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巫女とメイド(3)

 

「主様、主様、はいあーん!」

 右側から丹精に煮込まれたシチューを乗せた木製のスプーンが差し出される。可愛らしく微笑みながらあーんと言ってはいるが目が笑っていない。むしろ有無を言わせない強烈な威圧感がそこにはあった。

「あ、あーん……」


「兄様、兄様、はいあーん!」

 左側から少しだけ焦げがついたパンが迫る。対抗心なんてものじゃない。邪魔者に対して明確な殺意すら感じる。一様にその瞳に光はない。そして夕には差し出されるそれを受け入れる意外に選択肢はなかった。

「あ、あーん……」


「「主(兄)様、あーん」」


「あの……一人で食べれるけど……」


「「あーん!」」


「……あ、あーん」


 傍から見れば、死ねといわれても文句は言えない状況だというのに、夕は全く喜べない。もう何度目になるか分からないが、機械仕掛けの人形のように口を開けて二人の差し出す料理を口に含み続けた。

 最初はありさが気まぐれに差し出してきた一切れのパンを食べただけだったが、それこそが何よりの間違いだった。ありさだけを優遇しているように思ったのか、いつもは冷静で、ある程度分別のあるはずの調が対抗するように自分の使ったスプーンに具材を載せて差し出してくるようになったのだ。

 このままでは永遠に続きそうだと思った夕は二人の差し出してくる『あーん』が同数になったときを狙いすまして口を開いた。


「二人とも、そろそろ自分で食べなよ……栄養不足になるぞ……」

 栄養不足、その一言にどこか焦りを覚えた二人は、

「「はーい」」

 元気良く返事をすると自身の食事に戻ってくれた。

(はぁ……)

 安堵の吐息が自然と零れた。

 二人が仲良くなったことは夕も喜ばしいことだと思う。だが少しばかり仲良くなりすぎた。四六時中調の後を追うありさ。そしてことあるごとに競い合うというか、争い合う二人。一体どうしてそうなったのか夕には分からない。

 主に夕のせいで遅くなった朝食を終え、片づけをを行う調は思い出したかのように夕に言った。


「そういえば主様、昼からは二人で買出しに行って参りますですが、何かご入用のものはございますですか?」


「え、お昼はお買い物? 兄様兄様、このメイドの飴玉より美味しい飴玉探してくるからね、ね!」

 聞かされていなかったのか、ありさは少しだけきょとんとした後、調を挑発するように言った。

「これはまた無駄な努力ですね。ないものを探しても時間の無駄と知らないのですか?」

 だが調はひらりと受け流す。

「せいぜい慢心するがいい、です!」

「ええ、心配せずとも精進するのでご安心を」

 夕が制止するまで何時までも続いていく二人の言い争いが何故だか心地が良い。今までは夕と調が言い合うのが日常だったが、最近はありさと調が言い合って喧嘩していることもあってか、調の小言や説教が減ったような気がする。

(僥倖といえば、僥倖なのかもしれない)

 だが、夕はすぐに首を振った。

 いや、それ以上に二人の争いに巻き込まれて酷い目にあっている。今朝の一件を思い出しても、幸運と言いたくはなかった。

「それで聞いてるんですか、主様!」

 そういえば、必要なものを聞かれていた。だが、特に思い浮かぶ物はない。

「ん、ああ、特にはないかな――気をつけて」


「はい、いつものように行って参りますです」


「話は終わってませんよ、駄目メイド!」


「あら? 私が駄目なら貴方は何? ゴミ? それとも蛆虫ですか?」


「何を~!」


「あら~、何か?」


 ――ほどほどにな。

 そう言って夕は台所を後にする。


「さて、こっちもお迎えの準備をしないとな」






 自由交易都市調――またの名をはぐれ都市調。元は機関の開発特区だったこの場所はたった三年と言う短い時間で第三勢力とも呼べるほどまでに発展していた。

 議会の象徴とも呼べる時計塔を中心に東に住宅区兼生産区、南に商業区、北に魔術区、そして西に領主邸を中心とした防衛区、それぞれが濃い特徴を持っているが不思議と一つの街として綺麗に纏ることができていた。それはかつてこの街が特区であった頃の経験からくる信頼の賜物であったが、それ以上に街としての本来の目的を体現できているからだろう。

 それは人の保護である。

 個として脆い人間が、集団として生活することで、己と己の大切な人を守る場所、それが都市である。それこそが都市であるはずなのだ。

「調ちゃん調ちゃん、良い茶葉が入ってるよ、はいこれサービスね、持ってきな」

 調とありさが商業区を歩いていると、いつもの如く声がかかった。

「有難うございます、おじさま」

「いいってことよ! 夕の坊主にもよろしく言っといてくれ!」

「今は一応領主様ですよ」

「がはははは、そうだったそうだった」

 袋一杯の茶葉を受け取り少しだけ歩くと再び声がかかる。

「あら~、調ちゃん、ありさちゃん、いいところにきたねー! 今クレープ焼き立てよ、あげるから食べながらいってね!」

「「ありがとうございます」」

 なじみのお菓子屋でできたてのクレープが手渡される。調は代金を支払おうとするが一度として受け取ってもらえたことはなかった。それに調は少しだけ申し訳ない気持ちになる。彼らの行いは好意からなのは分かるがそれ以上に感謝なのだ。そしてその感謝の対象は主である夕に対してであり、調に対してではないとそう思っているのだ。

 

 実際はそうじゃない、彼らは確かに都市を築いた夕に深い感謝を抱いているが、昔から夕の傍で彼を支え一途に頑張る調のことも大好きで、感謝することも多くある。

 例えば、街の人の意見を真摯に届けるのは調が無意識に行っている仕事だった。夕や議会は大まかな政策を考えて全体を見るが、少数が困っている所までは視線が向かない。調が築かれた当初、街の隅で泣いていた少女の話を調が尋ねた。それは少女の友達を含む複数人が魔術師に攫われたというごく小規模な事件だった。調が夕に報告し、夕が検挙を行ってことは小さなままで終息したが、実はその魔術師は選神教が手を回して進入させた人攫い、奴隷販売を専門に行う集団であったことが判明した。まだ都市ができたてで、街の管理が未熟であった隙間を狙われたのであり、放っておけばこれ以上にないほど厄介な出来事に発展していただろう。

 それだけじゃない、露天同士の小競り合いを改善したり、路上の汚れについて改善を図ったり、泣いている子供にお菓子をあげたり、と小さな諍いの芽を事前に摘むことにおいて、夕よりもよっぽど街を支えている陰の立役者なのである。 

 何より、夕が街を離れた三年間、この街を支えたのは何の力も持っていない、小さな少女であることを皆が知っている。人一倍努力家な少女に感謝をしない住人はここには存在しないのだ。そのことに本人だけが気づいていなかった。


「ふにゅ~、やっぱりここの人間は魔術師じゃない人ばっかだね~。でもでも皆笑顔で、活気がある――私の知ってる人達じゃない」

 受け取ったクレープを懸命に頬張りながらありさが言った。

「ありさの知っている無能者わたしたちはもっと荒んで、枯れた、言うなれば死人のような人、ですかね? この都市ができるまで私達も同じでしたよ。今を無為に過ごし、未来を捨てたような生き方を私も、彼らもしていましたから」

 ありさは調の低い声や感情の発露よりも、目の前のご馳走に夢中だった。

 そんなありさの様子を見て調は苦笑する。

「都市が違うだけで、こんなにも違うものなんだね。ありさは巡礼中も大抵関わったのは魔術師だけだからもともとあんまり知らないけど――それより、何でこの街調と同じ名前なの?」

 予想外の不意打ちに、ボンと音をたてるように調の顔が真っ赤に紅潮した。

「き、聞かないでください……」

「え~気になる~! 何で兄様の街の名前が調なの! 今からでもはぐれ都市『ありさ』に変えようよ!」

 冗談交じりで交わした言葉に、

「絶対駄目っ! あっ……いや、その……」

 条件反射で調はそう言った。

「ふーん……」

 ありさは少しだけにやにやしながら、どこか不機嫌そうに調を見つめた。

「大事なことなんだね……」

「……うん、恥かしいから、また今度ありさにもお話しするね、主様の昔話と一緒に」

「それじゃあ、ま、楽しみにしておく~」

 そう言ってありさは最後の一口になったクレープを口に含んだ。

 調はありさを連れて街を回る。

 服屋では二人で服を選びあった。普段はメイド服しか着ていない調にはありさが子供っぽいピンクの服と、髪を結うリボンを選び、調はありさに多くの服を買った。ありさは巡礼用の巫女装束と戦闘用の服しか持ち合わせていなかったからだ。

 体のラインが綺麗に出る、大人っぽいネグリジェを買おうとしたがその煽情性も相まって二人同時に顔を赤くした。下着売り場では自分たちの体を見回して同時にため息をこぼす。

 もし、ここに夕がいたら二人のそっくりなリアクションに笑みを浮かべていたことだろう。

 何処にでもありそうな日常は、夕が苦労して勝ち得た大切な成果だった。

 時は過ぎ、空の光が微かに暗くなっていく。人工太陽の光は朝から昼にかけ強くなり、昼から夜にかけ弱くなる。その日差しは何処までもかつての空に浮かぶ光へ羨望であり、ほんのりと差し込む光には微かな赤みが混じり合っていた。

 一通り買い物を済ませた二人は帰路につく。

 ありさの手には新たな食べ物――しっかりと焼かれた黄金色の芋が握られていた。

「あーむ――――んー、おいしい! ここはいろんな物があっていい場所だけど、何より食べ物が美味しいね!」

 思えばありさは買い物の間、ずっと何かを食べているように思えた。幸せそうに笑みを浮かべるありさに調はつい冷や水を浴びせる。

「太りますよ」

 たった一言で、豪快に食べ進めていたありさの手が止まる。

「ふ、太らないもん!」

「主様は確かにお優しいですが、ぶくぶくと肥え、醜くなった貴方をはたして好きでいてくれますかねー?」

 ありさは今日一日で食べた数々の料理を思い出して顔を青くした。

「うぅ……調……半分、食べて……」

「いえいえ、遠慮なさらず全部食べていいんですよ?」

 調はいつものお返しとばかりに意地の悪い笑みを見せる。

 この後に夕食があることを思い出し、さらにありさの表情が暗くなった。

「しらべぇ……食べてよ……」

「仕方ありませんね」 

 そう言って調はありさの手にある芋を割ると、その片方を口に含んだ。

「えへへ、ありがと」

 そう言ってありさははじける様な笑みをを浮かべた。

 同性にも関わらず調は宝石のような眩しい笑みに見惚れてしまっていた。ふと正気に戻ると、誤魔化すように言葉を紡ぐ。

「それにしても、おいしそうに食べますね。確かに美味しいですけど、それほどですかね?」

「調は舌が肥えてるだけだよ! ありさの食べてた食事はなんか変な味がしたし、美味しくなかったもん。調の料理も、クレープも、勿論このお芋さんも、めちゃめちゃ美味しいんだよ!」

 食事を楽しむありさは何処までも純真で微笑ましいと夕も口にしていた。

 間近で何度も見たはずの笑みは何回見ても良いものだと調は思った。


「そうですか、それは――」


「っ! ――伏せてっ!」


 良かった、そう口にしようとした調を無理やりありさは地面に倒した。食べかけの芋が地面に転がる。

 倒れた調の上を風切音が通過した。倒れこむ調のすぐ傍には鈍色の短剣が突き刺さっていた。

 朗らかだった空気は一変し、緊迫感が場を覆う。


「誰っ! 出てきて!」

 

 ありさは誰もいないはずの物陰に鋭い瞳を向けたまま、声を投げかける。

 すると、建物の影から複数の人影が姿を現した。黒装束に身を包んだ三人の影は悠然とありさの前にその身をさらす。そして形だけは臣下の礼を取ると丁寧な口調で声を発した。

「これはこれは巫女様、ご無事で何よりです。我ら選神教が魔術師、行方知れずの巫女様をお迎えに上がった次第でございます」

 調は冷静に事態を把握しようと体勢を起こそうとするが、その直後、意思に反して体が硬直した。

 それは恐怖からだ。

 しかし、その対象は迫りくる刃物からでもなければ、異様な格好の魔術師に対するものでもない。

 余りに変わってしまった少女の放つ、禍々しい殺気の余波に気圧されてのことだった。

「ねぇ、なら何で調を攻撃したの?」

 小さな体躯からは到底及びもつかない冷たい声色。

 だが黒装束の魔術師はまるで理解できないとばかりに首を振った。

「これはまた異なことを仰りますな。勿論、巫女様に危害を与える恐れのある愚かな無能者を葬るために決まっているではありませんか。そもそも、このようなゴミ共の住む街の、一際大きな粗大ゴミがもしも巫女様に何かしらよからぬ影響を与える可能性があるならば、私は神に選ばれた人間として、その危険を排除するのは当然のことでございます」

 心から自分に酔い痴れた人間の独白をありさは冷静に耳に入れた。

 同時に、襲い来る言いようのない憤り。

 それは声を発した相手にもだが、それ以上に自分自身へと向けられたものだった。

 こんなくだらない説得でさえも、夕に出会う以前のありさならば納得してしまったかもしれない。調やこの街の人達を知る前の自分なら、まあいいか、と思ってしまったような気がして、そのことがひどくありさの心を震わせた。

「ああ、汚い。こんな汚い場所に巫女様を連れてくるなど、全く持って許せざる所業ではありますが、今は御身の確保が最優先事項です。さあ、巫女様、こちらに」

 そう言って、魔術師はその手をありさに向ける。

 同じ人間であるはずのその手が、ありさにはどんよりと濁っているように思えてならない。そして何よりも以前の自分は彼らと同じ組織に所属し、同じように同種を蔑んでいたことにふつふつとした怒りが湧いてくる。

「……そう、でもあなた達は要らない」

 ありさはそう言って、パチンと指を鳴らした。

 音がその場の全員の鼓膜を揺らした。

 その瞬間。

 ボウと火が灯った。


「ぐぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

「なっ! 巫女様っ! 何を!」

 燃えさかる炎が灯ったのは悠然と言葉を発していた魔術師の隣にいた男からだった。最初に調へ向けて短剣を投擲した人物でもある。

 灼熱の業火に身を焼かれた魔術師の一人は、あっけなくその身を炭化させた。街に吹いた通り風が、男であった黒い何かをどこかへ運び去っていく。

「ご、ご乱心めされたかっ! 神の使途たる我らを討つなど、貴方は神に、そして我らに選ばれた魔術師、巫女なのですぞ!」

 高度な炎魔術の行使、圧倒的破壊力もさることながら、最も驚愕すべきはその発動速度であった。

 魔術に精通しているはずの魔術師が何の対策を取る暇もなく焼かれたのだ。ありさを糾弾する言葉とは裏腹に、男の内心ではありさの技量に冷や汗が止まらない。

「……そう、でもそんなの知らない。ありさは自分がどうして巫女なのかも、何で巫女になったのかも分かんない」

 ありさはまるで、つまらない物を見下すように言葉を発する。

「でもね、一つだけ分かることがあるの。調お姉ちゃんを攻撃したおっちゃんは敵ってことだよ」

 圧倒的な力量差がそこにはあった。

 だが彼らはありさと戦うことになるなど微塵も考えていなかったのだ。ありさに自分の身分を明かせば巫女たる彼女は従ってくれると彼らは信じきっていた。

 だからこそ煮えたぎるありさの激情を想像することすらできない。

「き、貴様あああああああああああああああっ! 貴様か女! 穢れた無能者がっ! 貴様が巫女様を誑かしたのか!」

 歪んだ感情は都合のいいように思考を傾け、その敵意を調へと向けた。

 それがありさの逆鱗に触れることになるとも知らずに。

「そっ、もういいわ……死んじゃえ」

 ありさの姿が消える。

 魔術で強化された男の視界に映ったものは、微かに歪む残像だけ。

「ごっはっ!」

 認識の外での出来事に男は地に倒れ伏した。腹に一撃、ひざまずく後頭部にもう一撃、瞬時に距離を詰めたありさが容赦なくその武を振るった。

「げっほぉ! かはっ――はぁ、はぁ、よろしいのですか、巫女様……我らに敵対するということは神を、選神教を敵に回すということです……そうなればこのようなちっぽけな街、容易く叩き潰されることでしょう。本当にそれでよろしいのですか……? 必ず、必ず神罰が下るのです」

 ありさの手が止まった。

 脳裏には一つの可能性が浮かぶ。

 責任感の生まれたありさは自分のせいで街を危険に晒すことになるかもしれない、と考えてしまったのだ。

「で、ですが、今お考えを改めれば、神はきっと貴方様をお許しになるはずです」

 怒りに滲むありさの表情が微かに歪んだ。

「この街が大切と言うならば、貴方は大人しく我々について来るべきだ……でなければ、無意味に貴方はこの街を滅ぼすことになる」

 ありさは何も男の言うことを信じたわけではない。

 こんな程度の男に、ありさが全く歯も立たなかったあの夕をどうこうできるとは思えるはずがなかった。

 だが、それでも、もし自分のせいで夕や調の大切なものを傷つけることになったとしたら、到底耐えられるわけがなかった。現に調は今こうしてありさの巻き添えになっていた。

「耳をかしちゃ駄目!」

 調の声がありさに届く。

 勿論そんなことはありさにだって分かっていた。男の発する言葉には何処にも彼の意志がない。全て神に縋って、都合よく解釈しているだけなのだろう。夕が発していたどこか思い悩むような言葉の重みが感じられないのだ。

(でも――ありさは他人だから……そんなありさのために皆が傷つくなんて絶対駄目……)

「ふふ、お分かりいただけて光栄です、巫女様。神も貴方様の英断に喜んでおられるでしょう」

 喜色に塗れた笑みを男が浮かべる。攻撃意思を失ったありさは己の意に従うだろうと思ったのだろう。

 だが、男のことなどありさは心底どうでもよかった。ありさはただ自問する。

 本来この街にいないのは自分だ。

 なら異分子が消えればいい。

 ありさは瞳に涙を溜めると、震える声で別れを告げる。

「……ごめんね、お姉ちゃん」

 ありさは調に背を向け、その視線を無理やり外した。未練を断ち切るように一歩だけ歩みを進めると、男は満足そうに頷いた。

「では、参りましょう巫女様。ですが、その前に――やれ!」

 ――何をする。

 ありさが声を発した時にはもう、生き延びた魔術師の刃が調へと襲い掛かっていた。

「あははははははははははははははははははははははははははははははははは、巫女を誑かす怨敵を殺せ!」

(遠い、駄目っ――間に合わない、いやっ、駄目っ!)

 調に迫る黒装束の右手には生々しい鉄の刃。

 脳裏に浮かぶ最悪の光景。

 鋭利な刃が少女の喉をあっけなくかき切る――――はずだった。

「があああああああああああああああああああああああああああっ!」

 響く断末魔――だがそれは決して少女のものではなかった。

 肌寒い一陣の風が吹く。一瞬で辺りに立ち込めた霧が剥がれ、残ったのは一柱の氷像。

「嘘っ……これって……魔術?」

 それは決して起こりえぬ筈の現象だった。

「……何故だ…………女ぁあああああっ! 何故貴様が神の御技たる魔術を使えるのだ!」

 激昂する男、困惑する少女、その中で調だけが悠然と屹立していた。調は男の発する言葉など歯牙にもかけず、ただありさだけを見据えていた。

「全く、どいつもこいつも……勝手に自分で完結して、勝手に一人で答えを出して、妄信して、誰にも確認さえしない。――いい加減にしなさい……ありさ、貴方はもう一人ではないのですよ?」

 さとす様にそれでいて厳しい口調。

 氷雪に体を震わせながら、あるいはその怒りで言葉を震わせながら、調はありさに告げた。

 それはありさが皿を割ったときよりも、夕の寝室に忍び込もうとしたときよりも、調を無能と見下したときよりも、身勝手な感情で抜け駆けをしようとしたときよりも、確かな怒りが込められていて、ありさは思わず体を震わせた。

「ご、ごめんなさい……」

「はぁ……全く、いざという時のために、持ち歩いていて正解でしたね」

 調の手には蒼く輝く宝石が握られていた。

 それを見た男の目が見開かれた。

「そうか、そうか、そうか、そうか! 邪法かっ! 卑しくも神の御技を封じ込める、歪な邪具……おのれ、おのれ、おのれ、夕暮夕ぅううっ!」

 口汚く罵声を浴びせる魔術師の男。 

 その目に理性はなく、ただただ、己の前にある現実を否定し、認識しようともない愚か者に調はたった一言――


「黙れ」


 そもそも、この男もありさでさえも、調をまるで理解できていないのだ。

 無能者?

 ここに夕がいたならば失笑を浮かべながら迷わずこう言うだろう。

 魔術が使えるとか、使えないとか関係なく、調は怒らせちゃ駄目なんだよ、と。

「自の理を越える物を邪と申すか。ただの力に過ぎない魔術を神の御技と称するか。滑稽な、実に滑稽だぞ貴様は。与えられた力にただただ縋り、溺れ、思考を放棄した貴様に主様が苦心を重ねて生み出した魔道具を認めろという方に無理があるのかもしれんが、それを否定することだけは許さんぞ? これはあの方の残した奇跡だ。未来を切り開いた大切な宝だ。だから貴様なんぞに否定する資格はない!

 そうそう、確か貴様は――貴様達は言っていたな。我らを無能者と。だが、私からすれば貴様等の方がよっぽど無能者だ! 冥土の土産に教えてやろう――魔術が使えないから無能者なのではない。何もできず、何も生み出さず、何も考えず、ただ立ち上がることを止めた者――それが無能者となるのだ」

 それはまるで自傷の呟き。

 歩みを止め、地に伏し、何もできなかった――いや、何もしようとしなかった自身への悔恨だ。

 淡々と述べる調の瞳は遥か遠くの過去を幻視しているようだった。

(え……あの……誰?)

 変容した調の口調に驚きを隠せないありさ。

 男は興奮したまま調に神だの、御技だの、罵るが理の通らない主張など調はまるで意に解さない。それどころか、男の妄信を容赦なく糾弾する。

「何時から己を特別だと謳った? 何時から何もしないまま神に縋った? 何時から責任を他者に求めた? 何時から他人を見下した? 何時からその両目を塞いだ? 甘く優しいだけの嘘は貴様に一体何を与えた? 貴様はその手で一体何を守り、何を壊してきた? 己が信念をいったい何時入れ替えてしまった? たった一度だけでいい、誰かに言われたことはなかったのか、神を信ずる前に自分の見た現実を信じろ、と。――――だが、残念なことに貴様に悔い改める時間はやらん。主様を侮辱したこと、何より主様と私の大切を奪おうとした報いを受けてもらおう」

 光を放っていた宝石が調の魔力を吸って一層の輝きを放った。

 そして刹那――世界は白に染まった。

 残ったのは、氷付けとなった街の一画と二つの氷像。

「……調……あの、え……どうして?」

 混乱を隠し切れないありさの言語を調はあっさり解釈する。

「ああ、ありさは知りませんか――一部では結構有名なんですよ、これ」

 そう言って、今はもう役目を終え色を失った結晶をありさに見せた。

「魔道具――術式結晶スペルクリスタル。この街を独立へと導いた陰の立役者です。まあ、まだまだ高価なもので量産もうまくいってないみたいですけど、世界を変える毒になる、主様の奇跡です。ああでも、奇跡と言うと主様は怒るかも……ってそんなことより、全くもう、また勝手に一人で決めて、怒りますよ私!」

 すっかりと元の口調に戻った調の暢気な声が優しくありさに届くのだった。


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