巫女とメイド(4)
彼女の扱う力はまるで魔法だ。
無酸素の空間で火が燃えた。
水の中で火が灯った。
絶対零度だろうが、真空だろうが、まるでお構い無しだ、燃焼の三要素は何処に消え去ったというのか。
科学者としてこれほどまでに理不尽な扱いを受けたのはこれが初めてだった。まるで彼女を中心に世界そのものを支配する法則自体が書き換えられているような気がしてならない。
そうであるならば、私が今まで積み上げてきた物は一体何になるのだろうか。迷うことなく進んできたはずの道が、実は奈落に続く一本道だったとは、これ以上に滑稽なことはない。
科学的分析が根本から通じない相手に一体私は何をすればよいのだろうか。泣けばよいのか、嘆けばよいのか、恨めばよいのか、笑えばよいのか、狂えばよいのか、叫べばいいのか、止まればいいのか。
分からないままに私はこのちんけな手記を記す。
始まりの魔法使いイヴの生み出した新たな法則を。
仮に彼女の力を魔法則とでも呼ぶとするならば――
――魔法則は科学法則を凌駕する――
狂科学者、レーガンの手記より抜粋。
◇
「兄様が凄いことも、調が怖いことも、その術式結晶がすご~いものだってのも分かったけど、結局どうして調は魔術が使えたの?」
一通りの事後処理を警備兵に任せ、襲撃事件が一段落すると、ありさが不思議そうに尋ねた。
「ん~、まあそう難しいことではありません。こんな初歩の初歩を巫女たるありさに聞くのは失礼かもしれませんが、一応お尋ねします。魔術を使うために必要なものは何ですか?」
すると、少しだけ考えた――と言うよりも思い出そうとした、ありさが答える。
「魔力――正確には魔核。魔脈、そして演算領域。所謂、魔術の三要素ですよね」
今さら過ぎて忘れていた、と言わんばかりにありさが言った。
それに調は大きく頷く。
「はい、その通りです。世界に溢れた霧を取り込み魔力へと変換する魔核、全身に魔力を循環させ、その発露を促す魔脈、そして魔術の発動に不可欠な術式を刻む場所、演算領域。この三つが揃って初めて人は魔術を扱える。核が心臓、脈が血管や神経、演算領域が脳とすれば、それら全てを通して初めて体が動くのです。逆に言えば、どれか一つでも欠けてしまえば魔術は使えません」
一呼吸置いて調は続ける。
「ありささんは考えたことがありますか? 無能力者は何故魔術が扱えないのか、と」
「勿論だよ。ないんだよね、核が。魔力がないから魔術は使えない。当たり前じゃないの?」
考えたことはある。
それは勘違いなのだ。大多数の魔術師達は勘違いしている。魔核も魔力も魔脈も、演算領域さえも、当たり前に持っている彼らは無能者のことを知らなさ過ぎる。いや、知ろうとしなさ過ぎた。
その原因は魔術の性質にも起因する。魔術師は演算領域に自分だけの術式を刻む。同じ属性、同じ性質を持つ魔法も個人によって大幅に違ってくるのだ。通された魔力の質でも変化するし、魔脈の広さでも変わってくる。内包する想像でも変化はするし、秘めた意思もまた魔術に影響を及ぼす。
つまり、魔術師の使う魔術はそれぞれが唯一無二なのだ。
(だけど、それ以上に――)
夕は言っていた、もし選神教が存在しなければ、無能力者を調べる人間はもっともっと増えていただろう、と。
無能力者は自身のことを調べる機会さえも奪われてきたのだから。
「ですが、それを証明はできません」
首を傾げるありさに調は続ける。
「魔力がないことを無能力者は証明できないのですよ。魔力は魔脈がなければ循環させることができません。魔脈がなければ演算領域に刻まれた術式に魔力を送れません。演算領域がなければ魔術に辿りつくことができません。魔術の発動のプロセスは生み出された魔力を魔脈を通じて術式へと通すこと――大切なのは魔術が発動しない限り――」
「――何が欠如しているか分からない、ですか」
調の答えをありさが先取りする。言わんとしていることは子供でも分かる単純な道理だった。
「魔力が始まり、魔脈が間、術式が終わり、どれが欠けても魔術は発動しない。果てさて、無能者に足りないものは一体どれか、確かめる手段は何処にもありません」
都合のいい魔力識別アイテムなんて現実には存在しない。内に秘めるもう一つの力は魔術として具現化しない限り見分けることができないのだ。
考えてみれば当たり前、だが誰も考えようとしなかっただけ。いや、考えた人はこれまでも何人もいただろう。だが、考えたはいいものの、それを証明するための手段が何処にも存在していなかったのだ。そしてその手段を追い求めることをしなかった。
魔術の性質が妨害してしまったのだ。魔術は常に自己との向き合い――そこに他者は必要がない。同じ魔術師同士で、同じ魔術を生み出すことが出来ないならば、どうして魔術自体を使えない生き物に目を向ける必要があるのだろうか、首都で研究を続ける魔術師の多くはそう言うのだろう。
「もしも、始まりが欠けていないとすれば――それ以外を補う道具があるとすれば、無能力者は魔術を使えることになる」
「そんなの出来っこない!」
「ええ、それが今までの常識、でもこれからは違います」
調の手には小さな宝石。
「術式結晶――製法は私も知りません、ですがこの結晶には魔力を流す道と魔術を組み上げる術式が刻まれています」
――だから人一倍魔力を持つ私は結晶に魔力を注ぐだけで魔法が使えます――
調は少しだけありさが情報を咀嚼する時間を与えてから、言葉を紡ぐ。
「術式結晶は魔術を使う道具である以上に魔力の有無を検知する発見器なのですよ。ありさは無能者と呼ばれる人の内、何人が魔核を持たない人間か知っていますか? 正解はたった一厘。つまり、選神教の言う無能者、機関の言うただの人間、そのうち九割九分九厘が現段階で道具を用いれば魔術を扱える。だから、自由貿易都市調は機関の影響を振り払うことができたのです」
実際はそこまで都合のいいものではない。魔力がごく少なく、まともに魔術を使えないだとか、結晶に注ぐ回路と合わず発動に十時間かかるだとか、そもそも結晶自体に魔力が反発するだとか、失敗例は数え切れないほどにある。多く見積もってもせいぜい調に住む人々で魔術をまともに扱えるのは一割程度だろう。
この都市の心臓とも呼べる場は北の魔術特区である。
学生時代に知り合った夕の協力者を中心に独自の魔道具を生み出す場。首都大阪に置かれた中央魔術研究所に引けを取らないこの場所こそが調の大本なのである。
総人口十万人のうち一万が魔術師に対抗できる兵士になり得る。
防衛力、それを調は得ることができたのだ。
結局は暴力のおかげ、と言うと悪い印象しか生まないであろうが、力なき正義ほど意味をなさないものはない。何故なら正義とは何時の世も勝者が決めた秩序に倣ったものに過ぎないからだ。だから現在もこの街は勝ち取った秩序で回せている。
「まだまだ、発展途上です。何より、術式結晶は模造品であり劣化品ですので、基本的に誰かの魔術を借りているわけですから、使えない人間も出てきますし、使えたとしても魔術師に及びません。加えて脈を必要とする循環型の身体強化や知覚拡大は扱えないことがほとんどです。ですが今の段階でもこの結晶が量産可能となり出回れば、魔術師と無能力者の壁は今よりずっと薄くなるでしょう。だからこれは強力な毒なのです。使い方を間違えたり、使用量を間違えれば瞬く間に破滅を齎すことでしょう。逆にそれさえ守れば皆を救う薬にもなります」
「……ありさ、巫女なのに何も知らない……」
少しだけ落ち込むありさ。霊山の巫女は魔術のプロだ。その実力はランク持ちに引けを取らない。だけれど、魔術師は決して魔術に詳しいわけではないのだ。
魔術を強化することは一人でしか行えない。魔術師の多くは演算領域に術式を刻んでは消去して、刻んではまた消去する。自分だけの術式を自分に相応しいように研鑽する。
そこに他者の意見や方針を取り込んでもうまく行かないことのほうが多いのだ。基礎を知った後は自己と向き合い改良するしかないのが魔術の現状なのである。
巫女といえど、特筆すべきは知識ではなく戦闘力なのだ。
「まあ、それはさておき――ありささん」
穏やかだった調の声色が低くなる。
「先ほどは危ない所を助けて下さって有難うございました、ですが――」
「な、何でお礼を言われているはずなのに……そんなに怖い顔しないでよ……」
「また勝手に判断して、思い込んで、どうせ自分がいなくなれば皆に迷惑をかけないとか、くだらないこと考えてたんですよね、全く……そもそも独立を決心した時点で調はとっくに周りを敵に回しています。今さら巫女の一人や二人抱え込んだって対して状況は変わりません。それなのにあなたと言う人は、もっと自分を大切にして下さい」
「……ふにい…むう……なのです……」
「はい、自分のせいで私や主様に迷惑かけたくなかったのですね。できればさっさとありささんが蹴散らしてくれれば貴重な術式結晶を使わないで済んで迷惑どころか感謝したんですけどね」
珍しく解読だけでなく調の言葉に毒が混じる。
「ごめんなさい……」
しゅんとするありさに調は右手の小指を差し出した。
「約束して下さい、もう勝手に一人で出て行かないって――もう貴方は私達の家族なんですよ」
「約束、する」
ありさは差し出されて指を自分の小指と絡める。何時しか不安と入れ替わった希望と共にもう一度、
「約束する! もう勝手に一人にならない。ちゃんと、調に相談するから……だから……その……」
小さく俯く、そして見上げる。
涙を堪える双眸。篭る感情は期待。
顎に手をあて、緩む頬と困ったような表情。
「……お姉ちゃんって呼んでいい?」
茹でダコのように真っ赤になって、恥かしそうに告げるありさ。先ほど襲われたときに、そうありさが口にしていたことを調は思い出した。
「えっ! その……うん……いいよ……」
照れくさそうに髪を梳く調だったが、自分から家族だと言い張っておいて断わる訳にもいかなかった。それに断わる理由も何処にもない。
「じゃあ、約束! 指切った!」
帰路につく姉妹の影が夕暮の日差しを受けて、交じり合い重なっていた。