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「……ってわけでさ、ホントにひどいんだよ!!」
昼間の職員会議の様子を話しているうちに、珍しく語気が荒くなり、思わずテーブルを拳で叩いてしまったブランだったが、今しがた運ばれてきた鍋料理から湯気がもうもうとわき、彼のメガネを完全に曇らせてしまったため、その姿はいささか滑稽なものとなってしまった。
「いいな〜、温泉だなんて」
「しかもニーゲルンって、メジャーすぎんだろ」
「へ?」
しかし向かいに座った若い男女からは、彼の期待した反応とは全く違ったうらやましそうな視線が送られてきたため、ブランは思わず肩の力が抜けてしまった。
「ちょっ!!二人ともちゃんと話聞いてた??」
ここは『夜夢』。福祉国家フィンの首都ヨルム市南区にある、なかなかに評判のいい居酒屋である。
「十日近くの旅行って…どんだけ贅沢なのよ」
「しかも、その間も給料はしっかり出るんだぜ、ずるいよなぁ」
ブランの向かいに座って文句をたれているのは、もうおなじみの彼の幼なじみ、護民騎士のナップと保育士のミネルバである。
「そういえば、うちの園を利用してるお母さんから、前にあの温泉に家族旅行へいった時の話を聞いたことがあるんだけど」
ミネルバの勤める国立の「ヨルム北保育園」には、騎士団や役人、商人の子どもなどが多く預けられており、結果、お迎えの時にその父母と雑談をする機会の多い彼女は、この幼なじみ三人の中でも一番の情報通なのであった。
「普通の温泉街って、色んな温泉宿が軒を連ねてるって感じでしょ。でも、ニーゲルンは、里自体が巨大な温泉施設になってるんだって!!」
「へぇえ」
話がそれたことに落胆していたブランだったが、ミネルバのその情報には、思わず関心を示す声を上げてしまった。
「なんだよそれ。イメージわかねえなあ」
ナップが、鍋から取り出した鳥肉を口に運びながら、おどけたように眉間にシワを寄せる。
「まあ、あたしも行ったことないから詳しくはわかんないんだけど、とりあえず温泉に入れるのは、里の中心にあるその施設だけなんだって」
「じゃあ、うちらもそこに泊まることになるのかぁ」
ブランが自分なりにニーゲルンの温泉をイメージしながら言葉をこぼすのを聞くと、急に向かいに座ったナップがブランの方に身を乗り出してきた。
「なあなあ。やっぱ、ばあちゃんはお前と一緒に行くんだろ?」
「うん」
「ばあちゃん」とは無論のこと、ブランが『太陽の家』で担当している、元冒険者の魔法使い、アリッサのことである。
「んで、ばあちゃんは今回の件について何か言ってるわけ?」
「いや、それが…」
その話題を振られると、ブランの顔色は目に見えて悪くなった。
しかし、この場で話してしまった方が気が楽になるようにも思えたので、彼はその時のいきさつをボソボソと話し始めた。
夕方、ブランが屋上で取り込んだ大量のシーツを両手に抱え、リネン室を目指してよろよろと廊下を進んでいると、向かいから彼女はやってきた。
真っ黒なカーディガンと足首まであるやはり黒のスカート。
かなり大きなスミレ色のストールをぐるぐると肩から巻きつけ、頭にはつばつきの大きな帽子をかぶったその老女は、間違いなく魔法使いのアリッサであった。




