第13話 死の審判
【システム・エラー:コンティニュー・システム正常機動不能】
赤く染まった俺の視界の中でその文字が浮かんだのは、ほんの数秒間のことだった。
だが俺は自分の身に起きた出来事を正確に把握した。
断絶凶刃によって斬られた首すじから静かに溢れ出す血が、俺の喉から胸までを濡らす。
やられた。
アヴァンの体当たりを浴びたダメージによって体が麻痺して動けなくなった俺は、忌々しいことにディエゴの野郎に一太刀食らわされちまった。
血にまみれた俺を見るディエゴが嘲りながら言う。
「おっと。おまえが生意気な口をきくもんだから、つい手に力が入っちまった。悪い悪い」
そう言うとディエゴの奴は何を考えたのか、刃を持つ手の力を緩めて俺の首から離した。
俺はディエゴの不可解な行動に顔をしかめた。
紫色の光を放つその断絶凶刃でそのまま俺の喉笛をかっ切れば事は済むはずだ。
「……てめえ。何のつもりだ。遊んでんじゃねえぞ」
「そう死に急ぐな。おまえにはもう審判が下されている。墓に急いで駆け込むこともあるまいよ。ケケケ」
「なに?」
ディエゴの言葉に俺が眉を潜めると、前方からゆっくりと近付いてくるアヴァンが自分の喉を指差しながら言った。
「刑が確定した死刑囚なんだよ。おまえは。後は執行を待つのみだ」
上級種どもの口ぶりとその仕草が、俺の脳裏に疑念を浮かび上がらせた。
ケルの話では断絶凶刃でトドメを刺された場合に、コンティニュー不可の死を遂げるということだったが……。
「こいつはオリジナルの断絶凶刃だ。あのケルとかいう下級種にくれてやった紛い物のコピー品とは違う。こいつに刺されたおまえには、すでにコンティニュー不可の呪いがかかっている。この先どのような形であれ次にライフが尽きれば、おまえは二度と復活できないんだよ。バレット」
ディエゴはそう言うと喉を鳴らして笑う。
そういうことかよ。
どうやら俺は斬られた痛み以上に手痛い一撃を食らっちまったようだ。
「さあ下級種バレット。おまえも悪魔の端くれなら俺たちの求めることが何か予想がつくだろう。今やおまえは俺たちの手のひらの上だ。復活のない死を逃れたくば、協力的な態度を取るべきだぞ。そのくらいの分別はあるな?」
そう言うディエゴに続いてアヴァンが俺の眼前で足を止め、俺を見下ろしながら得意気な調子で要求を告げた。
「俺たちはあの見習い天使を捕まえる必要がある。だが、おまえの命を奪う特段の理由はねえ。おまえが邪魔さえしなけりゃな。だから……」
「……あいつを捕らえるのに協力すれば命は助けてやる。そういうことだろ?」
俺の言葉にアヴァンは頷き、ニヤリと笑みを浮かべた。
俺の背後からディエゴがさらに追い打ちをかけるように言う。
「それだけじゃねえ。断絶凶刃の呪いだって解いてやる。俺たちは見習い天使を捕らえて目的を果たし、おまえは命が助かり元通りの自由を得る。みんなハッピーだろ? 俺の提案を飲むべきだよなぁ? バレット」
ヘドが出るようなディエゴの猫なで声に、俺は怒りを噛み殺しながら口角を吊り上げて見せた。
「みんなハッピーだと? へっ。それじゃ困るんだよ。俺はてめえらの泣きっツラが見たいんだからな」
俺の言葉にディエゴは笑みを浮かべたまま……断絶凶刃を上から振り下ろして俺の肩に突き刺した。
「うぐああああっ! っくうぅぅぅぅ……」
筋肉をえぐられる鋭い痛みが肩から上腕にかけて走り、俺は必死に声を噛み殺した。
「バレットォ。ガキみてえな反抗心は捨てろ。悪魔にとって大事なのは自分の損得勘定だけだ。俺たちに一泡吹かせてやろうなんて、つまらねえ意地で命を捨てるのは明らかに大損だろ。馬鹿げてるぞ」
そう言いながらディエゴは俺の肩に突き刺した断絶凶刃をグリグリと動かす。
ぐうっ。
激しい痛みを堪えるために噛み締める唇から血の味が伝わってくる。
そんな俺の耳元でディエゴは囁いた。
「こんな痛い思いを我慢してまで、意地を張る意味があるのか? あの見習い天使はてめえにとって相当有効な手札のようだが、そんな手札を一枚持ったくらいで下級種のおまえが俺たちを倒せると思ってんなら、そいつは見通しが甘過ぎるぜ。バレット」
くっ……痛みで思考がままならないのをいいことに、俺の心をへし折ろうってのがディエゴの魂胆なんだろうよ。
話術で心の隙を突こうとする悪魔の典型的な手法だ。
ナメやがって。
誰がてめえらの手の上で踊ってやるかってんだよ。
俺はほとんど動かない両手の拳を震わせながら、声を絞り出す。
「くっ……上級種ともあろう奴らが見習い天使1人にビビッてやがるのか。笑えるぜ」
「……何だと?」
「ゴチャゴチャ言ってねえで、さっさとこの場で俺をぶっ殺して邪魔者を排除すれば、後はあの見習い天使を余裕で捕まえられるだろう? なぜそうしない?」
こいつらは俺を使ってティナを油断させ、捕らえようとしている。
わざわざそんな面倒なことをする理由は一つだ。
こいつらは得体の知れないティナの力を警戒し、恐れているんだ。
それほどこいつらにとってはティナの力が危険なものなんだろう。
だから念には念を入れ、俺という存在を利用しようとしている。
図星を突かれたことに腹を立てたのか、ディエゴの野郎が俺の肩に突き刺した刃をグリグリとねじる様に押し込んでくる。
「フンッ。調子に乗るなよ下級種。おまえは今、そんな戯言をほざいていられる状況か?」
「うぐあああああっ!」
俺は激痛に声を上げながら、必死に頭の中で思考を重ねる。
ここでこいつらの誘いに乗るフリをして一時的に難を逃れ、後で奴らの寝首をかくという手もある。
だが恐らくそんなことをしても、こいつらは見透かすだろう。
それも織り込み済みで俺を誘ってきたはずだ。
それこそ甘くねえ。
何より、俺はこのクソ野郎どもに一時的にでも尻尾を振るつもりは毛頭なかった。
絶対に御免被るぜ。
こいつらをぶちのめすために今俺はここにいる。
絶対にその信念は曲げねえ。
そして不幸中の幸いなのは、肩を貫く痛みのおかげで、麻痺状態だった体が刺激されて動くようになってきたってことだ。
俺はようやく動かせるようになった右手で、右の太ももに思い切り爪を立てた。
そこには事前にティナから受け取っておいたあるアイテムが隠されていた。
胴着の裏側に忍ばせておいた小さなそれが破れるのを感じ、同時に俺の右足から眩い光が放出される。
ティナが万が一の時のためにと俺に手渡したその奇妙なカプセルから発せられた光に、俺はあいつの言葉を思い返す。
「目を閉じて呼吸を止めて下さい。光を見るのも粒子を吸い込むのもダメです」
それは緊急避難用にティナから手渡された超高濃度の光属性式閃光弾だった。
プラスチックのカプセルに爪で穴を開けることで誘爆する仕組みのそれが、俺の右足の胴着を突き破って炸裂した。
「ごあああっ!」
「ぐえええっ!」
あらかじめ息を止めて、目を閉じていた俺と違い、上級種どもはモロにそれを浴びた。
すぐにアヴァンとディエゴの悲鳴が響き渡り、奴らが苦しみにのたうち回る物音が騒々しく聞こえてくる。
強烈な閃光に目を焼かれ、吸い込んだ光の粒子に灰を痛めつけられる。
それは悪魔にとっては耐え難い苦痛だろう。
このクソッたれな状況を打破するチャンスはここしかない!
「ウラアッ!」
俺は目を閉じて無呼吸のまま背後に回し蹴りを放った。
すぐ背後で苦しみ悶えているディエゴがその蹴りを浴びて後方に吹き飛ばされる。
そして目の前にいるであろうアヴァンの位置をその悲鳴とのたうち回る物音とで予測し、そのすぐ脇をすり抜けて俺は駆け出した。
肩に断絶凶刃が突き刺さったままでひどく痛む上に動きにくいが、それでも構わずにとにかくその場を離脱することを優先した。
「待ちやがれバレット!」
ようやく晴れてきた光の靄の中でアヴァンが怒鳴り声を上げている。
俺はとにかく奴らを振り切るべく全力で走り続けた。
奴らもいつまでも苦しんでばかりじゃない。
じきに復活して追って来やがるはずだ。
かなり深刻なダメージを体に受けた俺のライフはもう残り少なくなっていたが、回復アイテムを使う間も惜しい。
一秒でも早くティナを見つけて奴らを迎え撃つ態勢を整えねえとならねえ。
幸いなことに俺が通路を1分も走らねえうちにティナの姿が見えてきた。
「ティナ!」
「バレットさん!」
ティナの奴は前方の通路を今まさに正常化し終えたところだった。
そのティナの数メートル先には曲がり角があり、そこを曲がればすぐにドレイクの隠し部屋がある。
後方からはアヴァンがようやく身動きを取れるようになったのか、怒りの声を上げて追ってくる様子が伝わってきた。
思ったより復活が早い。
そう思ったその時、ふいにティナの奴が表情を固くして叫んだ。
「穴です!」
「チッ。またかよ」
ティナの言葉に俺は咄嗟に急ブレーキで足を止めた。
俺とティナとの間を阻むように床、壁、天井が揺らぎ、そこに明らかに異常が生じていた。
不正プログラムだ。
床、壁、天井と全てが繋がっているため、その間の空間さえも揺らいで見える。
まるで不正プログラムが蜘蛛の巣のようになって獲物を待ち構えているかのようだった。
そしてその空間からディエゴの野郎が首だけを現しやがったんだ。
ディエゴはその猿顔を怒りに歪めて言う。
「無駄足だったなバレット。せっかくの俺の親切な提案を無下にしやがって」
こいつももう復活して先回りしやがったか。
だが躊躇しているヒマはねえ。
こんなところで足止めを食ってたまるか。
「灼熱鴉!」
「おっと!」
俺が素早く繰り出した灼熱鴉を避けるようにディエゴの野郎は空間の中に首を引っ込める。
「ティナ!」
その瞬間、俺は声を張り上げてティナに目配せをした。
ティナは頷くと即座に銀環杖を構えた。
「高潔なる魂!」
ティナの体から桃色の光が発生し、それが人型となって宙を舞い、そのまま不正プログラムの網に突っ込んだ。
同時に俺も駆け出し、反対側から網に突っ込む。
途端に俺の体は奇妙な感覚に包まれた。
それはまるで空間の裏側に入り込むような感覚だったが、すぐにその奇妙な感覚を打ち破る光が飛び込んできた。
ティナの放った高潔なる魂が網をブチ破ったんだ。
すぐに俺は元の通路の上に投げ出され、地面に転がって受け身を取る。
「ぐうっ……」
断絶凶刃が刺さったままの肩がひどく痛み、俺は思わず声を漏らした。
そんな俺の手を誰かが握る。
ハッとして顔を上げると、そこには決死の形相を浮かべたティナが立っていた。
「行きますよバレットさん!」
そう言うとティナは俺の手を思い切り引っ張って駆け出す。
情けないことに俺は息も絶え絶えになりながら歯を食いしばり、足を踏み出した。
後方からは地響きのような足音を響かせながらアヴァンが猛然と追ってくる。
ディエゴの奴はどうやら不正プログラムの網が消される前に他の場所へと避難したようだ。
ティナは俺の手を引いて走り、俺たちは突き当たりの角を曲がった。
曲がってすぐのところには隠し扉がある。
ドレイクの隠し部屋への唯一の出入口だ。
ただの壁にしか見えないこの隠し扉を開けるのはコツがいり、俺以外にはそうそう開けられない。
俺は壁に手を置き、手慣れた動作で扉を開け、すぐにティナを中に押し込むと自分も身を滑り込ませる。
そして後ろ手で即座に扉を閉めた。
その直後、巨漢のアヴァンが壁の前を通り過ぎていく音が聞こえてきた。
俺とティナは身じろぎせずにその場でそれをやり過ごし、物音が聞こえなくなると、静かに目の前の階段を降り始めた。
情けねえことに一歩階段を降りるごとに体中がミシミシと痛む。
アヴァンの体当たりが相当こたえていた。
ディエゴに刺された傷も深い。
俺のライフはもう残り20%ほどまで減少していて、かなりのダメージが体に蓄積されていた。
階段を降り切ると俺はたまらずその場にドサッと座り込む。
上級種との戦いが相当に無謀なものであることは分かっていたつもりだった。
しかし実際に奴らの攻撃をこの身に受けると、その圧倒的な力の差に愕然とする。
たった一発の攻撃でも当たりどころが悪けりゃ致命傷になっちまう。
そしてこっちの攻撃では大してダメージを与えることが出来ない。
ティナの隠しアイテムである光属性式閃光弾のほうがよほど効果的だった。
力なく座り込んだ俺の隣にしゃがみ込んだティナは気遣わしげに言う。
「バレットさん。まずはそのケガを……」
そう言ってティナが俺の肩に刺さったままの小刀に触れようとしたため、俺はそれを手で制した。
「この刃に触れるな。こいつは断絶凶刃だ」
「えっ?」
青ざめるティナをよそに俺は肩に刺さったままの断絶凶刃を掴むと、痛むのも構わず強引にそれを引き抜いた。
見るも忌々しいその刀身は、今だに紫色の光を放ち続けている。
その光は俺の命の根幹に刻みつけられた死の審判の結果を思い知らせるかのように、あやしげに輝き続けていた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第二章 第14話 『袋小路の死闘』は
8月17日(土)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




