第16話 報いの炎
「よくも私の体を縛り上げてくれましたね。ほどくのに苦労したんですよ」
絶体絶命の窮地に追い込まれた俺の目の前に予期せぬ登場を果たした見習い天使のティナは、すっかり膨れっツラでそう言った。
森の隠れ家で眠らせて縛り上げておいたコイツが今こうして目の前に現れるなんてことは毛ほどにも予想していなかったが、これはまぎれもない現実だ。
俺が幻覚でも見ていない限りはな。
「ハッ。こんなところまでノコノコやってくるとは、せっかくおまえを閉じ込めておいた俺の苦労が台無しだろ。アホめ」
「苦労したのは私のほうです。ここに来るまで私がどれだけ……」
恨みがましくそう言うティナの後ろにヌッと大きな影が立った。
「後ろだ!」
「きゃっ!」
ティナの攻撃魔法で吹き飛ばされたケルが起き上がり、ティナの背後から手を伸ばしていた。
俺は咄嗟にティナの肩を掴んでその小さな体を横に押し退けると、伸ばしてきたケルの手を素早く掴んだ。
ケルは血走った眼で俺を睨みつけてくる。
そんなケルの額に何やら文字が浮かび上がっていた。
それは『戒』という文字だ。
「バレットォォォォ。まさかてめえ、この見習い天使とつるんでやがったのか。こいつはディエゴの旦那が探していた……」
「うるせえよケル。そんなことよりてめえの心配をしな。さんざん痛め付けてくれた礼を受け取ってもらうぜ!」
「馬鹿め! 今の俺は不死身だってことを忘れたか!」
互いに腕を掴んで押し合う俺とケルだが、今の状態でケルと力比べをするつもりは毛頭ねえ。
「フッ!」
「うおぅっ!」
ケルが力任せに押してくる力を利用し、俺は力を抜いて背後に倒れ込む。
態勢を崩して前のめりになるケルをそのまま巴投げで後方に投げ飛ばした。
「ゲファッ!」
ケルは背後の壁に激突して崩れ落ちる。
当然、不正をしているケルのライフゲージは減らな……ん?
いや……これは。
俺は目を見張った。
ケルのライフゲージを見ると、奴のライフが減っている。
今の俺の投げで奴は確かにダメージを負ったんだ。
ケル自身もそのことを当然感じ取っているようで、動揺に目を白黒させている。
「な、何でだ? 何でダメージを……」
「あなたはすでに正常化されています。不正プログラムの使用を禁じました」
ケルの奴に人差し指を突きつけ、それから自分の額を指差しながらティナは毅然とそう言った。
ケルがすでに正常化?
いつの間に……もしや最初にケルをぶっ飛ばしたあの桃色の光か?
いや、そんなことを考えるのは後だ。
ティナの言葉通りの現象が起きているなら、ケルはもうクソッたれなインチキ術による優位性を失ったってことだからな。
「ケル。てめえの今置かれたヤバい立場が理解できるか?」
俺は拳を握り締め、体の中から消えかけていた魔力をもう一度燃え上がらせる。
俺の体から再び炎が噴き上がるのを見たケルが、そのブサイクなツラに大汗をかきながら喚き出した。
「ま、待てバレット! 俺を殺すってことはディエゴの旦那を敵に回すことに……」
「やかましいっ!」
ケルの戯言を最後まで聞くつもりもなく、俺は一気にケルに襲いかかった。
ケルは狂ったような雄たけびを上げながら、俺に体当たりを浴びせかけてきた。
だが俺はすばやく身を屈めるとスライディングでケルの足を蹴り払う。
ケルは足をもつれさせて転倒し、顔面を壁に強打した。
「ウゲッ! おおおのれぁぁぁぁぁ!」
もがきながら立ち上がったケルが振り返り、鼻血を振りまきながらブサイクなツラを俺に向けた瞬間、奴の口から超圧縮された空気が吐き出された。
圧縮爆殺風だ。
「フウッ!」
「馬鹿が。読めるんだよ。単細胞の考えることはな」
あらかじめ間合いを詰めていた俺は、右手の平でケルの顎を下から跳ね上げた。
上向きになった奴の吐き出した圧縮爆殺風は天井の岩を砕く。
上半身が伸びきって隙だらけになったケルが俺の前に棒立ちになった。
ケルをぶっ飛ばしたくてたまらない俺の燃える怒りが、瞬時に冷えた殺意へと変わる。
「お楽しみの時間だぜ!」
俺は全力で拳と蹴りをケルに叩き込み、さっきイメージした10連撃の連続技を次々と決めていく。
「オラオラオラオラァ!」
「ウガッ! ゲエッ! ゴフッ!」
ケルの奴は顔や体や足に俺の拳や蹴りを浴びて避ける間もなく壁に叩きつけられる。
心なしかケルの力が随分と落ちているように感じたが、構うことはねえ。
俺は全ての力をケルの体に叩き込んでやった。
壁に叩きつけられたケルは息も絶え絶えになって恨みがましく声を上げる。
「バ、バレット。てめえ……こんなマネしてただで済むと思うなよ。ディエゴの旦那が殺しにくるぞ」
「上等だ。相手が誰だろうが返り討ちにしてやるよ!」
仕上げだ!
俺は体内の魔力を再び全開にする。
体中から炎が巻き起こり、粒子の摩擦で再び焔雷が迸った。
そしてその炎が俺の右拳に集約されて、赤く燃え上がる。
「火だるまになっちまいな! 噴殺炎獄拳!」
焔雷が炸裂して燃え盛る拳を、俺は下から振り上げてケルの顎を突き上げる。
その瞬間、俺の拳に宿る炎がケルの体の中へと注入されていき重い手ごたえを得ると、俺はそのまま拳を天に向かって突き上げた。
ケルの巨体が宙に舞い上がり、その口、その目、鼻の穴、耳の穴、そして体中から炎が噴き出す。
「ごふっ……ごあああああっ!」
悲鳴を上げるケルの体は地面に落下すると、まるで火薬の詰められた袋のように炎を噴き上げて猛然と燃え上がる。
そんなケルの額にはくっきりと『戒』の文字が刻み込まれていた。
そしてケルは地面の上でのたうち回りながら、声を張り上げた。
「バ、バレットォォォォ! や、やってくれやがったなぁぁぁぁ。だが、てめえごときがいくら悪あがきしたところで、上級種には……」
それ以上は言葉にならず、ケルは断末魔の悲鳴を上げながら燃え尽きて灰になった。
ライフゼロどころか跡形もなく焼却処分してやったぜ。
ざまあみろってんだ。
「ふぅぅぅぅ。負け犬にふさわしい最後だぜ。ケル」
俺は体内に残る熱を放出するため、最高潮まで振り絞った魔力のスロットルをゆっくりと開放した。
途端に俺の体中から蒸気が発せられて熱が空気中へ逃げていく。
そんな俺の姿をティナの奴は固唾を飲んで見つめていた。
「す、すごい……バレットさん! 見事な勝利でした!」
ティナはさっきまでの拗ねたツラはどこへやら、興奮の面持ちで笑顔を見せる。
俺は鬱陶しいテンションの小娘を上から睨みつけてやった。
「フンッ。何が見事なもんか。ブサイクな勝ち方だぜ」
「そんなことありませんよ。最後の一撃はすごかったです」
「ま、ちっとは溜飲が下がったぜ。それより教えろ。さっきのやつは何だ? あの桃色の光がおまえの攻撃魔法か?」
あの神聖魔法は威力がありそうだった。
ティナの姿を象った桃色の光だ。
「そうです。ただ攻撃するのみならず、正常化の機能も備えていて、不正者にダメージを与えると同時に不正プログラムを解除する効果がある優れものですよ」
なるほどな。
だからそれを浴びたケルの奴は不正プログラムを使用することが出来なくなったのか。
「まあ、どうせケルの野郎はまたどこかでコンティニューするだろうがな」
この地獄の谷では数々の復活再配置ポイントがあり、ゲームオーバーを迎えたキャラクターは一定時間の後にそのポイントで復活する。
場所についてはそのキャラクターが所属する領地のどこかのポイントにランダムで再配置されることになっている。
だから俺やケルはゲームオーバーを迎えると、この辺境に複数設置されているコンティニュー・ポイントで復活することになる。
だが俺の言葉にティナは自分の額を指さし、あっさりと首を横に振った。
「いいえ。あの人はコンティニューしませんよ」
「なに? どういうことだ」
「私の正常化を受けた不正者はゲームオーバーの後、検疫のために運営本部に隔離されるのです。本部の許可が下りない限り復活できません」
「隔離……」
その話によれば、今回ティナが探している不正者らは、こいつによって正常化された後にゲームオーバーになると、運営本部の隔離エリアに転送されるらしい。
そこで改めて不正プログラムの検査を行い、完全に正常化されていることを確認されなければ、運営本部からコンティニューの許可が下りないという。
隔離期間については未定らしく、ケルの奴は無期限で拘束され続けることになるとティナは言った。
捕らえた不正者は逃がさないってことか。
「ケルの額に浮かんだ『戒』の文字はその印だったのか」
「はい。不正者を戒めるという意味です」
主を失って倒れたままの玉座を見つめ、ティナは神妙な面持ちで続ける。
「報いはそれだけじゃありません。不正プログラムの使用は確実のそのキャラクターの体を蝕むのです」
「どういうことだ?」
「不正プログラムをその身に宿すと一時的に体の能力が上がったり、特殊な力が使えたりします。ですが、そうすると体は不正プログラムの稼働している状態に慣れてしまうのです。ですから私の修復術で正常化されると、その後は一気に体が弱ってしまいます」
「能力がガタ落ちになるってことか?」
俺の問いにティナは静かに頷いた。
なるほどな。
どうりでさっき、こいつの高潔なる魂を受けた後のケルが弱くなったわけだぜ。
禁断の果実に手を伸ばせば、必ずバチが当たるってことだな。
フンッ。
自業自得だぜ。
ティナの攻撃はケルの野郎にとって忌々しいことこの上ない仕打ちになっただろう。
ざまあみやがれ。
胸がスッとするぜ。
俺がそんなことを考えていると、ティナはテクテクと後方の壁際に歩いていく。
そこには断絶凶刃によってコンティニューの権利を奪われた哀れなケルの子分が骸となって横たわっている。
「何ということを……」
ティナは骸の傍らにしゃがみ込むと祈りをささげているのか、両手を胸の前で組んだ。
それからティナは立ち上がって銀環杖をかざした。
「正常化」
銀環杖の宝玉から青い光が放出されて、子分の骸に降り注ぐ。
すると子分の体に走っていたノイズやバグ病状が消え去り、子分の額にさっきのケルと同様、『戒』の文字が浮かび上がる。
そしてすぐに子分の体は黒い粒子に包まれながら消えていった。
悪魔がゲームオーバーになった際の正しい現象だ。
ティナの正常化によって断絶凶刃の効果が消え、子分は正式に死ぬことが出来た。
「また額に文字が出ていたが、あいつも隔離されるのか?」
「ええ。重要参考人ですから。ただ、彼は恐らくただの被害者でしょう。それならばそれほど長く拘束されることなく、コンティニューするはずです」
そう言うとティナは立ち上がった。
そんなティナに俺は脱出を促して言う。
「とにかくここから脱出するぞ。それにしてもよく1人でここまでたどり着けたな。ケルの子分どもが中に残っていやがったろ」
「簡単ですよ。カラシヨモギの煙のせいで全員外に出て行ってしまいましたから」
俺の隣を歩きながらティナは得意げに胸を反らした。
確かに俺はカラシヨモギを仕掛けたが、それにしても妙な話だ。
「あれしきの量じゃ煙はこの岩山全体には広がらねえだろ」
「ええ。ですから思い切り増量しておきました。バレットさん。これを」
そう言うとティナは防護マスクのようなものを俺に差し出した。
それは目と鼻と口を臭気から保護するイカついマスクだった。
「何でこんなもん……まさか」
俺が眉を潜めている間にもティナはさっさと防護マスクをかぶり、くぐもった声で言う。
「バレットさん。この部屋の外はマスクが必須ですから、早くそれをかぶって下さい」
こいつ……もしや。
俺はとにかく防護マスクをかぶり、それを見たティナは主のいなくなった玉座の間の扉を開け放った。
途端に朦々たる煙が部屋の中に流れ込んでくる。
その黄緑色の煙は一目瞭然でカラシヨモギを燃やして出る煙だと分かった。
「な、何だこりゃ……」
その勢いは俺がさっき仕掛けた煙の量の比じゃねえ。
まるで大火事だ。
これじゃあケルの子分どもはとても中にいられねえぞ。
連中が泡食って逃げ出していく様子が目に浮かぶ。
「実は私もカラシヨモギを持っていまして。敵陣に潜入する際には便利なアイテムですから」
「一体どれくらいの量を使えばこうなるんだ」
「だいたい200束くらいは使いました。ちょっと大盤振る舞いし過ぎでしたね」
「に、200? 嘘だろ」
俺の200倍じゃねえか。
大盤振る舞いにも程があるぞ。
何でそんな大量のカラシヨモギを持っていやがるんだコイツは。
呆れる様子の俺に構わずティナは足を踏み出した。
「さあボヤボヤしている暇はありません。今のうちに脱出しましょう」
煙で塞がれた視界に怯むことなく飛び込んでいくティナの背を追い、俺も出口の外へと歩み出る。
まったくとんでもねえ見習い天使と手を組むことになっちまったな。
そう嘆息しつつ、俺は煙の中へと身を躍らせた。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第一章 第17話 『腑に落ちない脱出』は
7月17日(水)0時過ぎに掲載予定です。
なお、次回17話が第一章の最終話となりまして、第二章の掲載前にインターバルをいただきます。
少しだけお待たせしてしまいますが、よろしくお願いいたします。