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新聞屋さん  作者: 蜜柑
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1話

「私に生きる意味をください」



 とある新聞の小さな広告欄に、小さな記事が載った。

 一見、意味の分からないその文章の後には、投稿者の名前、住所、電話番号が載せられていた。

 地元のローカル紙の、目立たない小さなスペースのメッセージ。隅々まで読んだ人間でなければ気付かないだろう、控えめなメッセージ。

 そのメッセージは、1週間毎日同じスペースに載せられた。毎日、毎日、同じメッセージが発信された。


 発信者。栗原すみれ。


 1週間も経つと、そのメッセージに気づく人間がちらほら出てきて、小さな町ではちょっとした話題になっていた。

 宗教の勧誘か、気違いか、売春か、からかいか…。

 小さな町では、地元のローカル紙をとっている家が多かったから、すぐに話は広まった。


 けれど、誰かその真相を確かめようと思う人間はいなかった。触らぬ神にたたりなし。そう思ったのだ。

 一時の興味本意で、面倒なことに巻き込まれたくない。そう思ったのだ。


 1週間が過ぎて。そのメッセージはぱたりと途絶えた。


 それと共に、町の人間もそのようなメッセージがあったことを忘れていった。

 当然のことだろう。

 町は小さいけれど、情報の媒体は、都心とさほど変わらない。新聞も、テレビも、週刊誌も、インターネットも、全てこの町にあるのだから。小さな町の小さな出来事をいつまでも覚えている人間なんてほとんどいなかった。ほとんどの人間が、都心で起きた大きな事件に関心を示し、メッセージを忘れていった。


 小さな町の、地元ローカル紙を発行している新聞社に勤める僕も、そのメッセージのことを忘れかけていた。

 タバコの煙でもやがかかったようないつもの風景の中、同僚からそのメッセージを思い出させられる情報を得た。

 栗原すみれが、隣町のローカル紙からも同様のメッセージを発信しているという。すぐに隣町に住む友人に確認を頼むと、事実だと返答された。


 デスクの引き出しを開け、なんとなく放ってしまった数日前の新聞を取り出す。両手いっぱいに新聞を広げ、大体覚えているページの雰囲気を探す。

 何度かページをめくると、目的のものを見つけた。

 栗原すみれのメッセージ。


 会社の中で静かにうわさが広まる前、何故だか僕はこのメッセージに目を奪われてしまった。たった4行の、小さなメッセージ。

 真剣なのか、遊びなのかなんて区別はつかなかったけれど、このメッセージが頭から離れなくなってしまった。


 そんな中、栗原すみれの話は、どこからともなく聞こえてきた。


 ある日、ネットを通じて、広告欄にあの文章を載せてほしいと依頼があった。そして、申込金は既に口座に振り込まれていたのだと。

 つまり、誰も栗原すみれの存在を知らないのだ。誰も、彼女の詳細を知らない。

 もしかしたら、彼女ではないのかもしれない。彼なのかもしれない。それさえ、誰も知らなかった。


 彼女が買ったスペースの3行目。11桁の数字。携帯電話の番号。

 昼ご飯を買いに行く途中、僕はその番号に電話をかけた。

 何故そんなことをしたのかは分からないけれど、何故か、それが自然な流れだった。


 何度か呼び出し音が鳴って、それが途切れた。

「もしもし」と応対してきたのは、女性の声だった。僕は、女性が栗原すみれであるかどうかの確認を入れた。女性は、間髪いれず、肯定の返事をしてきた。

 話がしたいと、気づけば、夕方に会う約束を取り付けていた。


 早々に仕事を切り上げ、待ち合わせ場所へと急いだ。空は、茜色に染まっていた。

 

 待ち合わせ場所は、彼女の住む町だった。会社からは電車で1駅の所にあり、待ち合わせの時間より5分前についた。

 駅前の広場は、夕暮れを前になかなかの人でにぎわっていた。

 会社帰りのOL、サラリーマン。学校帰りの学生。ティッシュ配りのバイトをしている人、ホームレスの老人。


 僕は、指定されていた、広場の中心にある、大きな桜の木の下に立った。

 桜は、もう全て散ってしまい、新緑が生い茂っていた。そよ風に葉を揺らし、さわさわという音を立てる。

 道路を挟んだ向こう側に立つ、ガラス張りのビルが夕陽を反射している。燃えるようなオレンジ色が、街を包んでいた。


「手塚耕平さん?」


 特にすることもなく、ジーパンのポケットに突っ込んでいた携帯を取り出して開こうとしていたら、突然前に影が現れた。そして、迷うことなく僕の名を呼んだ。


「栗原すみれさん?」


 顔を上げ、目の前に立つ髪の長い女性の名前を呼んだ。腰の近くまであるストレートの髪が、静かに揺れていた。


「はい。栗原すみれです。はじめまして」


 彼女はまぶしいとしか比喩できない笑顔で、僕を見た。不意打ちとも言える笑顔に、一瞬息を呑んだ。

 「はじめまして」。その一言さえうまく言えず、口の中にこもってしまった。

 彼女はそんな僕の様子を気にした風もなく、長い髪を慣れた手つきで耳にかけた。

 顔を見た限り、彼女と僕の年は大して離れていないという感じがした。どちらか上で、したまでは分からないけれど。


 こんな風に誰かと会うのは初めてのことではないんだろう。彼女は、まずどこに行くかを決めようと切り出してきた。

 僕は、電話で話したとおり、話がしたいということをもう一度伝えた。

 そして、職業を明かした。


「新聞屋さんなの?」

「新聞屋さんっていうのは、たいてい販売店のことを指して言うと思うんですけど」

「どっちでもいいわ。そう、新聞屋さんなのね」


 再度訂正を入れるのはやめた。何度訂正しても、無駄だろうから。そして、なんだか、彼女がとても楽しそうにしていたから。

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