第12話 嵐の殴り込み
夜が明けた。
俺の予想通り、雨は本降りになってきた。
そして風は強く、嵐の様相を呈している。
空を覆う分厚い雲から叩きつけるような雨が降り注いでいた。
だが俺は体がずぶ濡れになるのも構わずに羽をはためかせて上空へと舞い上がる。
森の大樹の隠れ家から出て荒野の岩山にある悪魔ケルの根城へ単身向かう俺にとって、この雨は吉兆だった。
遮るものの無い平地の荒野を進めば必ず岩山から丸見えとなり、遠視能力を持った見張りの奴らに見つかるだろう。
だが……。
「こいつはおあつらえ向きだ!」
俺はそう叫ぶと一気に上昇して高度を上げ、そのまま雨雲の中に突っ込んだ。
途端に視界が白く覆われ、激しい雨と気流が体を包み込む。
強風でかなり体が煽られるが、雷さえ鳴っていなけりゃ問題ねえ。
俺はそのまま雨雲の中をケルの根城の方向に向かって強引に飛び続けた。
こうして雨雲の中を進めば、ケルの根城から見張る子分どもに見つかることもねえ。
それにこの辺りは元々俺も住んでいた土地だ。
視界が悪かろうが方向感覚を失うことはない。
そしてそのまま飛び続けること10分ほどで俺は自分の感覚を信じ、そこから一気に急降下した。
すると……雲を抜けたその先に、雨に濡れる荒野の岩山が見えてきた。
ケルのアジトだ!
「ドンピシャだぜ!」
俺はギリギリまで速度を緩めずに降下し、岩山の寸前で急ブレーキをかけてそのまま岩肌に貼り付くように着地した。
この豪雨のせいか、見張りは一人もいねえ。
俺は思わずこみ上げてくる笑いを噛み殺した。
「いいぞ。さすがケルのボンクラ子分どもだ。雨の日まで見張りなんかやってらんねえよな。そりゃそうだ」
もしこれが規律に厳しいゾーラン隊だったら懲罰ものだが、規律なんて言葉すら知らねえようなゴロツキ集団のケル一党はこんなもんだ。
俺は手近な窪みを見つけてその前に陣取る。
窪みには鉄製の小さな扉がはめ込まれていた。
内部への出入口だ。
「魔刃脚!」
その扉を鋭利な刃物と化した足で切り裂いて、俺は岩山の中へ身を滑りこませる。
扉の先に続く細長い縦穴を滑るように落下して、俺は岩山の中の薄暗い回廊に着地した。
雨音が遠ざかり、鬱陶しいほどに体に浴びせられていた雨風が消え去った。
ふぅっ。
潜入成功。
さて、ひと暴れしてやるか。
俺は薄暗い廊下の端に身を伏せ、耳を澄ませた。
話し声や物音が遠くに聞こえる。
ケルの奴は夜中の間は出かけていることが多いが朝には戻って来て、たいていここで寝てやがる。
寝首をかくのは簡単だが、それじゃあ復讐にならねえ。
叩き起こして意識をハッキリさせてから、ぶっ潰してやる。
俺へのムカつく仕打ちをたっぷりとケルの野郎に後悔させてやらねえと気が済まねえからな。
俺は足音を立てずに廊下を移動し続けた。
岩山の中の空洞だから、そこかしこに凹凸があり、身を隠すのには苦労しない。
侵入者に備えてこういうところをきっちり整備しないから、ケルはいつまでも三流集団の頭領程度にしかなれねえんだ。
まあもっとも、こんなむさ苦しいクズどもの巣窟に、好き好んで侵入してくる奴なんてそうはいないがな。
しばらく進むと人の話し声が大きくなる。
俺は息を殺し、足音を立てずに出っ張った岩の陰に身を隠した。
するとすぐ先にある通路を4、5人の悪魔どもが歩いて来るのが見える。
顔まではよく見えねえが、ケルの手下どもだろう。
奴らは何やら苛立った様子で足早に歩いていく。
「最近の頭領は何だかおかしいと思わねえか」
「ああ。横暴なのは前からだったが、以前にも増して道理が通らねえことばかり言ってやがる。どうなっちまったんだ」
「あの上級種の連中と付き合うようになってから、頭領はすっかり変わっちまったな。理由もなく殴られたりする奴もいるらしい。さすがに付き合いきれねえよ」
口々に不満を募らせながら連中は去っていく。
ケルの野郎、随分と子分どもに嫌われているようだな。
自業自得だぜ。
アホめ。
俺が今、トドメを刺しに行ってやる。
俺はあらかじめアイテム・ストックの中に入れておいた、ある植物を取り出した。
それは束にして切り株状にまとめた大量の枯れ草だった。
カラシヨモギというこの植物は、少量でも燃えると強烈な煙を吐き出すんだ。
その煙を目に浴びりゃ痛みで涙が止まらなくなるし、吸い込んだら気道や肺が焼きつくように痛んでそれこそ悪夢だ。
俺は回廊の中を吹き抜ける風の流れを読み、自分よりも風下に向かってそれを投げる。
そして……。
「灼熱鴉!」
俺の両手から放たれた燃え盛る鴉がカラシヨモギの束を掠めて引火させる。
途端にカラシヨモギの束は燃え上がり、朦々と煙を発し始めた。
それを見た俺は風上の方向へと一気に駆け出す。
すぐに後方から悪魔どもの上げる悲鳴が聞こえてきた。
強烈な煙を浴びて悶絶している悪魔どもの様子が目に浮かび、俺はこみ上げてくる笑みを噛み殺した。
「ククク。ざまあみやがれ」
そう言って走り続ける俺の前方に2人の悪魔が姿を現した。
ケルの子分どもだ。
そいつらは走る俺の姿を目にして驚愕の声を上げた。
「バ、バレット! てめえが何故ここに……」
「ケッ! 雁首そろえて同じこと抜かしてんじゃねえっ!」
もうコソコソ隠れる必要もねえっ!
子分どもは思いもよらない俺の登場で反応が遅れた。
俺は猛スピードで走り続けたまま相手の間合いに飛び込むと、その首を一気に蹴り上げる。
「魔刃脚!」
ぎらつく刃と化した俺の脛が悪魔の首を切り裂いた。
驚愕の表情を浮かべたまま悪魔の首が胴体から切り離されて宙を舞う。
即死っ!
「て、てめええっ!」
仲間の死に逆上したもう1人の悪魔が右手に持っていた鉈を振り上げて俺の脳天をカチ割ろうとする。
だが俺はその悪魔の振り下ろす右手首をサッと掴んでそれを阻むと、そのまま背負い投げの要領で悪魔を床に叩きつけた。
「ガハッ!」
背中から思い切り叩きつけられて動きの止まった悪魔の頭を、俺は背後から両手で掴み、ゴキンと首を捻る。
首を折られた悪魔は一瞬で事切れて物言わぬ骸と化した。
2人の悪魔を片付けた俺は立ち上がる。
「ヘッ。まるで訓練時代だな」
昔を思い出して俺は苦い笑みを浮かべる。
こんな風にひとつひとつの動作を丁寧に戦うのは、ゾーラン隊で訓練を受けていた時以来だ。
それまで力任せに暴れるだけだった俺は、あそこで戦いの基礎を一から学んだんだ。
皮肉なことに、あの時のことが今になって役立つとはよ。
倒れてゲームオーバーとなり消えていく悪魔どもの様子を見ながら、俺はある種の手ごたえを感じていた。
そうか……確かに俺の攻撃力は半減しちまってはいるが、速度や防御力は変わっていない。
力が弱まっている今の状態で効果的な攻撃を行うには速度を上げて、なおかつ的確な箇所に攻撃をヒットさせる必要がある。
より速く、より正確に。
そして相手の攻撃を確実に防御する意識を高める。
初心に戻るなんてガラじゃないが、それこそが今の俺に必要なことだった。
「やられたらやり返す。使える手札は全て使ってでも必ず」
そう言うと俺は拳を握り締め、再び走り出す。
目指すはもちろんケルの野郎がいる玉座の間だ。
その途中で幾度もケルの子分どもに遭遇したが、俺は1人また1人と確実に奴らを片付けて死屍累々の山を積み重ねていく。
今までの俺だったら力に任せて敵を蹴散らし、強引に突き進んでいただろう。
それで事足りていたからな。
だが力のない今の俺にはこうして1人1人を着実にゲームオーバーに追い込むことに集中するほかない。
「ま、これはこれで悪くねえ」
それは強がりじゃなかった。
こうして戦ううちに俺の胸の中から、失われた強さを取り戻したいと焦る気持ちは薄れていた。
失ったならもう一度組み直せばいい。
どんなに鍛えても上限を迎えて頭打ちとなった能力値が一向に上昇しなかった頃と比べりゃ、今の方が断然気分がいいぜ。
「オラァッ! かかってこいっ!」
そうして没入するようにケルの子分どもを次々と始末しながら突き進んでいた俺は、いつしか自分がケルのいる広間の前にたどり着いていたことに気が付いた。
この扉の向こうにケルがいる。
そう考えると身の内から燃え上がる闘志を抑え切れなかった。
俺をコケにしてくれた礼をたっぷりしてやらねえとな。
俺は扉を蹴り破って悠然と中に足を踏み入れた。
「ケル! 遊びに来てやったぞ!」
そう叫んだ俺は広間の中の意外な様子に眉を潜めた。
小心者のケルのことだから、俺の侵入の報せを聞いて広間の中にこれでもかと部下を大勢配置しているかと思ったんだが、そこはもぬけの殻だった。
あの野郎……逃げやがったか?
広間の奥にはデカブツのケルが普段生意気にも腰かけているであろう、アホみたいにデカい玉座が残されている。
「ケッ。お山の大将風情が玉座とは笑わせるぜ。てめえには豚小屋の藁束がお似合いなんだよ」
そう言うと俺は主のいなくなった後の玉座を蹴り倒した。
その途端だった。
足元がいきなり沈み込むような嫌な感じを覚えて俺は本能的に羽を広げた。
だが咄嗟に上昇しようとしたその時……。
「うぐあっ!」
いきなり頭の上から巨大な質量がのしかかってきて俺は地面に押し潰された。
こ、このクソ忌々しい巨体は他でもねえ。
「ケル!」
頭上から俺にのしかかってきたのは、紛れもなくこの岩山の頭領・下級悪魔のケルだった。
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次回 第一章 第13話 『暴君ケルの異変』は
7月13日(土)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。