第一章 第6話
カイル大司教の執務室の前には、二人の重装騎士が立っていたが、蓮が近づくと、彼らは恐怖と敬意が混ざった複雑な表情で道を譲った。
重厚な扉の閂は内側から斧で叩き壊されており、室内の空気は数日前の惨劇を閉じ込めたまま、重く淀んでいる。
「リリ、ゴム手袋を。それから、窓のカーテンをすべて閉めろ。一筋の光も入れるな」
蓮の指示に、リリはアタッシュケースから手際よく道具を取り出す。
ダニエル司祭が困惑したように声をかけた。
「ヘムラー殿、これほど暗くては何も見えませんが……検魔官たちも、魔法の灯火で隅々まで調べたのです。これ以上の手掛かりなど……」
「魔法の光は明るすぎる。それでは『真実』が眩暈を起こして隠れてしまうんだよ」
蓮は、アタッシュケースから見たこともない形状のライト――**強力な紫外線ライト(ブラックライト)**を取り出した。
カチリ、とスイッチを入れると、暗闇の中に青紫色の怪しい光が広がる。
「……っ!? 壁の文字が、光っている!?」
ダニエルが息を呑んだ。
肉眼では、被害者の血で書かれた『復讐』という文字しか見えなかった。しかし、蓮の放つ光の下では、その文字の周囲に、飛び散った微細な液体の痕跡が、銀河のように白く浮かび上がっていた。
「これはルミノール反応……ではないな。リリ、この飛沫の形を記録しておけ。……ダニエル、君たちはこの『復讐』の文字を、被害者が死に際に書いたダイイングメッセージだと思っているようだが、それは間違いだ」
蓮は死体の側に膝をつき、遺体の右手を持ち上げた。
「見てみろ。大司教の指先は綺麗だ。壁にこれだけの文字を書くなら、爪の間に漆喰の粉や大量の血が入り込むはず。だが、彼の指は死の直前に祈りを捧げていた時のまま、清潔だ。……つまり、壁の文字は『犯人が、被害者の血を使って書いた偽装』だ」
次に蓮は、大司教の背中の傷口に光を当てた。
「凶器は教会の短剣だと言ったな。だが、傷口の縁が不自然に変色している。リリ、検体採取キットを。……おそらく、この刃物には『ある物質』が塗られていた。それも、この世界の魔法では検知できない、地球の高度な化学薬品に近い何かがな」
蓮は遺体のポケットを弄り、一通の紙片を取り出した。それは捜査官たちが見落としていた、ボタンの裏に隠された小さなメモだった。
「指紋……? 先生、それをとるんですか?」
リリが専用の粉末を差し出す。蓮は手慣れた手つきでメモの表面に粉を振り、ハケで払った。
「人間には、指先に一人一人異なる渦巻きの紋様がある。それは一生変わらない、最強の身分証明書だ。……ほう、面白い。このメモに残された指紋は、被害者のものでも、第一発見者のものでもない」
蓮は立ち上がり、暗闇の中で瞳を鋭く光らせた。
「ダニエル、今すぐカイル大司教の『個人的な会計係』と、『彼にハーブティーを運んだ秘書』、それから『この部屋の合鍵を管理している司祭』の三人をここに集めろ。……誰が閂を内側からかけたのか、その『魔法のようなトリック』の正体が分かったぞ」




