第一章 第2話
王都ルンディニウムの北、ヴィクトリア朝の情緒を色濃く残すベーカー街。その一角にある高級アパートの221号室は、外観からは想像もつかない異様な空間となっていた。
「天城様ー! また脱ぎっぱなし! ここは一応、19世紀風の異世界なんですよ? 執事もメイドもいないんですから、自分の靴下くらい自分で洗濯機(あっちの世界の)に入れてください!」
エプロンを振り回して怒鳴っているのは、女神から「案内役」として派遣された天使、リリだ。本来なら背中に純白の翼を持つ高潔な存在のはずだが、今は翼を隠し、ポニーテールを揺らしながらテキパキと部屋を片付けている。彼女は女神の加護により地球の知識をインストールされており、今や天城蓮の「秘書兼家政婦」として完全に馴染んでいた。
そのリリの小言を、高級ソファに身を沈めた天城蓮――異世界名ロケシュ・ヘムラーは、耳に指を突っ込んで聞き流していた。
「リリ、声がデカい。コーヒーの香りが乱れるだろう」
蓮が手にしているのは、この世界には存在しないはずのボーンチャイナのカップ。中には、挽きたてのブルーマウンテンが注がれている。
彼の目の前には、空中に浮かぶ半透明のホログラムウィンドウ。そこには、地球(日本)の最新ニュースや株価チャートがリアルタイムで流れていた。
「だいたい、何なんですかその『ほろぐらむ』って! 私、天使として賢者様のお手伝いをするように言われましたけど、やってることは現代っ子の世話焼きじゃないですか! おかげで私の天使ランク、全然上がらないんですよ!」
「いいじゃないか。お前だって、地球の『ポテトチップス・コンソメ味』を食いながら、あっちの『トレンディドラマ』を見て泣いてるだろう。天使のくせに」
「うっ……それは、人間界の情操教育を学んでいるんです! 調査です!」
リリは顔を赤くして反論したが、実際のところ、この部屋は「女神の特権」によって、21世紀の文明が100%持ち込まれていた。
部屋の隅にある、不自然なほど鮮やかなピンク色のドア。それこそが、蓮が女神に要求した条件の一つ――。
「……ま、お遊びはここまでだ。客が来たぞ。門を叩く前に、もう角を曲がった」
蓮が指を鳴らすと、壁に設置された高解像度モニターに、アパートへ向かって足早に歩いてくる男の姿が映し出された。
「えっ、もう!? まだお茶の準備が……あ、そうだ! 蓮様、また『○こ○もド○』を使って、外に監視カメラを設置しましたね!?」
「人聞きが悪いな。あれは『超空間接続型・万能移動門』だ。……まあ、見た目はただのピンク色のドアだがな。おかげで、地球のオフィスの防犯カメラ映像をこっちにバイパスできる。便利だろ?」
「女神様も、あんな道具を許可しちゃうなんて……。完全に日本の国民的アニメのファンじゃないですか……」
リリが呆れ顔でため息をつく。
蓮はニヤリと笑うと、タブレットを操作してホログラムを消した。
「リリ、仕事の時間だ。……地球では、解決できない事件はないとまで言われた俺の頭脳。この1870年代レベルの未発達な世界で、どこまで通用するか試してやろうじゃないか」
蓮は優雅に立ち上がり、クローゼット(○こ○もド○)から取り出したばかりの、仕立ての良い特注スーツに袖を通した。それは、ガス灯に照らされたこの街にはあまりにも洗練されすぎた、しかし圧倒的な「強者」のオーラを放つ装いだった。
「さあ、案内してやれ。神託を信じて、震えながらやってきた子羊をな」
その直後、一階の呼び鈴が、静かな部屋に鋭く響き渡った。




