第11話 押し寄せる理不尽な脅威
襲撃者を迎え撃つための大規模な罠を仕掛けていたはずの大広間が、きれいさっぱりと消えてしまっていた。
上級種のアヴァンがその姿を現した入口の向こう側には、何もない剥き出しの地面が広がっていて、砦の周囲を囲むまばらな林が見えている。
天井も壁も床もない。
砦の一部が削り取られてしまい、大広間そのものが消えていた。
こいつは……不正プログラムの成せる所業だ。
「チッ。人の隠れ家を勝手に解体してんじゃねえぞ。クソ野郎が」
そう吐き捨てる俺の隣で、ティナは銀環杖を握り締めて怒りに震えていた。
「この世界の在り様を身勝手に変えてしまうなんて……」
そんなティナの襟首を掴むと俺は即座に階段を駆け上がる。
「きゃっ。バ、バレットさん?」
「上だ!」
俺が見上げる先では天井が奇妙な形に歪み、そこから猿型の悪魔、ディエゴが姿を現しやがった。
「見つけたぜ。見習い天使。そこの下級種を悪魔の臓腑から救い出したのはてめえだな」
禍々しく響くディエゴの声にティナは身を固くした。
「バレットさん! 応戦しないと!」
「いいから来いっ!」
俺はティナの襟首を掴んだまま引っ張って、階段をほとんど飛ぶように駆け上がった。
予想していたことだが、ディエゴの不正プログラムがあれば建物内への侵入のみならず、この砦そのものを一時間もかからずに更地に変えられるだろう。
そうなる前に勝負をつけなきゃならんが、ここじゃ狭いし階段で足場が悪い。
「場所を変えるぞ!」
アヴァンもディエゴも逃げ去る俺たちを面白がるように眺めたまま、追ってくる気配はない。
くそが。
逃げ回るネズミをじっくりいたぶるつもりなんだろうよ。
だが、てめえらはそのネズミに逆に噛みつかれることになるんだ。
今に見ていやがれ。
俺とティナは階段を駆け上がると通路を引き返す。
だが……。
「いけないバレットさん! 止まって!」
ティナが必死の形相で叫び声を上げ、俺は咄嗟に足を止めた。
「何だティナ……」
そう言いかけた俺は、なぜティナが突然声を上げたのかすぐに理解した。
そこかしこに散乱していたはずの罠に使った刃物が、俺が今まさに向かおうとしていた通路のある部分を境に、床の上からパッタリと姿を消している。
「……穴か」
ディエゴが不正プログラムでこしらえた穴がそこにあるんだ。
森でティナが飲みこまれ、悪魔の臓腑に落ちたものと同じだろう。
さっきまで床に散らばっていたはずの各種の刃物は、その穴に飲み込まれたんだ。
ティナが咄嗟に声を上げなければ今頃、俺たちも同じように穴に吸い込まれていたところだった。
「逃げられると思ったか? 罠を仕掛けていたのはテメーだけじゃねえんだよ。下級種」
その声に俺たちが振り返ると、背後からゆっくりと階段を上ってきたディエゴが、ニヤニヤとムカつく猿顔を見せてそう言った。
チッ。
すぐに砦の奥に入ってこなかったのは、先に手下どもを突入させ、その間にこういう罠を仕掛けていやがったせいか。
「やれやれ。呆れたもんだ。見習い天使と下級悪魔がたった2人で俺たちを迎え撃つ。おまえら正気か? 本気でそんなことを考えてるなら、頭がイカれてるな。夢見てんじゃねえぞ」
そう言うとディエゴは不愉快なせせら笑いを響かせる。
その後ろからは牛頭のアヴァンが無遠慮な足音を響かせながら追いついてきた。
まずいな。
力で遥かに劣る俺たちは、砦をいっぱいに使って上級種どもを撹乱する必要がある。
だからこちらの行動範囲が限られるのは、まったくもって好ましくねえ。
俺は無意識に通路に設けられた切り出し窓をチラリと見た。
ティナを引っ張って窓から瞬時に飛び出せば……そこまで考えて俺は内心で首を横に振った。
俺の視線の動きにディエゴがわずかも反応しなかったからだ。
俺がティナを連れて瞬時に窓から逃げ出すかもしれないというのに。
俺は直感した。
こいつら……あの窓にも罠を仕掛けてある。
逃げようとして飛び込めば、そこにはすでに不正プログラムの穴だか何だかが待ち受けているはずだ。
迂闊に動けねえぞ。
俺は上級種どもから目を離さないよう注意しつつ背後のティナに声をかけようとした。
だが、ティナの奴は心得ていた。
「正常化!」
俺に言われるまでもなくティナが背後で銀環杖を振り上げる。
そして床の正常化を終えたティナが俺の腕を引っ張ったのを合図に俺たちは踵を返して一気に後方へ駆け出した。
そんな俺たちを見て、アヴァンはその巨体を揺らしながら追いかけてくる。
「ハッハッハ! 逃げろ逃げろ! 小汚いネズミどもが!」
愚鈍そうな見た目に反して、牛頭のアヴァンは意外に足が速い。
それにディエゴが床の中に沈んでいくのが見える。
先回りをするつもりだろう。
ティナは前方に不正プログラムの痕跡が見えるや、即座に正常化を繰り返す。
だが、その度に足止めを食うので後方から追って来るアヴァンに追い付かれそうになった。
「灼熱鴉!」
俺はアヴァンの奴を牽制するために灼熱鴉を放ったが、アヴァンはそれをまったく避けることなくその身に浴びた。
そして体が燃え上がるのも構わずに俺に突進してくる。
「グファッハハ! ヌルいぜ下級種!」
「くっ! ティナ! 先に行け!」
そう言うと俺はアヴァンに向かって突っ込んでいく。
床下に消えたディエゴの動きが気になるが、ティナの正常化の時間稼ぎをしねえと、どちらにしろアヴァンに追いつかれる。
そう考えた俺はアヴァンと正面衝突する寸前まで突進し、咄嗟に体を倒して床をスライディングする。
そのままアヴァンの足を両足で挟み込んで引っかけた。
「うおっ!」
たまらずアヴァンはバランスを崩して床に倒れ込む。
ズシィンと大きな音を立てて巨体がブザマに寝転ぶ様子を見た俺は、間髪入れず一点集中でアヴァンの膝裏に連続して左右の拳を叩き込んだ。
「うおおおおおっしゃああああ!」
こういうデカイ奴は足に集中攻撃を浴びせるのが定石だ。
そして……。
「魔刃脚!」
最後に空中前転からの魔刃脚でアヴァンの膝裏を切り裂いた……つもりだった。
だが刃と化した俺の踵は突如として軟体化したアヴァンの膝裏に食い込むと、まるでゴムに弾かれるように反発した。
「うおっ……」
アヴァンの足は皮と肉だけじゃなく骨まで軟体化しやがった。
これは奴のスキルか?
バランスを崩してなお着地する俺だが、アヴァンの腰から生えている細い尾が鞭のようにしなって俺の横っ面を襲う。
「くあっ!」
咄嗟に腕で顔をかばったが、尾の勢いを受け止め切れずに俺は後方へ飛ばされた。
そして今度は着地出来ずに俺は背中で受け身を取るのがやっとだった。
「クハッ……くそっ!」
悪態をつきながら俺が即座に立ち上がると、アヴァンの奴もノソリと立ち上がった。
そして奴がパンの両手を勢いよく合わせると、その体を包み込んていた俺の炎が吹き飛んで消えちまった。
「炎獄鬼バレットとか言ったな。御大層な名前の割に突きも蹴りも全く効きやしねえ。しょせん下級種か」
全身を俺の炎で焼かれたはずのアヴァンはほとんどダメージを受けておらず、涼しい顔をしている。
集中打を浴びせたはずの膝も何ともねえようだ。
クソったれ。
確かに俺の攻撃なんざ屁でもねえだろうよ。
首輪で力が弱っている今なら尚更だ。
だが、そんなことは初めから分かっている。
後方ではティナが順調に床や壁の不正プログラムを正常化している。
ティナの修復術で直った箇所には不正プログラムに対する抗体が備わり、もう二度と不正プログラムで歪ませることが出来なくなる。
だからイタチごっこにはならねえ。
握り締めた拳の中にじんわりと汗が滲む。
強大な2人の敵を前に、俺はガラにもなく緊張していた。
だが、まだ俺たちは手の内に武器を持ったままだ。
落ち着いて対処すりゃ、勝機はある。
そのためにここ数日かけて準備をしてきたんだからな。
俺は気分を落ち着かせつつ、先ほどから目をつけていた床石を踏んだ。
途端に天井から真っ白な泡が噴き出してアヴァンの頭上から降り注いだ。
ここを通った下級悪魔どもが踏み残した未発動の罠だ。
「ああ? 何だこりゃ。ガキの悪戯にしても陳腐だぜ。バレット」
泡まみれになったアヴァンは鬱陶しそうに体をブルブルと震わせ、俺に掴みかかろうと足を踏み出した。
だが、その途端に奴は足を滑らせてひっくり返り、背中からドスンと転倒した。
「ウグゥ……」
泡に含まれる界面活性剤のせいで滑りやすくなっている泡まみれのアヴァンは、床の上から立ち上がろうとするも再びスッ転んだ。
俺はその隙に素早くアヴァンの横をすり抜けて前方に駆け出した。
しばらくはあれでアヴァンを足止め出来るだろう。
そうして俺は目を前方のティナに向け、咄嗟に声を上げた。
「後ろだ!」
通路のそこかしこに施されたプログラムの罠を正常化しながら進むティナの背後の壁がひずみ、波紋が広がる。
その揺らぎの中から現れた小さな黒い影がティナに襲いかかった。
ディエゴだ!
ティナは俺の声に反射的に振り返り、銀環杖を振り上げた。
「正常化……」
「遅え!」
ティナの反応よりも早くディエゴがその手から黒い網のようなものを放出する。
その網はティナの頭の上からすっぽりと覆い被さってその体にまとわりついた。
チッ!
「くそったれ!」
俺は全力で走りながら壁に突き立っていた手斧を咄嗟に引き抜き、それをディエゴに向けて投げ放った。
「邪魔すんじゃねえ!」
ディエゴは忌々しげに声を荒げると、飛んでくる手斧に手のひらを向ける。
「過重力」
途端に手斧が下からの重力に引かれて落下し、床に突き立った。
そのままディエゴは迫る俺にも手をかざす。
まずい!
以前に浴びせられたあの奇妙な重力の魔法がまた来る!
そう思ったその時、黒い網に絡みつかれていたティナの体が桃色の光を帯び始めた。
あ、あの馬鹿……。
それを見たディエゴは血相を変え、慌てて壁のひずみの中へと避難していく。
「高潔なる魂!」
ティナの体から放射された桃色の光は、その体を締め上げていた網を断ち切って、ディエゴが避難した壁へとぶち当たった。
するとディエゴが飛び込んだ壁のひずみが消え去っていく。
そうだ。
高潔なる魂は神聖魔法と修復術の合わせ技で、正常化の機能が含まれている。
あれを浴びれはディエゴはダメージはともかく、不正プログラムを使えなくなっちまう。
そりゃ恐れるはずだ。
ともあれ、ディエゴの過重力を浴びずに済んだ俺はそのまま走り続けて、ティナの腕を取った。
すぐにまたディエゴが現れるはずだ。
油断は出来ねえ。
「と、とにかく今のうちにあそこで倒れているアヴァンを……」
そう言って後方でまだ泡まみれのまま七転八倒しているアヴァンの元へ向かおうとするティナだが、俺はその腕を掴んだまま引き止めた。
「待て。ディエゴにまた不意打ちを食らう前にこの場を離脱するぞ。あくまでも俺達が有利に戦える舞台で奴らを迎え撃つんだ」
戦場において柔軟な作戦変更は時として必要になるが、事前に決めておいた戦術の原則を軽んじて戦局を見誤るという愚行は避けるべきだ。
ティナもそんな俺の意図を感じ取り頷いた。
「分かりました。でも、まだこの先も不正プログラムの罠が続きます。このまま通路を進み続けるのは時間のロスが……かと言ってしばらくは一本道ですし」
そう言って顔を曇らせるティナをよそに俺は通路の壁の前に立った。
「道がないなら作ればいい」
そう言うと俺は壁の一部を思い切り蹴りつける。
すると角石を組み上げて作られた壁が脆くも崩れ、その中に空洞が現れた。
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次回 第二章 第12話 『決死の応戦』は
8月12日(月)0時過ぎに掲載予定です。
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