第4話 海棲人
「きゃあっ!」
海中からいきなり飛び出してきた棒状の物体がティナの片翼に突き刺さった。
俺は目を見張る。
あれは……海中で魚を獲るのに使う銛だ。
空中でバランスを崩すティナの腕を掴んで引き寄せた俺は眼下に視線を向ける。
ようやく銛の襲撃が収まった海面に無数の影が浮かんでいた。
そいつらは海面に落ちてきた銛を掴むと、俺たちを見上げた。
俺はその連中に見覚えがあった。
「海棲人か」
それは海中を住処とする人型の生物で、発達したエラ呼吸によって海中で自在に活動する一方、肺呼吸は退化していて陸上では数時間しか活動できない奴らだった。
青緑色の鱗に全身が覆われていて、手にした銛を海中から投げ、海上を飛ぶ獲物を仕留めるのを得意としている。
海域が離れているのでこの群れじゃないだろうが、俺がかつて岸壁の砦に住んでいた頃、幾度か海棲人に遭遇したことがある。
個々の力はそれほど強くないが、獰猛な性格と仲間同士で緻密な連携を取り合う社会性を持つ厄介な連中だ。
地上ならともかく、海中で戦うのは絶対に避けたい。
「ティナ。ボサッとするな。敵は待っちゃくれねえぞ」
俺はそう言ってティナを近くに引き寄せる。
ティナは苦しげに顔を歪めていた。
俺はティナの翼から銛を引き抜こうとしたが、その切っ先には返しがついていて簡単には引き抜けない。
俺が銛を引く手に力を込めた途端、ティナが悲鳴を漏らした。
「ひぐっ! い、痛いです」
無理に引き抜こうとすれば翼がひどく損傷する恐れがある。
飛ぶのに支障が出ると面倒だ。
そうこうしている間にも下から再び銛が次々と襲いかかってくる。
「チッ! 鬱陶しい!」
俺はティナを抱えたまま上空まで急上昇した。
奴らの投げる銛はせいぜい50メートル程度の高さまでしか届かない。
それよりも上空高くに逃れた俺たちは、海棲人どもの射程範囲から外れた。
翼を貫かれたティナは苦痛に脂汗をかいている。
「少しくらい痛いのは我慢しろ。このままでいるわけにはいかねえだろ」
「は、はい……」
俺は右手の親指と人差し指に炎を灯して高熱化すると、ティナの翼に突き刺さった銛の先端をつまんだ。
そして指に力を入れると高熱で金属が溶け始めて、銛の先端が歪み始める。
俺はそのまま指で銛の先についた返しを押し潰した。
銛が変形して煙を吐くようになると、金属から伝わる高熱に耐え切れずにティナが音を上げる。
「あ、熱い! バレットさん! もう無理! 熱すぎます!」
「もう少しだ」
そう言うと俺は左手で一気に銛を引き抜いた。
返しを焼き潰したことで、引っかかることなく今度はスンナリと銛は抜けた。
俺はその銛を真っ二つにへし折って捨てる。
ティナの翼は傷つき、熱でわずかに変色していたが、飛べなくなるほどではなさそうだ。
本人は痛みと熱さで涙目になっていやがるが、何とか自力で浮かんでいる。
「あ、ありがとうございます」
「フンッ。油断すんな。だが、これ以上高度を下げなければ奴らの銛は届かねえ。このまま高度を保ってフーシェ島まで行くぞ」
フーシェ島に上がれば周りが海で囲まれていようと、そこは陸地だ。
海棲人どもが上陸してきたとしても、こっちのペースで返り討ちにしてやれる。
そう考えた俺は何かが頭上からの太陽の光を遮ったのを感じて反射的に上を向いた。
そこには空を閃く1つの影が旋回している。
大きな翼が羽ばたく音が聞こえ、ティナも俺に続いて頭上を見上げた。
「鳥……ですか?」
「いや……」
鳥にも見えるが人にも見える。
俺はそいつが上空からこちらに向けて投げ下ろしてきた物を認識した。
「銛だ!」
頭上から飛んでくる銛を、俺は半身の姿勢となって手刀で叩き折った。
ティナは頭上にいる者の正体に唖然として声を漏らす。
「マ、海棲人です。どうして空に……」
海に棲むはずの海棲人がなぜ空を舞っているのか。
その答えはすぐに出た。
その1体の海棲人の両肩を巨大な鳥が両脚の鉤爪で掴んで飛んでいるからだ。
真っ白な体毛と長い羽を持つその巨大な鳥は、大脚鳥と呼ばれるこの辺りで最大種の海鳥だった。
大脚鳥が海棲人を運んでいるだと?
初めて見る奇妙なその光景に俺は眉を潜めた。
だが、いつまでも驚いている場合じゃねえ。
その大脚鳥に運ばれている海棲人は腰から2本の短刀を抜いてこちらに向かってくる。
柳葉刀と呼ばれる二の腕ほどの長さの短刀を握るその海棲人は、よく鍛えられた筋肉質の肉体を持つ若い男だった。
海面にいる連中の仲間か。
まさか海棲人と空中で戦うことになるとは思わなかったぜ。
「迎え撃つぞ!」
俺の叫び声にティナもアイテム・ストックから銀環杖を取り出して臨戦態勢に入る。
だが海棲人は闇属性ってわけじゃない。
おそらくティナの高潔なる魂は悪魔を相手にした時ほどの効果は期待できねえだろう。
「ティナ。あいつは俺が倒す。おまえは自衛に専念しろ」
他に助っ人もいねえことだし、1対1だ。
さっさと終わらせるぜ。
海棲人は俺の頭上へ急降下してきて両手に持った柳葉刀を振り下ろそうとする。
そうはさせじと俺は牽制の一撃を放った。
「灼熱鴉!」
だが海棲人をぶら下げた大脚鳥が素早く身を捻って灼熱鴉をかわすと、そのまま俺の目の前に迫ってきた。
海棲人は柳葉刀を俺に向けて鋭く突き出した。
「ナメんじゃねえ!」
俺は足を振り上げて魔刃脚で敵の刃を弾いた。
ギィンという鋭い音が鳴り響く中、俺は勢いをつけて敵の刃を押し返した。
海棲人は後方に下がって俺と距離を取る。
こいつ、油断できねえな。
しかも大脚鳥はその巨体に似合わず、かなり動きが速い。
海棲人をぶら下げたままだってのに大した機動力だ。
飛び方を見る限り、海棲人とすっかり息を合わせていやがる。
獰猛な性格で他の生物には慣れないはずの大脚鳥をまるで飼い慣らしているかのようだ。
あの海棲人。
一体何者なんだ?
俺は警戒しつつ、両手に炎を宿した状態で奴らに突っ込んでいく。
海棲人は再び両手の柳葉刀を振り上げて俺に斬りかかってくるが、俺は羽を操って空中で小刻みに体勢を入れ替えながら敵の斬撃をかわし続ける。
海棲人の斬撃が思いのほか鋭く、油断すると腕や足を切り落とされそうだ。
俺は魔力を使って鋭い刃と化した脚で連続攻撃を仕掛けた。
「魔刃脚!」
海棲人はこれを両手の刃で受け止めるが、俺は構わずに連続で魔刃脚を打ち込み続ける。
海棲人は俺の攻撃をすべて受け止めてはいるものの、攻撃に転じることは出来ずに防戦一方だった。
いいぞ。
これでいい。
俺の狙いは……。
「灼熱鴉!」
俺は魔刃脚を打ち込んだ次の瞬間、超至近距離から灼熱鴉を放った。
海棲人ではなく、その両肩を掴んでいる大脚鳥に向けて。
「クワァァァァォァァァァ!」
だが灼熱鴉が直撃する瞬間、大脚鳥はあっさりと海棲人を放り出すと、そのまま炎をかわして上昇する。
そして空中に放り出された海棲人は柳葉刀を腰の鞘に叩き込むと、俺に組み付いてきやがった。
「くっ! 放しやがれ」
俺は海棲人を振りほどこうとしたが、俺の腕を掴むその握力は思った以上に強く、簡単には振りほどけない。
そして海棲人はようやく俺の耳に聞こえる程度のか細い声を出した。
「天使を……生贄をよこせ」
その言葉に俺は思わず面食らった。
こいつ……海棲人のくせに共通語が話せるのか?
奴らは独自の言語しか話せないため、他種族と会話によるコミュニケーションを取ることが出来なかったはずだが。
「生贄……天使が必要」
天使の生贄だと?
片言の言葉だが、こいつは確かにそう言った。
ティナを狙ってやがるのか。
「きゃあっ!」
案の定、俺の後方からティナの悲鳴が上がる。
空中で海棲人と揉み合いながら俺は後方を見た。
するとさっきまで海棲人の肩を掴んでいた大脚鳥がその大きな鉤爪で今度はティナの肩を掴んでいる。
「ティナ!」
「は、放しなさい! 高潔なる魂!」
ティナの体から桃色の光が溢れ出し、それを浴びた大脚鳥がけたたましい悲鳴を上げてたまらずにティナの体を放り出した。
「クエェェェェェェッ!」
だが、魔法が効いたことでティナの奴に一瞬の油断が生じる。
大脚鳥が腹いせのようにその鉤爪でティナを頭上から蹴り落とした。
「ひあっ!」
ティナは悲鳴を上げて真っ逆さまに落下していく。
あのアホ!
油断してんじゃねえぞ!
だが油断していたのはティナだけじゃなかった。
大脚鳥の悲鳴が上がった途端、俺に組みついていた海棲人が顔を上げて何事かを叫んだ。
その意味はまったく分からなかったが、俺に組みつく力がわずかに弱まった。
「ハァッ!」
俺はその隙を見逃さなかった。
体を瞬時に高速回転させ、海棲人の手が俺から離れた瞬間、振りほどく。
そして間髪入れずに海棲人の脳天に肘を打ち下ろした。
「オラァッ!」
「ギアッ!」
クリーンヒットだった。
海棲人はくぐもった悲鳴を上げて海面に落下していく。
するとそれを追うように大脚鳥が急降下していった。
俺はそれに構わず即座に方向転換をしてティナを追う。
大脚鳥に叩き落とされたティナは何とか空中で体勢を立て直して静止していた。
だが、俺は見た。
ティナの真下の海面から何か奇妙なものが飛び出してきたのを。
「ティナ! 下だ!」
それは太く長い帯のようなもので、鞭のようにしなってティナのふくらはぎに絡みついた。
「ひっ!」
いや、帯でも鞭でもない。
あれは……海蛇か?
いや、そうじゃない。
海面が急激に盛り上がり、大きな波しぶきを上げながら巨大な物体が姿を現した。
「こ、こいつは……」
そこに現れたのは見たこともないほど巨大なタコだった。
ティナの足に巻きついているのは、その大ダコが海面から鋭く伸ばした脚だったんだ。
「何てデカさだ……」
その頭の大きさだけで直径10メートル以上はある。
だが、もっと驚くべきはその脚の長さだ。
海面から50メートルは上空にいるはずのティナの足を捕らえている。
「くっ! 高潔なる……きゃっ!」
ティナは再び神聖魔法で危機を脱しようとしていたが、それよりも早く大ダコの脚に引っ張られて見る見るうちに落下していく。
「ティナッ!」
「バ、バレットさぁぁぁぁぁん!」
その叫び声も虚しく、ティナはあっという間に海面下へと引きずり込まれてしまった。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第三章 第5話『海域の主』は
明日9月6日(金)0時過ぎに掲載予定です。
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