巫女とメイド(1)
「それで、一体どういうことなのか、説明していただけますよね!」
「いや、どうと言われましても……」
険しい表情のまま糾弾する調に夕が言いよどんでいると、無邪気を体現したかのような幼い声が割り込んできた。
「ねぇねぇ兄様、兄様、ありさ飴玉舐めたい。それにそれに、このつるぺたな人誰? 兄様のいい人? 兄様ロリコン? 都合いいかも……」
剣呑とした雰囲気をまるで理解もせず、というか理解する気もなさそうにありさは好き勝手に言葉を発した。
夕はその間も、ずっと思考を続けていた。
どういうことか、と言う問いに一番しっくり来る言葉は恐らく、
「…………妹ができた?」
「一体、全体、どうやったら危険な依頼の標的がそんなことになっているのか説明しやがれと言っているのでございますですぅ! 後、誰が地平線の如く何処までも平坦なおっぱいだぁ、糞ガキ!」
仁王立ちでない胸を張りながら怒声を上げる調、困惑する夕に柔らかな頬を摺り寄せるありさ。ここはさながら天国と地獄の境界と言った所だろうか。
左を見れば天使の微笑、右を見れば悪魔の祭壇、言いえて妙だと勝手に納得していると、聞き捨てならない言葉をありさが言っていたことを思い出した。
「説明って言ってもな…………なんだ……その……すっげぇ懐いた……後、俺は断じてロリコンではない!」
「兄様ロリコンじゃないの……? ありさ、いらない子……?」
上目遣いで涙ぐむありさ。
可愛い――いや、そうじゃなくて。
「そんなことないよ、ありさは可愛い妹だからね。大切だよ」
夕はありさの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「うにゅぅう」
するとありさは子猫のように喉を鳴らしながら目を細めていた。
つい夢中になってありさに構っていると、今度は不機嫌な顔をした調が手の通されていない服の裾を引っ張ってくる。同居人が二人に増えただけなのに忙しいことこの上ないが、調を放っておいていいことなど一つもない。夕は調の目を見て耳を傾ける。
「主様、調はこの二日間ずっとずっと主様のことを心配して夜も眠れぬ日々を送っていました……なのに、なのにです、主様は仕事とかこつけて少女を誑かし、その未発達な体を弄んでいたのですね……最低でございますですぅ!」
「いや、調……あのな……」
夕が何とか弁明しようとすると、今まで目を細めて気持ち良さそうにしていたありさの目が不吉を象徴した黒猫のように怪しく光った。
「ふーん……少女……未発達ねぇ……」
ありさの視線は調の体のごく一部に集中していた。じろじろと値踏みをするように見定めた後、今度は自分の身体に目を落とす。
納得したように一つ頷くありさ。
そして顔に浮かぶのは笑み――そこには勝ちを悟った勝者故の優越感が隠されることなく表されていた。
「なっ! なっ! なっ! 何が言いたいのですか!」
残念なことに何を言いたいかは明らかだった。
調はこんな体系でも既に十七才、誕生日が遅いだけで夕と同い年だ。だがしかし、夕が知る限り、十を越えた辺りからは全くと言っていいほど発育が見えない。
それに加え、明らかに年下であるありさのほうが僅かにだがその体に起伏が見られる。年齢から言っても将来性はありさに分があると言わざるを得ない。
「い~え~、別に~」
白々しいにもほどがある。可愛さや無邪気さの影に隠れ潜んでいたのは一柱の悪魔だったのか。
ありさは自身の起伏を寄り目立たせるように体を捻り、胸元を寄せその微かな膨らみを見せ付けるように強調する。
調は少しずつ、少しずつではあるがその表情を歪め、目じりに涙を溜めていた。そして――
「ふえーん、主様ぁ!」
終に堪えきれなくなった調が夕に抱きついてくる。
「おーおー、よしよし……大丈夫だぞ、調はちゃんと可愛いからな。ちょっとくらい成長が遅かったって気にするな、十分魅力的だぞ~」
紛れもない本音だ。外見は少女、それは単に発育不全を意味するわけではない。むしろ、そのおかげか調は年齢以上に瑞々しい美貌を得ているのだから。彼女の前では化粧など不要だ、むしろ邪魔でしかない。調はつい、人形のようにと形容してしまいたくなるほどの美少女なのだ。
だが、それでも調はどこか不満そうなままだった。
そしてその不満は抑えられることなく、夕に対して、決して聞いてはならない爆弾を容赦なく投下する。
「じゃあ、主様……大きいのと小さいの、どっちが好きですか?」
「…………」
夕は沈黙意外に応える術を持たない。調がどのような答えを求めているかは明らかだ。だけれど、長年の付き合いで夕は分かる。その答えは罠であると。
恐らく、どちらの回答も地獄への片道切符になっていることだろう。
「兄様兄様、ありさも気になるなー」
沈黙を保つ夕に追い討ちを仕掛けるが如くありさが追従した。
かつてない難問に直面し、夕はその思考を加速させていく。
(考えろ――考えるんだ俺――これは人生の岐路だ。あえてだ、あえて小さいのが好きと断言するのがいいのか――そうすれば少なくともこの場を乗り切ることはできる。だが、俺は別に貧乳が好きなわけではない。むしろ程よく成長した胸が好きだ。明言したことはないがそのことは調も察しているだろう。あっさりと見抜かれる発言をこのような重大な案件にすれば、それこそ調に死罪と判決を下されることだろう。
ならば、心の赴くままに巨乳と明言すべきか。だがしかし、そんなことをすれば調もありさも自分の未発達な体に不安を抱くかもしれない。さらには、これから先発達の余地があるありさはともかく、第二次性徴の終わった調に喧嘩を売ることに等しい。そうなれば、やはり調に死罪と判決を下されることだろう。
詰んでいる。完全に詰んでいる。
いや、待て――ここは発想を変えるんだ。二択で答えを迫られたからと言って、どちらかを答える必要はない。即ち、第三の選択肢。発想を転換させるんだ。さりげなく議題を摩り替えろ。断崖絶壁へと続く道に跳ね橋を架けるんだ。即ち、女性の胸の価値は大きさではなく形だと。大小ではなく形の良いおっぱいこそが正義なのだと主張すれば、彼女たちもきっと満足するだろう。よし、これならば――――はっ! いや、待て。そもそも、形の良さなんて服の上からでは分からない。小さければ尚更だ。そもそも俺自身女性の胸を生で見たことなどない……はず。自分が価値を見出せないものに価値をつけようなどとすれば、忽ち調に見抜かれ、結局死罪と判決を下される。なら感度なら……いや……でも……)
この間、わずか零コンマ五秒。
夕は必死に思考を加速させたが、この場をやり過ごすための都合のいい答えは全く思い浮かぶことはなかった。結局夕が選んだ答えは――
「…………うん、まあ、そう、あれだ……大きさなんて些細な問題で女性の価値を決めないと、思う……なんて……」
「「主(兄)様っ!」」
二人は夕の曖昧な答えを決して許そうとしない。
「…………」
破滅まで後一歩であった夕を救ったのはぐぅーと鳴ったありさの腹の虫だった。
「…………。っとそんなことより、俺もありさも走りっぱなしでお腹空いてるんだわ。昼飯にしよう」
視線が痛い。
これは、さすがに無理があった。
二人のジト目は夕の精神を削るが、素直に答えればそれこそ命がない。ここは強引にでもその話題を打ち切るべきだった。
そして夕は何とか九死に一生を得るのだった。
時刻は正午を回った辺り、空に浮かぶ人工太陽の光が微かに強まり、仄かな光が恵みを運ぶ時間帯だった。空に浮かぶ太陽は始まりの魔女イヴが残したという原初の魔術だ。属性は光、性質は豊穣、演算領域の最低使用量は三百GB、使用魔力量はそれこそ上限がない――その術式は未だに解明がなされていないと言われるほど精緻で、鮮やかで、世界を救った魔術でもある。
太陽の光はそれほどまでに地球を支える重要な要素だった。もしも光が届かなくなったまま、数週の時がたてば、海は氷の大陸と化し、温度低下は気体に影響を与えることとなるだろう。
即ち、大気の凍結。
酸素を含む人間の生存に不可欠な成分が温度低下によって冷却され固体となれば、この星は人の生きていける場所ではなくなってしまう。
人が未だにこの地で営みを続けられているのは彼女の術式のおかげだろう。
それは御伽噺として伝えられている伝説だった。
かつて、イヴが生み出した巨大な恒星。
太平洋の中心に沈んでいるという原初の人工太陽。イヴが残した遺産は海の凍結を妨げ、その恵を保持し続けている、という。誰も確認したことはないし、誰も確認なんてできない。
ただ、未だにこの地上で人が営みを続けられていることが、どこかに彼女の残した太陽が存在しているという証明になっているのかもしれない。
「兄様、兄様、ちゃんとお手て洗ってきたよ、偉い? ありさ偉い?」
屋敷のテラスに走りこんでくるありさを受け止めながら夕は微笑みを返した。
「おう、偉いぞ。もうすぐ調がうまい物を作ってくれるからちょっとまってろよ」
空には恵みを運ぶ光があるとはいえ、屋内はそれなりに暗い。広めのテラスを唯一の贅沢として拵えていたのは明るい場所で食事を取りたいという夕の願望が反映されたからである。
「ねぇねぇ、兄様……どうして、あの女は兄様の傍にいるの?」
二人っきりになった瞬間、鋭い目つきでありさは夕に言った。まるで機会を伺っていたかのようにも思えた。
「どうしてって、それこそ、急にどうした?」
「だってあいつ、魔術師じゃないよね? なのに兄様に生意気な口利くし、兄様と一緒にいるし……」
今の世からしてみれば、ありさが普通でこの街が異常なのかもしれない。だからありさは常識に従って、調を非難する。
だけど、それは間違いだ。
「魔術師でもない人間が――無能者が兄様の傍にどうしているの? ありさじゃ駄目?」
どこか悲しげに言うありさ。篭る感情は微かな嫉妬、それ以上に深い悲哀。
ありさは不安なのだろうか。願望に隠されるはずの独占欲を表にしながら夕に告げた。
「魔術師でもない……か。でもねありさ、実は魔術師の方が無能で、その手じゃ何もできないなんてことは幾らでもあるんだよ?」
「……?」
きょとんとするありさ。少し難しかったのだろうか。
夕は少しずつ噛み砕いて説明を続けた。
「同じだよ、ありさ。俺にできることがあって、俺にできないことがある。でも、俺ができないことを調は平然とやってのける。魔術が使えるからって特別だ、なんて謳っても意味なんてないんだよ。むしろ滑稽に思える。
そうだな……分かりやすく言おうか。プレゼントした飴玉、おいしかったかい?」
「……うん」
調は舌先で弾けた甘味を思い出したのか素直に頷いた。
それを見て夕はにやりと笑う。
「あれ、調の手作りなんだよ、凄いだろ? 俺には勿論作れないし、もう一回食べたいって思ってもありさだって作れないだろ? 何なら魔術を使ったっていい。でも、それでも俺たちにはあの美味しい味を生み出せない。魔術を使ってもできないことはたくさんある。それを誰かが代りにやってくれていることを忘れちゃ駄目だ」
頭ごなしの否定は無意味だ。
仮に口に入れた飴玉に価値がないと断言するならば、あの時の笑顔は嘘と言うことになる。だけど、それはあり得ない。何せ、夕がはじめて見たありさの感情なのだから。
「……でもっ! そんなの……」
それでも納得ができていない様子のありさ。だけれど、夕はありさの無知を許してあげられるほどまでに、彼女を甘やかす気はない。
「この無駄に広い屋敷の整備も全部あいつが一人でやってる。俺じゃあ掃除も炊事も洗濯も何もできない……生活に魔術なんて何の役にもたたないしな。だからそんな小さな枠で人を見ちゃいけない。そんなつまんない価値だけで他人の評価を決めてしまったら、いつかきっと後悔する日がくることになる」
「……分かんない!」
それは無知な子供の癇癪だ。知らないから分からない。だけど、本人がどう感じているかもまた、別物なのであろう。
ありさはその両目に雫をため、叫ぶように、嘆くように、ぶつけるように、感情を吐露した。
「ありさには魔術しかない! 何処で生まれたかも分かんない。 何で巫女として生きているかも分かんない! ありさと関わろうとした人間もいない! いつの間にか生まれて、いつの間にか巫女になって、最初から一人で、何もない……! だから……分かんないよぅ……」
「……そっか」
夕が吐息と共にそれだけを口にすると、ありさは一層悲痛に顔を歪めた。
似合わない――いや、そうじゃなくて。
「でもありさ、一つだけ間違ってるぞ。――ありさと関わった人間がすぐ傍にいるじゃないか。それとも、もう――お兄様はお役ごめんか?」
そう言うと、ありさは無言のまま首を左右に振った。少し対話をしただけなのに随分と懐かれたものだ。それは喜ばしいことだと夕は思う。
彼女の身の上を夕は知らない。だけれど、関わりは薄いだけで存在しないわけでは決してないのだ。
「な~に、慌てることはない。ゆっくり考えてくれればいい。もっとたくさんの人と触れ合って、感じて、考えれば、いつかありさの答えが見えてくると思うよ」
そう言って夕は優しくありさを撫でる。すると、ありさは小動物のように目を細める。反応が調と似ていてついつい口元に笑みが浮かぶ。
小さな体に、小さな頭。未成熟な身体、それよりもさらに未熟で幼い精神。けれど彼女に当たるのは間違いだ。彼女を巫女として選んだのは霊山の祭司であり、元を辿れば選神教の仕業だ。
魔術的才能のみで選ばれた人間に、それ以外の価値を見出せなどと言うのはいささか難しい。
だがそれでも、人の価値観なんて些細なきっかけで容易に変わるものだ。
良くも、悪くも。
願わくは少女の変革が良き方向へ向かうことを夕は祈る。
「お待たせしました主様、時間もあまりなかったので、お昼は簡単にサンドイッチにいたしました」
話し込んでいる最中に昼食の準備を終えた調がバスケットを片手にテラスへとやってきた。机一杯に並べられた色とりどりのサンドイッチ。卵や鶏肉、ハムにレタス、トマトにポテトサラダ、丁寧に仕上げられた具を挟んだサンドイッチは短時間で用意できるようなものに思えないが、そこは調の手腕だ、魔術のように丁寧に、かつ迅速に仕上げられている。
洒落た花柄のティーカップには香り立ち昇る琥珀色の紅茶。呆れるほどの手際の良さは、まるで中世を描いた絵画に映し出された空間が目の前で再現されているように思えた。
「さすが調、相変わらずいい仕事だ」
素直に夕が賞賛すると、調はいつものように無い胸を張る。
暗かったありさの瞳も今ではサンドイッチに釘付けだった。悩みを抱えても体は正直に欲求を伝えるものである。だからそう難しく考える必要は決してない。
「勿論です、私は主様のメイドですよ。まあ、それはさておき――」
調は視線をありさに移すと敵意のない微笑をを浮かべた。夕がありさに抱いている不安も、あっさりと調は解消してしまった。
(さすがは我が家のメイドだな)
「――ご飯を食べながら自己紹介と参りましょう。私は主様のメイド、調。秋月調です、これからよろしくお願いしますね、巫女ありさ」
ほがらかな少女の微笑は冷え切った空気を暖めてくれたような気がした。