最終章 オーバーラン
王様の鏡 最終章 オーバーラン
『オウサマなら、だいじょうぶ。きっとかてるよ』
確かそう聞こえた。か細く拙い声だったが、俺を振るい経たせるには十分な言葉だ。
目の前の真っ黒な砂で出来た俺を見上げ、確かな決意を胸に刻んだ。俺は俺に絶対に勝つと。
もはや怪物と化した俺はわけのわからない、言葉にも鳴き声にも似つかない雄たけびを上げながら俺に襲いかかってきた。
俺の決意に反応するように、俺の服装は白銀の鎧に変わった。頭には立派な王冠。
巨大な拳が襲い掛かってくる。真っ黒な空間に地響きが響き渡った。だが、俺にその拳は届かなかった。
ボロボロになって崩れる巨大な拳は腕ごと崩れ落ちた。怪物と化した俺は断末魔の叫びをあげる。もう終わりだ。何もかも終わり。
くだらない。くだらなすぎる。俺がこんな醜く、くだらない人間だったなんて。もっと、違うと思っていた。
自分を特別な人間だなんてこれっぽっちも思ったことは無い。けど、俺はもっと人を人として見ている人間だと思っていた。
こんな人を見下したような、まるで自分から一人になろうとする人間だったなんて。
くだらない。本当にくだらない。
俺の本心がそれだなんて、あまりにもひどすぎる。俺だと認めたくない。けど、目の前にいるのは間がいなく猛威鳥の俺だ。
ボロボロに崩れ落ちた砂の体の中心から俺が現れた。俺は酷く寂しく、それでいて安心したような顔をしていた。
なんて、気持ち悪い顔なんだ。こんなの俺だと思いたくない。けど、やっぱり俺なんだ他のみんなと同じように。
こいつは俺自身なんだ。
「ナニミテンダヨ。ミルナ、ミルナッテイッテルダロ!」
「わかる、わかってるよ。俺は人が怖かったんだ、どこか自分と違うみんなが。心の中で、いつも怯えてた。理由もなく、まるで自分が別の世界に迷い込んでしまった童話の主人公の様に」
「ウルサイ! ウルサインダヨ! モウイイカゲンニシテクレ!」
「一人自分の世界に閉じこもってずっと妄想ばっかりしてきた。我ながらキモイ奴だった」
「ダマレッテ! ダマレヨモウ! イイカゲンニヒトリニシテクレヨ!」
「新しい場所で新しい友達が出来て、好きな人が出来て何か変われると思ったんだ。この力も、俺を特別にしてくれる便利な道具だった」
「イイダロ? オレノジユウダロ? オレノカッテダロ?」
「それじゃ駄目なんだ。変わらなきゃいけない。本当の意味で俺は変わる。俺は俺を倒して変わって見せる」
俺はゆっくりと俺に近づいた。徐々にその距離を縮めていく。そして、顔を背けようとする俺と目を合わせた。
怯えている。客観的にそう見えた。俺の目は、何かにおびえている。ずっと、ずっと遠い場所を見ている。
「来いよ俺。お前の気持ち、俺にぶつけてみろ」
怯えた顔で横目で俺を見る。そして次の瞬間、右ストレートが俺の顎を貫いた。脳を揺らされる。
一瞬何が起きたのかわからず、フラフラになりながら目の前を確認する。そこには、鬼の形相で俺を睨む俺がいた。
地味に痛い。けど、そうじゃなきゃ面白くない。張り合いがるってもんだ。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
俺の右ストレートが、もう一人の俺の顔をとらえる。すかさず、もう一人の俺は打ち返してくる。何度も何度も、それを繰り返した。何度も何度も何時間も。
時間が過ぎるのもわからず、俺たちはお互いをなぐり合った。気が付くと、お互い顔面血だらけになっていた。
それでもやめようとしない。もはや意地だ。絶対に負けたくないと言う、硬い意志だけが俺を動かしていた。
一発殴り、一発殴られ。意識が飛びそうになる自分を必死に堪えた。息も絶え絶え、焦点も合わなくなってきた。
最後の一撃、残った力を振り絞った。お互いの顔にパンチが命中した。クロスカウンターだ。
俺は膝から崩れ落ちた。向こうも同じように倒れた。
もう立ちあが得ない。指一本すら動かせない。ただ呼吸音だけが、真っ暗な世界で俺が生きてることを教えてくれる目印だった。
小さな声が聞こえた。誰かが俺を呼んでいる。誰かは分からないけど、確かに呼んでいる。
なぜか力が湧いてきた。少しだけ、体に力が戻った気がする。激痛に耐えながら、俺は立ち上がった。
酷い顔をした俺が、目の前に倒れている。その眼には涙が浮かんでいた。そっと自分の頬を触る。
なにかに塗れていた。きっと、涙だ。
俺はそっと倒れている自分に手を差し伸べた。けど、もう一人の俺は首を横に振りそれを拒否した。
小さな声が徐々に大きくなる。俺はその声の方に向かって歩いて行った。
「ホントウニ、もうイインダナ?」
そっと、もう一人の俺はそう言った。その声は、どこか心配しているように聞こえる。
「ああ。今までありがとうもう俺は大丈夫だ。俺にはもう、大切な仲間がいるから」
「ソウカ……マタ……イ……ツカ……アイ……タクナッタトキハ……イツデモ……ヨベ……オレハ……イツモ……オマエノ……ソバニ……」
声は聞こえなくなった。声のする方向に、俺はゆっくりと歩いていく。真っ暗な場所で上も下も、右も左もわからない道だけど、もう迷わない。
俺には、俺を導いてくれる声が聞こえる。俺を導いてくれるみんながいる。だからもう、迷わない。
うっすらと光が見え始めた。温かい光だ。久しぶりに見た光。その光に向かって、今確かに俺は歩いている。
一歩一歩進むたびに光は大きくなり、気が付けば俺は大きな光に包まれていた。とても眩しいけど、どこか懐かしい光。とても心地いい光。
その光から伸びている手に俺は、ゆっくりと手を伸ばした。その手は柔らかくそれでていてしっかりとした、温かい手だった。
気が付くと、俺は自分の部屋に帰ってきていた。目の前にはネムがいる。
今度は夢じゃない。現実だ。
「ただいま……」
俺は無意識のうちにそう言っていた。ネムは目に涙を浮かべ、精一杯笑顔を作って言った。
「おかえりなさい、オウサマ」
後ろを振り返ると、そこには元の鏡。酷くボロボロの俺がそこに映っていた。
「ばか! ばかばかばかばかばか!」
そう言ってネムは俺を叩いた。何度も何度も叩いた。けど、全然痛くなかった。不思議となぜか安心した。戻ってきてくれてよかったと。
「オウサマひとりでなんとかなるわけない、もうすこしおそかったらオウサマ……しんじゃうとこだったんだよ?」
「悪い、けどもう大丈夫今戻ってきたよ。それより、ネムが戻って来てくれて本当によかった」
そう言って俺はネムの手元を見た。俺を握っていたはずの手が見えない。
一瞬パニックになった。手が消えるわけがない、幻覚でも見たのかと。けどそれは、幻覚なんかじゃなかった。
現実だった。紛れもない現実。ネムの体は徐々に消えていた。
「な、なんだよこれ……なんだよこれ!」
「オウサマ、わたしもうここにはいられない。げんかい、なの……」
「そんな……」
徐々に薄くなっていくネムをただ俺は、呆然と見ているしかなかった。
「オウサマさがすのに、ちょっとちからつかいすぎちゃったかも……へへへ」
「笑ってる場合じゃないだろ! どうすりゃいい? 何か俺にできることは……」
そう言って俺を見回した。出来る事なんて、あるはずないのに。でも俺は、ただそのままじっとしているなんてそんなこと出来るはずがなかった。
「わたしは……もともとひとのこころからうまれたせかいのじゅうにん。だから、ひとのおもいがわたしたちをつくって、ちからをあたえるの」
「だ、だったら俺が思うよ! ずっといてほしいって。俺が思うから。だから、まだ行くな……まだ話したいことが……」
言ってる合間にも、どんどんネムの体は消えていく。俺はどうすることも出来ない。
現実の世界じゃ俺は無力だ。
「オウサマ……おもい……もうとどいてるよ? だって、わたし……こんなにながく……ここに」
「まて、待ってくれ。もうちょっとだけでいい。頼むから、やっと会えたのになんで……俺は、俺は……まだお前に何もしてやれてな……」
ネムの体は光の粒子と共に消えた。そして、何もかも完全に消え去った。
床にはまだネムの温もりが残っている。夢じゃない、現実に存在していたんだ彼女は。ネムは確かに、ここにいた。
「くそ……くそぉぉぉぉぉぉ! 俺はまだお前に……ありがとうって……伝えてないよ……」
あふれ出てくる涙を止めようと目を抑えるも、余計に涙が出てくる。どうしたらいいのかわからない。
後ろに振り返り、鏡を見る。俺は鏡の中に手を入れようと右手で鏡に触れた。しかし、もうあの感触は無かった。右手の指にはただ冷たいガラスが触れるだけ。
ただ虚しさだけが残った。ネムは鏡の向こう側に帰ったのだろうか、もし俺の心がネムに届いているのなら、ネムは……。
それから一年たった。相変わらず部員は俺と秘凜乃だけ、特に目立った活動もしていない。ほとんどが姫川先生のナンパに付き合わされることだけだ。
たまに冥利もやってくる。その時に限っていつも秘凜乃に睨まれる……。まあ、今ではそれも慣れたけど。
あれから友達もそれなりにでき、高校生活のスタートにしては中々だったともう。問題はこれから先、部員が増えるかどうかだ。
ネムとの出来事は、心に刻みついている。きっと、これからもずっと俺の心の中で残り続けるんだろう。
奇妙な数ヶ月だったけど、かけがえのない数ヶ月だった。今頃ネムは元気にしているだろうか? そして俺は、いつまでこの世界にいられるんだろうか。
そんなことは分からない。誰にもわからない。
朝、顔を洗って鏡を見る。ふと、あの日の事は夢だったんじゃないかと考えた。そして、いつものように鏡に右手を触れた。
少しだけ、鏡が揺れたようなそんな気がした。ネムが同じように向こうから触れているようなそんな気がする。
そして俺はいつものように、遅刻ギリギリの朝食をせっせと口に運ぶのだった。




