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初詣(1)

作者: 水橋 哩

 正直、ここまで歩いてきた事を後悔していた。街灯は所々にしかなく、慎重に次の一歩を踏み出さないと、歩道一面に張った氷塊に強く頭を打ち付けるだろう。

 新年早々から怪我はしたくなかった。それでなくとも、目指す厳島神社は遥か向こうの対岸。しかも、小高い丘の上だ。

 私の前、10メートルくらい前を2人の男が並んで歩いている。

左の男は、時折、ウィスキーの小瓶をコートの胸ポケットの中から取り出して、大事そうにひとくち、ふたくち。それを見ながら、右の男は、またいつもの癖が出たと、苦笑いしたように見えた。

「随分、余裕があるもんだ」

 と、私は前の二人に投げ掛ける。

大晦日に、普段飲まない酒を「人並み」に飲んだせいで、私の千鳥足はいつにもまして覚束ない。

「先輩、もう限界ですか」

 左の男に向けた苦笑を、右の男は私にも容赦なく浴びせてきた。

「結局、運動不足なんですよ。運動不足。常日頃、図書館と下宿の往復しかしないような生活をしているから、こんな様になるんですよ」

 正論過ぎて、私も苦笑する。

 実際、この時期になっても内定の無い私は、逃避するように卒業論文に打ち込んでおり、夜が更けたことに気がつかず、しばしば同じ書物の同じ頁をひたすら何度も何度も読み続けていた。

 そういえば、運動らしい運動なんて、最近した覚えが無い。それが証拠に、私の足の裏はもうとっくに限界だったようで、小刻みな痙攣と鈍い痛みが一歩踏み進めるたびに伝わってくる。

「まぁ、仕方ない」

 もう、そう言うしかなかった。

 反論する気力も無いし、そんなことをしていたら、到底、神社までは辿りつけないという1人の酔っ払いの絶対的確信があった。

 何しろ、この凍りついた歩道を、あと10キロ以上自分の足で歩かなければならないのだから。

 優先すべきは、体力の温存だ。

 

 そうこうしている内に、学生街を抜け、駅裏の古き良き時代の飲み屋街まで到達した。

 やっと折り返し地点だ。

 あとは、駅の地下通路を抜けて、この街の尻の青いネオン街を通り過ぎ、橋を渡るだけ。その先の坂を上れば、目指す神社がある。

「今夜も良い月ですね」

 左の男、これも私の後輩なのだが、不意に呟き、ポケットのウィスキーをひとくち。

 日頃からこんな風な言動をする男だ。誰よりも酒を愛し、誰よりも花鳥風月を愛して止まない。

 そして、私が今まで会った人間の中で、一番の知識と論理力を持った奴だ。

 高校時分、日本史に関しては、模試の偏差値70オーバーも記録していた私であったが、この男との出会いによって、私が蛙であったことを理解させてくれた。古事記、日本書紀を暗誦できる人間を、私はこの男しか知らない。

 何しろ、教授陣に混じって対等の議論をする。休日には、その教授達に「飲みに行かないか」と誘われる。それを断って、奴は丑三つ時に独りで海を見に行ってしまう。そんな奴だ。

 単位だけ貰えればいいという今時の大学生とは、異質な存在であり、かつ異能の持ち主である、と私はこっそり思っている。

 ただし、たまに一般的な発想や社会常識を超えてしまう時がある。私達が1月1日の午前中から、小雪舞う寒空の下を歩いているのも、この男の発案だ。

 つい先刻まで、日本酒の一升瓶を1人で半分以上空けていたのは奴のはずなのだが、氷の上を確かな足取りで先頭切って歩いている。

 一体全体、こいつはどんな構造をしているんだろうか。本当に、世の中は呆れるほど広い。

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