑みを浮かべてそう言った。
その言葉の意味するところを即座に理解したティナはショックを受けて両目を見開き、その口から乾いた声がこぼれ落ちる。
『と、閉じられた空間? そんな、まさか……あなたまで不正プログラムに手を染めたというのですか? マーカス隊長』
ティナ。
そいつはグリフィン本人なんだよ。
そしておまえは今、相当やばいことになっているぞ。
奴はおまえをそこから逃すつもりはないだろう。
『それは想像に任せるさ。何にせよ、もうおまえはこの部屋から自力で脱出することは不可能だ。それと先に言っておくが、おまえの力は封じさせてもらった。その鎖を見たことがあるだろう。この天樹の塔内部で容疑者を取り締まるための絶対の拘束力を持つ戒めの鎖だ。天樹の塔の力の恩恵を受けるその鎖で縛られている以上、神聖魔法はもちろん、修復術も使えぬ。この天樹の塔の中にいる限りはな。自慢の高潔なる魂もここでは役に立たぬぞ』
『くっ……これは天国の丘への背信行為ですよ。上級職ともあろう御方が謀反を企てるなんて、情けないと思わないのですか!』
ティナの奴は相変わらず青臭いことを言っていやがるが、その男はそんな天使の倫理観なんて、とうの昔に捨てている。
いくら正義を振りかざそうがムダだ。
『上級職としての順法精神か。それは尊いものだ。だが、私はすでに一線を越えている。新たな価値観に目覚めたといってもいい。だから……』
そう言うとマーカスはティナの髪をひっ掴んでその場に引き倒した。
『きゃっ!』
『私は同胞を殺すことさえ厭わない。ティナ。おまえの命は今、私の手の中にある。おまえに自由はない』
そう言うとマーカスは力任せに右手でティナの頭を床に押し付ける。
『あぐぅぅ……』
『さあ。その力を寄こせ』
そう言うとマーカスは空いている左手をかざしてティナのメイン・システムに強制アクセスを試みる。
他キャラのメイン・システムにアクセスすることはNPCには出来ないはずだ。
だがマーカスは不正プログラムを持っている。
ティナのメイン・システムが強制的に呼び出され、マーカスはそれを操作していく。
ティナは身動きが取れないまでも、マーカスの操作を邪魔しようと必死に奴の指に噛みついた。
『ぐむむむむう!』
『チッ。鬱陶しいことを』
そう言うとマーカスはいきなりティナの胸倉を掴み、その法衣を乱暴に引き裂いた。
ティナの胸元が露わになり白い肌が見える。
『きゃああああっ!』
途端にティナは悲鳴を上げながらマーカスの指から口を放し、胸元を隠す様に体を折り曲げた。
うずくまって震えるティナの姿を見たマーカスはフンッと鼻を鳴らし、ティナのメイン・システムの操作を再開する。
『それでいい。辱しめを受けてまで修復術を守ろうとすることはない』
『くっ……』
だが、それでもティナは歯を食いしばって顔を上げた。
その目には悔しさで涙が滲んでいる。
まだガキとはいえそれでも女だ。
こんな屈辱は耐え難いはずだ。
それでもティナは果敢に起き上がり、マーカスに体当たりを浴びせた。
『うああああっ!』
『この……小娘が!』
思わぬ反撃を受けたマーカスは気色ばみ、ティナの髪の毛を掴むと、腹部に鋭い膝蹴りを撃ち込む。
小さなティナの体が簡単に宙を舞い、背後の壁に背中から叩きつけられ、床に崩れ落ちた。
激しい打撃にティナは悶絶して床の上で体をピクピクと痙攣させる。
『くはっ……ゴホッゴホッ! うぅぅぅ』
『おっと。力が入り過ぎたな。死ぬなよ。勝手にゲームオーバーになられても困る』
そう言うとマーカスは一本のナイフを取り出した。
そのナイフの刃が紫色に妖しく光っている。
あ、あれはまさか……断絶凶刃。
マーカスは強いダメージで動けなくなったティナの腕を取ると、その二の腕辺りを刃で軽く斬りつけた。
ティナが痛みに呻き声を漏らし、切り傷を負ったその腕に血が滲んでいく。
ティナの体にも俺同様にコンティニュー不可の呪いがかかっちまった。
『うくっ……』
『ゲームオーバーは困るが、コンティニューはもっと困る』
そう言うとマーカスは悠然とティナのメイン・システムを操作し、ついにティナの頭上にコマンド・ウインドウが表示された。
【防御プログラムの回収にはパスワードが必要です】
それを見たマーカスがニヤリと口の端を歪めた。
『パスワードなら知っている。どこかの親切な悪魔が教えてくれたからな』
そう言うとマーカスは粛々とパスワードを打ち込んでいった。
だが、ティナが追いすがるように身を起こし、震える口でマーカスの胴着の裾に噛みついて入力を邪魔する。
『ふぐぐぐぅぅ……』
必死に食い下がるティナを見下ろすマーカスの目に底冷えするような冷たい光が宿る。
マーカスはティナの頭を押しのけると、冷然と告げた。
『ティナ。執念は認めるが、あまりしつこいのは私は好まぬ。おまえには罰を与えねばならぬようだな』
『ど、どんなに痛めつけられようと辱しめられようと、私は屈しません。あなたにその力は渡さない』
その必死の表情からティナの捨て身の覚悟が伝わって来る。
それを見たマーカスは深く息をつくと立ち上がった。
『そうか。ならばおまえの覚悟をへし折ってやらねばな』
そう言うとマーカスはパチンと指を鳴らした。
すると資料室の天井が揺らぎ始め、そこに不正プログラムの穴が現れる。
そこから一つの人影が降りて来て、床の上に立った。
なっ……。
ティナは息をすることも忘れたように唖然として目を見開く。
俺も同じ思いだった。
『バ……バレットさん』
そう。
そこに現れたのは牢に閉じ込められていたはずの俺の体だったんだ。
俺の体は直立不動のまま微動だにしない。
だがマーカスがフッと息を吐くと、俺の体がビクッと動き始める。
まるで魂が入れ替わるかのように、代わりにマーカスの体が動きを停止した。
グリフィンの野郎が再びマーカスの体から俺の体へと移り渡ったんだ。
『マ、マーカス隊長……なぜバレットさんの体を?』
ティナ……そいつはもうマーカスじゃない。
肩を震わせて呻くように声を漏らすティナだが、俺の体を乗っ取った奴は動かなくなったマーカスの肩にポンと手を置いて言う。
『マーカスか。それはこの乗り物の名だ。今の私はバレットだ』
その言葉にティナはハッとする。
その唇が、その肩がワナワナと震え出した。
『ま、まさか……あなたは』
『そうだ。おまえが探していた潜入捜査官。憎き裏切り者のグリフィンだ。そしてこいつは私の新たな乗り物、優秀な下級悪魔のバレット君だ』
おどけた調子でそう言うとグリフィンは自分の胸をドンッと拳で叩く。
グリフィンの言葉にティナは怒りの形相で声を上げた。
『ふ、ふざけないで下さい! バレットさんの体を勝手に使わないで!』
だがティナの剣幕にもグリフィンは面白がるように唇を歪めて笑みを浮かべる。
『ほう。信頼していた男の体を使われることが、そんなに腹立たしいか? ティナ』
そう言うとグリフィンはティナに掴みかかる。
『や、やめて!』
嫌がるティナを無理やり押さえつけると、グリフィンはティナの法衣をさっきよりもひどくビリビリに破いていく。
『いやああああっ!』
ティナは身をよじって必死に抵抗するが、グリフィンは一切手を緩めない。
そしてほどなくして床に転がったティナは、法衣のあちこちが破れて露出した肌を隠す様にうずくまって震えていた。
『ハッハッハ。どうだ? バレットに手籠めにされる気分は』
無残にあられもない格好となったティナの両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが、ティナはそれでも歯を食いしばって懸命に抵抗する。
『やめて下さい! バレットさんは……バレットさんは誇り高き戦士です。あの人は……こんな恥知らずな真似は絶対にしません!』
……あのアホ。
そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。
今、ティナは折れそうな心を必死に奮い立たせ、戦っていた。
さっきあいつ自身が言っていたように、たとえ痛めつけられようと辱しめられようと、絶対に心までは折らせない。
そういう死に物狂いの決意が今のティナを崖っぷちで支えているんだ。
そんなティナの姿を見て俺は……自分の胸に渦巻く感情をうまく言葉に表せずにいた。
ティナがどんな目にあおうと俺には関係ねえ。
関係ねえが……この状況を見せつけられて、俺は頭の中をグルグルと血が激しく駆け巡るような感覚を抑えられなかった。
『フンッ。俺が言えた義理ではないが、ティナ。天使の身でありながらそこまで悪魔の男に傾倒するとは。おまえも俺と同じ穴のムジナだな』
俺の姿をしたグリフィンはすっかり興が冷めたといったように憮然としてそう言った。
『もういい。茶番は終わりにしよう』
そう言うとグリフィンは素早くティナを抑え込む。
『ふぐっ……』
うつ伏せの状態でグリフィンに背中を膝で押し込まれ、身動きが取れなくなったティナが苦しげに呻く。
そしてグリフィンは先ほど中断したパスワードの入力を流れるように行っていく。
その作業はあまりにもあっけなく完了した。
【HARM】
【パスワード認証:防御プログラムを切り離します】
その文字を見たグリフィンの顔に満面の笑みが広がっていく。
そしてその口からおよそ天使のものとは思えない禍々しい笑い声が響き渡った。
『ククク……ハッハッハ……ハァァァハッハッハッハ! 私の物だ。天使長様が残した一子相伝にして唯一無二の至高の技術が今、この手に!』
グリフィンの野郎が今まさに目的を果たそうとしている。
くそったれめ。
あんな野郎にいいようにされちまうのか。
ただの一発もぶん殴ってやってねえってのに。
俺が怒りに震える思いで見つめる中、床の上で倒れたまま苦しげに顔を上げたティナが無念の表情で、だが決然と声を上げた。
『そ、そうはさせません。この命に代えても……その力は渡さない!』
そう言った途端、ティナの頭上に浮かぶ光の無い天使の輪にピシッと亀裂が入る。
『天使長権限にて命ずる。全機能削除』
ティナがそう言った途端、その頭上の天使の輪が粉々に砕け散った。
なっ……何だあれは?
グリフィンが操作していたティナのコマンド・ウインドウが唐突に凍結し、いくらグリフィンがそれ以上動かそうとしてもどうにもならなくなった。
『ど、どういうことだ……? どうなっている!』
グリフィンは苛立って声を荒げ、倒れているティナに詰め寄る。
ティナは歯を食いしばり、顔を上げた。
『む、無駄です。修復術の機能を私の体からすべて削除しました。もう奪うことも複製することも出来ません』
『ば、馬鹿な……。謀ろうとて、そうはいかぬぞ!』
そう言うとグリフィンはティナの髪の毛を掴んでその顔を引き上げ、鬼の形相で恫喝する。
『何か方法があるはずだ! 吐け! 吐かぬとこのまま絞め殺すぞ!』
お宝を手に入れる直前で取り上げられたグリフィンは怒りに吠えてティナの首をその手で絞め上げた。
『かっ……かはっ』
『……し、しまった』
ハッとしたグリフィンが咄嗟に手を緩めたが、時すでに遅し。
ティナのライフは……底をついていた。
力が入り過ぎたんだろう。
『クソッ! 忌々しい!』
吐き捨てるようにそう言うとグリフィンはティナの体を投げ捨てた。
床に打ち捨てられたティナの体はゲームオーバーを迎えようとしていたが、断絶凶刃の影響で光の粒子と化すことなく固まっていく。
焦点の合わない瞳をわずかに揺らし、ティナは掠れた声を出した。
『バレットさん……ごめん……なさい』
それがティナの最後の言葉だった。
後に残されたのはボロボロの服装となったティナの無残な骸だった。
その姿を目の当たりにした俺は、腹の底から獣のような咆哮が湧き上がってくるのを抑えられなかった。
「ティナ……うぅぅぅぅぅ……おああああああああっ!」
俺の叫びが虚しく響き渡る。
だがその時、動かなくなったティナの体から激しい閃光が瞬き、俺の視界を真っ白に染めた。
『ぐうううあああああっ!』
激しい光りに目を焼かれたのか、グリフィンが悶え苦しむ声が響き渡るが、それを聞き終わらないうちに俺の意識は白光の彼方へと遠ざかっていった。
薄れゆく意識の中で俺が最後に思い出していたのは、ティナの生意気な笑顔だった。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
この15話で第三章『絶海の孤島』は最終話となります。
誠に勝手ながら、またここでインターバルをいただきます。
次回 最終章 『桃炎の誓い』 第1話 『赤角の悪魔』は
10月15日(火)0時過ぎに掲載予定です。
しばらく空いてしまいますが、次回もよろしくお願いいたします。




