第15話 ネズミの反撃
「く、くそったれがぁ……」
ディエゴの魔法・過重力に捕らわれた俺は、身動きひとつ取れずに悪態をつくのがやっとだった。
凶悪な重力がまるで巨人の手のように俺を頭の上から押さえつけてくる。
目の前に……手を伸ばせばすぐ届く距離にディエゴがいるってのに、重力のせいで腕を上げることも出来ない。
そんな俺を見据えるディエゴの目には、先ほどまでのような嘲る色は見て取れない。
そこにあるのは純粋な殺意だった。
ディエゴは落ち着き払った声で言う。
「バレット。俺は下級種相手に気張ったことはしたくねえんだ。かったるいからなぁ。だが、おまえは弱いくせに妙に粘りやがる。ムダな抵抗をするだけ苦しみが増すぞ。早々にあきらめて軍門に下るほうが利口だ。おまえらの勝利の可能性は欠片もねえんだからな」
そう言うとディエゴはアヴァンに合図を送る。
出入口を塞ぐために仁王立ちをしていたアヴァンが、鼻息を荒げながら階段を降りてきた。
その向かう先はティナだ。
ティナもそのことに気付いて緊張と恐怖で顔を強張らせている。
「さあ。いよいよチェックメイトの時間だ」
「バレットさん！」
ティナは俺を過重力で抑え込んでいるディエゴの背後から不意打ちを食らわそうと思ったのか、駆け寄ってきた。
バ、バカ野郎！
見習い天使の浅はかな考えを読み切っていたディエゴは首だけで背後を振り替えると、再び目から赤い光線を放った。
それはティナの足元の床に穴を穿つ。
「ひっ……」
ティナは自分の爪先近くに開けられたその穴を見て思わず足を止め、後ろに倒れ込みそうになるのを必死に耐えた。
「そこでじっとしてろ見習い天使。兄貴が紳士的にエスコートしてくれるからよ。もし動いたら次はてめえの足の甲に風穴が開くことになるぜ」
そうティナを脅しつけている間もディエゴは俺への過重力を緩めない。
重力に抑えつけられたまま俺は動くことも喋ることも出来ず、ティナに目配せをした。
ティナは俺と視線を合わせると、頷くこともせずに呆然と立ち尽くす。
「見ろ。あの天使の小娘。震えて動けなくなっちまってるぞ。ま、用心棒であるおまえがこのザマじゃ無理もねえな。バレット」
ディエゴは軽妙な口ぶりでそう言うが、その目は殺意に満ちて俺に向けられたままだ。
一方、ティナは銀環杖を握り締めて、前方から近付いて来るアヴァンを見据えていた。
暴走回避のために神聖魔法は使うなという俺の言いつけを守り、目の前から近付いて来る絶対的な脅威を前にしても逃げ出さずに両足を地に付けて立っている。
その表情はビビッて引きつっちゃいるが、見習いにしちゃ上出来だ。
とうとう階段を降りきったアヴァンが一歩また一歩とティナに近付いていく。
俺は重力で押さえつけられたまま動かない体を無理やり動かそうと力を振り絞った。
食いしばった歯の間から思わず唸り声が漏れる。
「ぬああああっ！」
「ムダだ。バレット。おまえの低いステータスじゃ、どうあがいても俺の過重力からは抜け出せねえ。低能は辛いなぁ」
んなこたぁ分かってるんだよ。
だからって動かねえでいられるほど俺はお行儀よくねえんだ。
重力に押し潰されそうになりながら、それでも俺は死に物狂いで口を開く。
「お、俺はなぁ……てめえらをぶっ殺すことしか考えてねえんだ。この手で必ずてめえのツラをぶん殴ってやる」
そう言う俺の体から炎が噴き出した。
俺は重力に逆らってひたすらに魔力を放出し続ける。
そんな俺を見てディエゴはつまらなさそうに首を横に振った。
「フンッ。馬鹿が。おまえが俺をぶん殴れる日は永遠にやってこねえよ。ここでおまえは死……がっ！」
そう言いかけたディエゴの体がビクッと突然動きを止めた。
その猿顔が見る見るうちに苦痛に歪み始める。
「ふぐっ……うぎぃ？」
……始まったな。
この部屋に仕掛けておいた本当の罠が発動したんだ。
アヴァンの奴が階段を降り切ったその時から。
そして俺が体から炎を噴き上げるのが合図となって。
俺が後方に目をやると、ティナの奴が銀環杖を構えている。
その杖の下端となる石突き部分が床に突き刺さっていた。
非力なティナが杖を床に突き刺したわけじゃねえ。
あらかじめ俺が開けておいた穴に杖の石突きを差し込んだだけだ。
そして杖の上端にはめこまれた虹色の宝玉が青く強い輝きを放っていた。
神聖魔法による桃色の光ではなく、修復術の青い光だ。
その青い輝きは杖の柄を通して石突きから床に伝わり、その床にはうっすらと幾何学模様が浮かび上がっていく。
ティナの力が床を伝い、壁へそして天井へと広がっていく。
これこそが俺とティナがこの部屋に仕掛けた真の罠だった。
俺はアヴァンとディエゴをこの部屋に留めておくために振る舞い、その間にティナは罠を発動するタイミングを見計らっていたんだ。
「て、てめえ。一体何を……」
ディエゴは全身を震わせて苦しみながら、真っ赤に充血した目で俺を睨み付けてそう言う。
その額には『戒』の字がくっきりと浮かび上がっていた。
ティナの修復術がディエゴの身に刻みつけられた動かぬ証拠だ。
「決まってんだろ。てめえが最も恐れる正常化さ」
今、俺たちの立つ部屋の床にはティナの修復術の力が満ちている。
それはあらかじめこの部屋の手前半分の床に刻み付けておいた特殊な模様がティナの力を伝えていたからだった。
だからその床に立つディエゴはあれだけ苦しんでいるんだ。
そしてふいに俺の体にかけられていた重力の重しが軽くなった。
ティナの修復術を受けて悶え苦しむディエゴの、過重力の威力が弱まったんだ。
体を何とか動かせる程度になった俺は、全身の炎を腕に集中させて目の前のディエゴに放った。
「灼熱鴉！」
「くっ！ 真空膜！」
例によってディエゴは真空膜を展開して俺の灼熱鴉を防ごうとする。
だが、今回ばかりは勝手が違った。
「うぎえあっ！」
ディエゴのけたたましい悲鳴が上がる。
真空膜が不完全だったのか、俺が成し得る最大出力で放った灼熱鴉を吸収し切れず、炎の鴉の一翼がディエゴの顔面を炙って焼いた。
すると俺の体にのしかかっていたディエゴの過重力が完全に消え去った。
鬱陶しい重力の呪縛から解き放たれた俺は獣のような唸り声を上げ、燃え盛る炎に焼かれたディエゴの顔面を思い切り殴り付けた。
「ぐえふっ！」
ディエゴは情けねえ声を上げて後方に転がる。
俺は確かな手ごたえに拳を握り締めて吠えた。
「どうだ！ ぶん殴ってやったぞ！ ざまあねえな。上級種。外道な手段に頼った報いが今のその情けねえ姿だ」
ゆうべの作業中にティナの奴が顔にクモの巣を浴びたのを見て閃いた俺は、この部屋にこの罠を仕掛けることを思いついたんだ。
元より罠を準備するに際して俺とティナが主題にしていたのは、上級者どもに確実に修復術を施せる環境をいかに作るか、ということだった。
当然、あんな仕込み刃程度の罠で奴らに致命傷を与えられるわけはない。
だが、俺のアイディアとティナの持つ豊富なアイテムがこの罠を実現させた。
天使どもの持つ資材の中で、神聖魔法を伝導する性質の塗料がある。
それは天樹の塔の樹皮を修復するためなどに使われるものなのだが、もちろんその塗料もティナの奴はアイテム・ストックに持っていやがった。
それを利用した罠で上級種の奴らをハメてやることに決め、俺たちは準備をしたんだ。
この隠し部屋の床石や壁石を剥がし、その下に塗料で幾何学模様を書き込む。
そして石を戻して目地材の珪砂で固定して元通りだ。
さらに今ティナが立っているところを初めとして数ヶ所にだけ目立たないよう小さな穴を開け、ティナの銀環杖の石突きを差し込めるようにしておいた。
こうして床下に描かれた塗料を伝って浸透するティナの修復術は、クモの巣さながらにディエゴを捕らえた。
この部屋自体が上級種どもを捕らえるためのクモの巣なんだ。
ディエゴたちを部屋の中まで引き込めたこと、さらにこの部屋に仕掛けた罠が刃物類だけだとディエゴに思わせたことが、今のこの状況を生んでくれた。
「か、下級種の分際で……」
俺の拳を浴びてひっくり返ったディエゴは起き上がりざま、目から赤い光線を放とうとした。
だが、それを読んでいた俺は先んじて灼熱鴉を放つ。
ディエゴは即座に真空膜を張るが、俺はさらにそれを先読みして飛び上がった。
ディエゴの奴はティナの正常化を受けたことで、反応速度や判断力すらも大幅に低下してしまっているようだ。
不正プログラムを持つ者が正常化されると、その能力が大幅に低下してしまう。
馬鹿な野郎だぜ。
禁断の力に手を出したばっかりにディエゴは本来持っている上級種としての実力までも失ってしまったんだ。
「螺旋魔刃脚！」
軽めに放った灼熱鴉が真空膜に吸い込まれた時にはすでに、俺はドリル状になった足の爪先でディエゴの頭を狙う。
ディエゴは咄嗟に飛び上がってこれをかわそうとしたが、俺はただちに螺旋魔刃脚をキャンセルして空中で灼熱鴉を放った。
「灼熱鴉！」
「ヴァ、真空……ぐげえっ！」
今度は真空膜を張ることも間に合わず、ディエゴはその身に灼熱鴉を浴びて火だるまになった。
そのままディエゴは落下して床に激突する。
「ディ、ディエゴ！ よくも……てめえらぁぁぁぁ！」
弟を丸焼きにされて怒り狂ったのはアヴァンだ。
床を踏み壊さんばかりの勢いでこっちに突進してくる。
ティナの修復術が満ちた床を踏んでもアヴァンの奴はまったく苦しむ様子がない。
ってことはやはり、ディエゴとは違ってこいつは不正プログラムに手を染めていないってことだ。
ティナの感覚は間違っちゃいなかった。
そしてその可能性だって俺たちはもちろん考慮に入れていた。
「ティナ！」
俺の声に反応したティナの持つ銀環杖が今度は桃色の光を帯びる。
「高潔なる魂！」
そうティナが叫んだ途端、部屋中の床が桃色に光った。
「ぐがぁ！」
すると猛然とこちらへ駆け寄って来ていたアヴァンが叫び声を上げながらもんどりうって倒れる。
この部屋中の床に、強烈な光の純度を持つティナの神聖魔法が満ちて、その場にいるアヴァンの体を痛めつけていた。
そして俺の炎に焼かれて床の上で苦しむディエゴも、同様に神聖魔法を浴びて苦しみにのたうち回る。
空中に浮かぶ俺だけがノー・ダメージだった。
ざまあみやがれ。
泣きっ面に蜂とはこのことだ。
俺も直接この身で浴びたことがあるからこそ分かる。
俺たち悪魔にとってティナの高潔なる魂はまるで劇薬だ。
あんな弱っちい見習い天使の攻撃で上級種どもがあれだけ苦しむんだから、世の中ってのは分からないもんだ。
特にあの牛頭。
俺がどんなに攻撃しても平気な顔していやがったくせに、ティナの攻撃を浴びて泡食ってやがる。
正直、複雑な気分だぜ。
アヴァンの奴が足止めを食らっているのを横目で見ながら、俺は自分の役目を果たすべく羽を翻した。
俺が見下ろすその先には炎に身を焦がし神聖魔法に苦しんでなお、俺を殺そうと立ち上がるディエゴの姿があった。
「こ、こんなことで……勝ったつもりか。ネズミの分際で」
「メッキが剥がれたなディエゴ。しょせんその力はおまえの身の丈に合わねえ代物だったんだよ。そろそろオシマイにしようぜ」
俺の言葉にディエゴは逆上して声を張り上げる。
「お、俺はぁぁぁ！ この力で魔王の座に上り詰めるんだ！ こんなところで躓いていいはずがなぁぁぁぁい！」
ほとんど錯乱してそう言うと、ディエゴは再び手をかざして過重力を放つ。
途端に俺の体に重力がのしかかった。
空中に浮かぶ俺はぐんぐんと床に向かって引きずり下ろされる。
ティナが慌てて神聖魔法の放出を解除し、桃色の光が消えた床に俺は重力によって押し付けられた。
「くたばれっ！ バレット！」
そう叫ぶディエゴの目が赤く光り、次の瞬間、光線が俺の腹に直撃した。
「ぐうっ！」
「バレットさん！」
悲鳴混じりのティナの声が響き渡った。
だが……先ほどは俺の右肩を貫いたはずの光線は、今回ばかりは俺の腹を貫通することなく消滅した。
確かに鋭い痛みがあり、敗れた胴着の下で俺の腹は赤く腫れ上がっている。
だが、それだけだ。
当たり所が悪ければ一撃で俺を殺すほどだったはずの破壊力はもうない。
そしてこの体にのしかかっている重力も鬱陶しいことには違いないが、ディエゴの力が弱まっている今、俺を封じるにはいささか力不足だった。
「ふぅぅぅぅ！ 見せてやるよ。ネズミの反撃をな」
「な……馬鹿な」
驚愕に目を見開くディエゴに向かって、俺は全身の力を振り絞って立ち上がり、足を一歩前に踏み出した。
敗北を拒む意地と、勝利への熱望が俺の体を突き動かしていた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第二章 第16話 『魔力爆轟』は
8月20日（火）0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。
