緋色の記憶
序章 あの頃
side 志保
…気づいた時には側にいた。私と茂はずっと兄弟のように仲が良かった。
あの頃の日々は、穏やかだった。毎日公園で駆け回り、回転遊具で遊んだりもしていた。
茂は穏やかだったが、私の側に居るときはたまにやんちゃをしたり、私に構って欲しそうに見ている時があった。
茂の意外な一面を開幕見た出来事がある。それは、小学校二年生の時、二人で山に迷子になった時だった。
「茂、待って、速いよぉ!」
「しかし、ここはどこなんだろう」
その時だった、私は山道でつまずいて転んでしまった。膝からは血が出ている。
「痛っ…」
「志保、大丈夫か?」
「うっ…、これ洗わないとまずいよね?」
「でも、山の中じゃ水道がないじゃないか?」
「それじゃあ、どうすれば……。」
「……待っててな、」
すると茂は、私の側まで来て、膝を掴んで口を着けた。
何処からか、すする音も聞こえる。
茂が口を離すと、血はすっかり止まっていた。
「…これで良いか?」
「うん…、」
「この事は、誰にも言うなよ?」
茂は口元の血を拭き取って、先に進んだ。
お母さん達の元に帰っても、その事は言わなかったし、茂も何も言わなかった。
side茂
志保は、いつの間にか隣に居た。ちょっとお節介な所もあるが、ずっと姉のように世話してくれたし、何かあったらすぐ駆けつけてくれた。
二年生の時に山で迷子になった時も、私を追いかけてくれた。
「茂、待って、速いよぉ!」
この山はずっと行って慣れているはずなのに、だんだん分からなくなった。
「しかし、ここはどこなんだろう」
その時、背後から小さな叫び声がしたら思ったら、志保が転んでいた。膝は擦りむいていて、血も出ている。
「痛っ…」
「志保、大丈夫か?」
「うっ…これ洗わないとまずいよね?」
僕は周囲を見渡したが、洗えそうな場所は無かった。
「でも、山の中じゃ水道が無いじゃないか?」
「それじゃあ、どうすれば……、」
僕は志保の膝を見た。血は思ったよりも出ていて垂れて来ている。そんな中である事を思いついた。
「……待っててな、」
僕は志保の擦り傷に口を付けて、血をすすった。
ためらいも何もなかった。ただ、その時はそうするしかないと思っていた。
口を離してもまだ血の味は残っていた。
「……これで良いか?」
「うん…、」
志保は戸惑っていた。
「この事は誰にも言うなよ?」
僕は志保から離れて、また先へ向かっていく。それを志保は追い駆けた。
…不思議な気持ちだった。血に対し人とは違う感情を持ったのはその時からだろう。
第一章 緋色の記憶
side志保
三年生の五月くらいの事だった。私が茂の家の横を通ると、様々な人が行き来していた。そっと覗いてみると、そこには和室で泣いている。
すると、茂のお母さんが私の側に来た。
「何があったんですか?」
「それは……、茂のお祖母ちゃんが、亡くなったの。」
「えっ……?」
周囲が突然真っ暗になった。
「そうですか…、それで茂はどうしたんですか?」
「茂は……、ずっとうつむいてて私達にも何も言ってくれない。旦那さんは茂が産まれる前に亡くなったから、私はずっと働いてた。その間、茂はお祖母ちゃんと一緒に居たのよ。だから茂は、お祖母ちゃんが大好きだった。だけど…そんな人を亡くしたから…かなり応えてると思う。」
「茂……。」
私は家の中に入って茂の様子を見ようとしたが、どこにも居ない。
「お祖母ちゃんは最期まで幸せな方だったわ。死出山でこうして老いて死ぬなんて、あり得ない事だもの。」
「どういう事ですか?」
「志保ちゃん、今年も追悼式ってあった?」
追悼式というのは、先生曰く恒例になってはいけない行事で。亡くなった生徒の名前を読み上げ、追悼するという会だった。
「ありましたね、」
「それは志手山だけなのよ。他の地域はあまり人が死んでない。」
「そうなんですか…?」
確かに友達から誰かが亡くなったとか、南の交差点でまた死亡事故があった、という話をされる。
「茂は、大丈夫かな…?」
私はまだ経験がない。もし、自分の側に居る人が亡くなったら私はどんな気持ちになるのだろう。
少なくとも茂は、今の私じゃ考えられない程に悲しみ、そして苦しんでいるのだろう。
side茂
身体の一部が引き千切られたような気分だった。お祖母ちゃんは僕の目の前で笑って死んでいった。
悲しみと、虚しさが入り混じったような気持ちだった。もう、お祖母ちゃんとは話も出来ないし、遊んでもくれない。
他の人から、誰かの死をずっと聞いていたから、どういうものかは分かりきっていたはずだった。だが、目の前でこうして大切な人を失った時に、何かが違うと思った。
それが何かは分からない。
本当は認めたくなかったのだろうか。お祖母ちゃんは本当は生きていると思っていたのだろうか。
僕はお祖母ちゃんの身体が何処かに行ってしまうのが嫌だった。
そこで誰も居なくなった隙をついて、お祖母ちゃんの遺体を隠した。帰ってきて騒ぎになっていたようだが、僕は何も言わなかった。
side志保
ビスケが死んだ。オスのブチネコのビスケが死んでしまった。悲しかった。今まで自分の中にあったものが一辺に無くなって。心に穴が空いたようだった。
友達、茜や千尋は私を心配してくれたが、今はそっとして欲しい。
今だったら去年の茂の気持ちが分るかも知れない。だが、茂は大切な人を失ったのだ、私なんかとは比べ物にならない。
翌日、私は図書館で調べものをしていた。夏休みの自由研究の為に本を借りた後、ふと奥の部屋が気になって覗いて見た。
そこには過去の生徒の名簿があった。お父さんやお母さんの名前を見て、二人にも私と同じように小学生時代があったのだなって嬉しくなった。すると、その下に横線で消されている名前があった。『寺田茜』…、
間違いない、私と同じクラスに居る茜だ。他の名簿も見たし、死亡者リストにも乗っていた。
……死人…、死んだ人が稀に肉体ごとこの世に留まり続ける事をいう。死人が居ると周囲の人が次々に死んだり、死人自ら死に追いやったりする事もあるらしい。
死人はその人の死を知っている者が殺さないと駄目らしい。
信じたくなかった。でも、先輩や卒業生の話によると死人を放っておくと更にまずい事になるらしい。
私は考えて、明日行動する事にした。
「茜、ちょっといいかな?」
何も知らない茜は私の方を見て笑っている。
「志保ちゃん、どうしたの?」
「裏山まで来てほしいの。」
放課後、私と茜は普段は絶対に行かない学校の裏山に行った。そこでは物騒な噂が多い。それでも死人の話ならば、致し方ない。
茜を崖の上まで連れて行った。
「ねぇ…、なんでこんな所まで連れてきたの…?」
茜の顔には恐怖の色すらある。
私は体操服のポケットに入れておいたカッターナイフを取り出した。
そして声のトーンを低くしてこう喋り出す。
「私…、気づいたんだ。」
「それは、一体?」
「あなたの正体にね、」
私はカッターナイフの刃を出して、茜の胸に突き刺した。血が飛沫となって私の体操服を赤く染め上げていく。
何も考えなかった。茜が倒れた後は走って山を下り、ゴミ箱にカッターナイフを捨てた。裏山にはそういったものが大量にある。私が捨てたって誰も分からないだろう。
私は運動場の水道で体操服を洗った。
「駄目だ…落ちない……」
水は赤くなっているが、汚れは落ちない。それは私がした罪が一生落ちない事を意味していた。
私が体操服を絞ろうとした時、背後から気配がした。
「茂?!」
茂は私の方を見て、意味深長に笑った。
「いや、志保もこんな事をするんだってね、」
そして去ってしまった。
茂は何を考えていたのだろうか、想像しただけで寒気がした。
side茂
…ずっと人の死について考えているが、これといった答えは分からなかった。
小学五年の夏休み、僕は学校の図書室でずっと調べものをしていた。すると普段は絶対に覗かない、薄暗い奥の本棚が妙に気になり、行ってみた。
古すぎてページがなかったり、表紙が破けている本に混じって、赤茶けた和綴じの本があった。僕は他の本には目も暮れず、吸い込まれるようにそれを手に取って読んでみた。
そこには志手山での出来事が物語のように書いていた。僕はその中の一文を読んでみる。
『死出山の麓の新田にお初という少女が居た。お初は理由は分からないが村中の人から離れて暮らしていた。
そんなある日、お初は突然死出山に登ってしまう。だが、村の人は誰も止めなかった。そしてお初は村の誰かに殺されたのか………、帰って来る事は無かった。
翌年、村の人が変死してしまう事態となる。お初の祟りだと誰かが思ったのか……、死出山に小さな祠が建ち、お初の霊を鎮めようとした。それが死出山神社の始まりである。』
他にも死出山の話や事故の話が続き、一番新しいものでは去年のものまである。
別に楽しい話でも何でもないのに、一気に読み勧めてしまった。最後のページにはこんな事が書いてある。
『この本を『完成』させろ、そうすれば解放される。この地に眠る、死出山の魂達が…………。』
そして文章のあるページが終わって後は白紙になっている。
僕は本を仕舞おうとは考え無かった。この本に今まで考えていたものの全てが書いてある、そして、これから僕が完成させる。
「そうか…、この本を『完成』させる事が、僕の使命なのかな……。」
僕はその本を勝手に持ち出した。
そしてこれからは事故がある度にこの本に書き、なんとしてでも『完成』させようと意気込んでいた。
side志保
この夏休み、私は茂とあまり遊んでない。友達の男子達にも聞いてみたが、茂には会ってないという。
そんな中の登校日だった。私は茂の姿を見ると手を振ったが全く気づいていない。
そして、廊下ですれ違った時、茂は何かを落とした。それは和綴じの本だった。私がそれに触れたとき、禍々しい何かを感じた。そしてそのまま茂の方に行く。
「茂!本落としたよ、この本はなんなの?何があったの?」
茂は感謝の言葉一つも掛けずに本を取り上げた。
「どうかしたって、いつもと変わらないだろう?」
「と、言ったって絶対変だよ、いつもと様子が違うし、最近は私とも話してくれないし…。」
「本の事は何も言わないでくれ、これは僕の問題だから。」
茂は普通にその本を持っている。あの禍々しい気は何だったのだろうか。
「でも…、その本も絶対変だよ、茂をおかしくしたのはそれのせいなの?!絶対に手放した方がいい」
「ふざけるな!」
茂は声を荒げ、私を殴った。こんな事は初めてだった。
「渡辺君、立脇さん、どうしたの?!」
先生が慌てて駆け出して来る。私はこの状況をどうやって説明すればいいのか…、分からなかった。
side茂
本は順調に進めて行った。自分で見た事も、誰かから聞いた話も全部書いていった。しかし、どんなに書いてもページが減るどころか、むしろ変わらないでいる。
それに何処からか『声』が聞こえる事もあった。
(この本は絶対に『完成』しない。)
僕はその『声』を振り切るように進めていった。
そんなある日、僕は山奥のトンネルに行った。あの『声』とは違うものに呼ばれた気がするからだ。明かりもないトンネルを抜けると、そこは荒れ地が広がっていた。
「こんな所に何があるっていうんだ?」
その時赤い糸が現れ僕の足に巻き付いた。
「?!」
そのまま僕は引きずり込まれる。
赤い糸は僕の腕や首にも巻き付き、締め上げていく。それを上から誰かが見ていた。
「あなたは…?」
僕がやっと事で上を見上げると、そこには深緑色の着物を着た男性が立っていた。髪の毛は焦げ茶で目元が隠れるくらいまであり、後ろ髪はくくっている。
男性は僕の方を見て笑っていた。
「君が、その本に選ばれた子かい?」
「えっ?」
「私は圭ノ助、この本を書いたんだ。」
「あなたが、ですか…?」
「今まで、たくさんの人がその本を『完成』させようとして、その身を滅ぼした。だが…、若い君なら見込みがあるかも知れない。」
身体の節が痛む中、やっとの事で声を出した。
「僕がその本をなんとしてでも『完成』させます………。」
「……そうか、期待してるよ。」
そして圭ノ助さんは去って行く。
「また、会えますかね?」
すると振り向いてこう言った。
「会えるも何も、私は君の中に『居続ける』からね…。」
そして僕に巻き付いていた赤い糸が一気に切れ、倒れ込む。
「痛っ!」
圭ノ助さんが言っていたあの言葉、その意味が僕には分からなかった。
そして、一年が経った夏休み、僕は男子組と一緒に山の合宿所に泊まりに行った。そこでは毎回百物語をする事になっている。僕と、酒井、桜田、岸辺、竹島、村上、梅本、内藤、堀川、笹山、この十人で一人十個ずつ話をする。
しかもそれには縛りがあって毎回それは酒井のノリで決まる。今回は死出山で起こった話縛りだ。
百本のロウソクに火をつけたら、始まる。
「えっと…まずは岸辺からかな、」
こういう時は毎回酒井が司会だ。
「うん、分かった。志手山はなぜそう呼ばれてるかだよね。志手山の本当の呼び名は死出山、死出の山っていうものがあるんだけどね。そこはこの世とあの世の狭間とされている。本来ならそこは人が住むべき場所ではない。冥徳寺は死出山と他の場所を区切る大切な場所で今の倍以上の敷地があったんだ。
だけど……、江戸時代に人口が増えて、この場所に新田が造られたんだ。」
「それが、今の志手山町?」
「そういう事だ。」
この話は僕も知らなかった。そして一同からは歓声があがった。
「さぁ…、ロウソクを一本消して次へ行こうぜ。この調子だったいつまで経っても終わらないからな。」
酒井は目の前のロウソクを一本吹き消すと、次へ回した。
……そして、最後のロウソクになった。
「渡辺、最後の一本決めてやってよ」
部屋は薄暗く、炎でみんなの顔が揺れている。
「分かった。」
しかし大分話してしまってネタが尽きた。どうすればいいと考えた時、あの本の事を思い出した。そうだ、あの本との出会いを物語風にしたらどうだろうか。
「去年の夏休み、少年は誰も居ない図書館である本を拾った。それはまだ『完成』していない本で死出山の魂達が封じ込められていると書いてあった。少年はその日からずっと死出山で起きた事を書き記している。いつかこの本が『完成』する事を願って……。」
ロウソクを消した酒井が一言置いてこう言った。
「凄いね、で、その本は今何処にあるんだ?」
それはここにある、と言おうとしたその時、小さな叫び声と大きな物音が聞こえた。慌てて岸辺が明かりを付けると、桜田が倒れていた。
既に息はしていない。ひょっとして桜田はこの話のせいで死んでまったのか?一同が騒然とする中、僕は一人足を震わせていた。
side志保
夏休みが終わり、久々に登校すると、隣の机に花瓶が置かれていた。
「また誰か死んだのかな…?」
だが、誰も気に留めない。死ぬ人が多いから気にしてもしょうがないというのとある掟があるからだ。それは、この学校内で死んだ人の名前を言ってはいけないという事。死人はその記憶すらも抹消されてるから例外にあたるのだが、それ以外だと呼んだら自分も死んでしまうのだ。人によっては死んだ事実を追悼式で知る事もある。
それでも、私はこのクラスの誰が死んだのか気になった。そこで放課後、中央公園で聞いて見る事にした。
「桜田だ、桜田が俺達の目の前で死んだんだ!」
クラスの男子組のリーダー格である酒井君が震える声でいった。
「えっ…?!」
確かにお調子者でムードメーカーである桜田君が居ない。
「俺達、毎年百物語してるだろ?その最後のロウソクを消したときに静かに死んだんだ。」
私はじっと聞いていたが、こういう話が苦手な竹島君は耐えられなかったらしく、酒井君の影で震えていた。
「そういやお前、こういう話苦手だったよな?」
堀川君はそう言ってからかった。
「桜田………、」
そう呟いたのは桜田君と一番仲が良かった内藤君だった。
私は名簿を取り出して桜田君の名前の部分を黒く塗り潰した。
「立脇、何やってんだ?」
「誰が死んだか忘れないようにするためだよ。」
黒く塗り潰した名簿を私は密かに『のり弁』と呼んでいる。
この地は死ぬ人が耐えない。この小学校でも約六分の一の生徒は卒業出来ない。それでも私達は前に進まなければならない。どんな事があっても、進まなければならない。
私達は無事に卒業証書を自らの手で受け取る事が出来た。
在校生が拍手をして送ってくれる。ここで無事に卒業出来たからってまだ油断してはいけない。早くこの町を出て、高校に上がるまでは、いや、もっと先までも油断出来ないのだろう。