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訓練と防衛軍

「兄様、兄様、しよ! ね、ね、兄様、兄様、兄様~! ありさ、もう我慢できないよぅ!」


 照りつける日の光が激しくなる正午、元気よく夕に飛びつく可愛らしい少女が一人。普段着ている『見習い』とでかでか書かれたメイド服は脱ぎ散らかされており、今の彼女を隠す物は薄手の下着だけだった。

 ブラは必要なんでしょうか――いやそうじゃなくて。


「分かったから、服を着なさい。付き合ってあげるから」

 そう言葉をかける夕の表情に余裕はなかった。


(こんなとこ調に見つかったら……俺は間違いなく……死ぬ……)

 甘えてくるありさを必死に引き離そうとしていると、一つしかない扉が音を立てて開かれた。開いたのは勿論、


「主様……?」


 辺りに漂う殺気が目に映ってしまいそうなほど、張り詰めた空気が漂った。

 振り向いては駄目だと、そちらに視線を向けるなと夕の生存本能が訴える。

 このままじゃあ駄目だ。何とか、何とか誤魔化さねば。

(ありさ、早くそのほんの少しだけ膨らみそうな兆しを見せかけている胸しまってくれないと、俺の命が沈む……)

 だが、そんな夕の思いとは裏腹に、ありさは無邪気な笑みと共に一層身体を寄せてくる。待て、これ以上いけない。


「主様、一体何をなさっているのですか? 後、ありささん、お洋服は綺麗に脱ぎなさいと、私教えたはずですよ?」


「待て、誤解だ調……誤解だからその釘が刺さったバットをしまってください!!」


「は~い」

 ありさはそそくさと退散すると、衣服を片付けをはじめた。

 殺伐とした荒野に取り残されたのは哀れな一頭の小鹿だけ。


「主様、どうしてありさの体には反応していらっしゃるのですか? 十五以上は皆おばさんとかのたまうロリコンなんですか、主様は? ありさに手を出すのは犯罪ですよ、二重の意味で? それなのに、何故裸同然のありさと引っ付いていたのですか? 主様はそんなに死にたいのですか?」


「いや違う、完璧に誤解だ調、訓練の準備をだな……」

 夕の弁解は一層調の怒りを買うだけだった。

「へ~、そうですか。脱いで、はしゃいで、くんずほぐれつ夜の訓練の準備ですか? 『教官、こうでありますか』、『うむ、なってないな、私が直接手ほどきしてやろう』なんですか、主様?」

 色を失っていく調の瞳を夕はただただ見つめる。

「いや、あの調さん? キャラ壊れてません?」

 振りあがる釘つきバット。

 凶器が持つ圧倒的暴力はやわい人間の頭部など熟れた果実のように破砕してしまうことだろう。


「調さん、調ちゃん、調様? 誤解……」


「問答無用です」


「ふぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」



 ボコスカと夕を殴り続けること十分。

 血まみれの夕のもとに着替えを済ましたありさが訪れる。

 運動しやすいようにか長い金糸の髪は括られポニーテルへと変貌していた。

「相変わらず姉さまと兄様は仲がいいですね~、でも兄様死んじゃうまえに勘弁してあげて下さいね~、この後ありさと運動ですから」


「運動? まさか、主様――」


「待て待て待て! これ以上誤解を深めるな……後、ありさ誤解を生む発言と行動は慎んでくれないと俺の儚い命がだな――」


「え~、ありさ分かんな~い」


(あざとい、そして可愛い――いやそうじゃなくて)


「全く、たまってるなら……いつでも私が相手を致しますのに……」

 真っ赤に頬を染めながら言う調。

「いやいやいや、確かに年齢だけは合法だが、明らかに犯罪だぞ、お前に手をだしたら確実に捕まるし、許されたとして皆の視線がひどいことになる!」

 身長は自称百三十センチだが見たところ鯖を読んでいそうだ。体に凹凸は全く存在していない、四肢はどこまでも瑞々しく、細い。小顔に小耳、体中で小さいを体現した十七歳美少女、それが調だった。


「それは、それはまさかとは思いますが、私の体のことを思って言っているのですか……もう子供も生めるのに……本気で悩んでるのに……」


(ああ、これは駄目だ……調がかなり怒ってる……)


 そうとなれば夕の取れる選択肢はたった一つ。


「逃げるぞ、ありさ! もとい、訓練に行くぞありさ!」


「は~い、兄様」


「待ちなさい、主様! まだ話は終わってませーん!」


 夕はありさの手を引き脱兎の如く逃げ出した。









 はぐれ都市調の中で、夕の領主邸がある西区は防衛区となっている。

 もともと首都大阪の開発特区であった調は、西へ西へと領土を広げ、人の住める場を開発していくために設けられた街だったのだ。当然、首都から西へと進むわけだから、未開発地区もまた西へと広がりを見せていく。

 未開発地区には多くの害獣が蠢いていて、もし街が襲われれば真っ先に攻め込まれる場所なのだ。だからこそ、最も危険な場所に領主邸は存在する。

 領主邸の周りには戦闘訓練を積んだ魔術師部隊の詰め所、一般人取締り用の治安部隊の詰め所、他に演習場や武錬場などが広々と設けられている。その他、領主直属の部隊などもこの場に置かれている。ここは言わば調にある軍の――力の置き場所なのだ。

 当初、夕は領主邸には一人で住む予定だった。

 ここは戦場の最前線になる可能性が最も高い場所であり、そんな所に調を住まわせるなど断じて許せないことであった。

 しかしながら、一人で住む旨を調に言った瞬間、涙目と言うより、ガチで泣き出した調が『調は……調は用済みなんですね……もう……死んできます……お達者で、主様……』なんて言い出したのだ。夕には調と一緒に住む以外の選択肢は存在しなかった。

 

「兄様兄様~アップ終わったよ~」

 運動服に汗を滴らせるありさがそう、笑顔で言った。ありさに併走していた調の兵士達はみな肩で息をしているというのにだ。

 その差は身体強化の魔術の錬度に起因する。

 魔術の使用は脳内に存在する演算領域に術式を刻む必要がある。魔術はその使用だけで神経を極限まで集中しなければならない。常時発動が基本となる身体強化を行いながら運動をする、それだけで未熟な魔術師はその術式を乱してしまう。意識が術式に向きすぎれば、大幅に体力を消費するし、肉体に向きすぎれば、魔力の消費が激しくなる。

「まだまだありさに比べれば未熟だな、うちの兵士達は」

 それが夕の素直な感想だった。

「ありささん、ぜひ、我らにご教授を!」

「え……急にそんなこと言われても……」

「「「お願いします!」」」

 兵士達がありさに詰め寄る。傍から見れば犯罪の匂いがしなくもない。何人かは超絶美少女であるありさに近づこうという目的のものもいるようだった。

「こら、そこ、俺のありさに近寄りすぎるな、ぶっ飛ばすぞ」

「ぶべしっ! ……領主様、ひどい……ガクッ」

「自然に手が……悪い……」

 どうやら夕の左手は不埒者ロリコンを許す気はなかったらしい。荒い息を吐きながらありさに近づく兵士は無残な星となった。

「兄様かっこいい! う~ん、で、コツだよね。こうスッと頭を空っぽにして、パッと術式を頭に通して、こうババッと組み上げたらあとはポーとしてたら無意識でうまくいくよ!」

「「「…………」」」

 どうやらありさは天才肌だったらしい。兵たちは皆ポカンとしていた。

 訪れる静寂。

 無言の圧力に耐え切れなかったのかありさが不安そうに顔を俯けた。

「……ふぇ……あの、ありさ……駄目、だった……?」

 悲しそうな表情をするありさを見て、

 プチり――と、何処かで何かが切れる音がした。

「……おい! ありがたいことにありさが教授してくれたんだぞ? 分かったよな? 分かったらさっさと御礼だろ? んな常識も知んねーのか、あん?」

 言葉の重みを感じ頬が引きつる歴戦の兵士達。ここ調は、開発特区だっただけのことはあり、害獣狩りの経験を積んだ兵達が多くいる。

 だが、これ以上にないほど魔力を滾らせた夕の威圧に誰もがその額に嫌な汗を浮かべていた。

 夕の眼光は告げている。

 もしありさをこのまま泣かしたら、全員の命はない、と。

「「「さ、サーイエッサー。有難うございます、sir!!」」」

「ほら、ありさ。皆ありさの御かげで強くなれそうだってよ」

 夕はそう告げるが先ほどの無言が心のどこかに残っているのかありさの表情は浮かないままだ。

「…………ほんと?」

「勿論だよ、なあ皆?」

「yes sir! もちろんであります、貴重な情報、感謝いたします、sir!」

「ありさ殿の御かげで、私は新たな段階に進めそうであります!」

「何と分かりやすい説明、私、目から鱗でございます!」

 経験が生きるとはまさにこのこと。

 兵達は間髪いれずに擁護の言葉を口にした。

「えへへ、なら良かった~!」

 マジ天使――いや、そうかもしれない。

「有難うな、ありさ――こいつ等に指示出したらすぐに行くから先に演習所の広間で待ってな」

 そう言うと、そそくさとありさは駆け出していった。

 見送る兵達の顔には一様に安堵が見えていた。

 だが、甘い。

 ありさを半泣きに追い込んだ無礼者どもを許せるほど、夕は寛容ではない。自覚のない重度のシスコンは兵に冷たい視線を浴びせた。

「さて、お前達。今日は特別に素晴らしい訓練を与えてやろう」

 兵達が生唾を飲み込む音がした。

 先ほどまで忘れていたが、今日は第三土曜日。例のあの人が資金稼ぎのために訓練に顔を見せているはずなのだ。

「運のいいことに今日はあの人が訓練場に来てくれているはずだ。確か第三班の訓練予定だったが、領主権限で特別にお前たちと変更するように伝えておこう」

 若干脳筋ではあると思うが強者との戦闘ほど魔術を強化するものはない。

 第三土曜と日曜は夕が特別講師を招いている日付けだ。一桁のランク持ちにして近接戦闘最強と呼び声の高い魔術師だ、これ以上にない最高の相手といえる。

 喜ばしいはずの言伝を夕が行うと、兵の目から色が無くなった。

 虚ろな瞳、絶望に歪む顔。

 地球最後の日が訪れると知らされた後ならば、人間はこんな顔をするのだろうか。

 中には、

「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない……」

 などと無機質に呟いていたり、

「ごめんな母ちゃん、俺綺麗なまんまでいたかったのに……」

 と嘆いていたり、

「初めては彼女と……つぐみ……ごめん、俺もう……」

 と走馬灯に陥っている兵もいた。

 少しだけ、罰が厳しすぎたかとも思ったが、今さら取り消す気など微塵もなかった。彼らには遠くでありさと戯れながら幸運を祈るとしよう。

 


 蛇足だが、魔術師の扱う魔術なんて曖昧なものが多い。全て感覚で行う奴なんて珍しくもなんともないのだ。つまり、特段ありさの説明がおかしいわけでもない。

 仮に夕がありさの言葉を代弁しても抽象的で曖昧な表現になるだろう。それでもあえて訂正するならば―― 

  

  適度にリラックスして頭を一旦空にする。できるだけ早くな。空っぽになった頭に順序良く術式を刻んでいく。最初は属性、次に性質。マクロからミクロへ丁寧にそれでいて迅速に。組み上げた術式が効率的であればあるほどかかる負担は軽減される。ここは慣れと研鑽次第で幾らでも上達するさ。組み上げたらなるべく術式には意識を向けないこと。循環型の魔術は術式ではなく体に巡る魔力自体を意識することが大切である。それすらも慣れれば、何も感じないままに自然体で魔術の運用ができるようになるはずだ。

 と、いったところだろう。 


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