第12話 決死の応戦
通路の途中にある壁を俺が蹴りつけると、そこはガラガラと脆くも崩れ去る。
よし。
ここで正解だったか。
内心で安堵する俺を見上げてティナの奴が不安げに口を開く。
「バレットさん? これは……」
「古い砦だからな。こういう昔の抜け道が少なからずあるんだよ」
そう言うと俺はティナを促して空洞の中に身を躍らせる。
ここならディエゴの不正プログラムの罠が張られていることはまずない。
何しろ見取り図には存在しない道なき道だからな。
「下級種バレット! 小細工ばかりがいつまでも通用すると思うなよ! まともに戦うことも出来ねえ腰抜けが! 戻って来い!」
後方の通路からはアヴァンの怒りに満ちた声が響いて来る。
フンッ。
やなこった。
いつまでも泡まみれでスッ転んでやがれアホが。
今は一刻も早くこの場を離脱しなきゃならん。
とにかくあの場でディエゴとやり合うのは絶対に避けたい。
あいつは危険だ。
体格や腕力、そして凶暴さではアヴァンのほうが遥かに上だが、俺としてはやはり不正プログラムを使うディエゴのほうに脅威を感じる。
それにあの過重力とかいう魔法は厄介だ。
あれに一度捕まると、自力で抜け出すことは不可能だろう。
俺が動けない間にティナを捕らえられたら一巻の終わりだ。
あの魔法は無色透明で魔力の波動も感じさせないため、射線を読むのが非常に困難だった。
ディエゴが手をかざした数瞬後に、地の底へと引きずり込もうとするかのように強烈な重力が襲いかかってくる。
しかも強烈な重力負荷が体にかかることによるダメージは侮れねえ。
さっきディエゴがティナの身動きを奪うために過重力ではなく網を使ったのは、見習いのティナじゃ重力負荷に耐え切れずに死んじまうと考えたからだろう。
奴らは何としてでも生かしたままティナを捕らえようとしている。
「す、すみませんバレットさん。神聖魔法は使うなと言われていたのに」
俺の後について歩きながらティナはバツが悪そうにそう言った。
ディエゴの黒い網に捕らわれて、ティナは反射的に高潔なる魂を使った。
「フンッ。仕方ねえ。使わなきゃならん状況だったんだ。身の危険を感じた時はためらわずに使え。ただし連発はするなよ」
背に腹は代えられねえ。
暴走による自滅は避けたいが、さっきのようにティナの神聖魔法に頼らざるを得ない局面があるかもしれねえからな。
騙し騙しやることになるが、あまり使用の制限をティナに強いてイザって時に萎縮されても困る。
俺はティナを先導して先を急ぐ。
「こっちだ。この先はまた別の通路に出る。そしたらまた奴らの罠があるかもしれねえから、それを見破ってもらうぞ」
「は、はいっ! 任せて下さい!」
フンッ。
せいぜい勇み足を踏まないように気をつけな。
砦の中の空洞は幾筋にも枝分かれしているが、俺は自分の方向感覚を頼りに急ぎ足で進む。
とりあえずディエゴはどうだか分からねえが、アヴァンが後方から追ってくる気配はない。
この狭い通路ならば巨体のアヴァンは間違いなく入って来られない。
そしてディエゴは用心深いので、ここに入り込んでティナの修復術を不意打ちで食らうことを嫌うだろう。
とはいえ、ここも安全地帯ってわけじゃねえ。
奴らはその気になれば、この砦ごと更地に変えられるんだ。
しかも狡猾なディエゴの奴がただ指を咥えてこの状況を見ているわけがねえ。
必ずどこかのタイミングで再び仕掛けて来やがるだろう。
だから一刻も早く目的の場所に向かわねえとならねえ。
俺たちは暗闇の中で周囲に最大限の注意を払いながら慎重な足取りで進んでいく。
状況は緊迫感に包まれていてムダ話をする雰囲気じゃなかったが、あまりに緊張が過ぎると体も頭も凝り固まっちまう。
そう思った俺は静かに口を開いた。
「ディエゴの奴は見ての通りだが、アヴァンの方はどうだった?」
俺の質問の意味をティナはすぐに理解する。
事前の打ち合わせの際、アヴァンの不正プログラム使用の可能性について俺とティナは意見を交わしていたからだ。
弟のディエゴと違い、アヴァンの名は不正プログラム保有者名簿には載っていない。
ケルのように二次感染している恐れはあるが、あの牛頭が不正プログラムを使ったことは一度としてない。
もちろんそれは敢えて隠している可能性もあり、アヴァンが不正プログラムを使用しないとは断定は出来ない。
だが……。
「アヴァンからは不正プログラムのニオイはしませんでした」
ティナはきっぱりとそう言った。
もちろんニオイってのは臭気のことじゃない。
不正プログラムによって作られた穴などをティナはいち早く見極める目や判断力を持っている。
そのティナが見てアヴァンは不正プログラムに手を染めている可能性は低いという。
「おそらくアヴァンは能力適性が不正プログラムに合わないのでしょう。あの力は誰にも適合するわけではありませんから」
「なるほどな。そうなるとアヴァンの奴は不正プログラムの保持者じゃないってことになるが、奴はゲームオーバー後、コンティニューするのか?」
「いいえ。アヴァンは不正プログラム保持者や感染者ではありませんが、その協力者として運営本部に登録済みですので、その後は隔離されます。下級悪魔ケルと同じ扱いです」
なるほどな。
アヴァンの野郎をブタ箱にブチ込んでやるのが今から楽しみだぜ。
腹の底で闘争心を燃やす俺の後ろからティナのわずかに震えた声が響く。
「バレットさん……勝てますよね? 私たち」
暗闇の中にか細く響くその声は、深い森の中で家に帰れることを願う迷い子のようだった。
おそらくティナにとってこれほど強大な敵と戦うのは初めての経験だろう。
己の勝利を信じることは勝つために必要な原則だが、あまりにも相手との実力差が大きい場合、迷いなく勝利を信じるのは簡単なことじゃない。
「……先日おまえが話していた下級兵士も、自分より格上の相手に勝ったんだろ。俺たちのこの戦いが同様のケースとして当てはまることを祈るんだな」
「……はい。そうですよね。私たちだってやれますよね」
「俺は負けるつもりは一切ねえよ。敵に勝つその瞬間まで自分の勝利への糸を追い続ける。そして必ず勝つ。それだけだ」
勝てなくても意地を見せて最後まで抵抗する。
たとえ負けても心まではへし折れない。
そんな気持ちを持った時点で、そりゃ負け犬のただの自己満足だ。
命ある限り勝利への現実的な追及をやめない。
その先にある勝利に手を伸ばし続ける。
そして勝利という結果を手に入れる。
今まで戦いに敗れ去ることもあったが、そうした勝利への渇望と行動を失くしたことは俺は一度たりともない。
敵が上級種だろうと、今日も明日も明後日もそれは永遠に変わらない。
「とっくに腹はくくってんだろ。ティナ。危険を避けて安穏とするためにこの地獄の谷に来たわけじゃない。おまえはそう言った。今こそおまえのその言葉の真価が問われる時だ」
俺の言葉にティナが背後で静かに息を飲む音が聞こえた。
そして次に発せられたティナの声には、静かだが力と決意がこもっていた。
「……はい。バレットさんの言う通りです。絶対に負けません。必ず勝ちましょう」
「ヘッ。当たり前だ。そのためにわざわざこんな面倒なことしてんだからな……っと。そろそろ出口だ」
暗闇を見通す俺の視界に、行き止まりの壁が見えてきた。
俺はその終着点に立つと、目の前の壁を手であらためる。
コツコツと叩くと乾いた音が響いた。
よし。
思った通り、この先はさっきの場所とは反対側の1階通路だ。
俺はその壁を先ほどと同じように思い切り蹴りつけた。
途端に壁が崩れ、俺たちの目の前に通路が現れる。
こちら側の通路からもアヴァンたちの手下どもが侵入してきたんだろう。
切り出し窓から差し込む満天の星明かりに照らされた通路には、罠に使った多くの武器がそこかしこに散らばっている。
そこは静寂に包まれていたが、そんな中で俺は誰かの声を聞いた。
「バ、バレット……」
唐突に聞こえてきたその声に、俺は通路の少し先に目を凝らした。
暗闇の中に1人の人影が佇んでいる。
それは罠の中でも大振りの2本の手斧で両肩を貫かれ、壁に磔にされている下級悪魔だった。
俺は自分の名を呼んだそいつの顔に見覚えがあった。
「てめえは……ケルんとこの下っ端じゃねえか」
それはケルの子分の中でも以前からよく見る顔だった。
上級種の小間使いで乗り込んできやがったのか。
俺はそいつの目の前に立つと、弱っているそいつを睨みつけてやった。
「いいザマだな。マヌケ野郎。上級種の命令で押し込み強盗か? こんな最果ての地までご苦労なこった」
「バレット……てめえもすぐにこうなるぞ。上級種どもにやられて死んじまいな」
「ケッ。負け犬の遠吠えは聞くに堪えねえよ。俺がトドメを差して……」
そう言いかけた俺は、瞬間的にある種の既視感を覚えて反射的に体を右側後方に投げ出した。
その途端、ケルの子分が磔にされていたその壁が、轟音とともに前方に吹き飛んだ。
「うおっ!」
「バレットさん!」
さっき大広間で俺に向かって吹き飛んできた扉と同様、その壁は前方に飛んで反対側の壁にぶち当たった。
その壁に磔にされていたケルの子分は、哀れにも潰されてゲームオーバーを迎えていた。
あ、危ねえところだった。
咄嗟にダイブしなけりゃ、俺はまたも手痛い一撃を喰らわされていた。
この力技は間違いなくアヴァンによるものだ。
そして第2波はすぐに来た。
轟音が鳴り響き、俺たちのすぐ目の前の通路の壁が大きく吹き飛んだ。
そこから現れたのは巨大な影だ。
「バレットォォォ! くたばりやがれ!」
壁を吹き飛ばして怒りの形相で突っ込んで来るのは、牛頭のアヴァンだった。
まずい!
俺は反射的に目の前のティナを前方に突き飛ばす。
「えっ? きゃあっ!」
ティナは前方に転がり、そして俺は真横から突っ込んできたアヴァンの体当たりを浴びて後方に弾き飛ばされた。
「ぐあっ!」
直撃の寸前にわざと後方に飛んで衝撃を和らげたつもりだったが甘かった。
圧倒的な力の前に俺は壁に叩きつけられて一撃で意識を失ってしまった。
ほんの一瞬後に目覚めることが出来たのは体中に広がる強烈な痛みを感じたのと、ティナの叫び声が聞こえたからだ。
「バレットさん! バレットさん!」
「ぐうっ……」
床の上で目を見開いた俺はほとんど反射的に起き上がっていた。
全身を苛む痛みの中で、左腕だけが感覚が鈍くなっているのを感じた俺は、左の肘がうまく曲げられないことに気が付いた。
まずいぞ。
肘の骨が砕けてやがる。
壁に叩きつけられた衝撃のすさまじさを感じ、俺は歯を食いしばった。
上級種アヴァン。
同じような巨漢でも下級種であるケルの攻撃力とは段違いだ。
クソッ!
情けねえことに足がガクガクいってやがる。
衝突のダメージで体が麻痺しかかってるんだ。
後ろに飛んで衝撃を少しでも軽減していなかったら、俺はオネンネしたまま起き上がれなかっただろう。
ティナの奴は……。
チラリと視線を巡らせると、俺が咄嗟に突き飛ばしたティナは数メートル先の通路には立ち尽くし、青ざめた顔でこっちを見ていやがる。
俺のこのブザマな有り様にビビッて動けなくなっちまってるんだ。
アホめ。
「行け! やるべきことをやれ!」
声を絞り出し、俺はそう叫んだ。
ティナはビクッと肩を揺らして即座に踵を返し、駆け出した。
問題はディエゴがティナを追うことだったが、それはなさそうだ。
なぜなら今、ディエゴは背後の壁から現れて、俺の首に刃物を突きつけているからだ。
「チェックメイトだな。下級種」
俺が壁に叩きつけられたすぐ後、こいつは不正プログラムによって壁の中から出てきたんだ。
背中がざわつく嫌な感じがしたからすぐに分かった。
どうやらこいつらは、邪魔な俺を先に片付ける手を選択したらしい。
上等じゃねえか。
ディエゴはひと振りの小刀をわずかに動かして俺の首すじに当てると言った。
「断絶凶刃。知ってるだろ」
くっ……そうきたか。
断絶凶刃。
ケルの奴が使っていた不正ウエポンだ。
これで刺されて死ぬとコンティニューが出来なくなる。
実験台にされたケルの子分の哀れな死に様が脳裏に甦った。
俺はその刃が俺の首を撫でるのを不快に思い、ディエゴの奴を罵る。
「アホが。余裕こいてねえでサッサとやらねえと後で泣きを見ることになるぜ。俺を下級種だと侮っていやがるなら……」
そう言いかけた俺の首に、ディエゴは刃を押し当てた。
刃が肉に食い込み、首に鋭い痛みが走る。
ディエゴはその刃をそっと俺の首から離した。
俺の首の傷からは少量の血が滴り落ちていた。
途端に俺の視界が真っ赤に染まり、見たことのない表示が目の前に表れる。
【システム・エラー:コンティニュー・システム正常機動不能】
断絶凶刃で斬られた。
だが、この時の俺はまだその本当の意味を分かっていなかったんだ。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第二章 第13話 『死の審判』は
8月16日(金)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




