第17話 腑に落ちない脱出
主の消えた岩山はすっかり静まり返っていた。
凶悪なカラシヨモギの煙で視界が遮られる中、俺とティナは出口に向かって通路を歩き続けていた。
ティナの奴が用意した防護マスクが無けりゃ、とてもいられないほどの煙の中を移動しながら、俺はティナの小言を聞き流していた。
「本当にまったく信じられません。よくも私をあんな風に縛り付けてくれましたね」
ティナの奴は肩をいからせて抗議してきやがる。
さっきからこの調子だ。
「ゆうべ部屋に焚いていた香炉は、睡眠導入剤入りですね。急に眠くなったからおかしいと思ったんです」
チッ。
気付きやがったか。
「よく眠れて良かったじゃねえか」
「よ、よくもそんなことが言えますね。私を眠らせている間に一体何をしたんですか! 変態です! 犯罪です!」
「何もしちゃいねえよ。おまえがこうやって勝手に外に出ないよう、俺が帰るまであそこで大人しくしていろってことだったのに勝手に外に出やがって」
ウロウロされて悪魔にでも捕まったりしたら、俺の首輪解除はどうなるんだ。
アホめ。
だが俺の言葉にティナは生意気にも言い返してきやがった。
「お言葉ですけど、私が勝手に外に出たからバレットさんは今こうして無事でいられるんですからね。私がいなければ今頃はズタボロ負けでしたよ。感謝して下さい」
くっ……このガキめ。
だが、不本意ながらこいつの言う通りだ。
こいつは見たことのない神聖魔法でケルをぶっ飛ばしたんだ。
あの時ティナが突然現れなけりゃ、俺はあのままケルの断絶凶刃で刺されて死んでいた。
そうなりゃコンティニュー不可のデッドエンドに陥っていたところだ。
まあ、ムカつくから礼なんざ言いたくねえが。
「まさかケルの奴が不正に手を染めているとは思わなかったんだよ。チッ。ほら。これをやる」
そう言うと俺はアイテム・ストックから干し肉を10切れほど束にしたものをティナに差し出した。
俺の差し出した干し肉を見て、ティナは防護マスクの向こう側で不審げに俺を見上げる。
「お、お礼のつもりですか? バレットさん」
「借りを作ったままじゃ気持ち悪いからな」
「バレットさんが物をくれるほうが気持ち悪いんですが」
干し肉の束を見ながらティナは胡散くさそうに顔をしかめる。
「まさかとは思いますが……また森トカゲですか?」
「まさか。森トカゲは嫌いなんだろ。そんな舌の肥えた奴にゃこの……岩ヤモリだ」
「同じですから! トカゲもヤモリもいりませんから!」
「な、なにぃ? 馬鹿野郎。岩ヤモリは手に入りにくい高級品なんだぞ!」
「そんなの知りませんよ! まったく……」
ティナは不服そうにブツブツ言ってやがったが、ようやく気を取り直したのか、ため息混じりに言った。
「お礼はお気持ちだけで結構ですよ。変な肉とか変な汁をもらっても困りますから。さあ。とにかく一刻も早くここから抜け出しましょう」
そう言うとティナは煙の中をどんどん進んでいく。
防毒マスクは確かにこの状況では重宝する。
だが……。
「そっちじゃねえぞ」
「あうっ……」
俺は明後日の方向に向かおうとするティナの首根っこを掴んで引き寄せた。
煙の中で方向感覚も分からないまま闇雲に進むわけにはいかねえ。
俺は自分の方向感覚を信じ、ティナを連れて元来た道を戻っていく。
「そもそもこの岩山の内部を把握してんのかよ」
「いえ。初めて来た場所ですから何とも……」
「そんなんでよく俺のいる玉座の間まで辿り着けたな」
「え? え、ええ。まあ何とか……」
歯切れ悪くそう言うティナに、俺はさっきコイツが現れた時に口にした疑問を思い出した。
「そもそもどうやって俺の居場所を知ったんだ?」
「へっ? そ、それは秘密です」
途端にティナが防毒マスクの向こう側で目を泳がせる。
こいつ……何か隠してやがるな。
「秘密だと? てめえ……まさかこの首輪に発信器とか仕込んでいやがるんじゃねえだろうなぁ」
こいつならそのくらいやりかねん。
そう思ってカマをかける俺の前でティナは明らかに挙動不審な様子を見せる。
「いえ……そんなことは……全然まったく……これっぽっちも」
「図星かよ! てめえ! いい加減にしろ!」
「だ、だってその首輪にはデフォルトで発信機がついているんです。別に今回のために仕込んだわけじゃありません」
「言い訳すんな! それを黙ってやがったな!」
「言ったらバレットさん絶対に怒るじゃないですか」
「当たり前だっ!」
「ひいっ!」
俺の怒声にティナは頭を抱えて肩をビクッと震わせつつも、横目で俺を見ながら言う。
「で、でもそのおかげでバレットさんの元に駆けつけることが出来たんですから、良しとしましょう。それがなければあなたを探し当てることも出来ませんでしたし、助けることも出来ませんでしたから」
「クッ! ますますアタマにくる首輪だぜ。よくも俺にこんな首輪をしてくれたもんだ」
「わ、私だって眠らされて縛られたんだから、お相子ですよ」
チッ……口の減らねえ小娘だ。
さっさとここから出て用事を片付けて5日後の首輪の解除まで……長えな。
クソッ!
俺は苛立ってつい足が早まるが、煙の中で俺を見失いそうになったティナが声を上げる。
「ま、待って下さいバレットさん。見えなくなってしまいます」
チッ。
面倒なガキだな。
「ほれ。チンタラしてると置いてくぞ」
そう言うと俺はちびっこいティナの手を掴み、はぐれないようその手をしっかりと握って歩き出した。
「あっ……」
わずかに声を漏らしたティナの奴がまた変態だ何だとギャアギャア騒ぐかと思ったが、さすがに時と場合をわきまえたのか、おとなしくついてくる。
ふぅ。
やれやれ。
この俺がガキのお守りとは、いい笑いの種だぜ。
「あ、ありがとう……ございます」
「フンッ。黙ってキビキビ歩きやがれ」
「はい……」
それからはしばらく無言で俺たちは歩き続けた。
通路の中はどこもかしこも煙だらけだ。
こりゃしばらくの間ニオイが染みついて、このアジトは使いものにならんな。
ざまあみやがれ。
「ところで、どうやってあの縄を解いた?」
無言で歩き続けるのにも飽きて俺がそう尋ねると、ティナの奴はプイッとそっぽを向いて不機嫌そうに言った。
「私を黙って拘束するような人には教えられません。でも一つだけ言っておきます。私を縛ったり閉じ込めたりしても無駄ですよ。私はそういうものから抜け出す術を持っていますから」
チッ……こいつは思ったよりも抜け目がないようだな。
ああして両手両足を縛ってもこいつの動きは止められないと覚えておくか。
「分かった分かった。しかしこの岩山の周りの荒野は遮るものがなかっただろ。よくケルの子分どもに見つからずにここに近付けたな。雨雲の中を通ったのか?」
「あの雨雲の中を? そんな危険なことしませんよ。バレットさんはそうやってここに潜入したんですか? 呆れた人」
そう言うとティナはアイテム・ストックから一枚のマントを取り出した。
「何だそりゃ?」
「保護色マントですよ。身の周りの物に色を似せて姿を隠せるアイテムです。正直、数メートルのところから見れば動きや体の線で見破られてしまいますからこの岩山の中では使えませんが、見通しの悪い雨の日に遠くから見分けるのは難しいでしょう」
それを身に付けてこのアジトに近付いたのか。
なるほどな。
それにしてもカラシヨモギといい防護マスクといい、こいつは本当に色々な物を持っていやがるな。
「岩山の周囲には子分の悪魔たちがウロウロしていましたが、皆一様に慌てている様子で、周囲に気を配る余裕がなかったようです。それも私には幸運でした。岩山の中から煙が上がっていたので、中でバレットさんが暴れているのだとすぐに分かりましたよ」
弱いくせにこいつの行動力はたいしたものだ。
だが、こいつは千載一遇の好機を逃がした。
「なぜ逃げずにわざわざこんな場所まで来やがった? 体は自由になり俺は不在となりゃ、おまえはどこへでも逃げられたはずだ」
こいつはそうするべきだった。
だが、俺の言葉にティナはわずかに間を置いてから静かにこう答えた。
「そうですね。そのほうが危険は少なかったかもしれません。だけど私は危険を避けて安穏とするためにこの地獄の谷に来たわけではありません。もちろんこの命を粗末にするつもりはありませんが、大義を成すために必要とあらば、危険を厭わぬ覚悟はあります」
「大義だと? 今ここにいることが大義だってのか? おまえはケルが不正者であると分かってここに来たわけじゃねえだろ」
俺の言葉にティナは確信めいた光をその目に浮かべて頷く。
「はい。ですがあなたの首輪を解除すると約束した以上、それを守ることは私にとって大義です」
「ハッ。悪魔を助けることがか? 天使の言葉とは思えねえな」
「約束したことを守れないとあらば、私自身の信念が揺らぎますから。それに笑われるかもしれませんが、あなたに対しても不義理なので」
「……チッ。綺麗事ぬかすな馬鹿め。悪魔に義理を通そうとするなんざ、愚の骨頂なんだよ」
「分かってますよ。でも、これが私ですから」
揶揄する俺の言葉にもティナの奴は落ち着いた口ぶりでそう言った。
ヘナチョコな小娘のくせにこいつは自分の信念を持っていやがる。
ムカつくガキだが、自分の向かうべき方角を見定めて歩いているこの小娘を俺は笑うことが出来なかった。
俺はいつでも今日と明日くらいのことしか考えていないが、ティナは明後日よりも先を見据えているようなそんな気がするからだろう。
そんなことを考えながらティナの手を引き、俺はこの岩山の最上階までたどり着いた。
ここまで来ると壁に四角い穴を切っただけの窓がたくさん設けられているため、煙もかなり排出されて薄くなり、視界はだいぶハッキリしてきた。
俺はティナの手を放すと注意深く窓の傍に歩み寄る。
「あ、あの。バレットさん。ありがとうございます。私だけだったら迷ってました」
「そんなことよりそこに座っとけ。頭を出すなよ」
そしてそこでティナを壁際にしゃがみ込ませると、俺は岩山の窓枠からそっと顔を出して外の様子を窺った。
煙に炙り出されたケルの子分どもがいるはず……ん?
そこから見える予想外の光景に俺は思わず目を見張った。
「どうなってやがる……」
岩山の外には誰の姿もなかった。
煙に巻かれて逃げ出したはずのケルの子分どもはどこに行きやがった?
「誰もいませんね。皆、遠くへ逃げ去ってしまったのでしょうか」
「頭を出すなと言ったろうが」
いつの間にか俺の隣で外を見つめるティナは不思議がって首を捻っている。
いや、アジトを放り出して逃げ出したりしたら、後で頭領のケルに何を言われるか分かったもんじゃないと、子分どもも重々承知しているはずだ。
だが、それから5分10分と用心深く周囲を窺いながら待ち続けても外には誰の姿もなく、このアジトの中からも物音1つ聞こえてきやしねえ。
どういうわけだか分からねえが、これ以上ここにいても何も変わらねえだろう。
そう直感した俺は立ち上がった。
それから5分後。
防護マスクを外した俺とティナは岩山の外に浮かんでいた。
【Nobody can imprison Barrett】
俺は指に灯る炎をフッと吹き消しながら、岩山の外壁に書かれたその文字に満足して胸を張る。
炎を宿して高熱化した自分の指で、このケルのアジトである岩山の外壁にデカデカと俺が焼きつけて書いた文字だ。
気分よく文字に見入る俺の横では、ティナの奴が呆れたような表情を浮かべている。
「何ですか? この落書きは。【何者もバレットを閉じ込めることは出来ない】……ちょっと恥ずかしいですね」
「うるせえ。上級種の奴らへのメッセージだ。これを見りゃ奴らは怒りで顔を真っ赤にして俺を探しにくるだろうさ。そこを返り討ちにしてやる」
「上級悪魔をおびき出すわけですか。で、これからどうするのですか?」
「上級種の連中を相手に勝つには地の利を得るのが絶対必要条件だ。だから今から俺のもう一つの隠れ家に向かうぞ。その周辺で奴らを迎え撃つ準備をするんだ」
本来なら絶対勝てない相手を前にどう戦うか。
それが今の俺に突き付けられた大きな課題だ。
この見習い天使の力をアテにしなきゃならないのは不本意だが、それでも俺はあの上級種どもをブチのめさなきゃ、この腹の奥底に煮えたぎる怒りを収めることは出来ない。
復讐を果たさないまま終わるわけにはいかねえんだ。
俺はティナを伴うと、隠れ家を目指してケルの根城から飛び立った。
雨上がりの空からは明るい日差しが差し込み、雨に濡れた大地を照らしていた。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
この第17話で第一章『見習い天使と下級悪魔』は最終話となります。
なお、第二章に入る前にインターバルをいただきます。
第二章 『魔王の古城』 第1話 『最果ての隠れ家』は
7月29日(月)0時過ぎに掲載予定です。
少し間が空いてしまいますが、次回もよろしくお願いいたします。