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新聞屋さん  作者: 蜜柑
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2話

 彼女はおなかが空いたわねと言い、お気に入りの店があるからそこに行こうと言った。僕は、頷き、彼女の後を付いて歩いた。

 5分も歩かないうちに、ファミリーレストラン調の店についた。「メニューが豊富でボリューム満点なのに、お手頃なのよ」と嬉しそうにいい、彼女はドアを開けた。

 すぐ現れたウエイトレスに喫煙の有無を問われ、手を振った。ウエイトレスが誘導した席は、窓際で、道行く人々を眺められる席だった。


「お勧めは何ですか?」


 テーブルいっぱいに広げられたメニューを見て、僕は彼女に問いかけた。彼女は、全部よ、と答えた。そのあと、少し困ったような顔をして、「私もまだ食べていないメニューがあるから、一概に全部とは言えないわね。でも、今まで私が食べてきたメニューではずれはなかったわ」と、最後は自信満々に言ってのけた。

 結局お勧めのメニューは分からず、僕はメニュー表に目を落とした。

 不意に視線を感じて顔を上げると、彼女はじっと僕を見ていた。


「僕の顔に何か付いていますか?」

「いえ。どんな人なのかと思ってみていただけよ」

「そうやって見られると、メニューを決めるのに焦ってしまうので、できればやめて欲しいのですが」

「ではそうします」


 拍子抜けするほど理解が早く、彼女はすぐに視線を他に移した。別に不機嫌そうにしているわけではなく、少しも表情を変えず、窓の外を眺めている。

 メニューは決まったのか問うと、来る前から決まっていたと言われた。どういうことなのかと問う前に、彼女はメニュー表を指差し、端から順に注文しているのだと言った。

 変わった人だと思った。


 メニュー表にさらっと目を通し、お勧めとして載っていたハンバーグ定食に決めた。

 メニューが決まったことを告げると、彼女は窓際に設置されたベルを押した。さっと現れたウエイトレスが僕らの注文を聞き、足早に去っていった。

 彼女は僕の注文を聞いて、ここのハンバーグはジューシーでおいしいのだと教えてくれた。

 彼女の注文はオムライスで、メニュー表では右ページの真ん中あたりに位置していた。

 メニュー表は左、真ん中、右の3ページで構成され、裏表紙はデザートが載っている。彼女は左から注文しているといっていたから、本当にここに通っているのだと知った。それを告げると彼女は、ようやくオムライスまでたどり着いたわと、とても楽しそうに言った。


「こうやって人と会うのは、もうどれくらいになるのですか?」

「それは、何人目ということ?」

「人数的なこともあり、期間的なことでもあります」

「始めたのはあなたの新聞社からだから、まだ2週間よ。会うのは、あなたで25人目くらいかしら」

「そんなに」


 予想以上の人数に、思わず大きな声を出してしまった。単純計算して、1日に2人以上と会っているということではないか。


「一体どうしてあんなものを載せたんですか?そんなにたくさんの人にあっていれば、危ない目にもあったんじゃないですか?」

「あなたは私にお説教をしにきたの?」

「そういうわけではありませんが」


 彼女は、表情一つ変えず、ただ笑いながら言葉を返してくる。


「そうね。あなたがいう危ない目というのには何度かあったわ。みんな男の人だったから、まぁそういうことを無理強いされたりとか。相手が一人じゃないこともあったわ。殺されそうになったことだけはないけれど」

「なっ」


 なんでもないことのように言ってのける彼女を見て、脱力しそうになったけれど、彼女の表情があまりに変化がなかったので、返答するのはやめた。

 淡々と話す印象の裏で、じわじわと無の空気を感じた。

 言葉に悲しみや絶望を感じることはないけれど、希望を感じることもない。

 この世に絶望を感じている人間以上に、希望も何も感じていない人間のほうが警戒を必要とする。次に、なにをしようとしているのか、予想がつかないからだ。


「あなたの目的は何ですか?」


 テーブルに置いてあったお手拭きで手を拭いていた彼女の手が止まった。


「書いてあったでしょう?その通りよ」

「あれでは抽象的過ぎて、何を求めているのかが分かりません。あなたは、生きる目的が欲しいのか、そんなものないことを知り、この世界を去ろうとしているのか。あなたの言う、生きる目的とは、何のことですか?」


 いつの間にか僕の言葉には力がこめられていて、テーブルの上に置かれた両手は握り締められていた。

 こんな重苦しく話をするつもりではなかったはずなのに、僕の頭は、口は、勝手に言葉を発していく。


「私は、これから先の長い人生、もう生きていく意味を見出せないのよ」


 彼女は、視線を窓の外へと移し、静かにそう告げた。

 その横顔は、思わずドキッとするほどきれいで、見とれそうになってしまった。

 けれど、その視線は寂しげで、さっき彼女が言った言葉が真実味を増していく。


「それは、何故ですか?」

「私、どうも考え方が他の人たちと違うみたいなの。理由がないと、生きていけないのよ」

「理由、ですか」


 視線を戻した彼女は、寂しげな雰囲気を残したまま、笑顔を見せた。そしてサービスで届いたお茶を口にし、「おいしい」と、また笑顔をこぼした。幸せそうな笑顔を。

 そして、次に口を開くとともに笑顔が消え、視線がテーブルの上に置かれたお茶のコップへと落ちた。


「私ね、普通の人が普通にすることはほとんどしてきたと思うの。勉強も、恋愛も、仕事も。何度も恋愛をして、いつかは冷める感情に、呆れるばかり。結婚とか、子育てはしていないけれど、それは別にしなくてもいいなと思う。仕事は、学生の頃からアルバイトしたり、社会に出てからも何回か職場変わってて、やっぱりこんなものかって感じね。キャリアを積んで上に上がりたいとは思わない。少しだけ責任のある立場を任されたこともあるけど、私には向いていなかったし。家族は大学の時に亡くして、天涯孤独の身。私が死んでも、悲しむ人なんていないし。だったら、死んでしまってもいいかなと思うのよ」


 彼女が言い切ったところで、ちょうど良くウエイトレスが食事を運んできた。オムライスのお客様と言われ、彼女は嬉しそうに右手を上げた。さっきまで生きることをあきらめようとしている理由を述べていた人とは思えない表情だ。


 彼女の前にオムライスが置かれ、僕の前にはハンバーグ定食が置かれた。

 彼女のオムライスは僕の手のひらいっぱいくらいの大きさで、僕のハンバーグは彼女の手のひらいっぱいくらいの大きさ。そしてお互いに小皿に盛られたサラダがついていて、僕のお盆にはご飯と味噌汁と、おしんこうが乗っている。

 「すごいでしょ」と、誇らしげに言いながら、彼女は僕にナイフ、フォーク、割り箸を差し出し、自分はスプーンとフォークを手にした。

 両手を合わせ、目を閉じ、彼女は「いただきます」と少し頭を下げた。いつもはそんなことを言わない僕も、それについで手を合わせ、6文字の言葉をつぶやいた。


 「おいしい」。そう言って目を見開いた僕を、彼女は「でしょう」と、すごく嬉しそうに見た。そして、自分もオムライスにスプーンを差し込み、口に運んではまた笑顔を見せた。

 食事中に話をしてもいいかと聞かれ、構わないと頷くと、彼女は静かに口を開いた。


「死んでもいいかと思ったら、途端に今までの物足りない人生がかわいそうになってね。誰かが生きる意味を見つけてくれたら、死ぬのをやめて、もう一度生まれ変わったつもりで生きてみようかなと思ったの」

「それで、あの広告ですか」

「手っ取り早いでしょ?」

「危険すぎます」

「どうせなら、私のことを知らない人のほうがいいと思ったのよ」


 ちょっと怒った僕を、彼女は困ったように笑った。

 そして、思い出したかのようにバッグの中を探り、財布の中から一枚のカードを出し、テーブルの上に置いた。ちょうど中央に。


「これは…」


 紙で出来た、緑のカード。天使の絵。それが何なのか、見てすぐに分かった。


「臓器移植の…」

「そう。臓器提供意思表示カード。死んだ後、何かの役に立てばいいと思って」

「……」


 このカードの存在で、彼女の死への決意がどれだけのものかを再度突きつけられたようで、言葉を失ってしまった。


「生きる意味もなくただダラダラ生きていくより、死んで、私の体の中の使えるものを使って、本当に生きたいと思っている人が生きていく方がいいと思うの。別にそのために死ぬわけじゃないけれど、死んでから誰かの役に立てるのなら、その方がいいじゃない」


 そう言い、彼女はカードを財布に、そしてバッグの中へとしまった。


「冷める前に食べましょう」


 何も言えなくて、それしか言えなくて、僕は、自分の無力さにあきれ返っていた。

 救ってあげようとか、どうにかしてあげようとか、偉そうなことを思っていたわけではない。けれど、ただの興味本位で彼女に会いに来たわけでもなかったはずだ。

 あのメッセージから、彼女が、生きることをあきらめようとしているかもしれないことも、予想はついていた。けれど、いざ彼女の言葉を聞いて、何も返してあげられない僕がいる。その事実が、ただ虚しい。


 僕らは、時々話をしながら、食事をした。気づけば、お互い完食していた。思っていたよりも量が多く、ゲップが出てしまうくらい満腹になっていた。


 ご飯もなくなり、話も途絶えたところで、彼女はこれからどうするのか問いかけてきた。僕は明日も仕事があり、朝が早いので帰ることを告げると、「新聞屋さんはホテルに連れ込もうとか考えていないのね」と、笑った。そういうことは一切考えていなかったと言うと、彼女は大真面目な顔で「どこの誰かも分からない男にやられた女は嫌だものね」と言ったので、僕は怒って否定をした。僕は、そういうことがしたくて彼女に電話をしたわけではなかったから。


「嫌な気分にさせたのなら謝るわ。ごめんなさい。ただ、どうせするのなら、無理矢理ではなく合意の上でのほうがいいと思ったのよ。無理矢理されて、いい思いはしないもの」


 困った顔をした彼女が、あまりに大真面目な顔で言うものだから、僕は思わずため息をこぼしてしまった。


「それなら、ああいうやりかたはやめた方がいいです。というか、やめてください」

「何故?」

「一度でも一緒に食事をした人が、そんなひどい目にあっているなんて嫌だからです。やるのなら、もう少し違う方法を考えてください」

「…そうね…」


 食後のコーヒーを頼み、それぞれ温かいコーヒーを口にした。コーヒーがなくなるのがタイムリミットだったかのように、彼女は伝票を手にした。僕はそれに従い、席を立った。


 支払いは自分がするという彼女の意見を僕は退けた。彼女は苦笑いをしながら、レジの前から横にずれた。

 支払いを済ませ、ウエイトレスのありがとうございましたの声に見送られながら外に出た。


 外は、既に真っ暗だった。時計を見ると、20時をさしていた。

 歩行者専用の道が広がる店の前は、当然車が通ることはなく、自転車に乗った人や、会社帰りと思われる人たちがちらほら通り過ぎていく。

 僕らは店の入り口から数歩歩いたところで、お互い向き合うように立ち止まった。


「僕は、生きる意味がなくてもダラダラ生きていくような人間だから、あなたの考えていることは分からないのかもしれません。あなたが求めている言葉も、何一つ言ってあげられません。でも、あなたはとても素敵な人だから、いなくなってしまったら、とても残念だと思います。もう少し生きたら、あなたを必要とする人が現れたり、何かしたいことが見つかったりするかもしれません。…僕から呼び出しておいて、こんなことしか言えなくてすみません」


 ハンバーグを食べながら、彼女にかける言葉を必死に考えたけれど、結局こんなありきたりの言葉しか浮かばなかった。そんな自分が悔しくて、彼女の目を見ることができずにいた。

 彼女は、「そんなことないわ、ありがとう」。そう言った。


 そして、僕らは別れた。



 2日後。隣町の新聞から、彼女のメッセージが消えたという伝えが届いた。



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