第一章 第4話
アパートの前に用意されていたのは、聖レガリア教会の紋章が刻まれた重厚な四輪馬車だった。
蓮は乗り込む際、車輪のバネの甘さや車内のわずかなカビの臭いに眉をひそめたが、黙ってふかふかのシートに身を沈めた。対面にダニエル司祭、その隣にアタッシュケースを抱えたリリが座る。
石畳を叩く馬蹄の音を聞きながら、馬車はゆっくりと走り出した。
「さて、ダニエル。移動の間に、その『迷宮入り』しかけている事件の概要を吐き出してもらおうか。……まずは発見時の状況だ」
蓮が足を組み、促す。ダニエルは緊張した面持ちで、思い出すのも忌まわしいといった様子で口を開いた。
「……被害者はカイル大司教。教会の次期枢機卿の座に最も近いと言われていた御方です。発見されたのは昨朝、彼自身の執務室でした。背後から心臓を一突き。……凶器は、教会騎士団が儀礼用として使う短剣でしたが、出所はまだ掴めておりません」
「ふむ。背後から、か。壁に血の文字があったと言ったな」
「はい。漆喰の壁に、大きく『復讐(Vengeance)』と。……しかし、奇妙なのはそこからです。カイル司祭の執務室は、通称『開かずの間』。窓には頑丈な鉄格子、扉は内側から重い閂がかけられていました。発見時、修道士たちは扉を斧で叩き壊して入ったのです」
「完全なる密室、というわけか」
蓮は窓の外、ガス灯の光が流れていくのを見つめながら、短く質問を投げた。
「カイル大司教が最後に生きて確認されたのはいつだ?」
「一昨夜の午後十時です。秘書がハーブティーを届け、退室する際に中から閂をかける音を聞いています」
「その秘書とやらは、ハーブティーを『毒殺』に利用できるな?」
「……いえ。死因はあくまで刺殺による失血死。毒の反応は検魔官たちも否定しています。それに、部屋のハーブティーは手付かずのまま冷め切っていました」
「ふん。捜査の進展は?」
「……絶望的です。教会の内部は現在、カイル司祭を支持していた改革派と、それを快く思わない守旧派で真っ二つに割れています。騎士団も双方の顔色を伺い、有力な容疑者が浮上しても、上層部の圧力ですぐに捜査が打ち切られる始末で……」
「なるほどな。無能な身内争いが、真実を霧の中に隠しているわけだ」
蓮は冷笑を浮かべ、リリから手渡されたミントタブレットを一つ口に放り込んだ。
「被害者の性格はどうだった? 聖人君子か、それとも恨みを買うようなクズか」
「それは……その、言葉を選ばずに申し上げれば、極めて野心家であり、敵も多かったことは事実です。ですが、神職としての務めは完璧にこなしておられました」
「野心家、ね。……まあいい。だいたいの輪郭は見えた」
馬車の揺れが止まり、外から御者の「着きました」という声が響く。
窓の外には、霧の中から巨大な白い怪物のようにそびえ立つ、聖レガリア教会の総本山が姿を現していた。
「ここから先は、言葉ではなく実物に見極めてもらう」
蓮は扉が開かれる前に、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
ダニエルがどれだけ説明しようとも、蓮の頭脳はすでに、語られなかった「わずかな矛盾」をいくつか拾い上げていた。




